『都合のいい女』をオブラートに包んで
「ヨシキさ、私と結婚する気ある?」
何も特別なことはない、2人で過ごすありきたりな週末。彼の部屋のベッドに並んで腰かけ、雑談に興じている。
「ん、結婚するならエミかなー」
彼は平然とした口調で、私の親友の名前を挙げる。
「ユキは愛人タイプだもん」
私はその返答に憤りヨシキの頬を引っ叩き…はせず、普通に言葉を繋げる。
「私も結婚するならジュンとするかな」
2人にはそれぞれ付き合ってる子がいるのだけど、週1,2回会ってはこうやって適当にのんびりと過ごしている。世間ではダブル浮気というのかもしれないが、そう形容されるのは心外だ。
「ジュンは浮気とかしなそうだし、子どもの面倒もちゃんと見てくれそうだし」
「浮気しなそうな堅物タイプほど、1回ハマっちゃうと怖いのかもよ」
私ことユキナ、ヨシキ、エミは同じ大学の同じ学科に通う3年生で仲良し3人組だけど、私の彼氏のジュンは1個上のサークルの先輩で、ヨシキと直接の面識はない。
「あいつは私一筋だもん、浮気なんて有り得ないって」
だからジュンの個人情報は私経由でしか伝わっていないはずなのに、ヨシキはまるで旧知の仲であるかのように意見を述べる。
「今は、周りにユキしか女がいないからそう見えるだけだよ」
私たちは物理学系の学科に所属していて、その男女比は9:1を超えている。女ってだけでモテモテで、どんな外見だろうとすぐに彼氏ができる。反面、男子にしてみれば学科内で彼女を作るのは至難の業だ。ジュンの学科はもっと過酷で、男女比10:0なのでどんなにイケメンだろうと彼女ができることは永遠にありえない。サークルの8:2が良心的比率に思えてくるレベルだ。
「女がたくさんいる場所に行ったら浮気するっていうの?」
「中学高校と男子校で、大学もそれに近い状態。それにうちの大学の女子は地味系ばっかりだから、ギャル耐性は皆無」
「耐性がなければアウトってわけでもないでしょ。私だって知り合いにギャル男とか全然いないけど、あの種族には惚れないって断言できるよ」
言い切ったけど、そんなに自信があるわけでもなかった。私も出身の中高は名門お嬢様学校で、当時付き合っていた子もいい学校に通う優等生タイプばっかりだったから、茶髪ピアスが闊歩する世界なんて知らないのだ。
「顔も頭も良くて誠実な彼氏と、もっと顔と頭がいい遊び相手がいるユキが、ギャル男に今さら何を求めるんだよ」
自分のことを天才イケメンと言い切ってしまう自信はいったいどこから湧いてくるのかいつも不思議なのだけど、冗談めかしているおかげかそんな不快には感じない。
「でも、いくら可愛くて教養のある彼女がいたって、欲しいものは他にもたくさんあるわけ」
彼女のエミ、準彼女の私、そして他にも2人くらい遊び相手がいるらしいヨシキが言うと一瞬説得されそうになるけれど。
「ヨシキと他の人は全然違うんだから一緒にしないでよ」
自分の周りでパートナーを4人も維持できてる人は他に知らないのだから、ハーレムがまるで世界の真理であるかのように言われても困る。
「たしかに、みんながみんなぽんぽん浮気するとは思ってないけどさ。言い方を変えようか、遊び慣れてないほど浮気したときの危険度が高い」
浮気性を非難されて旗色が悪いことを悟ったのか、あからさまに論点をずらしにくる。しかも、最初からこれについて議論していますという態度で。
「俺やユキは浮気なんて慣れっこだから、ちゃんと遊びを割り切れて問題を発生させることはめったにない」
私まで浮気仲間に引き込まないで欲しい。私の定義によれば、ヨシキの間に恋愛関係はない。
「逆に一途な子の場合、普段慣れてないことをすれば新鮮だし、心も高揚する。恋愛感情と混同しやすい感情だ」
つまり、どうってことのない子と遊ぶだけでもワクワクしてしまい、本気になりやすいと言いたいらしい。かつて経験したことのない感情に振り回されて理性を失ってしまい、恋人との関係を破綻させる可能性もあるのだと。会ったことのない人を貶める理論を良くもまあぺらぺら思いつきで語れるものだ。
「女性にとって、パートナーは大きく分けて2種類あると思うんだよね」
突然話題が変わったように感じるけど、良くあることだ。前の話と深いところで繋がっていることもあれば、全くそうでないこともある。適当に気持ちよく話せればいいわけで、議論の流れとか勝ち負けはどうでもいい。
「子孫を遺すための要素は2つ。子どもを作ることと、育てることだ。言うまでもなく子づくりは1人ではできないし、子育ても1人では困難だ。そこでパートナーが必要となる」
中学生でも知っている事実をエラそうに語っているけれど、本人が満足気なので黙って聞いておく。
「両者が一致するならば何の問題もない。1人のパートナーとセックスして、子どもを産んで、一緒に育て上げる。理想的な家庭だ」
「理想的って、まるで現実はそうなってないかのような」
「その通りだよ。自分の子を自分で育てるのは2流で、自分の子を他の男に育てさせるのが最も利益になるに決まってる。言うまでもないでしょ」
ヨシキは社会的な正義とか良心とかは欠片も持ち合わせてなくて、純粋に人間を行動生態学の立場から見下ろしている。
「女性としても、上手く托卵できる息子を産みたい。孫世代の繁栄につながるからね。しかし、托卵系男子をパートナーにすれば自分が捨てられてしまう可能性が高いから不利だ」
このドーキンスかぶれ、ノリノリである。この話はいったいどこに着地するのだろうか。
「となれば、女性が取るべき手は1つだ。地味で誠実な雄を一生の伴侶として庇護を確定させ、モテモテイケメン雄と交尾して作ったセクシーな息子を育ててもらう」
表面上は浮気の合理性を理論的に説いたところだが、ヨシキ検定2級を持っている私はその意図を正しく理解した。今の理屈を日本語に翻訳すれば、『モテモテ雄(俺)と交尾しようよ』となる。1行で済む話をなんでここまで遠まわしにするんだろうか。なんでこいつがモテるのか理解できない。
「すごく良かった。愛してる」
私は合理的な生物なので彼との交尾を受け入れ、そして大いに満足した。理屈っぽい理系男子といえば奥手で床下手なのが相場なのだけど、こいつにそんな常識は効かないようで、普通に上手だ。あの壮大な前振りも前戯みたいなもので、彼の話が行為の誘いへと軟着陸していくのを感じると、私の中でもなぜか受け入れる準備ができてしまうのだ。
「赤ちゃんできたら責任取ってよね」
「誠実で献身的な彼氏が何とかしてくれるでしょ」
責任を負わなくて済む人間ほど避妊に気を遣わないため、結果としてもし妊娠したとしたらその父がヨシキである確率は5割を軽く超えるだろう。彼に言わせれば浮気でガードが甘くなるのは女性の本能でもあり私にも罪があるらしいが、ああ言えばこう言うを地で行く彼に反論するほど体力は残っていない。
「良すぎてちょっと疲れちゃった」
窓から西日が差し始めた。夕食を作る気分でもないので、どっかに食べに出るまで昼寝するに限る。エミには研究が忙しくて会えないと言い訳してあるので、今日はお泊りデートだ。時間はまだまだたくさんある。
「俺も疲れたけど眠くはないから、論文読んでるわ」
性的に奔放でもそこは真面目な理系学生、彼女への建前としてだけでなく本当に研究をするのだ。私も来週までに読まなきゃいけない論文が2本溜まってるのだけど、研究欲は三大欲求には勝てない。
すぐに寝つけるほど眠いわけでもなく、ソファに座って英文に向かう彼の横顔を見遣る。知性を際立たせる色白の細身に精悍な顔つき。天は四物を与えずという命題にさえ反論できるであろう、いわゆる完璧超人に分類される人間だ。この男の彼女は幸せ者だろう、彼がとんでもない浮気者であるというただ一点を除いて。エミは彼が他の女の子と遊んでいる事実を知らない。私と3人でいるときの彼はそんなそぶりを1ミリも晒すことなく、カップルと仲のいい友達という構図を演じきっている。私も親友を失いたくないから欺瞞にきっちり乗って、外ではヨシキとはただの友達という距離感でいる。
『ユキは彼女みたいに余計な気を遣わなくていいから一緒にいてほんと楽なんだよね』
いつも彼に言われる言葉。最高の遊び相手として褒めているつもりなのだろうけど、私の胸を刺す言葉。
『都合のいい女ってこと?酷いなぁ』
冗談っぽく笑い飛ばしているけど、ほんとは辛くて。
『まあ、私が好きなのはジュンだからね。お互い様ってことかな』
動揺を悟られないように、虚勢を張ってやり過ごすのだ。
「お腹すいた」
頬をぺちぺち叩かれて目を覚ますと、ベッドサイドにしゃがみこんで目線を合わせた小動物が視界に入ってくる。さっきまでのエリートオーラはどこへやら、甘えているときの彼はウサギを連想させる表情を見せる。このギャップがモテるんだろうなと思うと胸の痛みが再来する。
「うん、すぐ服着るから待ってて」
マイナス思考は食べて紛らわすに限る。この件は悩んでもしょうがないのだから、考えないのがよい。
夕食を求めて部屋を出ると、気分が一気に変わったように感じた。どうせなら、もっと明るい話がしたい。
「来週エミの誕生日なんだけどさ」
そんな私の願いは軽く打ち砕かれて、無神経なこいつは彼女の話題を振ってくる。女心を全て知っているかのような語りをするくせに、本当に大切なものが見えてない。目の前の女の気持ちさえ分かってない。
「クリスマスとホワイトデーを入れて7回目。新鮮なプレゼントなんてすぐには思いつかなくてさ」
これをエミの親友たる私に相談するのは、普通に考えればまあ適切なのだろう。
「そういえば、あそこの店の服欲しいって言ってた」
通りの向こうの店を指さす。先週講義のあとに一緒に買い物に行ったときにすごいテンションで欲しがっていたのは本当だけれども、ヨシキからのプレゼントだったら何でも喜ぶだろうから、ぶっちゃけ助言なんて適当でもいい。それよりも、不機嫌を全身で表現してるつもりの私に気づいてほしい。
「じゃあ、夕食の後に見てこっか」
私のかまってオーラは空を切った。
「なんか怒ってる?」
さすがに顔を突き合わせれば理解できたらしく、注文が運ばれてくるのを待つ間彼は尋ねてきた。
「嫌な夢見た」
「どんな夢?」
「好きな人が、私を見てくれなくなる夢。一緒にいるんだけど、その目は私を見てないの」
あまりに直接的に言い過ぎか。
「大丈夫、ジュンはユキを捨てたりしないから。さっきは不安にさせること言って悪かった」
そういえば昼にそんな話もしたね。でも、この誤解はあまりに酷い。
「違う。ジュンじゃない」
私を見てほしいのはあなただから。
「だったら心配することないだろ。現実のユキは好きな人に一途に想われてる」
もうやだ。泣きたいけれど、私の意地がそれを許さない。
「ごめん、夢なんかで不安になってバカみたいだよね」
彼が私を遊び相手としか見てないのなら、私もそう振る舞うしかないのだから。
「パートナーって生きていく上で大切なものだよね?」
口数がめっきり減った私と対照的に、彼はいつものように饒舌だ。注文したエビフライを頬張りながら、周囲の目を気にせず語りだす。
「もしパートナーがいなかったら日常のクオリティーが著しく下がる。だから、失わないようにしないといけない」
尤もらしいことから入って、だんだん彼の超理論へと展開されるのも普段のパターン。
「1人のパートナーを失わないように必死に維持しようと努力するのも一つの手段ではあるんだけど、現実的にそんなのは不可能だ。他人である以上、どうしようもなくすれ違いは生じるし、時間とともにある種の価値が損なわれてしまうのは避けられない」
だから、パートナーを2人,3人と作るべきなのだと。
「3人のパートナー全員が一気に自分の元を去ってしまう確率はとても低い。少なくとも1人は常に傍にいてくれて、これが安心をもたらしてくれる。そして、代替可能であるにも関わらずその相手と関係を維持するってことは、その子への好意を保証することになるんだよ」
かけがえのない1人のパートナーは、1人しかいないゆえに本当は愛し愛されていなくても維持せざるを得ないことが多い。でも複数いれば、もし価値がなくなればその子をすぐ切れる。裏を返すと、関係を切らないことが愛の証明になるのだと。
「だから、俺にとってユキは価値があるし、ユキにとって俺は価値がある。これは言葉を交わさなくても行動で示されることだ」
でも、その価値って、恋人に対するものとは違うでしょ。
「他の子はメールとか電話とかしてくるんだけど、正直そういうのってめんどくさくてさ。ユキはそういうのしないから関係の維持コストが低くて素晴らしいね」
それは私がいい子を演じてるから。都合のいい子としてなら一緒にいられるから。昼だって、愛人と言われても落ち着いて話をしようと努めた。
「ユキにとっても、俺は悪くないバックアップでしょ」
私もヨシキと片手間に遊んでるっていう壮大な誤解は、虚勢なんだってば。
「この関係がずっと続いたらいいなって思ってる」
私には他に選択肢がないのだから、彼の提案を呑むしかないのだ。
「ありがとう。エミ喜ぶかなー」
帰りにあのお店に寄って、誕生日プレゼントを買ってきた。
でも、彼女が本当に欲しがってたのは、私がついでに買ってもらったこの服なの。関係を変える勇気のない私の、細やかな抵抗。
今晩もまた他愛のない超理論を披露しあい、そしてどちらともなく行為へ誘い肌を重ねるのだろう。1年半変わらない、私たちの日常。彼は恋人を裏切り、私は自分の気持ちを裏切り、それでもお互いに快適な距離感で、この心地よさから離れられないでいる。
「ユキが友達でほんと良かった」
願わくは、この関係がいつまでも続かんことを。
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