部屋に戻った途端、ざあざあと雨が降りはじめた。風が強く、雷も鳴っている。危なかった。帰るのがもう少し遅かったら濡れ鼠なってしまっていただろう。ふっと息を吐きながら、荷物を床に適当に投げ置いて、私はベッドにうつ伏せに沈み込んだ。
 昼食のことを思い出す。あの後、ご飯を食べ進めながら好奇心に任せていろんなことを話した。塩見のどこが良いかとか、いつから自覚したのかとか。最終的には恋愛事に無頓着な私が恋愛相談を受けるような形になっていて、「そういうのは寺井に聞いた方が良い」とかわしたけれど、滑稽だった。思い出しただけでも可笑しくて口の端が上がる。橘田は恋をしていた。一生懸命塩見のことを話す橘田は儚げで美しかった。またとても羨ましいと思った。
 突然、ノックもなしにドアが開いた。勢いをつけて開けられたそれは壁にぶつかって大きな音を立てる。いつものことながらドアか壁のどちらかが壊れていないか心配になる。まったくうちの親も分かっていて何故止めない。こんなことをする奴は一人しかいないのだ。
「小松!」
「忍田! どうだった?」
 まずはごめんなさいだろと思いながらベッドから起き上がると、いまだ沓摺りの向こうに立っている小松が見えた。押入れから座布団を出して座るように勧めると、ようやく部屋に入ってくる。こういうところは行儀が良いのにどうしてドアをぶち破ろうとする。心の中で悪態をつきながら、私も座って話し始める。小松の無礼より、塩見がどうなのかの方が気になったからだ。
「橘田は塩見のこと好きだって。でも告白は無理って珍しく顔を真っ赤にしてたよ。可愛かった」
「そうか! やはり塩見もそうだったぞ。あいつの照れた顔は気持ち悪かった!」
 快活に笑いながら酷いことを言う奴だ。しかしいつも厳格な塩見の照れた顔など想像したくないものを見たのだからその感想も頷ける。
「それでくっつけるってどうするの?」
「そうだな。今度みんなで海にでも行くか」
「みんなでっていつものことじゃん」
「それでいいんだ。するとしたら、何があっても私たちはいつも通りにいることくらいだな。あとは、いい雰囲気になったら二人きりにするとか――まあ、その時考えよう」
「そんなのでいいのか」
「二人とも私たちに隠す必要が無くなっただろ? だから今までよりお互い好き合ってることが分かるようになると思うぞ。そうなれば流石に本人たちも気付くだろ。そこから一歩踏み込むかはあいつら次第だ」
「小松って意外と考えてるんだね」
「そうか? あいつらをくっつけようって思ったのは完全に自分のためだぞ。じれったいのは嫌いだからな」
 小松を相手にしているとたまに人懐っこい犬の相手をしているように感じる。何せ感情をほとんど隠さない。好きなものにも嫌いなものにも全力だ。規範はちゃんと守っているけれど、基本的には遊びたいときに遊んで眠たいときに眠る。寂しい時には寂しいと言って私たちのところに来る。たまに失礼なことをしてしまうこともあるけれど、そこには打算も悪意もないから嫌われることは少ない。というより好き勝手やっても許される愛嬌を持っていると言った方がいいのか。いつでも馬鹿正直で、欲望に忠実で、甘え上手。小松はそんな魅力を持っている。
「それにしても、秘密は誰かに話しただけで楽になるってよく言うけど、話しただけで態度に出ちゃうものなのかな?」
「なるぞ! 忍田も隠し事があったら、知らん顔するのがいいぞ。誰かに話してしまった時点で看板を掲げたようなものだからな。例えば嫌いな食べ物があると言っただけで何が嫌いかも知れ渡ると思え!」
 小松を犬のようだと形容するのはこれのせいもある。こいつの野性の勘は恐ろしいほどに鋭い。人の機微をよく見てそれがどういう意味を持つのか、何をしたらどうなるのかを本能的に感じ取っているのだ。今回の件も真っ先に二人の気持ちに気付いたのは小松だろう。そして作戦のほとんどが二人の気持ちを確認することで終わることも、これからどうすべきかも小松は知っていた。これを計算なくしてやってしまうのだから驚きだ。下手をすれば何もかも暴かれて飲みこまれてしまいそうだ。
 私が隠さなければならないことと言ったら、目下彼のことしかない。もしばれるにしても、自分の身の振り方が決まるまではそっとしておいてほしかった。だから私は内心動揺しながら平気な顔をして「ふーん。わかった」と答えるしかなかった。
「それで忍田には隠し事はあるのか?」
「ないよ!」
「忍田は嘘が下手だな!」
 慌てて否定したけれど、見透かされている気がして落ち着かない。小松は大きな口を開けて笑っていた。もう雨の音はしなかった。


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