非常にゆっくりとした動きで、ゴンドラは上へと昇り始めた。
 外から見たゴンドラは小さくかわいらしい印象だったが、中は広く、乗り心地はよさそうだ。
 硬い中のベンチに二人向かい合って座った。
 そわそわと気持が浮き立つ。何とか高ぶるきもちを抑えようと、外を眺めた。
 ガラス張りの窓からは、ジェットコースターが昇っていく様子が見えた。
このコースターは、遊園地全体をぐるりと囲むようにレールが敷かれており、高台にあるこの観覧車のちょうど中程の高さに頂点がある。
 観覧車のトップはそれよりも遥かに高い。ゴンドラが頂上まで昇ったら、さぞや良い眺めだろう。
 我慢しきれなくなり、向かい側に座っているユウタくんをそっと見た。
彼は、なんとも興味深そうに頂上へと昇っていくコースターを見つめている。
「ジェットコースターってどうやって上へのぼってるんだろうね? エンジンとか付いてないように見えるけど」
 コースターを見つめたまま、わたしに尋ねた。
「確か、チェーンでカートを引っ張ってるんじゃなかったかな? テレビで解説見た気がする」
 平静を装いつつ、なんとか答えた。胸のドキドキとした鼓動を必死に抑えながら。
「そうなんだ。サトコちゃん物知りだね」
 転校初日に女子の人気を掻っ攫っていった、天使のような微笑を浮かべ、彼はこちらへ振り返った。

                        *


 ユウタくんが転校してきたのは、二学期の始めだった。
 例年より少し長めの夏休みが終わり、沈んでいた教室。
 そんなクラスの暗い雰囲気を、彼は一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
 初恋ではないものの、まさに心を射抜かれた、といった感じだろうか。
 これほどまで人を欲しくなったのは初めてだ。
 ――絶対に彼を手に入れなければ!
 この世に生を受けて10年弱。これほどの熱を持ったのは初めてかもしれない。
 なんとしてでも。何をやってでも彼の心をつかんで見せる。

                        *


「なんかさ」
 いつの間にかユウタくんがこちらへと向き直っていた。
「こういうのって、照れくさいよね。みんな一緒に乗れば良かったのに」
「そう……かな?わたしは楽しいけど……」
 一言発するのにも緊張する。わたしはうまく喋れているだろうか?
「あ。一コ前のゴンドラにミツルくんたちが乗ってるよ、ほら! ペアで乗ってるし! おかしくなんかないよ! 普通なんじゃないかな? 多分……」
 語尾が小さくなってしまった。
「ほんとだ。ミツル、ナオコちゃんのこと好きって言ってたもんなぁ。一生懸命話してて全然こっちに気付かないや」
 下のゴンドラでは、ミツルとナオコが二人並んで座っている。一生懸命ミツルが話しかけていて、なんとも微笑ましい。
「お似合いの二人だよね。サトコちゃんとナオコちゃんって幼馴染? いつも二人一緒にいるよね」
「うん。ナオコだけじゃないけどね。ミツルくんともずっと一緒。二人とも幼稚園に入る前からの付き合いになるかなぁ。結構長いかも」
 二人には感謝せねばなるまい。前も私用で何回か協力してもらったし、このWデートだって二人がいなければ成功しなかっただろうから。
 本当に……二人には感謝してもしきれない。
「そうなんだ……そういえばサトコちゃんも、好きな人いるって聞いたけど、ほんと?」
 どくんっ、と心臓が跳ねた気がした。顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかる。
「そっ、それは……」
 どもってしまった。口がうまく回らない。
 落ち着かなければ。
「じ、実はわたし……」
「サトコちゃんはタカシくんのこと好きって聞いたんだけど」
 一気に血の気が引いた。興奮ででるものとは逆の汗が全身から噴き出した。
「誘うの僕で良かったの? 誘ってくれたのはうれしいけど――」
「ち、違う!」
 思ったより大きな声が出てしまった。
 ユウタくんが驚いたようにわたしを見ている。
 まずい。
 一呼吸おいて、気を落ち着けた。
「違うの。別に、わたしは……ただの噂だよ。それは。わたしは別にタカシくんは好きじゃないよ。好きな人は別にいるの」
「……そうなの? ごめんね。変なこと言って」
 ユウタくんは何とも形容しがたい表情で、わたしの目を見ながら、呟くように言った。
 急に大声出してしまったのがまずかったか。
 つい目をそらしてしまった
 動揺してはいけない。
 今度こそ、絶対に手に入れなければならないのだから。

                        *


 ちょうど、ジェットコースターの頂点までゴンドラが上がった。
 さっきの会話のせいか、ユウタくんはずっと黙って風景を眺めている。
 まずいかもしれない。
 せっかくここまでこじつけたのに。
 もうあんな思いは嫌なのに。
 じりじりと焦るばかりで、まるで動けない。私はこんなに臆病だっただろうか。
「……そういえばさ」
 ユウタくんが突然口を開いた。
「僕が転校してきたときのこと覚えてる? 二学期の初めにさ」
 さっきまでの雰囲気とはまるで違う、独り言のような口調。
「確か、ちょうどサトコちゃんの後ろの席が空いてて。そこが僕の席になったわけだけど」
 どきりとした。思わず冷や汗が流れる。
「珍しいよね。席が空いてるのって。真ん中より少し後ろぐらいだったよね? 普通なら、最後の列に席足したりするのかな? これが初めての転校だからよくわからないんだけど」
 いつの間にか、ユウタくんは私の方へ向き直っていた。
「夏休みも妙に長かったよね。前の学校だったら、とっくに授業始まってる時期だったのに。そのおかげですんなりクラスになじめたってのもあるけどね」
 ジェットコースターの乗客の歓声が遠くに聞こえる。
「色々とクラスに違和感を感じるんだ。サトコちゃん、何か知ってる?」
 さっきから心臓がバクバクと脈打っている。顔に動揺は出てないだろうか。
「な、何かって……? 一学期の終りにユウタ君の席に居た子が一人転校したけど……それぐらいかな……?」
「僕と入れ違いになったんだ。転校の理由とかって聞いてない?」
「知らない! あんまり、話したことないし、そんなに仲良くもなかったから」
「どうしたの、サトコちゃん? なんか顔色が悪いよ。気分でも悪い? はい、ジュースでも飲む?」
 心配そうにユウタくんが顔を覗き込み、ジュースを手渡してくれた。
「だ、大丈夫……ちょっとめまいがしただけだから。観覧車結構高いところまで上がったし、そのせいかもしれない」
 ジェットコースターのレールはもはや遥か下に過ぎている。観覧車の折り返しまで、あともうほんの僅か。わたしは、ユウタくんからもらったジュースを、一口だけ飲んだ。
 
                        *


 このままではいけない。大丈夫だ。彼は何も知らないはず。
何回も見直した。何も見落としはなかったはずだ。彼があのことを知っているわけがない。私がボロを出さなければ、何も問題は起きない。
そもそも知っていたら、今私と観覧車に乗っているわけがない。
 楽しまなければ。気持ちというのは伝染するもの。
私が焦れば焦るほど、動揺すればするほど、彼の心は離れていってしまうだろう。
 邪魔者はもういない。
 今度こそ。今度こそは。

                        *


 観覧車のゴンドラは最高点に達した。
 街の裏の小山を切り崩してこの遊園地は建てられた。
 そのちょうど山頂であった場所に盛った高台に、サトコ達が乗った観覧車は建っている。
 その高さはこの街どころか、二つ向こうの市内でも望めるほどだ。
 無論この遊園地の数少ない目玉のアトラクションであり、この観覧車に乗るために県内外問わず客が絶えないほどの人気を誇る。
 ユウタくんは、その眺めに見惚れているのか、窓の外を見たまま一言も発さない。
 痺れを切らし、胸の動悸を抑えながら、わたしはなんとか話しかけた。
「ユウタくんこの遊園地初めてだったよね? どうだった?楽しかった?」
「……うん。楽しかったよ」
 気のない返事。このままではいけない。
「そういえば、ユウタくん、前の学校は東北地方だったんだよね。どんなところだったの?」
 ユウタくんは窓の外を見たまま、静かに答えた。
「どうということもないところだよ。夏は暑くて冬はやたら寒い、すっごい田舎って感じの。この町みたいに人が多いわけでも建物が多いわけでもない。田んぼだけしかないようなところ」
 いつの間にか太陽は西の空に沈みかけており、ユウタくんの顔に陰を作っている。
 こちらからは、よく表情が見えない。
「ねぇ、サトコちゃん――」
 ユウタくんがわたしによびかけた瞬間、ぎしり、とゴンドラが大きく揺れた。
ゴンドラ内に備え付けてあるスピーカーから、係員のやる気無さげな声が響いた。
「えー、申し訳ありません。強風により、観覧車しばらくストップいたします。えー……」
これは、チャンスかもしれない。
「あ、あの! ユウタくん! わたし、言いたいことがあるんだけど!」
 多少取り乱しちゃったけど、問題ないはずだ。
 このロケーションが全てをカバーしてくれるはずだ。
「僕も、サトコちゃんに言いたいことがあるんだ。言いたいことっていうか、聞きたいことなんだけどね」
 ユウタくんが静かな口調で言う。
「先にいいかな?」
「え? う……うん」
 風の音が弱くなった。ゴンドラの揺れも徐々におさまってきた。
「サトコちゃん、さっき嘘付いたよね?」
「え?」
 風の音が完全にやみ、ゴンドラがまた動き出した。
 
                        *


「な、何のこと――」
「さっきサトコちゃん、転校した子と仲良くないって言ったよね? あんまり話したこともないって」
「うん……ほ、ほら、私」
「嘘だよね。いつも一緒に居たらしいじゃないか。サトコちゃんと、ナオコちゃんとユキの三人グループで。仲良くしてくれたらしいね」
 頭の中が真っ白になった。
「なんで名前――」
「ユキが転校してきたときも、親切にしてくれたんだって? ありがとう。ユキはあんまり人と話すの得意じゃないから。人見知りなんだよね。昔から」
 喉の奥がカラカラと乾き、ひりついて、一言も喋れない。
 彼は何を言っているんだろう。頭が彼の言葉を受け付けない。
「電話でいつも楽しそうに話してたよ。『幼馴染のグループに入れてもらってうれしい』って。『最初は不安だったけど、サトコちゃんたちが親切にしてくれるから平気だ』って、毎晩のように話してくれた。ユキのこと心配してたけど、もう大丈夫なのかなって思った。ちょっと寂しかったかなぁ」
 観覧車は下りに入り、日の入り方が変わった。
 顔から陰の消えたユウタくんは、じっとわたしの目を見つめていた。
「でも一年ちょっと前くらいからかな? あんまり電話が来なくなった。もう僕のこと忘れちゃったのかって思ったよ。まぁそんなもんかなって。友達もできたらしいし、独り立ちしたんだ、喜ばしいことなんだって思うことにしたよ。本当にバカだったね。自分から電話すれば良かった」
わたしの目を見つめたまま、呟くようにユウタくんは続ける。
「今年の一学期あたりだったかな。久しぶりにユキから電話があったよ。妙に沈んだ声だった。なんかあったのかと思った。ユキは結構思いつめるタイプだったからね。心配したよ。あぁ……ここから先はサトコちゃんの方が詳しいかな?」
 夕日に染まったゴンドラの中。わたしの、激しい呼吸する音だけが響く。
「喋れない? まぁいいか。ユキからの電話の話だっけね。いきなりかけてきたからびっくりしたよ。それで何の話したかわかる? わかるよね。君の話だよ。『最近サトコちゃんたちがわたしに冷たい』って。ユキを仲間外れにしたらしいね。ユキから電話が来る……どのくらい前からなのかな。それは君に聞かないとわからないな。ユキは全く喋ろうとしないから。原因は……ああ、いいよ喋らなくても。知ってるから」
 ぜぇ、ぜぇ、と、どんどん呼吸が荒くなってきたのが自分でもわかる。
「ユキ本人に問題があったのかと最初は思ってたよ。でもね。ちょっと人に聞いたらすぐ嫌がらせの原因がわかったよ。君が前に好きだったタカシくんが、『ユキが好きだ』って言ったから、だったっけ。よくある話だよね。小学生のよくある青春って感じだね。友達同士の三角関係。まるで少女マンガみたいだね。そこまではよくある話だったんだ。相手が君じゃなければ」
 ユウタくんはゆっくり立ち上がると、蛇に睨まれた蛙のように、まるで動けないわたしを見下ろした。
「君は独占欲が他の人より激しいみたいだね。ナオコちゃんやミツルからも聞いたよ。一度欲しくなったものはどんなことがあっても手に入れなきゃ気が済まない。そのわりに手に入ったら入ったですぐ飽きるらしいけど。とにかく、欲しい物があったらまっしぐら。それを邪魔する人がいたら」
ぐっとわたしの目を覗きこんだ。
「どんなことをしてでも排除する。それがたとえ大切な友達であっても」
 息をするのも忘れ、ばかのように、わたしはユウタくんの顔を見返していた。
「……夏休みの半ばあたりだったかな? ユキは突然体調を崩した。それで転校する前に居た学校、僕の街にまた越してくることになったわけだけど……サトコちゃん何かユキにした?」
「し」
「し?」
「しらない……私何も……やってないし、何も知らない……」
 無理やりわたしは声を絞り出し、枯れた声で答えた。
 ユウタくんは、満足そうににっこりと笑い、
「8月10日」
 と呟いた。
さっきの比で無いくらいに血の気が引いた。
「なんで……知って……」
「ユキの電話がどうしても気になって、夏休みの間だけこっちに遊びに来てたんだ。気晴らしになったのか、だんだんユキも回復してきてね。それで仕上げにと思って、ユキを誘って、二人でこの遊園地に来たんだ。君達はユキ一人だけだと思ってたみたいだけど」
息がうまく吸えない。
「誰から僕たちが遊園地に行く事聞いたのかな? ユキの親が君たちの間にあったことも知らずにペラペラ喋ったのかな? それはまぁいいや。とにかく君ら幼馴染3人はユキの後を追ってあの日遊園地に来てたんだよね」
「偶然かどうかしらないけど、僕が飲み物買いに行って」
 彼の声がうまく聞き取れない
「ユキが一人になった時」
「3人で」「を」「使って」「ユキ」「泣いて」
 意識が、朦朧とする。
「ねぇ、聞いてる?」
 ひどく冷たい声で、ユウタくんはわたしの耳元でささやいた。
「何回も何回も何回も。数えきれないほど後悔したよ。もっと早くユキのもとへ帰れば、飲み物なんか買いに行かなければ、そもそも遊園地に行かなければって。でも遅かった。すべて遅かった。僕が戻った時にはもう、ユキは……」
目を見開き、まるで瞬きをせずに、わたしの目を覗いている。
「ユキが壊れて、あわただしくユキの転校の準備をして。いろいろあったせいで夏休みが伸びた。そのおかげで僕もこっちへ転校する準備が間に合ったんだけど。君たちは本当にうまくやったよ。結局犯人は変態の不審者ってことになって、君達は何のお咎めもなし。僕がまったく喋らなかったってのもあるだろうけどね」
「なんで……」
「え?」
「なんでこっちへ来たの……?何が目的で……」
「ああ、そうか。安心していいよ。誰にも言わないし、これからも言うつもりもないから」
「そうじゃなくて……なんでこの観覧車に……?」
 自分でも何を言ってるのかわからない。何を聞こうとしてるのかもわからない。ただ、胡乱な意識の中で、ただぽつりぽつりと疑問がこぼれていく。
「単純な話だよ。僕は知りたかったんだ。君たちがどんな人間で、何の目的でユキを壊したかってのを直接聞きたかったんだ」
 瞬きもせず、何の表情も浮かべないまま、わたしの目を凝視して、彼は小さな声で言った。
 もうかなり下まで降りた、夕暮れのゴンドラの中。
 わたしは、辛うじて残った声を絞り出し、
「嘘付き」
 とだけ言い、自分の意識を手放した。
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