亞里沢小学校六年五組同窓会

亞里沢小学校六年五組同窓会

 亞里沢小学校六年五組の同窓会は、笑いの絶えない賑やかなムードに包まれていた。

 彼らとは二十年ぶりの再会だった。残念ながら私のことを覚えている人など誰一人居なかったが、それも当然である。私はすぐに学校を変わってしまったから。同窓会の案内ハガキが来る事も無く、この会を知ったのは「あなたも是非に」と、あの後唯一交流のあった担任の河中先生に誘われたからだ。

 河中先生は当時から白髪交じりで若さを感じさせない先生だったが、今ではすっかり「お爺ちゃん」という言葉がぴったりなほど老け込んでいた。口数は少ないが、常にニコニコ顔でしっかりと立っている姿を見ていると、当時の笑顔を思い起こさせる。良い先生なのだ。私の様な人間でも同窓会に参加する資格があると言ってくれた先生の言葉が、単純に嬉しかった。しかし、いざ同窓会に来てみると、顔を合わせる度に「誰?」と訊かれたり、訝しげな表情を向けられるのは辛かった。何故自分を招いたのだ、と先生を一瞬恨んだが、勇気を出して簡単に自己紹介するとあっさり納得してくれて、笑顔でこの輪の中に迎え入れられた。確かに二十年という年月は容姿や性格の成長には十分すぎる年月だったし、この程度の事でいちいち疎ましく思う様なら、それこそ同窓会などに来る資格は無い。

 ホテルの広間を貸し切っての立食パーティーだが、飲み放題という事で、料理には殆ど手をつけず、お酒を飲んでいる人が多かった。そんな彼らを見て「お酒ばかり呑んでないで、きちんとお料理も食べないと二日酔いするよ」と私は忠言したのだが、「うわー、おばさんくさい」と笑われてしまった。せっかく身体の事を心配してあげたのに、そんな事を言うなんて――。怒りを鎮めるために、私は野菜料理を口に放り込んだ。彼らのこういう所が、同窓会のこういう雰囲気が、私は苦手だった。案内が届いていたとしても、河中先生に声を掛けられなければ、きっと来なかったに違いない。

「さて、宴もたけなわではございますが……」

 司会進行を務めていたのは、六年五組学級委員の日向くんだった。と言っても、彼が学級委員だった記憶など私には無いのだが。それにしても「宴もたけなわ」なんて言葉を壇上で堂々と使う彼こそおっさんくさいのではないか? と私は心の中で突っ込む。そんな私の視線に気付かない彼は、厚底のメガネに手をやりながら、真剣な表情を一同に向ける。

「ここで、告白タイムを設けようと思います」
 お酒を飲んでいた連中も手を止め、一斉に日向くんの方を見る。そう言えば、何やら趣向があると言っていたな。

「二十年前、クラスの人々にどうしても言えなかった事や、ついた嘘、謝りたい事。ありませんか。それを一人一人、告白してください。今夜は二十年目の時効を迎えたという事で、例えそれがどんな事実であっても、どんな嘘であっても、皆で笑って許すこと。これがルールです。一番頑張って告白してくれた人には景品がありますからね。何と、豪華温泉旅行ペア宿泊券!」

 それを聴いた瞬間、歓声と共に拍手が巻き起こる。
「はーい、日向せんせぇ、それって、どんな告白でもいいんですかー?」
 私の隣に居た女性が、おどけた様に手を挙げて日向くんに言った。あから様に酔っており、化粧が濃いわけでも無いのに、頬がピンク色だった。
「OKです。ただし、景品狙いで、自分は宇宙人だとか、実はわたし男でしたとか、そういうのは無しですよ」
「ちぇー、先に言われたっ」
 質問をした彼女が舌を出し、ちょっとした笑いが起きた。

(言えなかった事、ついた嘘。どんな事実であっても、どんな嘘であっても、皆で笑って許すこと――)

 ふと私は、二十年前を思い出す。ある一人の男の子の姿が心に浮かんだ。六年五組で一番背が高くて、格好良くて、スポーツマン。しかし自分勝手で、わがままで、乱暴者の彼。名前は、何だったっけ……。

「じゃ、トップバッターは俺から行かせて!」
 巨体の沢渡くんが、日向くんからマイクを受け取って壇上にのぼる。

「俺、実はばっちゃんが死んだって嘘をついて、一週間ほど学校休んでたの、皆覚えてる? あれ実はテストが嫌でサボってただけなんだよね。どうもすんません! ばっちゃんは今も現役です!」

 うわぁ、信じられない、というブーイングが口々に周囲から浴びせられた。私は河中先生の方を見る。先生はニコニコ顔を崩さなかった。
「ちょっとちょっと、どんな嘘でも許すのがルールなんだろ? ルールは守らなきゃだよ!」
 沢渡くんは苦笑する。「それにさ、あの後、河中先生にだけはバレて、一人だけこっそりしっかりテスト受けさせられてたんだよね。いつも優しい河中先生があの時だけは真剣に俺の事を叱ってくれた。だけど、本当にばっちゃんが死んでなくて良かった、って言ってくれて、俺、感動したんだ。それでもう二度と嘘なんかつくもんかって思った。先生、あの時は本当に、ありがとござっしたっ!」
「はい、拍手!」
 日向くんが拍手を始めると、皆一斉にそれに続く。河中先生の表情はより一層明るくなり、誰よりも大きな拍手をしていた。
「次は僕が」
 沢渡くんからマイクを受け取ったのは、神経質そうな青年だった。名前は確か、杉原くんだっけ。

「夏休みの絵日記がどうしても書けなくて、適当に話を作ったら、その絵日記が校内で賞取っちゃって……」

 今度は笑いが起きた。「まさか絵日記に賞があるなんて、思わないじゃない。どうせ先生しか見ないやって思って安心していたのに……。あの時は父さん母さんにも学校から連絡が行って、あとでこっぴどく叱られた」
「ちなみに、どんな話を作ったの?」誰かが訊いた。
「八月十日。今日は川で溺れていた男の子を助けました、とか……。八月十五日。百万円の入った財布を拾ったので正直に交番に届けました、とか」
 杉原くんがそう言った後、恥ずかしそうに俯く。
 周りの人々が「うわー、ひどい」「本当だったら立派だったのにね」と声をかけるが、「時効、時効」と日向くんがなだめて、また温もりのある拍手が起こる。
 次第に私の記憶が蘇りつつあった。確かに、二十年前、絵日記賞なんて物が突然出来た気がする。同時に、記憶の中にあるスポーツマンで乱暴者の彼の顔も、徐々に形を成しつつあった。名前は、そう……、確か……。

「じゃあさじゃあさ、次、私、告白したい!」
 極度に大きな声がすぐ近くで発せられたせいで、また記憶が薄れてしまう。私の隣に居た松山さんだ。甲高い声、下品な立ち振る舞い。私は苛立つ気持ちを抑えつつ、彼女が壇上に立つのを見送る。

「私、村西くんに謝ることがあります!」
 村西くんというのは確か当時、幸の薄そうな、痩せっぽっちの子だった。今では有名なIT企業に勤めているらしい。
「いたずらでラブレターを送ったの、私です。ごめんなさい!」
 今度はどよめく。「村西君をからかおうと思って、名前を書かずに『好きです、校舎裏に来てください』、ってラブレターを下駄箱に入れたの。私は行かなかったんだけど、あとでそれとなく調べると、村西君は校舎裏でずっと待っていたらしくて……」
「ピュアだねえ、村西君は」
 誰かが言った。「そんな彼の気持ちを踏みにじるなんて……」
「待って待って、これにはちゃんと理由があって、実はあの時ね、私、何故かエイプリルフールが五月一日だと思い込んでて、今日ならどんなイタズラしてもいいんだよね、早く何かイタズラしなきゃって、適当な人の下駄箱にラブレター入れて」
「余計ひでえよ!」沢渡くんが笑いながら言った。
「村西くん、本当にごめんなさい! ちなみに今私は彼氏募集中でーす! 村西くん、どうですか、私」
「残念ながら、来月結婚します」
 村西くんが苦笑しながら言った。驚きの声と歓声、そして拍手が入り乱れる。
「おめでとう、くそ、悔しい!」
「お前は自業自得な。次は俺の番だ」
 少年野球の監督で活躍しているという、野島くんが続いて壇上に立った。

「実はテストでカンニングしたって告白しようと思ったんだけど、皆の告白が凄すぎて賞品をもらえそうに無いから、他の事を告白しようと思う」
 彼はゴホンと咳払いし、「二十年前、職員室のガラスを割ったのも、保健室のガラスを割ったのも、校長室のガラスを割ったのも、実は俺なんです、すいません」
 河中先生がきょとんとした表情になる。皆は唖然としていた。
「まさか、わざと?」
「いやいや、違う、違うって。俺あの時から野球が大好きでさ。でもうちの学校って野球部が無かったじゃん? ウチは狭くて、庭も無いし、近くに公園も無いから、学校のグラウンドしか練習出来る所が無くて……。で、キャッチボールしてたんだけど、つい気合いが入ってボールを投げそびれて……」
「よっぽどノーコンだったんだな、昔のお前」
 何人かが笑った。
「河中先生、本当にすいません!」
 河中先生はまたニッコリ笑顔に戻って拍手をする。皆もそれに続いた。
「そんな彼が、今や少年野球チームの監督だなんて、立派じゃないですか。憎まれっ子世にはばかる、というやつですよ」
 河中先生は珍しく冗談を言う。
「ひどいなあ、先生」野島くんが苦笑する。
「それにしてもさ、それぐらい正直に名乗り出たらいいのに。下手すりゃ警察呼ばれるわよ」
 松山さんが言った。
「俺もそう思ったんだけど、実はあの時、佐々木が逃げようって……」
 野島くんはそう言ってしまってから、慌てて皆の方から目を反らした。
(佐々木……)
 先ほどまで賑やかだった会場内は、いつしか重たい空気で静まりかえっていた。
 そして、私の記憶も、この時曖昧な物では無くなっていた。六年五組で一番背が高くて、格好良くて、スポーツマン。しかし自分勝手で、わがままで、乱暴者の彼、佐々木。そしてその彼を、私は――。

「あの、いいですか? 私も……」
 私は、恐る恐る手を挙げた。
 野島くんも、沢渡くんも、松山さんも、そして日向くんですらも、私に驚いた様な表情を向けた。この趣向に私が参加するなど、思ってもいなかったのだろう。当然だ。私は本来ここに居る資格など無い、招かれざる客なのだから。
「あ、ああ……はい、いいっすよ」
 野島くんが震えた様につぶやきながら、マイクを私に渡す。
 壇上に立つ私に向かって、口々に「何で?」「あれ誰?」「二十年前の、……さんらしいよ」「へぇ」と囁く声が聞こえ、鬱蒼とした気持ちになる。しかし、言わなくては。何故なら。何故なら――。

(言えなかった事、ついた嘘。どんな事実であっても、どんな嘘であっても、皆で笑って許すこと――。だから)

「私が告白したいのは……佐々木くんの事です」
 笑い声も、ざわめく声も、何も無かった。私の声だけが、会場中を支配していた。
「佐々木くん……佐々木は……、いつも自分勝手で、わがままで、乱暴者でした。小学生とは思えないぐらい大人びた性格で、陰湿で、汚くて……!」
 私は拳を握りしめ、そして言った。
「二十年前、私の息子、祐矢は、いつも彼にいじめられていた!

 隣の市の小学校の給食室で勤めていた私は、二十年前、祐矢の通う亞里沢小学校の給食室で調理師を臨時募集していると聞き、三ヶ月の短い期間だけ、勤務する事となった。それは祐矢がちょうど六年生になった時の事で、「朝昼晩三食とも息子に私の作ったご飯を食べさせられるなら」という思いが強かった。何百人もの児童のために給食を作る仕事は、辛かったけれど、心地よかった。
(祐矢の笑った顔が見られるなら、これぐらい)
 苦しさは愛情に、辛さは喜びに、変える事が出来た。
『今日の給食、どうだった?』
 祐矢に感想を伺い、おいしかったよ、の一言を聴く事が日課となっていた。夫を病気で亡くし、女手ひとつで息子を育てなければならなかった私にとっては、そんなさりげない一言ですら癒しの一時を与えてくれるのだ。
 しかしある日を境に、祐矢はその問いに答える事無く、自分の部屋に籠もったままになった。美味しくなかったのか、何か嫌いな物でも入っていたのか、風邪でも引いたのか、様々な心配が私の脳裏を駆け巡り、そのどれもが否定され、訳の分からぬまま眠れない日々が続いた。祐矢の担任の河中先生なら、彼に元気が無い理由を知っているだろうか。そう思い、河中先生に聞いても、原因が分からないという事だった。
 今思えば、本当にこの時の先生は知らなかったのだろう。祐矢は「彼」によって、先生の前では明るく何事も無く振る舞う様に「調教」されていたのだから。

 祐矢へのいじめを知ったのは、その翌週の事だった。後片付けをしていた私の耳に、給食室の裏から大きな声が聞こえたのだ。窓から覗き見ると、佐々木が祐矢の胸ぐらを掴み、何やら脅している様子が目に飛び込んだ。慌てて手を止め、向かった時には、佐々木は既に帰っていて、『何でも無いよ』と笑顔を取り繕う祐矢だけが取り残されていた。
 それから程無くして、祐矢は学校を休む様になった。息子が休んでも私は休む訳にはいかない。祐矢の食べない給食という事もあって、その日から仕事が手につかず、何度も細かいミスをしてしまった。あわやという所で給食に虫が混入し、大騒ぎになりそうな事もあった。
(全て祐矢をいじめていたあいつのせい。佐々木、あいつさえ居なくなれば……)
 私は、佐々木の素行を調べ始めた。女の子は彼を「格好良くて、スポーツマン」と答えた。男の子は彼を「自分勝手でわがままな奴だ」と答えた。しかし、いじめに関する事実は一切浮上しなかった。おそらく標的を祐矢一人に絞り、目立った行動を取っていないせいではないだろうか。
(佐々木……。あいつさえ居なくなれば……)

 祐矢に、また「おいしかったよ」と言ってもらう日々を取り戻したくて、私は佐々木を懲らしめようと思った。
 給食の時、彼が余ったオレンジゼリーを独り占めしている事も調べた。これに何か細工出来ないだろうか。しかし殺してしまってはまずい。何か、軽い農薬か何かを……。死なない程度の薬が手に入らなければ下剤でもいい。とにかく彼に祐矢に与えた苦しみの一端でも味わってもらえればいいのだ。
 迷った挙げ句、オレンジゼリーに農薬をほんの少し混入し、確実に佐々木が食べる様に二段重ねに積まれたゼリーの下の段の隅に置いた。ゼリーは箱の上から順に配られるので、欠席者やクラスの人数も考慮すると、最後は二、三個は余る計算となる。この日は三個余り、すべて無事佐々木の胃の中に収まった。
 結果から言えば、その給食時間中に、佐々木は病院に搬送され、二時間後に死亡した。こんなはずでは無かった。農薬の種類か量を間違えたのか……。取り返しのつかない事をしてしまった。少し懲らしめようと思っていただけなのに……。
 まず食中毒が疑われて、給食室がしばらく閉鎖となったが、調理方法に何の問題も無い事が証明されたため、今度は原因となったオレンジゼリーの製造会社に責任が問われた。ちょうどこの会社は昔異物混入騒動で報道された事もあり「今回も同じ様なパターンだろう」という甘い捜査が展開され、何の罪も無い製造会社が、佐々木の遺族に対して全ての責任を負う事となった。
 そう、私は、誰からも疑われなかったのだ――。

「これが、二十年前……私が犯した罪です」
 私は、溜息をついて、マイクを持つ手をだらんと垂れ下げる
 同窓生達は立ち尽くし、呆然とした表情で、物言わず私を見つめている。
「祐矢、許して」
 息子――、同窓生達に混じって先ほどまで歓談していた祐矢に、私は頭を下げた。
「それだけ……ですか……?」
 壇下から日向くんが恐る恐る声をかける。
「ええ……」
 私は項垂れ、涙を浮かべた。

「はい拍手ぅ!」

 明るく大きな声が突然どこかからか浴びせられ、私は突如拍手喝采に包まれた。祐矢も、日向くんも、沢渡くんも、村西くんも、杉原くん、野島くん、松山さんまで、満面の笑みで私に向かって目一杯拍手をしている。私は呆然としながら、彼らを見る。もう誰一人、訝しげな表情をこちらに向けている者は居なかった。
「いやぁ、なかなかの告白でしたねえ。こりゃ温泉旅行は給食のおばさんのものかな?」
 沢渡くんがそう言うと、「異議なし!」という声が何人かから掛かり、「いや俺の告白の方がすげえぞ!」という声も掛かる。
 なおも立ち尽くし続ける私に、日向くんが、
「どうも、ありがとうございました、二十年前、ほんの少しの期間でしたが、美味しい給食を作って頂きました事を、一同より感謝します」
「あの、私……」
「だから言ったでしょう? 言えなかった事、ついた嘘。どんな事実であっても、どんな嘘であっても、皆で笑って許すこと。これがルールですって。まあ佐々木の件より、まさか二十年前の給食のおばさんが祐矢くんのお母さんだって方に、皆びっくりしてたんですけどね」
 日向くんが祐矢を見ながら言った。「祐矢も最初に言ってくれればいいのに」
「ま、母親同伴の同窓会なんて、恥ずかしいからね……」
 祐矢は苦笑いを浮かべる。
「さあ、次は誰の番かな? 池谷さん、いっとく?」
「えー、やだ-」

(……何だ、この異様な雰囲気は?)
(……クラスメイトが一人、私の手によって殺されているというのに……)

 壇上でぼうっと突っ立っている私から、些か泥酔気味の池谷さんがマイクを横取りし、次の告白を始める。私は壇から降ろされ、仕方なく彼女の話を聞く。「あのとき黒板消しを教室の扉に仕掛けたの私なんです」という程度の、くだらない告白だった。
 それでも拍手は巻き起こる。
「いい同窓会、いい子達でしょう?」
 河中先生が後ろから小声で囁いた。
ウジ虫が一匹死んだぐらいの事じゃ、びくともせんのですよ」
 私は、河中先生が一瞬だけ浮かべた邪悪な笑みに鳥肌が立ったが、彼はまたすぐいつものニコニコ顔に戻り、拍手の波に加わるのだった。

 了
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