恋の終わり

恋の終わり

中目黒にある自宅のマンションに着いたのは午前一時を回っていた。
速足でエレベーターに乗り、ドアの鍵を開けようとする。
鍵が上手く入らない。
いらいらしながら乱暴に鍵をあけて、むくんだ脚からブーツを引っ張る。
着替えもせずソファに倒れこんだ。そういえば会社のネームカードを付けたままだったかもしれない。
「井川」と書かれたネームカードをテーブルの上に置く。
数分後、彼女は化粧を落としいつもの部屋着を着た。
冷蔵庫から缶ビールを取り出しプシュっという音がなる。この瞬間彼女は一日の終わりを感じ、自分だけの至福に浸る。毎日この繰り返し。
朝、六時に起きて七時に家を出る。昼は会社でパソコンと一緒に食べる。家に帰ってくるのは十二時過ぎだ。
そして彼女の部屋にはベランダがあった。ベランダには木でできた椅子が二つ置いてある。
なぜ二つ買ってしまったのか彼女も今となっては思いだせないが、理由もなく二つ並べてある。
片方の椅子には会社帰りに買ってしまった可愛らしい鉢に植えられたサボテンがのっている。
一本目のビールを飲んだ後、また冷蔵庫の前に行って二本目を取ってきた彼女はベランダに出た。
これも毎日のことだった。
今夜は星がよく見えて、綺麗に光っている。
「井川さん、今日も遅かったですね。晩御飯食べたんですか?」
彼女はぼーっと空を見ていて反応するのに時間がかかってしまった。
「あぁ、蒼井くん。どうも。食べたわよ、心配しなくても。」
隣の部屋に住む彼は井川より二つ年下で、彼女がベランダにいると彼もベランダに出てきて声をかけてくれる。特に誰かと付き合っているような様子はなかったが、また彼女ともそういう仲ではなかった。
ただ寝る前の少しの時間、空を見ながら他愛もない話をする。
しかしそれ以外はほとんど彼と話したりすることはなかった。
「今日は星が綺麗ですよね、明日は晴れるんですかね。」
彼は空の方ではなく彼女を見ており、彼女に聞いているようだった。
「そうね、確か予報では晴れるみたい。明日何か予定でもあるの?」
「いえ、ちょっと出かけるだけで。昔の友人たちと会う約束をしていて。」
少し恥ずかしそうに笑いながら彼は言った。
「へぇ、同窓会か何か?蒼井くん女の子にもてるんじゃない?」
蒼井は割と顔立ちが整っている上に背が高く愛想がいい。
姉と妹がいるとかで女性に対しても気がきくタイプである。どうして彼女がいないのかと不思議に思うくらいだ。
「はい、そんな感じです。いや、もてませんよ。」
彼は照れながら答えた。井川も聞いておきながらどことなくくすぐったい感じがしていた。そういえば二人で恋愛の話をするのは初めてだったかもしれない。
それにいつもはこんなに長く話すことはない。
「それで明日の夜は出かけてるのでお話しできないかもしれないです、すみません。あ、そういえば井川さんは付き合っている方とかいないんですか。」
彼に、急に自分に話を振られ彼女は驚いた。
「えっ、あぁ大丈夫よ。毎日話す、なんて約束しているわけじゃないんだし。それに明日は私仕事休みなの。だからね、蒼井くんと同じで出かけてこようと思って。もし付き合ってる人がいたら一人で出かけなんてしないわよ。」
「あはは、そうですか。じゃあお互い明日は息抜きの日になりそうですね。」
くすっと笑いながらそうね、なんて彼女は返していた。
そのあと会話が少なくなって井川も蒼井も部屋に戻った。寝る時はいつもこうだ。
どちらかが眠くなったり用がある時は短く会話を切っておしまい。じゃあ寝ましょうか、おやすみなさい、なんてことは言わない。
部屋に戻った彼女は疲れと眠気ですぐに眠りについた。


home  next