1.



正面の壁の上部にある窓の向こうを眺めながら、僕はぼーっとそんな事を考えていた。
四角い小さな窓で切り取られた真っ青な空はとても綺麗で。

僕は何故か切なくなった。


「ねぇ、聞いてる?」


右側から、それもすぐ近くから声がして、僕はハッと我に返った。
同時に、僕の世界に音が戻ってきた。

周りに響くのは、学生達の騒ぐ声。
そういえば、そろそろ昼時だろうか。


僕の右側にいたその人――母さんは心配そうに僕を見つめていた。


「大丈夫。ちょっと意識が空を飛んでただけ」


上に向けた人差し指で弧を描きながら、僕は答えた。
母さんはまだ心配そうな表情のままで、


「具合悪いんじゃない? やっぱり母さん心ぱ――」
「だーいじょぶだってば! 僕はこんなに元気なんだから!」


僕はそう言って両腕を持ち上げ、力こぶを作ってみせた。
実際にはこれっぽっちも力こぶは無かったのだけれど。
細く、真っ白な2本の腕。

母さんは力なく笑った。


「そうよね、ちゃんとみんなで話し合って決めたんだもんね。そうね……」


母さんは僕に、というよりは自分に言い聞かせるようにそう言った。
相当心配しているらしい。

過保護だなぁと思いつつ。
やっぱり感謝しないといけない。
家族がいなかったら、ここまで生きてこられなかったから。


けれど、今回ばかりは僕の我儘を許して欲しい。
僕に与えられた、この機会。
生かさない訳には、いかないから。


母さんは自分の説得に成功したのか、少し吹っ切れたように、


「それじゃ、早く良い物件見つけましょ! この時期はみんな下宿先を探してるから、もたもたしてるとすぐに埋まっちゃうわよ!」
「そうだね。どこか見つかると良いけど……」


改めて、目の前の壁に貼ってある、色とりどりのパネルを眺めた。
家賃や間取り、学校からの距離など、物件情報が割と詳しく書かれていた。

この高都大学学生会館2階には『新入生向け下宿案内ブース』というものがあり、今日は朝からずっと此処で物件探しをしているのだった。

そう、朝から。
もう3時間近くにもなる。

なかなか気に入る物件が見つからない。
さっきみたいに僕が少しぼーっとしてたせいでもあるんだけど。


「みーちゃん、ここなんか良いんじゃない? かなり広いし、学校からも近いわよ!」

母さんは壁の右上の方にあるパネルを指差している。
僕はその方向に視線を移した。


『ルルイエ九取』
・家賃7万8000円
・1DKで10畳
・高都大学まで徒歩3分
・207号室と305号室が空室


「ね! 良いと思わない?」
「うーん。結構良い物件だと思うけど、家賃が高すぎるよ。それに一人暮らしなんだし、そんなに広くなくても良いんじゃないかな」
「あらそう? 住みやすそうで良いと思うんだけど……」


金銭面で、これ以上親に負担をかけたくない。
もう既に限度は越えているから。


「それじゃ……ここなんてどう? 家賃がこんなに安い物件、他にないわよ!」


母さんはそう言って、今度は壁の左端を指さした。


この物件には名前が付いてないようだ。
・木造3階建てのアパート
・四畳一間
・トイレは共同、風呂はなし(近くに銭湯有)
・全6室で、今は1階の部屋が1つ空いているらしい
・家賃、なんと月一万円


「うん、安いけどね……」


写真を見る限り、かなり年季の入ったアパートらしい。
写真を見て分かるほどに、老朽化している。
明治維新以前から建っていると言われても、僕は納得してしまうだろう。
まるで、骨董品みたいだ。


「流石にここは無いかな……」
「そうねぇ。家賃が安いのは魅力的だけど、住むにはちょっぴり不便よね……」


何となくだけど、壁も薄そうだし。
隣に声が聞こえてしまうようでは、困る。


「うーん、それじゃ次は……」


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