ゲームのルールはどうでもいい

ゲームのルールはどうでもいい

かいつまんで今の状況を説明すると、同じ大学の写真サークルの部員であるミナコが返り血に濡れて、
同じく部員であるダイスケが倒れているのを見下ろしている。この俺の目の前で、だ。

もう少し遡って話そう。俺たちはある『ゲーム』に参加させられている。
ゲームと言っても、大学の新歓コンパでやったようなビンゴ大会でもなければ、サークル棟で開いたような桃鉄大会でもない。
どこかの金持ちや権力者が、道楽や、或いは宗教的な意味合いを持たせて開催しているような、
俺たち参加者の生命を駒として賭した(警察やら保健所に通報しても無駄なタイプの)、
まあ、今やその辺でよく見かけるようになった類の『ゲーム』だ。
一体、主催者は何者なのか? 何故俺たちが選ばれた? このゲームのルールは? 生き残れる条件は?
そんなこと今はどうでもいい。どうせ俺には知恵も勇気もないし、にわかに頭を使ったって無様を晒すだけだ。
他の参加者の中には、もしかしたら優れた頭脳を使って、ゲームのルールや与えられた道具の全てを駆使し、裏を掻き、
下衆な主催者をギャフンと言わせるような策謀や決断をしている者もいるかも知れない。が、俺には関係ないことだ。
俺にとって問題なのは、こういう生命を落とすかどうかという極限の状況下において、
それでも(いや、だからこそ)表出してくる、ある種の感情について……そのあたりがテーマになって来る。
結局、それだけが問題なのだ。

そもそもこの俺、マサトと友人のダイスケは、ミナコを取り合う関係だったらしい。
らしい、といったのは、俺にはそんな自覚は全くなく、周りから勝手にそう認識されていたからだ。
俺とダイスケは高校の時からの同級生で、地元の大学に入ってからも、同じサークルでツルんでいた。
俺たちのいた写真サークルは、コンクールで成果を出すような大した所ではなく、
たまにフィールドワークとか称して海辺や山道へ散歩に出かけるような、ゆるい集まりだった。
高校の時から写真に凝り始めていた俺は、そんなサークルの状況に若干の落胆を覚えたのだが、
まあ一応カメラの話なんかは通じる連中がいるので、さしたる不満もなく籍を置いていた。
女子部員もミナコを含めて結構いたのだが、それでもダイスケは「出会いがねーよぉ」などと言って、半年ほどヘラヘラしていた。
もっとも、それは俺も同じことだ。「出会い」というのは単なる機会じゃなくて、もっと直感的で具体的なものだ。そう思っていた。
それに俺は、何と言おうか……そういう男同士で「出会いがねーよぉ」などと言い合ってヘラヘラしているような、
そんな弛緩した空気に慣れていたというか、愛着を覚えていた。
恋人との大事な予定なんかに割り込まれることもなく、暇さえあれば連れ立って飲みに行ったりゲームで遊んだりできる、
根本的には卑屈ながらも、確かな部分で繋がっていられるような心的関係性にだ。
当然俺にも、大学に至るまで彼女などいたことはなく、ネットでは「イケメン死ね」「リア充爆発しろ」などといった
穏便でない符丁を用いて、互いの心の共通点を確認しあうような行為に耽溺していた。一種の麻薬であった。
一度高校の時に、「リア充死ねよ」などと言って笑っていた同類の男に、実は美人の彼女がいた、ということがあった。
別に俺は、それで怒ったりはしなかった。「絶対に許さない」などと言ってどついたりはしたが、それも形式的なことだ。
つまり彼女がいるような奴でも、そうした男同士の卑屈な馴れ合いへの憧れを捨てきれずにいる。そういうことだ。
俺には却って、自分が濁った沼と思って浸かっていた場所が、実は清涼な泉なのではないか、と思えて来てならなかった。

そんなわけなので、ある日のフィールドワークでミナコに告白された時は、非常に参った。
なんでも、比較的真剣に写真に打ち込んでいる俺の姿が魅力的に映ったらしい。
真剣な男が好きならこんなサークル辞めろよ、と思ったのだが、生来の弱気ゆえにそんな見得を切れるはずもなく、
「ちょっと考えさせて」、正確には「ちちょ、ちょっと考えしゃせて」、などと言ったまま、その場をお開きにしてしまった。
そして今日に至るまで、その答えは保留されたままだった。
ミナコは多趣味でわりかし積極的な性格をしており、友達も少なくなく、そういう中から俺が選ばれたのは素朴に嬉しくもあった。
特別美人でもなく、彫の深さがどこか影を感じさせるものの、人を不快にさせるような顔立ちはしておらず、表情もさっぱりと明るい。
要するに、卑屈さとは無縁のような人間であり、俺とは何度か遊んだこともあるものの、本来何の関係もない女性である。
そういう相手に対する引け目も感じてはいたが、それだけではない。
問題は三つあって、まず、俺の知っているの写真好きで彼女が出来た奴は、みんな決まって彼女の写真ばっかり撮るようになり、
中にはハメ撮り流出して姿を消したような奴もいて、だから写真を撮っている俺が好きなんて言われることに、
どうしようもない気持ち悪さが刷り込まれていたこと。
二つ目には、ミナコのことはダイスケが前々から目で追っていて、暇さえあれば遊びに誘うような有様だったので、
友人であるダイスケの想い人と付き合うなどということになると、非常に気まずくなりそうということだ。
それに俺のような人間と付き合うよりは、ダイスケと付き合った方がマシだろう。あっちは割の良いバイトをしていて経済的にも余裕があるし、
俺より背も高く、いわゆる「良い男」に近づくための努力もそれなりにしている。俺と付き合っても、青春を損なうだけだ。
そして三つ目、これが最大というか、前二つの問題ももしかしたらここに集約出来るかも知れないのだが、
「非モテ」のコミュニティから追放される、これが一番イヤだった。泉の底に張り巡らされた根を、ブチブチと引き千切られるのだ。
彼女がいたって、リア充に爆発を提言することは出来る。クリスマスが中止になった旨を伝えるポスター図案を作ることも出来る。
が、そこには何の後ろめたさも宿らないのだろうか? 「俺はここにいて良いのだ」と心の底から思えるのだろうか?
無職なのにスーツを着て、何食わぬ顔でオフィス街を歩いているような気分になったりはしないのだろうか?
俺は、それが一番怖かったのだ。人様から見れば、とてもくだらないことだろうということは解っていたが、
結局、俺という卑屈な人間が写真を通して表現したかったのも、そういう卑屈さに根差したものであったろうし、
住み心地のよい清き泉は、もはや俺自身と言っても過言ではなくなっていたのだ。
二十年近く培い、表現してきた俺自身を、何かくだらない情欲によってすべて否定する。
ミナコの告白に応えることは、そういうことに思えてならなかった。
そんなものを守っている俺自身がひどく気持ち悪いということも、自覚してはいたが。

そういう考えが、ダイスケの逆鱗に触れるということまでは想像出来なかった。
なぜダイスケが怒ったのかはその時はよく解らなかったが、まあプライドを傷つけたとか、そういうことだろうと当たりをつけていた。
俺の悩みを人伝に聞いたらしいダイスケが、俺と一切口を聞かなくなってから、もう何週間も過ぎた。
やっと口を聞いてくれたのがつい十分前ぐらいのことで、それも言葉より先に、『ゲーム』で支給された斧が俺の耳を掠めた。
『ゲーム』について少し触れると、複雑なルールを全て端折って言えば、参加者は命の奪い合いをさせられる。
誰も殺さない、何も行動をしないという選択をすることも出来るが、相応のペナルティがあり、それは場合によっては死より重い。
死より重いペナルティというのは想像もつかないが、それは参加者によってそれぞれ異なると思われる。
誰々を殺せ、などと言うことは指定されず、ルールに則って、利害に基づいた判断によって殺す相手を決めてよい。
まあ、どこぞの「バトルロワイヤル」的な雰囲気を含んでいる、とでも考えればわかりやすいか。
が、しかし、いざ刃物を使って人を殺しますという段になった時、すぐに利害で判断出来るほど肝の据わった奴などそうはいない。
反社会的人物でも無ければ、基本的には「誰であっても殺したくない」のである。
言い換えれば、「殺しても良いポイント」というものがあったとして、それはゼロに均された状態から集計をスタートする。
相手を知れば知るほど、もしくは知らない相手について想像するほど、ポイントは上下する。
まったく知らない相手と、友人である俺とを天秤に掛けたとき、俺の方が「殺しても良い」とダイスケは判断したらしい。
何が俺の「殺しても良いポイント」を、そこまでアップさせたのか?
そこがテーマだ。
その時は、俺は腰を抜かしていて抵抗らしい抵抗も出来なかったが、確かこんな会話をした。

「ダイスケ……お前、俺を殺すのかよ? そんなに俺がお前を怒らせたか?」
「別に、おめえを殺したいほど憎んでるわけじゃねーよ。だけど……他のどうでもいい奴を殺してお前を殺さないってなったら、
 俺がお前を憎んでないみたいじゃねーか……だから殺すんだ」
「だから何が憎いんだって、わけがわかんねえよ! 俺がお前の好きな女を振ったから、お前のプライドを傷つけたのか!?」
「ちげえよ……そんな薄っぺらな理由じゃねーんだよ、クソ童貞野郎が」
「童貞はお前もだろうが!」
「うっせんだよ、今そんなこと言ってる時だと思ってんのか」
「先に言ったのは、ブフッ、お前だろうが」
「噴き出してんじゃねーよ、マジで殺すぞ」
「じゃ何で殺すか言ってからにしろよ」
「お前、自分がノブに何て言ったか覚えてるか?」
「え、ノブってゼミの同期の? 何でノブが出てくんだよ、ここで……あ、ミナコとの事あいつに相談したんだった。
 そうか、あいつがお前にチクったのか。あの野郎……」
「いいんだよ、ノブのことは。お前ミナコにコクられた時、『リア充とか嫌だわー』とか思ってたんだってな。マジでふざけんなよ」
「ふざけんなって、プッ、殺す殺されるっていう時『リア充』とかいうワードが出てくることの方が、ブフフッ」
「何ヘラヘラ笑ってんだよ。もう話すのやめるか」
「いやいや待てよ……俺がノブに言ったようなことって、照れ隠しで言ってるとか思わないわけ? なに真に受けてんだよ」
「別に、お前のことは良く知ってるからな……こんな状況下でもヘラヘラ出来るような奴だってのも解ってる。
 だからマジで、ミナコの気持ちなんか真剣に受け止めようともせずに、そういうふざけたこと考えてたんだろうなって思ったよ。
 だけどさあ、こんなに想像力の無い奴だなんて思ってなかったよ」
「はあ、そりゃ困ったことだな」
「また他人事みたいに言いやがって……ああ、俺はミナコが好きだよ。ミナコの顔見るために大学行ってるようなもんだし、
 ミナコをデートに誘う資金のためだと思えばバイトも苦じゃないよ。あいつの喜ぶことなら何でもしてやりたいと思うよ。
 あいつは今や俺のすべてなんだよ。だからこそ、そんな彼女がお前を好きだって言うなら、悔しいけど、その好意は俺も尊重したいと思う。
 だけどな、お前はナメたこと言って、それをすべてふいにしたんだよ。ミナコの気持ちと一緒に、俺の気持ちもな。
 お前みたいに人間ナメ腐ってる奴のことは、絶対許せねえ」
「ダ、ダイスケ……お前、それ気持ち悪いぞ。結婚してるわけでもない女のために、そこまで思いつめるなんておかしいって。
 ちょ、ちょっと考え直せよ」
「んだと、コラ……この期に及んで、気持ち悪いだと? ああ、そうだろうな……人間らしさとか愛とかいうものに全部ツバして、
 ヘラヘラしてるしか出来ないお前には、こんなこと理解できねーだろうな。お前みたいな奴は、生きてても誰かを傷つけるだけだよ。
 だからもう、この機会に死ね」

そうして再び、ダイスケは斧を振り上げた。
ダイスケがかつてないほど怒っているのは見れば解ったが、そのキレ方は静かなものだった。
多分、これから友人を殺そうってほど内心興奮しているところに大声まで張り上げたら、あんまり血が巡りすぎて卒倒してしまうんだろう。
斧を持つ手が震えていた。怒りが心臓を恐ろしいほどの力で収縮させ、あまりに激しい血流に筋肉が震わされているのだ、と思った。
その証拠と言わんばかりに、次の瞬間にダイスケの頚動脈から噴出した血液は、赤黒い噴水のような勢いを伴っていた。
え、と思った。ダイスケの首に、手斧がめり込んでいたのだ。
何で? 素人だから武器の扱いを誤って、自分に突き立ててしまったのか?
しかし、ダイスケの手には依然として俺を狙った斧が握られていたし、ダイスケの首に刺さった手斧の柄には、細く白い指が絡みついていた。
要するに誰かが横から入ってきてダイスケを殺したんだ。混乱した頭では、この簡単な事実に気付くのにも、幾ばくかの時間を要した。
ダイスケの目が、如何にももうすぐ死ぬ人間らしい動きで、自分を殺した相手をギョロっと睨んだ。
それを見て、俺も思い出したように、ようやく下手人の姿を見遣った。ミナコだった。
ダイスケは顔中を引き攣らせて、大した表情も作れないまま、口をパクパクしながらどうと倒れこみ、しばらく痙攣していたが、やがて止まった。



「な……何で……」
「何で、って。彼があなたを殺そうとしていたから」

ミナコはダイスケの首に食い込ませた斧を拾い上げることもなく、死体と共に放ったままにした。
それで俺に対する殺意がないことを表したのだと思うが、ぬらぬらと返り血に光る彼女の表情は、充分に凶器的だ。

「いやいやいや、お前だって気付いてただろ! ダイスケはお前のことを……」
「そうね、難しい問題よね。自分を愛してくれる人間を失う代わりに、自分が愛する人間を守る……その決断が妥当かどうか、って」
「な、何で知り合いを殺したのにそんなに冷静なんだよ……」
「だって、それはルールだから。マサト君だって随分冷静じゃない」
「ま、まあ俺は、こういう性分というか……」
「やっぱりね。そういうところが好きよ」

彼女がニッと口角を吊り上げたのを見て俺は、ああ、やっぱりこういう場で笑う奴ってのは最悪なんだな、と悟った。
ミナコはしゃがみ込んで、腰を抜かしてへたり込んだ俺と目線を合わせてくれる。俺の足腰は、それで余計竦んでしまったが。

「それでね、このゲームに参加させられて、気付いたことがあるの。大事なことにね」
「何だよいきなり……」
「いいから聞いて。私は最初常識的に、誰も殺したくないって思ったの。誰かの希望に溢れていたかも知れない人生を丸ごと奪ってしまう、
 そんな重責に私は耐えられないってね。パパとママだって、人殺しの親になんてなりたくないだろうし、きっと私を嫌いになる。
 でも、パパとママのことを考えてる内に気付いたの。パパはママと結婚することで、『自分と結婚しなかったママ』の未来を奪ったのよ」
「な……何を言ってんだ? 話がぶっ飛びすぎてて」
「わかるでしょ、マサト君なら? 誰かを愛することには、必ず破壊が伴うのよ。マサト君がどんなこと考えてたか、
 私友達から聞いて大体知ってるの。私と付き合って自分の世界が壊れるのが嫌だ、って思ってたんでしょ? そういうことよ」
「そういうことって……うう……」
「誰かを愛することは、誰かを傷つけること……その傷を分かち合うこと。高校の時も彼氏を作ったことはあるけど、
 その時はこんなこと考えてもいなかった。だから今回のこれが、私にとって本当の、初めての恋愛って言えると思う」
「血塗れでロマンチックなこと言ってんじゃねーよ……」

俺は非常にドキドキしていたが、これが恋のドキドキでないことは客観的に見て明白であった。
吊り橋効果、という言葉が俺の頭を過りもしたが、それはどうやら望めないと思われた。

「同時にマサト君は、こんなことも言ってたらしいわね。自分なんかと付き合うと、相手の女の子の青春が損なわれる、って」
「あ……ああ、そうだよ。俺なんて卑屈だし、人に甘えてばっかだし、金もねーし顔も良くねーし、付き合って得することなんかねーよ」
「それはしょうがないのよ、それでも好きになってしまったものは。でも自信が無いから、女の子に告白したり、告白されてOKすることは、
 イコール相手の人生を傷つけることだと考えてたんでしょ? だから私の好意をふいにしたんだよね。
 マサト君は本当はナイーブで想像力のある人だって解ってるもの、ただ面倒臭がったわけじゃないんでしょう?」
「いや、お前……それすげーヤンデレっぽい」
「ヤンデレ、って何?」
「何って、それはあの……お前みたいな女のことだよ」
「よくわかんない。それでどうなの? そう思ってたんじゃないの?」

彼女はひどく自分に都合のいい解釈をしているように聞こえたが、よくよく考えてみると、俺は確かに図星を突かれていた。
俺は自分の世界が壊れることを恐れると同時に、相手の世界を破壊し、その責任を負うことをも恐れている。
人間それぞれの「人生」という柔らかい立体同士が、衝突して壊れ合う、そのさまをひたすらに忌避していたのだ。

「くそ、だが……そうか、お前も俺のことを考慮して、あれ以上突っ込まないでいてくれたってわけか」
「そうよ、マサト君ナイーブだもの」
「だが『ゲーム』のルールじゃ、人生同士がぶつかって壊れることが前提になってる、だからこういう状況になって吹っ切れたってことか?」
「そうだけど、少し違うわね。互いを傷つけあうことが前提になってるのは『ゲーム』だけじゃない、この世の中……いえ、
 この宇宙の成り立ちすべてについて言えることよ。そのことに気付いたの」
「ハッ、宇宙とか……お前、すげー電波っぽい」
「電波?」
「いや、もう良いや……それで俺はどうすればいいの? お前は俺も殺すのか?」

流れから言えば、そう思える。ミナコは、相手を傷つけることを恐れなくなった……相手の人生を自分が取り込むことを。
それが『ゲーム』のルールを超越した、愛のルールなのだと。
愛してるから殺すなんて、気が狂ってるとしか思えないが……事実、もう気が狂っているんだろうから、特に文句もつけられない。
だがミナコは、凶器を持たない両手をぶらぶらとさせて、何か優しげに微笑んで見せた。

「いいえ、違うわ。マサト君が私を殺すの」
「はあ?」
「どうせルール上、誰かを殺さなくちゃいけないじゃない? だからマサト君は私を殺せば良い。
 私を殺して、誰かを傷つけること、誰かの人生の時間を奪うことを覚えてほしいの。それが解らなくちゃ、今後もきっと恋愛なんか出来ないわ。
 私はマサト君に殺されることで、マサト君に大事なことを教えてあげられる。マサト君の初めての女になれるなら私、本望だわ」
「いや、猟奇的だろ発想が」
「殺す理由だってあるでしょ? 私はあなたの親友のダイスケを殺したんだもの。あなたが私を殺す心理的負担は限りなく軽いはずだわ。
 ほら、マサト君なら出来るでしょう? さあ、私を深く傷つけて。取り返しのつかないほどに深く」

ミナコはダイスケの死体から斧を抜き取ると、柄についた血をレースのあしらわれた可愛いハンカチで拭い取り、
ラブレターでも渡すみたいな情のこもった手つきで、俺に向けて差し出した。
やれやれ、まったくキレてる。どいつもこいつも、日常の延長でキレている。
非日常だからって、何事もいきなり根本から変わりはしないってことだ。それは、俺にしたところで同じってことでもある。
俺は、おずおずとミナコから、親友の仇から、手斧を受け取り。
立ち上がって、思い切り振りかぶり。
渾身の力で、壁に叩き付けた。
ミナコはぽかんとしていたが、俺は背を向けて、きびすを返した。

「ちょ……ちょっと待ちなさいよ! 何で殺さないの!?」
「何でじゃねーよ……さっきお前が自分で全部言っただろ。俺は傷つけたくないし、傷つけられたくない。
 お前の人生背負い込むなんて、まっぴら御免だね」
「で……でもでも! 誰も殺さないと、このまま生き残ってもペナルティを受けるのよ! 死ぬより、殺すより恐ろしいペナルティを!」
「あのねえ……知ったこっちゃないんだよ」

その後もミナコは涙声で何かを叫んでいたようだったが、大した内容があるとも思えなかったので、無視してその場を去った。
ペナルティ? そんなものどうでもいい。俺は俺で、大事なことに気付かされた。
頑なに自分の世界を守ろうとする、そんな俺は卑屈で、単に気持ちの悪い人間だと思っていた。
が……それを貫くにも、それなりのやり方と覚悟が要って、その覚悟を捨てて愛のルールとやらを受け入れたって、それは逃げってことだ。
その覚悟とやらが今の俺にあるかどうか、それは解らない。多分、無いんだろう。
今の俺だって結局逃げているだけで、北極の寒さを嫌って南極に来ているような、そんな有様なのかもしれない。
だから、ミナコにとっての恋愛がそうであるように、これからの人生が、俺の本当の人生ということだろう。
俺は未だ、全ての柔らかな立体が衝突せず、それとして存在していける世界を望んでいて、それは本音のところで変わらない。
俺は一体、何を言ってるんだ?
ま、何はともあれ。
今度こそ俺は、ミナコを振った。


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