アイタカッタ
ウチの近所にコンビニがあるだろ。スリーエフ。あそこまで行く途中でさ、道端に人がうずくまっていたんだ。小さな女の子だったんだけどね。
大丈夫ですか? なんていって声をかけると、その娘は顔を上げた。するとどうだろう。月明かりに照らされたその顔はまるで精巧に造られたフランス人形のような――
ん? ついさっきのことだけど? ……おう、曇ってるな。星の一つも見えねえわ。月明かり? 今、俺そう言った? ……うるせえな。街灯が照らしてたの。ちょっと詩的に表現してみただけだよ。黙ってろ。
でさ、その女の子に声をかけたわけだ。
「大丈夫ですか?」
俺の声にビクッと身体を震わせてその娘は素早く顔を上げた。その表情は、何かに怯えているみたいなんだ。しかし俺の顔を認めると、少しほっとしたようだった。
「ワタシのことには構わないで……」
突き放すような口調でそう言うと、顔を背ける。
「でも怪我してるじゃないか」
そう。その娘は怪我をしていたんだ。足に。見たら分かるよ。血が出てたんだよ。ミニスカート履いてたし。
で、歩み寄る俺を制するように鋭い声を発した。
「ワタシに関わると危険だから。どっか行って」
「どういうことなんだよ?」
「アナタに説明しても仕方がないの……」
うんざりしたように、再び俺の方に顔を向けた瞬間、その娘の表情は一変した。
「――ッ!」
突然立ち上がると、俺の背後を睨みつける。
何事かと思い、振り返って、俺は信じられないものを目にすることになった。
そこには、この世のものとは思えない化け物が――その、3mはあろうかという化け物が俺たちを見下ろしていたんだ。鬼みたいな。いや、ゴリラっぽい感じだったかな……色? なんか黒っぽい感じだよ。ディテールはいいだろ、別に。詳しく聞くんじゃねえよ。
「”怪異”がこんなところにまで……やはり”結界”が壊れかけているのね」
そう呟くと、女の子は持っていた刀をすらりと抜いた。そう。刀を持っていたんだ。最初から持ってたんだよ。
そして刀を構えると、俺をかばうようにして前に出た。でも怪我のせいか、その足元はガクガク震えていて、見るからに辛そうだった。
「おい! 何してるんだよ。早く逃げろ」
「こっちのセリフよ。アンタこそとっとと逃げなさい」
「怪我してる、か弱い女の子を置いて逃げられるかよ」
「か弱いって……誰に言ってると思ってるの?」
呆れた表情で俺を見上げる。
その時、女の子の背後にいる化け物がその太い腕を振り上げるのが見えたんだ。
「危ないッ!」
「えっ? キャアアアアァァッ!!」
化け物にぶん殴られて吹き飛ぶ女の子。壁に叩きつけられて動かなくなってしまった。
「だ、大丈夫か?」
「ううぅ……」
どうやら満足に動けないらしい。背後からは化け物が迫ってきていた。
「チッキショウ! やるしかないか!」
俺は仕方なく、女の子が取り落とした刀を手にとった。するとどうだろう。月明かりに――じゃない、街灯に青白く照らされていた刀身が、ぎらりと赤く発光し始めて――
え? まだまだ続くけど? いや俺だって寒いよ。ほら、息の白さが尋常じゃないだろ。こんな夜中に急に押し掛けて悪かったけどさ、俺って仮にも先輩だぜ? 玄関先で対応するってのはないだろ。ちょっと入れてくれよ。中で続きを話すから。いいだろ? 寒いんだって。
……ちっ、分かったよ。じゃあそのまま聞いてもらうぞ。
で、まぁなんやかんやあってコンビニに着いたんだけどさ。
は? 化け物? 化け物はぶった切ったよ。ズバーって。そしたら消えた。女の子? 知らん。ただの通りすがりだし。今頃は病院でも行ってるんじゃないか。
……なんだよその顔。それよりコンビニだよ。スリーエフ。この季節、レジの横にアレがあるだろ?
この季節って言ってんだから分かんだろ。おでんだよ。冬って言ったらおでんに決まってんじゃん。肉まん? そんなもん一年中やってんだろ。
まあいいや。で、それ見たらさ、ふとアレを食べたいなと思ったんだ。
……アレで分かれよ。俺ら、夫婦みたいなもんだろ?
あっ嘘、嘘。嘘だって。開けてくれ。開ーけーてー!
分かった分かった。騒ぐとアパート追い出されるもんな。静かにするから、とりあえず入れてくれよ。寒いんだって。真冬の深夜0時だぞ? 常識無いのかよ、お前は――だから待てって! 大声出すぞ! おーい! 開けてくれー!
頼むよーすぐ帰るからさー。
……いいのか? かたじけねえ。かたじけねえよ。うん、ぜったい静かにするっ!
ふう……全く。まじで風邪引く五秒前だったぜ。こたつ付けていい? あ、エアコンはいいや。どうせすぐ暑くなるだろうし。サンキュー、心遣いが沁みるな。
え、何が? ああ……暑くなるっていうのはだな。まぁとりあえずこれを見てくれ。
そう。ちくわぶだ。そこのバイパス沿いの業務用スーパーで買ってきた。
うん、俺もだ。というか、ちくわぶを買ったのも初めてだ。いや冷蔵庫には入れなくていい。差し入れじゃない。一人暮らしの女子大生にちくわぶ差し入れする馬鹿がいるかよ。
で、だ。お前ん家、アレがあったよな。アレ。
ん? いま舌打ちが聞こえたような……怒ってんのか?
はいはい。指示語禁止な。分かったよ。
アレっていうのは、土鍋だ。あとカセットコンロもあっただろ。
……そう。正解! 今からおでんをやりまーす。わー。さっすが、よく分かったな。賢いなー。しかもかわいいし。巨乳だし。全く非の打ち所がないよ、お前は。さいこう!
あれ? なんで褒めたのに舌打ちされなきゃいけないの? いいからほら、おでんやろうぜ。すげえ腹減ってんだよ。
大丈夫。ちくわぶだけじゃない。おでんセットも一緒に買ってあるからさ。ほーら、お前の大好きな酒もあるぞー。これは差し入れです。どうぞ。
いいねえー。しぶしぶながらも了承してくれるその感じ。サンキュー、愛してるよっ!
おっ出た。カセットコンロ。よし。こっちは俺がやっとくから、ちくわぶを一口大に切ってくれ。え? なんでちくわぶかって? じゃあ準備してる間に説明するか。
そう、あれは寒い冬の日のことだった――あん? 今日だよ? うるせえな。いちいち口出すんじゃねえよ。
待て待て。すぐに怒るなよ。寝るなって。一人でおでんやれってのか。寂しすぎるだろ。しかもこれ業務用だぞ? 大量にあるぞ。まあまあ重かったんだからな。
だからさ。ようはコンビニでおでんを見かけたわけよ。そしたら、ちくわぶ食いたくなるじゃん?
……まじか。俺は食いたいの。
で、おでんの容器覗いても見当たらなかったから店員に聞いたわけよ。頭悪そうな若い店員だった。髪染めててさ。
「すいません。ちくわぶ無いっすか」
「ありますよー、ちくわ」
「いや、ちくわぶ」
「え? ちくわでしょ?」
「ちくわぶだって」
「ヴ、ってなんすか」
「は?」
「いや。ヴ、ってなんすか。フランス語っすか」
鼻で笑いながらそう言ったんだ。これマジだからな。
ブチ切れようと思ったよ。でもどうやらこのクズバイト野郎はちくわぶを本当に知らないらしい。馬鹿の相手なんてしてらんねえから、ぐっと我慢して店を出たよ。なんにも買わずに出てやった。ほんとはフリスクとか欲しかったのにだぞ。売り上げに貢献するのが嫌だったんだ。
で、イライラと共に、俺の心の奥底からちくわぶに対する欲求がまるでマグマのようにせり上がってきたんだ。自分でも意外だったよ。まさか俺にここまでちくわぶ欲というものがあるとは――
おう、出たな土鍋。ちゃんと洗ったか? っていうかカセットコンロのこれ、ちゃんとガス入ってるか? 途中で切れたりしたら嫌だぞ。
ちくわぶ切ってくれた? サンキュー。馬鹿、キッチンじゃだめだよ。グツグツいってるとこから直接取るのがいいんだろうが。ほら、出汁と具入れるぞ。わー、うまそーう。酒、飲むか? いらない? なんで? 一緒に呑もうぜ。
え? ああ、コンビニね。そのコンビニ出たとこまで話したっけ。うん。そこから俺のちくわぶを探す旅――そう、ちくわぶクエストが始まったんだ……。
ん? そうだよ? 業務用スーパーで買った。そこのバイパスの。
……うるせえな。ゴールが分かってるからなんだっていうんだよ。なんでも過程が大切だろ? それに、すごいアドヴェンチャーの末に手に入れたんだぞ。それを今から話そうっていうんだ。
まぁこんな時間だからさ。コンビニくらいしかやってねえだろうと思って次のコンビニに向かったんだ。
その時、上空から奇妙な音が聞こえた。ふと空を見上げると、そこには無数の星が輝いていた。ああ綺麗だな、ってしばらく見てたら一際大きくギラリと輝く星を見つけたんだ。
おかしいな。あんな星あったかな、と思って眺めていると、その星が徐々に大きくなっていくんだ。やがて大きな光が辺りを照らし始め、シュインシュインとモーターが回転するような音とともにUFOが――
……そうだな。今日は曇ってるんだよな。知ってるよ。星なんかひとつも見えねえよ。詩的表現だっつってんだろ。黙ってろ。この不感症が。
うわッ! 熱ッ! お玉で出汁をかけるなよ! 熱ッ! 熱いッ! ……あれ、熱くない。ぜんぜん熱くない。なんだよ、まだ水じゃねえか。土鍋の熱伝導率の低さに助けられたな。図らずも。
って、何してくれてんだよ。なんかべたべたするし。先輩を敬うってことを知らないのかよ。え? UFOってなに? ……あぁそうか。そうだったな。降りて来てたんだよな。
うん。でもほら、ちくわぶ食いたかったから。無視してコンビニに入ったよ。デイリーヤマザキな。もう、フリスクだけ取ってすぐレジに直行よ。で、店員に聞いたんだ。今度は中年の男の人だった。
「すいません! ちくわぶありますか?」
「は? ヴってなんですか? フランス語ですか?」
ぶん殴って帰ったよ。
――と思いきや、出入り口の自動ドアが開かないんだ。
「クックック……逃げられると思ったか?」
振り返ると、そこにはさっき殴った店員が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「貴様……何者だ!」
「正体を見せてやろう。ハァッ!!」
ただの中年だと思っていた店員は、さっき見た化け物に変身した。そうだよ。3mはあろうかという……うん、そうだな。だから頭はもう天井突き抜けてるね。ずいぶん窮屈そうだったよ。
「こいつは……"怪異"!」
「我々のことを知っているのか。ならば話は早い。死んでもらうぞ」
「クッ……」
俺は刀を構えて店員と向かい合った。他に客はいねえよ。他に店員もいない。二人っきりだ。そうだな。店長だったのかもな。知らねえけど。
刀? 女の子が持ってた刀だよ。ずっと持ってたんだよ。
するとどうだろう。青白く照らされていた刀身がぎらりと赤く発光し始めた。
「馬鹿な……その刀、そしてその光は……」
化け物は刀を畏れるように後ずさる。俺の身体には、力がみなぎっていた。
いける――そう思った刹那、耳をつんざく爆音と衝撃。
窓ガラスをぶち抜いて、店内に巨大な何かが突っ込んできた。UFOだ。さっき降りてきたやつだな。
「ぐあああぁ!」
UFOは化け物を跳ね飛ばすと俺の目の前で止まった。そしてハッチが開いた。いや、だからディテールを説明させるんじゃねえよ。テンポが悪くなるだろ。概要だけ聞いとけ。
その中からさっきの女の子が顔を出したんだ。刀持ってた女の子な。登場人物少ないんだから分かれよ。
「早くこっちに!」
差し出された手を掴んでUFO内に逃げ込む。するとUFOはすぐにコンビニから出て、上空へと昇っていった。
「た、助けてくれて……ありがとう」
「"怪異"を倒すついでよ」
「君はいったい……それに"怪異"ってなんなんだ?」
「えーっと……」
んーっと……おっ、グツグツいい始めたな。なんかいい感じになってきたか? ちょっと中覗いてみようか。おーっ! ちょう美味そう! すげえいい匂いするな。あ、お前メガネ曇ってるぞ。はっはっは。
って、あれ? コンロ切れた。おいおい、まさかこれガス切れ……くそっ、着かねえ。
ふざっけんなよオマエっ! このままじゃ生ぬるいおでんを食べることになるじゃねえか。言ったよな? 俺、ガス残ってるかって言ったよな? 確認しとけよ! なんのためにメガネしてんだよ、馬鹿!
ごめーんナオちゃん。ごめーんって。替えがあるんなら先に言ってくれればよかったのにー。ほんとごめん。土下座するから。はい。すいませんでしたー。
じゃ、続きを話すな。えっ、もういい? も、もうすぐ終わるからさ。
まあ色々あって、UFOで送ってもらえることになったんだ。俺の希望でUFOは業務用スーパーの駐車場に降り立った。
「ここなら、きっと……」
俺は店に飛び込んだ。そうして手に入れたんだ。そう。ちくわぶをね。
ホクホク顔で店を出た俺に、女の子が話しかけてくる。
「そのおでん……独りで食べるつもりなの?」
「えっ……」
確かに言われてみれば……。家に帰って独り鍋の前に佇んでいる自分を想像する。何か違う。その時俺の脳裏に浮かんだのは、このアパート。そしてお前の顔だったんだ。
そんな俺の思いを察したのか、女の子は寂しそうにフッと笑った。
「ここでお別れね」
「あぁ……本当にありがとう」
UFOは、奇妙な音を立てて飛び去っていった。
(……ありがとう)
そして俺は、このアパートまでの道のりを歩き始めた。UFOが飛んでいった空を見上げれば、そこには満天の星空が敷き詰められていた……あぁいや、曇ってたのか。だから星は見えなかった。
話は終わった、とばかりに土鍋の蓋を開け、ちくわぶへ箸を延ばすタケダを、ぽかんと見つめるナオ。
「…………」
「はふはふ。んー、もう少しダシが染みててほしいな」
「……で?」
「で? ってなんだよ。早くお前も食べな。わりと美味いぞ」
「あぁ……後半の圧倒的な尻すぼみに呆然としてました。まあハナっから無茶苦茶でしたけど……その、結局、何が言いたかったんですか」
「言いたいことっていうか、ちくわぶを買うまでのアドヴェンチャーだよ」
「信じられないほど長い嘘話を聞かされて、オチの一つもないとは驚きです」
「なるほど。お前は俺が嘘をついていると言うんだな」
「もし嘘じゃなかったら、このタマゴを一口で食べて熱々リアクションしてあげますよ」
「ほほう。それはなかなか珍しいものが見られるな。ならば俺が長い旅路の果てに、ちくわぶクエストをクリアしたその証拠を見せてやろうか」
「出せるものなら、どうぞ」
タケダはポケットから何かを取り出した。ことん、とこたつの上に置かれたものを見ると、ナオはメガネの奥の目を見開いた。ニヤリと笑うタケダ。
「これは……!」
長方形の白い箱。青い文字が清涼感を感じさせる。
「フリスクですね」
「化け物が店員をやっていたコンビニで買ったものだ。あげるよ」
「いりません。こんなものが何の証拠になるというんですか」
「とは言っても、これとおでん以外に得たものは何もないしなぁ」
「刀はどうしたんですか」
「あぁー……女の子に返した。持ってたら捕まっちゃうし」
「……もういいです」
何も言う気力がなくなってしまったナオは、黙々とおでんを食べ始めた。
無言の隙間を湯気が埋めていく。
しばらくすると、タケダは耐えきれなくなったように声を発した。
「やっぱ美味いよなー、ちくわぶは」
「私は苦手です。食感がよくないですよ」
「わっかんねえかーこの美味さが。ベロが子供だね、ナオちゃんは」
「その呼び方やめてください」
「…………」
あまりにもそっけない言葉に、さすがのタケダも思わず口ごもる。また沈黙が訪れようとした時、今度はナオが口を開いた。
「長々と続いたしょうもない嘘話を要約すると、先輩は一人でご飯食べるのが寂しかった、ってことですか」
「ば、馬鹿お前。そういうんじゃないから。こだわり派としては、どうしても土鍋で食べたかったんだよ。あと、嘘じゃねえし」
「はいはい。もうそういうの、いいですから」
ナオは、ひとつ深いため息をついた。
「寂しがり屋なのは分かりましたけど、なんでいちいちウチに来るんですか。高橋の家の方が近いでしょうに」
「なんでって……そりゃあ、お前……」
「?」
本当に理解していない、という顔のままタマゴをもぐもぐ食べるナオ。タケダは思わず脱力してしまった。
「はぁ……」
「なんですか、そのため息は」
「お前って頭いいけど馬鹿だよな」
「は? 出汁かけますよ?」
「やめろ。もう凶器と化してる」
タケダは急にモジモジし始めると、
「理由なんて、だいたい分かんだろ」
「分からないから言ってるんです」
箸を置いて、じっとナオを見つめる。しかし見つめ返されるとタケダは目を逸らしてしまった。
「そりゃ、お、お前のことが……す、すす好きだから、だよ……」
目を逸らしたまま、顔を真っ赤にして放った決死の告白。
しかしナオはただ冷たい視線を送り返すだけだった。
「もうそういうの、飽きましたって」
「えっ?」
「今日の嘘話は全編、出来が悪いですね」
「ええっ?!」
「0点。あと演技がクサすぎます。おでん食べたら帰ってくださいね」
「嘘じゃないって! 今、俺本気でデレたんだよ!」
想定外の反応を受けて慌てるカナダに、ナオはピッと箸を向けた。
「うるさい。さわぐな」
「……はい」
再び無言の湯気に包まれる二人。
どうやってこの思いを伝えればいいのか思い悩むタケダを湯気越しに眺めながら、ナオはゆっくりと、自分の気持ちを深く考え始めるのだった。
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