福子二人

福子二人

 寝る前には妹に、いろいろな話を聞かせてやる。今日学校で起きた出来事、友達から聞いたこと。書斎から適当に本を取ってきて、読み聞かせてやることもある。
 ランプが一つ、置いてある。明かりはそれだけ。部屋の真ん中に2つ布団を並べ、僕たち兄妹は寝転がっている。二人で顔を寄せて、話しをする。
「で、最後はいつもの通り健吾は先生に怒られてしょんぼりしていたよ」
 妹はくすくす笑う。今日のお話は気に入ってくれたようだ。やはり健吾の話はうけがいい。心の中で健吾に感謝する。
「もう寝ようか。僕眠くなってきた」
「やだ」
 間髪入れずに拒否してきた。いつものことだ。
「僕は明日も学校だから。それに話のネタがなくなっちゃった。また、おもしろい話を仕入れてくるから、今日はもう寝よう」
「じゃあ、もう寝るわ。明日もお話ししてね」
こうやってすぐに折れるところもいつものことだ。
「おやすみ」
「うん」
 妹は僕に背を向けて寝る体制に入った。手を伸ばしランプを消す。天井の方を向き、うつらうつらとする。
 妹は学校に行っていない。外にでることもあまりない。外にでるのは、僕と裏山で遊ぶときくらいだ。
 両親があまり妹を外に出さないようにしている。妹は村人から「蛇の子」と呼ばれ、忌まれている。理由は左目の周り、左足、背中に蛇の鱗があるから。もちろん本物の蛇の鱗ではない。しかし、鱗のようにでこぼこしていて、青黒く変色しているのでそういう風に見える。さらに右足は未発達で、蛇のしっぽのように先が細くなり途切れている。
 両親は妹を隠そうとした。生まれてからすぐに、外に出さないことは決定した。しかし、妹のことを見た女中が、村中に言いふらしたようだ。村人はみんな知っている。妹の噂は尾ひれが付いて、広がっている。僕の母親が蛇と寝たからあんな子が産まれただの、実は妹は人の姿をしておらず、本物の蛇を人間のように扱って育てているだの、好き勝手に言っている。妹が生まれた時期から、僕の家は裕福になっていったので、嫉妬を混ぜてさらにひどいことをいう人もいる。よく覚えていないが、妹のことを「とうびょう」と呼ぶ人もいるらしい。
 妹はずっと家にいるので、実際に見た人はほとんどいないだろう。今は女中を解雇して、母親が家事をすべてしている。素直でかわいい子なのに、なぜ悪く言うのか理解できない。僕の学校ではあまり表立って言う生徒は少ないが、中には陰で「呪われた家族」などと言っている人もいるようだ。腹が立つが、僕が反論したら、村での僕たち家族の立場がますます悪くなる。だから僕は我慢する。健吾みたいに噂を気にせず、僕と接してくれる友達も数人いる。
 妹はずっと僕と遊んできた。相手がいないから当然だ。外のこともよくわかっていない。だから僕の話が大好きだ。何でも新鮮に感じるのだろう。軟禁状態でも文句を言わない。素直で心が清らかな妹。横目で寝ている妹を見る。安らかな寝息をたてている。
 もうすぐ裏山には花が咲く。休みにはいつものように、一緒に山に行こうと考えながら、意識は底のほうに沈んでいった。


 2人で山に登っている。まだ日が昇ってすぐだから、涼しい。木々が生い茂り影をつくっている。昼になってもそんなに暑くならないだろう。この細い道を少し登ると開けたとこがある。小ぢんまりとした場所なので、2人で遊ぶのにはちょうどいい。山は僕たち家族の私有地だから、他の人は入ってこない。安心して過ごせる。
「疲れてないか、少し休もうか」
 妹の右足は使い物にならないので、杖と僕に支えられながら登っている。その姿は大変そうだが、外で遊びたい気持ちが勝つらしい。足を止めることなく、ずりずりと登っていく。
「もう少しでしょ。休まないわ」
 僕は妹の言うことを聞き入れ、足を止めずに歩き続けた。妹も成長してきて体が大きくなってきた。支えている僕の方が休みたかったのだが、そんなこと言うと妹が僕に気を遣う。もう山に登らなくなるかもしれない。もしかしたら、ひとりでこっそり登る可能性もある。ひとりで登るのは危険だ。そうならないように、僕は疲労を悟られないように妹を支え続ける。
木々のざわめきと鳥のさえずりが聞こえる。そんな中で妹の心地いい体臭に包まれながら歩を進める。目的地までもうすぐだ。
 山の中腹は、原っぱになっている。ここで僕たちは遊ぶ。草花を編んだり、散策して生き物を捕まえたり。今日は何をするか、母親に作ってもらったおにぎりを食べながら相談する。
「お花摘みましょ。お花。あっちにある白い花がいいわ」
 石の上に座る妹は言う。赤い着物を着ているから、自然の中にいるととても浮いて見える。青黒く爛れた左目と、その他の青白い皮膚それに赤い着物。何も知らない人がこの場を見たら、決してこの世のものとは思わないだろう。それほど現実離れをした容姿をしている。そんな恰好なのに「お花を摘みたい」と、子どもらしいことを言う。それがとてもおかしく、とても愛おしい。
「わかった。食べ終わったら、移動しよう」
 地べたに座り、妹を見上げる形になっている僕は従う。妹はもそもそとおにぎりを頬張っている。余程花が摘みたいようだ。僕よりも早くおにぎりを食べ終え、ひとりでよたよた歩き始めた。ここは山道のように危険ではない。支えは必要ない。僕はただ妹を見ていた。
 僕のおにぎりがあと一口だけになったところで、小さい叫び声が聞こえた。
僕は走って妹のところに向かう。
「どうした。転んだか。けがはないか」
 転んだかどうしたのか、杖を投げ出した妹がうつ伏せに倒れていた。妹が僕の方に顔を向ける。
「蛇がいたの。驚いて杖を放しちゃった。それで転んだだけ。噛まれてないわ。そんなに慌てないで。大丈夫よ」
 杖を拾って、妹を立たせる。取りあえず、おにぎりを食べた場所まで戻り、座らせる。大丈夫と言っているが、顔が強ばり、青くなっている。
「どんな蛇だった」
「太くて、短かった。顔が尖っていたわ。いきなり草むらから出てきたから、驚いたの」
「マムシだ。毒があるから、噛まれなくてよかった。マムシがいるならここは危ないよ。今日はもう帰ろう」
 僕はマムシに噛まれない自信があるが、妹は無理だろう。マムシが向かってきたら、とてもじゃないがひとりでは逃げられない。
「嫌よ。あの花が欲しいの」
 拒否してきた。
「駄目だよ。また今度来ればいいじゃないか。どうしても欲しいなら、僕が摘んでくるよ」
「嫌。お兄ちゃんが噛まれちゃうじゃない。それはやだ。私ひとりで行く」
 珍しく、食い下がらない。
「僕なら大丈夫だよ。噛まれない。お前は危ないから待ってて」
「やだよ。何でお兄ちゃんが噛まれなくて私は噛まれるの。私がひとりで行くの。噛まれないわ。ひとりでできるわ」
 ついに涙を流し始めた。こんなことは初めてだ。いつもは僕が2回ほど言い聞かせたら言うことを聞くのに。そんなに花が欲しいのか。しかし、僕がやろうというと、拒否して自分で行くという。なぜこんなことを言うのかわからなかった。ともかく泣きわめいてどうしようもないので、半ば無理矢理立たせて、僕たちは下山した。


「ああ、よかった。今日近くで熊が出たらしいの。今、あんた達を呼び戻そうとしていたとこよ」
 裏口で出くわした母が僕たちにそういった。
「あらどうしたの。おんぶなんて珍しい。体調でも悪くなったのかしら」
 歩きながら暴れるので、途中でおんぶした。そのときに少しきつく言い過ぎたかもしれない。拗ねて僕の背中に顔を埋めている。それから一言も口を利かない。
「うん。上に着いた途端に気分が悪くなったみたい。でも熊が出たのか。帰ってきてよかった」
 家に入り、妹を寝かしつけた。母にマムシのことは。面倒臭いから。しばらく山に近づかなかったらいいのだ。
泣き疲れたのか、それともまだ拗ねているのか、布団の中で丸くなっている。僕は妹が反抗してきたことに少なからず衝撃を受けていた。成長するにつれて、自立心が芽生えたのか。それは嬉しいことだ。今までは何をするにしても僕抜きではできなかった。しかし、今日のような場面では僕の判断が正しいだろう。マムシがいることを分かっていてひとりにはできない。妹の進歩を嬉しいと感じながら、不安にもなり、少し寂しいような気持ちに僕はなった。


 それからしばらく経ったが、僕たち2人の間にはどことなく気まずい空気が漂っていた。寝るときにお話をしてと、せがまれることもない。妹は布団にはいるとそっぽを向いてすぐに寝てしまう。僕が休みの日も、ひとりで部屋に籠もっている。話しかけようとしたら、気配を察知しどこかへ行ってしまう。露骨に避けられている。僕はどうすることもできずに、もやもやを抱えながら日々を過ごした。
 僕たちふたりの雰囲気に家族も気づいたようだ。夕飯を食べたあと、母が部屋に戻ろうとしていた僕を捕まえて訪ねてきた。
「最近あのこの様子おかしくない。どこか悪いところはないようだけど、何かあったの」
 僕は先日、山で起きた出来事を伝えた。そして、妹に自立心が生まれていること、しかし、この閉じこめられた状態ではどうしようもなく、もどかしい気持ちでいるようだということも。
 ここ数日で、僕は妹の変化に気づいた。この軟禁状態の閉塞感に妹は堪えられなくなったのだ。僕が話す外の情景にあこがれを抱いたのかもしれない。妹ももう小さい子供ではない。自分の置かれている状況は特殊だということが分かってしまったのだ。外に出たら、裏山では見られないような風景が見られる。そこを自分の足で走り回りたい。そう、望んでいるのだろう。
「そうよね。いつまでもこんなことが続けられる訳ないわよね。あの子の体が普通だったら、とても活発な女の子だったのかしら。でも、どうしようもないのよ。外の世界では生きられないわ。かわいそうだけど」
「それでも母親か。妹のことを思ったらそんな言葉は吐けないだろ。本当に思っているなら、好きにさせるのが親だろ」と、言いたかったが喉元まできたところで飲み込んだ。僕自身を省みるとどうだ。妹を外に出したとして、僕たち家族は村人の視線に耐えられるのか。もしも友達が妹を目にしたら、ただでさえ少ない友達が離れていくかもしれない。それはとても恐ろしいことだ。所詮僕も、自分の身が一番大切なのだ。だが、妹に対する愛情は深いと自負している。できることなら外で心行くまで遊ばしてやりたい。母の目は潤んでいる。母も僕と同じ気持ちなのだろう。結局何も言えず、何も解決策もなく僕は部屋に戻った。
 部屋の中でぼんやり考える。いっそのこと妹と二人家を飛び出して誰もいない山奥で暮らしたい。そんな考えが浮かんでは消える。しかし、現状を維持することしかできないだろう。
 しばらくすると、風呂から上がった妹が部屋に入ってきた。寝間着から露出している肌が、薄桃色になっている。僕とは目を合わせようとしない。「なあ、外に出たいのか。僕とずっと一緒にいることが嫌になっちゃったのか」と心の中でつぶやく。
 そんな声が聞こえるはずもなく、無言で妹は布団の中に入った。僕はただ妹のうなじを見つめていた。
 閉塞感がこの部屋を覆う。それがずっしりと僕に纏わりつく。妹は閉塞感という、こんな重い服を四六時中着ていたのかと、ぼんやり思った。こんなことを想像するたび、息苦しさが増す。

 学校でも上の空だった。授業に集中できない。普通の家だったら、妹のことは「遊び盛りの年頃だから好きにさせとく」で済む問題なのだ。子どもを閉じこめておくなんて、今更だが、非常識だ。これが日常になっている僕たちの家族は異常なのだろうか。友達に相談しても解決策は出ないだろう。八方塞がりである。
「おい、いつまでぼうっとしてんだ。さっさと帰るぞ」
 健吾に言われて気づいた。もう、学校が終わっていた。
「お前最近ずっとぼけーってしてんな。好きな人でもできたんか」
「馬鹿なこと言うな。腹が痛いんだよ腹が」
 健吾を軽くあしらって一緒に学校を出る。山沿いの道を二人並んで歩く。夕暮れ時。子どもの声が遠くで聞こえる。田の稲はある程度背が高くなっている。田の水が涼しい風を運んでくる。さわやかな気候の中でも僕の胸中はすっきりしない。
「本当に大丈夫か、腹が痛いなんて嘘だろ。心配事があるなら言ってみろ」
 まさか健吾にここまで心配されるとは驚いた。傍から見て、相当僕の様子はおかしいのだろう。
「人のことを心配するなんて、お前こそ病気なんじゃないか。頭でも打ったのか」
 さすがに健吾でも妹のことは言えない。妹の存在と、その噂も知っているだろうが、健吾がどうこうできる問題でもない。もしへたに首を突っ込んだら、健吾まで村人から異端視されるかもしれない。友達としてそれはできない。
「なんだとこら。人が心配してやってんのに、その口の効き方はないだろ」
 怒らせてしまった。しかたがないことと、心の中で言い聞かせる。二人とも黙り込んでしばらく歩いた。子どもたちが道ばたで騒いでいる。
「蛇の子だ」
 まさかと思った。その言葉を聞き、僕は走った。
「うえーほんとに鱗がある。蛇だ、蛇だ」
「退治しろ」
「化け物だ。退治しろ」
「目が片方ないぞ。気持ち悪い」
 いつも着ている赤い着物が見えた。子どもたちの輪の中心で妹が倒れていた。最も恐れていたことが起きてしまった。母の目を盗んでここまできたのか。僕は大声で子どもを脅し、近くにいた子を殴り飛ばし、群を散らした。妹に駆け寄った。着物は汚れ、顔に切り傷がついている。杖は近くに落ちていた。
「外を見てみたかったの」
妹はそれだけを申し訳なさそうに言った。今はそんなことはどうでもいい。早く連れ戻さなければ。
「化け物の仲間だ。やっちゃえ」
 再び子どもの輪が形成されていた。囲まれている。妹をこれ以上傷つけずに逃げられるか。じりじりと輪が縮まる。子どもたちはにやにや笑っている。妹を後ろに隠す。僕の服をつかんでいる感触がする。
「とりゃー」
 ふざけた叫び声をあげながら石を投げてきた。体に当たる。真似した子どもが次々と石を投げてくる。ついに顔を上げられなくなり、後ろを向いて妹を包む形になった。
 掌に湿った地面の感触がする。
「もっと鱗を見せろよ。正体を現せ蛇」
 ずんずんと近づいてくる気配がする。直接暴力を振るう気だろうか。ついに気配が後ろまできた。妹を抱きしめ、ぎゅっと目をつむる。
「ぎゃっ」
 殴られると思ったら、子どもたちの方が悲鳴を上げた。何事かと思い目をやる。僕と子どもたちの間に、蛇がいた。マムシだ。鎌首をもたげて威嚇をしている。
「立て。逃げるぞ」
 怯んでいる間に、妹を抱えて逃げた。視界の隅に健吾が移る。妹の姿を見て驚いたのだろう。口を開けて惚けている。もうこれまでと同じように付き合うことはできなくなるという予感が胸を締め付けた。
「俺見たぞ。蛇女の股から出てきた。やっぱり呪われてるんだ」
「マムシだ、逃げろ」
 子どもたちはぎゃあぎゃあ騒ぎながらマムシから逃げている。
「馬鹿じゃないの。後ろの茂みから出てきたのよ。私呪われてなんかないわよ」
 妹がそう呟いた。僕は妹を担いで家まで急いだ。

 それから僕は学校に行かなくなった。あの日の夜、妹は僕に抱きつきながら泣いた。もう味方は僕しかいない。だから、僕はずっと妹のそばにいるようにした。妹も何か吹っ切れたのか、諦めたのか、以前のように口を利いてくれるようになった。理解者は僕しかいないということが分かったのだ。書斎の本を読んでやり、裏山に登って遊んで過ごしていた。もう僕が外で体験した話は、聞かせてやることができなくなった。
このままで一生を暮らせるわけはないと理解していた。しかし、妹の喜ぶ顔を見られるならどうでもいい問題だった。現に今の僕たちは満たされていたのだ。
「僕思ったんだけど、あのマムシは僕たちを助けてくれたのかな。この前裏山にいたときは、熊が出ることを分かっていたから僕たちを逃がした。で、子どもたちに襲われていたときは間に入って助けた」
 僕は訪ねてみた。
「えー。2回とも茂みのそばだったし偶然でしょ。蛇なんかと友達になりたくないわ。そんなこと言わないでよ」
 妹は自分の体を抱きしめ身震いした。蛇に対して苦手意識があるらしい。妹の体を考えれば当然かもしれない。
「ごめんごめん。もうこの話しはしないよ」
 僕が笑顔を見せると、妹の顔も明るくなった。ふすまが開き、母が顔をのぞかせた。
「夕飯よ。二人とも来なさい」
 家族は、あの日ぼろぼろになった僕と妹の姿を見て、すべて悟ったのだろう。学校に行かない僕を、妹の慰め役として黙認している。
 夕飯のときは専ら母がひとりでしゃべっている。
「そうだ」
 母が不安げな口調で切り出す。
「最近村で変な病気が流行っているみたいよ。咳が止まらなくて、体に赤い湿疹が出るんですって。気をつけないといけないわね」
 そんなこと僕たちには関係ないことだと思ったので、聞き流した。妹の方に目をやる。もそもそとご飯を食べている。外のことなど気にしていない風だ。
 夕飯もお風呂にも入って、二人で布団に寝転がる。書斎の本を持ってきて一緒に読む。本の紙を数十回めくったところで、眠くなってきた。
「そろそろ寝よう。続きはまた明日だ」
「うん。お休み」
僕たちは、幸せだった。明日も妹とたっぷり遊んでやろう。ここ数日で僕は決心した。僕は妹を愛している。精一杯の愛情を注いでやろう。
心安らかに眠りについた。





 少年と蛇の少女の意識が薄れて間もなく、にわかに外が騒がしくなった。大勢の人の声。どおどおと、数え切れない人数の足音が聞こえる。人々の顔には怒りと憎悪が浮かんでいる。松明に照らされ影がゆらゆら動く。みな一様に坂の上を目指し進む。苦しい様子の人も少数いる。その人たちの手足には赤い湿疹が浮かんでいる。流行の病に冒された人だ。
「蛇・・・」
「呪い・・・」
 口々に同じようなことを呟いている。人々の目的は、蛇の鱗が体にある少女。村人全員が病の原因をこの少女に求めていた。
 村に病気が流行り始めたのは、少女が外に出た日。子どもに襲われた日だ。その日の夜に、少女と接触した子どもたちに症状が出た。そして急速に村中に広まった。子どもの口から漏れた「蛇女」という一言から、村人の意識は少女に集中した。村人の中には「やはりか」という納得した顔の人もいた。
 あの手この手を尽くして村人は病と闘った。しかし、奮闘虚しくついに1人の死人が出てしまった。恐怖と怒りが村人を突き動かした。
 少女の家族は外の騒ぎに気がついた。父親が外の様子を見に行く。母親は兄妹を起こしに向かった。母親が部屋に入ると、少女は不安げな顔をし、少年は安心させようと後ろから肩を抱いていた。父親が飛び込んできた。村人の様子がおかしいこと、この家をみんなで目指して行進していることを伝えた。
 どおん、と門を破ろうとしている音がする。遂に辿り着いてしまったようだ。両親がはっとし、顔を見合す。
「あなたたちは山へ逃げなさい」
 母親が言う。
「私たちは村のみんなと話し合ってみる。念のためだ。お前たちは避難しなさい」
 父親も重ねて言った。ぐずる少女を抱えて、少年は外に飛び出した。
 夜の山道は険しい。少女の身体のことも考えると大変な道程である。少年は少女を抱えて山道を登る。
 兄妹がいつも遊んでいる原っぱに着いた。少年は腰を下ろす。
「何で私たちがこんな目に遭わなきゃいけないの。何もしてないじゃない」
 少女がこの理不尽な仕打ちに泣きわめく。少年はその言葉に慰めの言葉を何もかけられなかった。
 どおおん。一際大きな音が家の方でした。
「こっちまで来るかもしれない。ここじゃ危ない。もっと奥に行こう」
「お母さんは。お父さんもどうするの」
 少年は無言で少女を抱え、森の奥へ走る。下方に目をやると、松明が山に入ってきたのが見えた。村人は二人がいないことに気づき、捜査範囲を広げたようだ。数人が山に登っている。少年の予想が当たったのだ。
 少年はこのままでは捕まるというのは分かっていた。足の不自由な少女を抱えて逃げられる訳ないのだ。それに村人は少女が目当てだ。ここで見捨ててしまえば自分だけ助かることができる。
 しかし、少年はそんな考えは微塵も持っていなかった。少女を抱えたまま依然山を登り続けていた。既に人が通るような道はなくなっている。夜という視界の悪い中、獣道を進む。当然その進行は遅くなる。ぜえぜえと息をつく。
 少年は後ろを向くと愕然とした。松明の数が明らかに増えている。それに距離が縮まっている。少年は自分が思っているよりも進んでいなかったことに絶望した。
「このままじゃ捕まる」
 悪態をつぶやきながら、少年は大木の下に隠れた。気力も萎えてしまった。どっさりと、大木に背を預ける。この大木の後ろなら、気休めくらいにしかならないだろうが、2人の姿を隠してくれる。村人の気配が近づいてくるのが分かる。少女が不安げな目で少年の顔をのぞく。
「私を見捨てて逃げていいよ。足手まといだわ」
 少年はその言葉を聞きはっとした。少女の目を見る。少女の目は険しい。しかし、少年の心は変わっていなかった。
「いや、そばにいるよ。絶対に守るから」
「嘘じゃないわよね。うれしいわ」
 背後では松明の火がゆらゆらと接近する。少年たちの家には火が放たれた。遠くから見ると、ふらふらと山を登る火がとても幻想的だろう。少年は少女に体を寄せる。少女は穏やかな顔になった。少年の肩に顔を寄せる。少女の香りが鼻孔に入り、少年も何だか心地いい気分になった。絶望の中で兄妹は幸せに包まれていた。
 そんな2人の様子を、1匹のマムシがガラス玉のような瞳で、ずっと見守っていた。

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