三人目は、私である。私はこの王のことを二年の間、見続けていた。仰せつかったのは監視役で、つまりそう、王が怪しい挙動をしないかどうか見張っていたのである。すべては、生贄を逃がさないために。
 何も知らない愚かな王が、なぜわざわざ王位を望んだのか、私は確かなことを知らない。ただ、彼が部屋の窓から街の様子を眺める姿は常に静かで優しく、侍女と話す姿も、一度だけ見かけた宰相と語らう姿も、憂うることなど何一つないといった様子であった。それは確かであり、それが彼の真実だったのであろう。宰相と侍女は、王のその姿を最後まで守りたかったに違いない。王の周囲にあまり人を近づけなかったのも、外に出そうとしなかったのも、二人の意思によるものであったと思われる。
 私は王のことを、どちらかといえば好ましく思っていた。それだけは、一つの言い訳としてここに書き残しておこう。






 このように、王が穏やかな日々を送っていたとき、国内ではさまざまなことが起こっていた。まず、雨がほとんど降らなくなったため、食糧や飲み水の不足が懸念された。また、都から川を隔てた、特に辺境の街では治安の悪化が深刻になっていた。警備隊は置かれていても、都から距離があるために、あるいは人の往来が疎らになったために、このような事態が生じたと考えられた。
 宰相は、これらの問題に対して直ちに手を打った。国内には王を生贄に捧げる時期を早めるべきであるとの声も聞かれたが、宰相は取り合わず、宣言した時期をずらすこともしなかった。対処が速やかであったため、その声が大きくなることはなかったようである。
 また、有能であった宰相は、水面下である準備を進めていた。君主制を廃止し、共和制へと移行する、その準備を。国民の多くは、何かあったときの備えとして王が存在することを望んでいたが、宰相はどうにかしてその体制を変えてしまいたかったのであろう。王と親しかった彼にしてみれば、おそらくはもっと以前にそうしたかったに違いない。残念ながらそれはかなわなかったが。
 幸いというべきか、王には子がなかった。これまでの歴史の中で王家はさまざまに移り変わってきたが、それももはや破綻していた。この後、わざわざ王位を望む者が現れるとは思えなかったし、その点では共和制へ移行するのにちょうどよかったといえる。
 宰相はあれこれ手を尽くして立ちはだかる問題を解決し、王が橋の下に埋められる一月前には、既にそうするための準備を整えていた。具体的には、災害に対する策を講じていた。例えば、地震が起こった場合に家屋が倒壊しないよう基礎部分の造りを見なおしたし、飢饉が起こらぬよう、必ずある程度の食糧を備蓄する旨を各所に通達した。君主制から共和制へと移行するための問題は多く存在したが、これら災害に関することを解決するだけで、その大部分は解消されたのである。
 王はおそらく、最期までそのことを知らなかったであろう。彼に情報をもたらすのは侍女か宰相しかいなかったし、二人は何がどうあっても王にそんなことを告げなかったはずである。そもそも、王には関係のないことであったから。






 五六三年の春、一輪草の花が咲いたころ、王はもっとも大きな橋の下に生き埋められた。多くの国民が遠巻きにその様子を見守る中、王は何も言わなかったが、穏やかな笑みを浮かべていた。私の隣に立っていた侍女は無表情であったが、一度だけ俯いたことを知っている。先頭にいた宰相の背は伸びていたが、声はかすかに震えていた。あるいは、それは私の思い込みであっただろうか。


 その六日後、三つの橋は完成し、共和制の国家が誕生した。最後の王がいなくなり、国は一つになったのである。
 それから数年の月日が過ぎ去ったが、国を揺るがす大きな問題は、今のところまだ生じていない。
 




 一輪草の花はこれからも変わらずに咲き続けるであろうと、私は確信している。




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