嘘つきは泥棒の始まりとよく言われているがそれは本当だった。

嘘ときどき泥棒



 第一節 日常泥棒

 その日は太陽の光が柔らかく降り注ぐ、つい外で昼寝がしたくなるような暖かい日だった。
 これは、この暖かさは俺への導きに違いない。そう感じた俺は通常通り登校するフリをして自宅を出た後、適当な場所に移動して携帯電話で高校に電話をかけたのだった。
「あー、もしもし。2年2組の金森ですけど」
 できるかぎり病弱を装い、搾り出すように声を出した。
「担任に代わりますので少々お待ちください」
 事務の人(たぶん)がそう告げると保留の音楽が流れ出した。
 さてここからが本番だ。こちらが休むというのだから無理に止めてきたりはしないだろうが、どう来るともわからない。用心するに越したことはない。
 ガチャっと受話器が持ち上げられる音がする。
 その瞬間にげほげほと咳こんでみせる。先生が出た瞬間に咳き込む。これは鉄板だ。
「おお、金森、今日は欠席か?」
 咳き込みが効いたのか、あるいはわざわざ朝方に生徒が電話してくる理由はそれぐらいしかないためか、ずいぶん直球な質問が飛んできた。
無駄な話をしなくてもいいというのはそれだけバレる危険が下がるということだ。これはとても好都合だ。
「あーはい。今日は休ませてもらいます」
「しっかり休めよ」
 まったく疑っている素振りはない。まあ、仮病を使って生徒一人が休んだところで学校側に打撃などない。疑う必要もないのかもしれない。
「はい。それでは」
 そう告げると電話を切る。
 こうして俺は世界の鎖から解放されたのだ。
 さて、これからどこに行くかだが。
 暖かい日差しを受けてゴロゴロ出来そうな候補地はいくつかある。まず帰宅という選択肢。両親が家におらず仕事に出ている家庭ならばそれもありうるが、うちは母親が買い物以外では大抵家にいるため却下。次に公園。近場ですぐに行けてよさそうだが、逆に近すぎて知り合いと遭遇する可能性がある。できればこれは避けたい。そうすると――
「山のほうか」
 俺は一人、誰に言うでもなく呟いた。
 山というには少しばかり小さすぎるが緑が多く、芝生が茂っているちょうど寝るにはよいような場所が自宅から程遠くない位置にあった。位置的にはここから学校への方向の真反対に当たるため学生に遭遇する危険性もおそらく少ない。登校時間である今をどこか適当な場所で潜伏してから向かえば誰にも見つからずに行くことが出来るだろう。
 さて、急ぐ必要もなし、まったり行こうか。
 俺は陽気に鼻歌をふんふんいわせながら軽く弾むように歩き出した。
    
 辿りついた小さな丘は予想以上に環境がよかった。頂上部分には木々が少なく、風通しがよく、太陽の光が存分に当たっている。敷き詰められた芝生の絨毯は日をよく吸ってふかふかしていて、まるで干したての布団のようだ。さらにはこのような素晴らしい陽気にも関わらず、散歩をしている人も遊んでいる子供も人っ子一人見当たらない、完全貸しきり状態なのだ。
 そういうわけで俺は丘に着くなり速やかに仰向けに寝ると、風になびき、草の擦れる音を子守唄に瞼を閉じたのだった。
    
「おい、何をしている。起きろ」
 声と共に不意に身体を揺さぶられる。
「あ、はい」
 寝ぼけた頭で何がなにやらよく分からないが、どうやら黒いスーツ姿の男に起こされているらしい。
「早く並ばないと怒られちまうぞ」
「はぁ」
 頭をぼりぼりとかきながら男の言葉に従ってなにやら集まっていた人の列に並ぶ。
 異様な光景だった。
 黒いスーツを着込んだ男が、五、十、二十とわらわらと肩を寄せ合って並んでいる。周り中黒い服のがっちりした男たちで、遠くがまるで見渡せない。
 これは何の集会なのか。
 頭がようやくはっきりし始めてそう思ったその刹那、よく通る高めの声が響いた。
「今回あなたがたにに集まっていただいたのは、言うまでもなく我が家宝の奪還のためである!」
「うおおおおおおおおお!」
 先の声に呼応して黒服たちが一斉に腕を天に振りかざして声を張り上げる。
「今日こそやつら雲桐一族への積年の恨みを晴らし、あのどてっぱらに一発叩き込んでやるのだ!」
「デストローイ!デストローイ!」
 あらかじめ決められていたかのように黒服は同調して叫ぶ。
「今をもって作戦の決行を宣言する!散開!」
「アイアイ、マム!」
 スーツの男たちはめまぐるしい速さで駆けていき、あっという間に俺以外の人間はいなくなった。
 なにがなんだったのか。うちの制服はわりとフォーマルなものでスーツに見えなくもないため仲間の一人と間違えられたのか。
 まあ、なんにせよああいうものに深く関わるのはよくない。すばやく退散すべし。
「あら、あなたは何をなさっているの」
 不意に肩越しに声がかかる。
 全員いなくなったと思っていたが、まだ一人残っていたのだ。
「あ、いやその」
 しどろもどろしながら振り返る。なんと答えるべきか、逃げるべきか戸惑っていてまともな返答が出来ない。声は先ほど先導をきって男たちを鼓舞していた声と同一のものだ。おそらく今一番厄介な相手に違いない。
 振り返った先にいたのは鮮やかな金色のウェーブのかかったセミロングヘアをした女性だった。女性というより少女、あるいは女の子と言ったほうが的確かもしれない。実際の歳はどうか分からないが、背が俺より頭一つ分ほど低く、中学生程度の年齢のように見える。服は控えめな薄黄色のチェック柄ワンピースを着ているが身体に対して多少大きめな服なのか、着せられているというイメージが強い。
「見ない顔ね。あなた、新入り?配属はどこなの?」
 身体こそ小柄であるが態度はおよそ小さいといった様子ではない。目はキッと力強い光を湛えている。
「いや、所属も何も、何がなんだか分からないんだが」
 自分より年下だと分かれば多少は心持ちも穏やかになるというもの。別に弱いものには強気というわけではないが少し安心する。
「何?スパイ?」
「ただそこで寝ていたら連れてこられたんだけど」
 語調を強める少女に対し少したじろぎながら、あえて顔を合わせなくても済むようにさっきまで寝ていた場所を指差しながら答える。
 そもそもスパイという言葉が出る時点で穏やかではないのは明白だ。
 この子だけなら走って逃げれないこともないが、しかしどこに黒服たちがいるとも分からない。うかつな行動は取れない。
「そこで?ここは工事と銘打って今日は部外者が入れないようにしていたはずなのにどこから入ったの?」
 あからさまに不機嫌なむっとした顔つきで足で地面を踏みつけてたんたんと小気味いい音をたてながら尋ねてくる。
 いらだっていらっしゃる。いらだっていらっしゃる。殿中でござる、殿中でござる。あるいはアナタがトノサマでしょうか。
「そ、その獣道を駆け上がって来たのでございます」
 例に倣い、顔を合わせないようにして通ってきた道を指し示した。
 それに対し少女は「ふん」っと大げさに息を吐くと顎を押さえて考え込んだ。およそ少女らしからぬ顔つきである。
 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。
 圧倒的な態度に気圧されながら俺はなんとか走り出そうとする自らの足を抑えていた。
 いや、あるいは逃げたほうがいいのか。
 逃げて黒服に捕まり処刑される自分の姿と
逃げずに捕まって処刑される想像の間に悩まされる。嫌な汗が流れ、背中や手のひらがべたつく。
 あれ、これどっち転んでも終わってるんじゃないか。
「聞いてしまった以上、仕方がありません」
 少女は考えに整理がついたのかふっと顔を上げて告げる。
 やべえ、胃がキリキリしてきた。
「あなたにも共犯になってもらいます」
 俺は学生から泥棒にジョブチェンジした。


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