ちゃぶ台の上に雑多に置かれたゲームソフトや漫画などを豪快に両手で落とす。その上にコンビニの袋を置く。
テレビがついていた。どうやら、出かける前に消し忘れたらしい。テレビには、AKB48が踊ったり歌ったりしていた。僕は真ん中の子が好きだ。名前は……なんだっけ? 好きなんだけど、覚えられないな。まあ、いいや。
彼女らは身を翻した。うおー。すげえ。パンツ見えそう! 見たいな。見えないかな。しかし、僕の願いもむなしく歌は終わって、AKB48は舞台裏に戻ってしまった。パンツ見えなかった。くそがっ! パンツがないとだめなんだよ。顔と体よりパンツがメインなのに。あー腹立つ。
僕はテレビを消して、手提げ袋を探すために部屋を見回す。僕の部屋は漫画やらペットボトルやゲームソフトやフィギュアなどであふれている。床がみえないくらいだ。もう床の模様なんて覚えていない。カバンは僕の真後ろに横たわっていたので、手にとってちゃぶ台に乗せる。コンビニの袋からさっき買ってきたものを取り出して、手提げ袋に入れた。
空になったコンビニの袋が残った。僕はパンツを見られなかった腹癒せにコンビニの袋をくしゃくしゃに丸める。しゃくしゃくしゃくという音がなる。小動物を思いっきり握り潰したときに発せられる悲鳴のようだ。ビニールの悲鳴だ。自分の中のなにかが霧散する感覚。僕はこの音が好きなのだ。うん、なかなか悪くない気分。ついでにそのへんに落ちていた学校のプリントもくしゃくしゃに丸める。さまざまな言葉の羅列が丸い形を成す。ちらっと五年一組タイムズという言葉見えた。(僕の学校のクラスで月一回刊行しているものだ)僕はその部分を覆うように他の紙をかぶせる。すこし丸い形が大きくなった。ソフトボールみたいだ。ぼくはそれを思いっきり壁に向かって投げた。へしゃんという間抜けで脱力的な音が鳴った。胸にたまったもやもやしたものが少し無くなった。おそらくソフトボールみたいな紙の塊に乗っかって、壁まで飛んでいったのだろう。
気分がいい感じになったところで、僕は手提げかばんを持って自室から出て、リビングに向かった。冷蔵庫を開けて、ご飯を取り出す。レンジに入れて温めた。テーブルに座って温まるのを待つ。テーブルの上には、チラシが置いてあった。裏返しにされていて、そこには『畑に行く。ご飯は冷蔵庫。チンして食べてね。』と書いてあった。お母さんからの書き置きだ。ご飯は毎日用意してもらっているので、書き置きはあってもなくても変わらない。惰性でなにかをやるのは楽で気持ちいいことだから、僕はお母さんに文句を言わない。
唐突にチーンという軽快な音が聞こえた。ご飯が温まったようだ。僕はご飯を食べて家を出た。

今、僕は公園に向かって歩いている。
空が嫌味なほどに晴れ渡っている。太陽ぎらぎら。こういう天気は嫌いだ。人の存在が濃くなるような気がして。人の悪いところも良いところも強調されるような気がして。自分嫌いのやつが嫌う天気なのだ。
そんなことを考えていたら、知らない間に公園前に着いていた。僕はUの字を逆にして地面に突き刺したみたいなやつをまたいだ。
公園には塗装の禿げた遊具がたくさん鎮座している。太陽ぎらぎらのせいで、みじめな姿が強調されてやがる。彼らも自分が嫌いなのだろう。ははは、だとしたら僕の仲間だ。
しかし、この劣化はこどもたちに長い間使われてきた証だという可能性もある。彼らにとっては誇りなのかもしれない。だとしたら少しさみしい。
足重い、股関節痛い。そのせいで気力まで削がれる。ひさびさに歩いたせいだろう。座りたい。
僕は視線を巡らせて日陰になっているベンチをさがした。緑の葉を茂らせた木の下にあった。そこに腰を落ち着ける。木漏れ日が僕の身体を覆う。網に絡まれたみたいだ。ここから動きたくないと思った。網のせいなのか、歩き疲れたせいなのかわからないが。
子供たちがちらほらといる。小学生くらいの子供しかいない。女の子が向こうのベンチで本を読んでいる。五人くらいの男の子がブランコのほうで揉めている。その最中に一人の男の子がよくわからない言葉を叫んで公園から出て行った。唐突だ。よくわからない子だと思った。僕もあの子と同じくらいよくわからないが。
そして、男の子のうちの一人が僕を凝視しはじめた。僕は眼をそらして、服のほつれでころりっぽいものをつくることに専念する。いかにもな行動だ。はたから見たらただの根暗なのだろう。実際にもそうなのだが。
「きゃあ。やめてやめてよー」
はっとして顔をあげる。周囲に視線を巡らせて声の主を探す。
女の子が砂場で砂まみれになっていた。崩した正座みたいな格好でしゃがんでいる。眼には涙がたまっていた。男の子たちが女の子を取り囲んでいる。おそらく彼女があげた声なのだろう。
「どうしたんだー」と僕は言ってみながら疲れや網を無視して立ち上がって砂場へ向かう。
「誰がやったんだ」と覇気をだして言ってみる。
すると、男の子たちはわーっという声をあげて走り出した。逃げ出したらしい。途中で一人転倒。他の子たちはかまわず走って、公園を出ていく。転んだ子はゆっくりと立ち上がると、ほぼ歩きに近いスピードで公園を出て行った。どうやら転んだ拍子に、どこかに気勢を落としてしまったらしい。僕は笑いをこらえるのに必死だった。その姿が滑稽に見えてしまったのは、経験や体験などによって僕に堆積したものがにごっているせいだからだと思った。
僕は女の子のほうに向いて「だいじょうぶかい?」と言いながら手をさしのべた。
背が低い。幼女と形容してもおかしくない。女の子は僕と眼を合わせた。涙目になっているからだろうか。眼が赤くなっていた。赤い眼。ウサギという小動物を彷彿とさせる眼。そして黒髪ツインテール。今は砂まみれだけど、綺麗にするとつやつやになるんだろうな。家に持ち帰ってペットにしたいと思えるレベルの容姿だ。
「どうも、ありがとう」
女の子は僕の手を取った。手を引っ張って立つように促す。
「怪我はないかい?」
僕は女の子の身体に怪我がないか調べる。足元から頭のてっぺんまでよーく見た。ひじにちいさな擦り傷を見つけた。砂で汚れている。
「それ洗ったほうがいいよ。水道へいこう」
「見ず知らずの関係なのに、ありがたいです」

じゃー。水流が傷口を洗い流す。女の子は顔をしかめている。
「いたいです」
「しみる?」
「はい」
僕は蛇口をしめた。拭いてあげようと思い、手提げ袋に手を突っ込む。ありゃ、何も入ってないや。
「ごめん。ふくものもっていないんだ」
「わたし、ハンカチもっています」
女の子はハンカチを取り出して、ひじをぬぐった。
「いてて」
女の子は痛そうに吐息を漏らした。僕は手提げ袋に手を突っ込む。
「ふくものはもってないけど、これならもっているよ」
手提げかばんから絆創膏の箱をだす。
「あ」と女の子は、つぶやいた。
箱から絆創膏をとりだす。蛇腹状につながった絆創膏がでた。ひとつちぎる。袋をはいで、シール状のものをはがして、女の子のひじにはってあげる。
「ぺた」
「ありがとうございます」
「これ」
女の子は絆創膏をまじまじと見つめている。
「ん?」
「ミッフィーの絆創膏なんですね」
「ああ、そうだね。ミッフィーはすきかい?」
「きらいではないです」
女の子はまた絆創膏をまじまじと見つめる。
「身体、砂まみれだね」
「そうですね」
女の子は自分の服を両手でパタパタとはらう。
「身体をきれいにしないといけないね」
「ですね」
「家にかえってお風呂にはいらないとね」
「そうでしょうね」
「おうちのひとは……」
「今はいません」
「それは心配だな。一緒に家までいったほうがいいかな」
「知らない人にそこまでさせるわけにはいきません」
「だめだよ。お風呂でおぼれちゃったらたいへんだよ。ついていったほうがいい」
「そうですね。じゃあおねがいします」
「ちなみに君の名前は? 僕は鈴木大輔」
「わたしは佐藤葵です」
自己紹介を終えたところで、女の子は立ち上がった。ぼくも立ち上がった。名前を覚えるの面倒だな。このまま女の子でいいや。
ふと、視界に妙なものがうつる。そちらのほうに視線をうつす。そこには、白いビニールテープにぐるぐる巻きにされた遊具があった。どこかものものしい印象を感じる。白いビニールにはプラカードがぶら下がっていて、危険な遊具だからつかっちゃだめということが書いてあった。死亡宣告を受けた囚人のような印象を感じる。なぜああなっているのだろう。僕は女の子のほうへ顔を向ける。
「あの遊具はなんでああなっているの?」
「子供が転落してしんだの」
なるほど。だからか。
「それで使用禁止になったのか」
「はい」
おそらく、あの遊具もこの快晴が嫌いなのだと思った。

佐藤葵の日記
私の心は今日の天気のように晴れ渡っていた。曇りひとつないくらいに。こんな気持ちははじめてだ。私の曇りを彼がとってくれたんだ。
一目ぼれだった。もし神様がいるのなら感謝したい。こんなしあわせな気持ちにしてくれたんだから神様はきっとやさしい人だ。
明日も晴れるといいなって思う。


がちゃ。扉が開く。女の子の家に足を踏み入れる。女子の家に入るなんて生まれてはじめてだ。感慨深い……。
玄関のデザインは洗練されている。しかしよく見るとちらほらと埃が見える。空気も淀んでいる。
「なにぼーっとしているんですか? きもちわるいですよ」
なるほど。冗談できもちわるいと言える程度には僕に心を開いたらしい。
「すまないすまない。ここでできるだけ砂を払ったほうがいいよ」
「はい」
女の子は両手で届く範囲の砂をパタパタと間抜けな音を立てつつはらいおとす。背中や手の届かない範囲の部分は僕がはらってあげる。
「どうも」
「お風呂は僕が掃除して、ためてあげるよ」
「どうも。廊下まっすぐすすんで、突き当りを左に曲がるとおふろがあります」
「わかった。じゃあ掃除してくるよ」
手提げ袋を靴箱の上に置かせてもらう。僕は靴を脱いで、廊下にあがった。まっすぐ進んで突き当りを曲がる。
お風呂があった。脱衣所に入り、お風呂へつながるドアを開ける。それなりの一般中流家庭の普遍的な風呂といった感じだ。
スポンジをとって掃除をする。
「浴槽を洗う。ごしごし」「シャワーでながす。じゃー」「お湯をためる。どぼどぼ」
おわった。女の子はどこにいるのだろう。
お風呂を出て、廊下をさまよう。
「おーい。ためてるよー」と声を張る。
「こっちにきてくださーい」
それなりの声量で、僕を呼ぶ声がした。声の聞こえたほうへ向かう。
廊下を進む。おそらく声の主がいるであろう部屋の前に立つ。がちゃ。扉をあける。
いた。女の子はソファーに座っていた。緑の革張りソファー。どこの家にもありそうなやつだ。
「やあ。おわったよ。たまるまですこしまってね」
女の子はこちらへ振り向いた。こころなしか表情が少しやわらいだように感じた。
「ありがとうございます」
部屋を見回してみる。ソファーの前に液晶テレビ。ソファーから左のほうに台所。扉からすぐ傍らに本棚。という配置だ。手持ち無沙汰なので本棚を見てみる。
「たくさん本、あるね」
「そうですね」
僕は女の子のほうへ向きなおった。女の子も僕のほうを向く。
「ちょっとみてもいいかな」
女の子は逡巡するそぶりも見せずにうなづく。
本のほうへ向きなおる。端のほうから見ていく。ほとんどがミステリー作品だ。僕は本棚に身体を向けたまま、女の子に問う。
「おうちの人がミステリ好きなのかな?」
「はいそうです。ちなみにわたしも少し読んでいます」
「へー、たとえばなにを?」
タタタタという擬音を想起させる足音とともに、僕の横のほうから彼女が現れる。その勢いのまま、本棚の下段のほうから本を一冊とりだす。表紙を僕のほうへ見せる。『殺戮にいたる病』と表紙には書いてあった。
「しらない作品だ」
「おもしろいですよ」
「へーぼくはあんまり小説よまないからなー。知っている作家と言ったら西尾維新くらいかな。アニメ化されてそれは見たけど、本は読んでない。アニメは大好きだよ」
女の子は僕を一瞥する。なんか眼で嘲笑されたような、そんな感じがした。
「アニメを馬鹿にするなよう! ミステリも世間では低俗だと思われているぞ!」
少女はあっけにとられたような顔をした。
「いえ。そんなふうには思っていません。あなた自意識過剰ですよ。低俗も何もどちらも創作物で、娯楽です。どの作品も低俗で高尚です」
「はは、悪くない意見だ。その意見は引用かい? 受け売りかい?」
言ってやったぜ。
「んー」と女の子は言った。
ぼくは女の子の顔をみる。表情が微かにゆがんでいた。ちょっととげが鋭すぎたかな? 僕は心配になって聞いてみる。
「どうしたの?」
「そろそろたまっているんじゃないでしょうか」
そっちかよ。おどかせやがって。どうやらさっき僕が言ったことは意に介していなかったらしい。
「ああ、そうだね。みにいってくるよ」
僕はお風呂へ向かった。脱衣所の扉をあける。
こんこんと水が湧き出る泉のように、どばどばとお湯があふれている。なかなか良い眺めだ。ゆっくり靴下を脱いで、ゆっくりお風呂場に入る。湯船に手を入れて、湯加減を確認する。うん、ちょうどいい。蛇口に手を伸ばしてひねる。お湯があふれなくなった。よし。

佐藤葵の日記
今日は彼が私に会いに来てくれた。うれしい。いろいろなお話をした。気持ちがふわふわした。そのまま浮かんで飛んで行ってしまいそうだった。


「お風呂はいれるよ」
ソファーに座っていた女の子に告げる。
「わかりました」というのと同時に立ち上がる。
「着替えとかあるかい?」
「あります。だいじょうぶです」
「わかった。じゃあ」といって僕は、廊下へつながるドアを開けて女の子を促す。
「じゃ」と片手を軽く上げて、僕の横を通って行った。
バタン。ドアが閉まる。
五分くらいたっただろうか。僕は廊下へ出た。脱衣所のまえまで行く。足音を潜ませて脱衣所に侵入する。お風呂場からは水の跳ねる音が聞こえる。おそらくシャワーを浴びているのだろう。視線を巡らせる。洗濯機の上に洗濯かごが置いてある。
ぼくはそれに近づいた。なかにはいっているものを物色する。
がさごそ。やばい興奮する。いや、だめだ。冷静になれ。自分をいさめろ。機械的に、事務的に。これを仕事だと思え。
僕はシャツやスカートなどをかき分けた。なかに目的のものがあった。普通の仕事での報酬はお金だ。だが、僕の仕事の報酬はこのパンツだ。
僕は、かごのなかのパンツを鷲が獲物を捕獲するような勢いで掴む。その慣性のまま、ズボンのポケットにねじ込んだ。

テレビのなかで芸人が、絶叫をしている。おもしろいなー。ソファーもふかふか。
不意に背後からドアが開くような音が聞こえた。ちょっとの緊張と不安を感じつつ、そちらへ振り向く。
扉の前に女の子が立っていた。
「あのー」
口元を引き締めて、神妙な顔をしている。聞き分けのない子供を諭す母親のような印象。
やべー。ばれたかも。狼狽を悟られないようにすぐに受けこたえる。
「どうしたんだい?」
「お風呂のお湯が満杯だったんですけど、あれは多分あふれた状態でお湯をとめたと思うんですが」と女の子は口をとがらせて言った。
そっちかよ。あれ、デジャブか? まあいいや。ばれなくてよかった。身体が弛緩していくような感覚に身を任せてソファーに身体を沈める。
「べつにいいじゃないか。僕が水道代をはらうわけじゃないんだし」
「私の家が困りますよ。あなたには良心ってものがないんですか!」
さっきやったことをとがめられいるような感覚。僕はそれを無視して、テレビを見続ける。
「無視しないでください。そんなくだらないテレビみているんですか。ガキですよガキ。出てる人もガキ。それを見てる人もガキ。ガキの遊びですよ」
「ガキにガキって言われてもね……」
「そうですね。私もガキです。あなたと同類です。仲間です。別に仲間は嫌いじゃないですよ。大人よりましですから。だからわたしもテレビみます」
女の子は僕の隣に腰かけた。
「大人よりましって大人は嫌いなの?」
「はい。大嫌いですね」
「どうして」
「大人は私のことを見てくれませんから」
「ふーん」
テレビの中では芸人たちが騒ぎ続けている。飽きてきたので、帰ろうと思う。
「つまらん帰るわ。僕は大人だからこんなガキの遊びなんて見てられないんだ」
「はあ……そうですか」
「じゃあ。さよなら」
「はい。さようなら」
僕は女の子の脇をすり抜ける。玄関まで行って靴を履くためにかがむ。靴に足を通して、ひもを結んだ。
立ち上がろうとしたその瞬間、肩に軽く何かが触れる。振り返る。女の子が居た。
「どうした?」
「あのこれ」といって女のこは自分のひじをみせる。「ありがとうございました」
「ああいいよいいよ。こっちも相応のものをもらったし」
「え? どういう意味でしょうか」
女の子は抽象画の素養のない人がそれを見たような顔をする。
「きみと一緒に話せてよかったって意味だよ」
「はあ……なるほど」と女の子はさっきの顔のまま言った。
「じゃあ」
僕は立ち上がった。靴箱の上から手提げ袋をとった。軽く手を振る。僕は女の子の家を後にした。

佐藤葵の日記
彼に誘われて公園に行った。けど、いやなことがあった。私の心は今日の天気とは裏腹にどんより曇っている。最悪。今日のすべてが最悪。昨日との落差にうんざりした。明日彼をよびだしてこのことを問い詰めよう。


朝。僕は自宅のリビングにはいった。机の上にいちまいの紙切れが置いてある。見てみると『畑に行ってきます。ごはんは冷蔵庫にあるよ。チンしてたべてね。』どうやらお母さんはもう仕事に行っているらしい。
僕は冷蔵庫からご飯をとりだして電子レンジで温めた。ご飯を食べる。今日は学校行かなきゃいけない。憂鬱だ。行きたくないけど行かなくてはならない。しかしそんな感情をご飯と一緒に腹の底へ飲み下す。空になった食器を流しに入れた。
学校へ行く荷物を持って、玄関を出た。空は曇っている。良い天気だ。僕は学校へ行った。

昼休みになった。僕は保健室へ向かう。女の子に呼び出されたのだ。さっき保健室の先生から、昼休み保健室に来いという伝言をもらった。なんか疑問を感じるけど、まあいいか。考えるのだるいし。
保健室の前に来た。保健室をのぞく。中にいるのは女の子だけだ。昼休みだから、保健室の先生は職員室にいるのだろう。
女の子は読書をしていた。初めてみたときもおなじように本を読んでいた。あれはよく晴れた日のことだった。四時間目の体育が終わった直後だった。一人の男の子が足を怪我していて、僕はその子を保健室におくってあげようと思った。なぜなら一人で歩かせるなんて危ないからだ。しかしそんなことをすると昼休みが短くなってしまうし、その子は怪我が浅いからという理由で断ろうとしていたけど、なぜか僕は思わずその子を背負ってしまった。本当によくわからない。
ぼくは保健室に入った。扉をあける際に耳障りな音がしたはずなのに、女の子は意に介さずに読書に没頭している。僕は少女の前に歩み入った。
「こんにちは」とりあえず挨拶をする。
「先生、昨日はありがとうございました」と皮肉っぽく彼女は言う。
「呼び出したってことはつまり、僕がここで働いていること知ってたんだ」
「いえさっきまで知りませんでした。三時間目のあとの休み時間に彼から聞きました。私も私もおかしいとはおもっていたんですよ。彼に公園に呼び出されたかと思ったら彼と一緒に他の人もいるし、気が付いたら彼はいなくなってるし、そしたらなんか彼と一緒にいた人たちが私を砂場まで追いやってくるし。あなたが助けにきたけど、都合良く絆創膏なんかもっているし。その年齢でキャラクター物ってのもおかしいと思ってました」
「彼? 彼って誰だい?」
「高橋翔太くんです。あなたのクラスの生徒ですよ」
「しらないなあ。新学期になって生徒を受け持ったばかりだし。そもそも僕はそういうのに関心がない。名前を覚えるのが苦手なんだ。めんどくさくて」
「彼にすべて聞きましたよ。あなたが生徒にどんな指示したのかを。彼は私に謝ってきましたよ。ぼくは逃げ出したんだって、彼らを止めるべきだったって」
「ああ、あのときに走ってった子か」
「とにかく私は知っているんですよ。先生がやろうとしたことを。生徒に指示して、私を砂まみれにして、私の家に入る口実を作る。そして……そしてどうするんでしょう? わかりませんね。お金でも盗んだんですか?」
「いや、お金は盗んでいないよ」
まだばれていないらしい。そもそも盗んだ物はパンツ一つだから、もしかしたら無くしたで済まされるかもしれない。 
「つまりお金以外の何かを盗んだってことですか?」
「まあそういうことになるかな。というかなんで君は僕についてきたの? 見ず知らずの大人なのに」
「親が私にかまってくれませんから。そういうのを求めたんだと思います。だから悪くない気分でしたよ」
「な、なるほど」
「このこと黙っていてほしいですか?」
「うん、できればね」
彼女は傍らに置いてあるカバンを取って、中からノートを取り出した。それを僕に差し出す。
「これを彼に渡してくれませんか? 渡してくれたら黙っています」
「彼ってあれかいさっき言った高橋翔太くんにかい?」
「そうです」
「なぜ僕に頼むんだい? 届けないかもしれないよ」
「いやいや、届けざるを得ないでしょう。それに、自分で渡すのなんて絶対できませんから。渡さずに終わるよりましです。他に頼む人もいませんしね」
「なるほど。しょうがない。わかった」
僕は彼女から日記を受け取った。
「あれ……そういえば、どうしてわたしのことを知ってたんですか?」
「足を怪我した一人の男子生徒を保健室の前までおくって行ったときに、扉の窓から君が見えたんだよ」
それで、女の子をほしくなったのだ。正確にはパンツだが。
「それはいつのことですか?」
「十日まえくらいかな。昼休みが減っちゃう、早く職員室に戻りたいって思ってたときだったから、四時限目の直後だと思う」
「ああなるほど。わかりました」
「もう行っていいかい? 昼休みが終わっちゃうよ」
「いいですよ。ノートお願いしますね」

名簿と席を照らし合わせて、高橋翔太の席を特定した。生徒を番号順に座らせといて良かった。彼の机の中に彼女から預かったノートを入れた。あれ? 僕はなぜこんなことをやっているんだろうか。そう、弱みを握られているからだ。しかし、それだけか? ほかにもなにかあるような。似たようなことをほかでもしたことあるような。男子生徒を保健室へ連れて行ったときと女の子に絆創膏を貼ってあげたときも同じような気持ちだったような。うーん、認めたくないなあ、そういう部分。
余計なことを考えるのは嫌なので、僕は無理やり思考を切り替えた。ああ、そうだ! 報酬のこと忘れてたといかにも恣意的な感じを装った脳内発言をする。
僕は昨日女の子を砂まみれにした子たちを探す。いた。ひとつの机にその子たちは集まって話し込んでいた。昨日逃げ出した子はいなかった。
「きみたち」
「何ですか。せんせい」と生徒の一人が反応を示す。
うーん、なんて言い出せばいいのだろう。
「なにそわそわしているんですか。先生、もしかしてあれですか?」
向こうから話しかけて来た。とりあえず毅然とした態度を装って僕は用件だけを伝える。
「報酬を渡す。放課後、この前の公園に来るように」

そんなこんなで放課後になった。僕は学校を出て、昨日の公園へ行った。
そこには、昨日女の子をいじめた少年たちがいた。少年たちに近づく。
「やあ」
「せんせいこんにちは」
「昨日はありがとう」
僕は財布をとりだす。
「おかげで上手くいったよ。こんなにうまくいくとはおもわなかった。でもね、怪我をさせたらいけないよ。汚すことが目的だったのに」
一人一万円、合計五万円を渡すつもりだったが、怪我をさせたから、一人五千円、合計二万五千円にすることにした。僕は財布から五千円札を五枚出す。これをみせると人は表情をかえる。餌を見せられた子犬のような。それがいい。最高な気分になる。少年たちお金を手渡す。
「先生ありがとう」
「みんなにはこのこと内緒だからね」
このお金には、口止め料も含まれている。
「はいわかりました」
「よろしい。では解散」
「先生さようなら」
少年たちは手を振ってかえって行った。

家に帰り着いた。自室入ると昨日丸めた紙の塊に眼が行った。何を丸めたか忘れていたので広げて中を見てみる。生徒に配る添削済みのテスト用紙が一緒に丸まってた。しわくちゃだ。これはまずい。どうしよう。なんかこれだけしわくちゃでは、平等ではないから、他のテスト用紙も丸めてしまおう。僕は紙を丸める作業に取り掛かった。

佐藤葵の日記
高橋翔太さんへ
この日記帳に書いてある『彼』というのはすべてあなたのことをさしています。
はじめて会った日のことを覚えていますか? あなたは足を怪我していましたね。こういってはなんですが、あなたが怪我をしたおかげで私はあなたと出会えました。そう考えると怪我に感謝しないといけませんね。
ちなみに、男の子の知り合いはあなただけなんです。一般的に考えたらそれはちょっとちがうんじゃないかというふうになるけど、私は学校不適合者ですから。保健室登校ですから。そういうのが相応しいんです。そういうのも含めて私ですからね。
こんな私でも受け入れてくれるなら、このページを折って私に返してください。駄目だったらそのまま返してください。

(了)
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