『アリス達の居る風景 ~鎌倉電人宮初参拝~』

『アリス達の居る風景 ~鎌倉電人宮初参拝~』




「レンタロー、鎌倉行こう鎌倉」
 彼女が南砂町蓮太郎の背中に張り付いてそう言ったのは、彼が大学の講義を自宅で受講し終えたまさにその瞬間であった。
 衛星を経由して、遠隔地から映像と音声を双方向でやりとりする、所謂サテライト授業である。しかも国外であるため、蓮太郎はわざわざ明け方に起きて、講義に参加していたのであった。
 今は午前九時、蓮太郎にとっては起床後数時間が経っていたが、世間的に見れば普通の朝である。
「なんだよ、いきなり……」
 言葉は嫌そうであったが、口調はそれほどでもなく、態度に至っては彼女に抱きつかれたままで、蓮太郎。すると彼女は依然蓮太郎に寄り添いながら、
「この前衛星ラジオで聞いたのよ。鎌倉には電人宮っていうお宮があって――」
「電人宮?」
「うん。そこに、最古のアリスが奉られているんだって」
「最古のアリスだって? そんな……いや、ありえない話じゃないか……」
 胡散臭いように見えて、割合真実味を帯びている話である。『最古のアリス』と言ってもそう昔の話ではないし、その数は少ない上にその出自がはっきりしている為だ。
「……まぁ暇だし、いいか」
 この後の講義がないことをPCのサブディスプレイから横目で確認して蓮太郎はそう言い、やったとばかりに、彼女が飛び上がる。
 その拍子に、ふわりと広がったその髪が――黒と青が織り込まれた銀髪が――窓から差し込んできた朝日をきらびやかに乱反射した。
 それは、彼女が希望した卸したての鋼の色であった。








 アリスとは、自律する人型ロボットのうち、女性型であるものの総称である。
 ステープラーをホッチキス、ラップフィルムをサランラップと言うように、商品名がそのジャンルそのものを指すようになった例のひとつで、十数年前にボルテックス社より発売された女性型ロボットの普及機『アリス』より端を発す、今や人の世に広く知られている代名詞のひとつである。
 そして彼女は――ボルテックス社『アリスMk.7』の南砂町ナナは、そんなアリスの流れを汲む直系かつ、最新鋭の機種なのであった。







 蓮太郎達の住む横浜から鎌倉に向かう場合、大まかに分けてふたつの経路がある。ひとつは横浜駅から横須賀線に乗って直接鎌倉駅に乗り付ける方法、そしてもうひとつが東海道線で藤沢駅まで行き、そこから江ノ島電鉄、通称江ノ電を使う方法である。
 蓮太郎は、後者を選択してした。途中で降りて、海が見たいとナナが頼んだ為でもある。
 そういうわけで、ふたりは江ノ島駅で途中下車をした。
 ナナが手首を翳して、自動改札を潜る。
 彼女のその部分には、各種決済用のデータとマイクロチップを内蔵しているので、その動作で改札を通過できるのだ(ついでにいうと、アリスに対しても運賃はかかるのである)。
 ゲートを潜るその貌は、非常に得意気であった。
「やめろって、そのドヤ顔」
 にまにまと嬉しそうに笑っているナナに、やや呆れた貌で、蓮太郎はそう言う。
「いいじゃない、誰が見たって最新型だってわかるんだから」
 実は横浜の改札を潜るときもそうしていたのである。あちらでは人が多かったため、結構人目を引くことになっていた――そして蓮太郎の恥ずかしさも鰻登りであった――が、こちらでは今のところ蓮太郎達が好奇の目に晒されることはなかった。
 そんなことを話しながら、江ノ島へと車一台がぎりぎり通れる細い道をふたりで歩く。
 江ノ島。
 かつては湘南海岸の道路を車がひっきりなしに行き交っていたが、蓮太郎の時代になると個人所有の自動車は極端に減っていたので、静かなものである。
 それでも、江ノ島とこれから向かう鎌倉は南関東の観光名所であり続けていたので、島そのものはそれなりの賑わいを見せていた。
「んーっ……」
 そんな江ノ島を湘南海岸側から眺めつつ、ナナが大きく伸びをする。砂浜はまだシーズンには早すぎるため、辺りに人気はない。
「満足したか?」
 電子煙草――中身は彼の好きな薄荷のエキスのみである――をくゆらせながら、蓮太郎。
「うん。いつ見ても、海はいいよね」
「そうだな」
 低温海水下でも活動可能な納豆菌と、それが保有する強力な浄水作用で、工業地帯の海ですら珊瑚が自生可能となる程の時代である。ここ江ノ島海岸も、ちょっとしたリゾートビーチのような鮮やかさを誇っていた。
「……誰も、見ていないよね?」
「俺以外はな」
「ん、ならおっけーかな」
 そう言って、ナナは片方の靴を器用に脱ぐと、いきなり蓮太郎も想定していなかったことをしでかした。少し短めのプリーツスカートをたくし上げ、その中に手を突っ込んだのである。
「いきなりなにやってんだ!」
 くわえていた電子煙草を噴き飛ばさんばかりに驚く蓮太郎に、ナナは一言、
「タイツ穿いてたら海に入れないでしょ?」
 片脚分だけ先に脱いで素足で砂浜を踏みしめた後、もう片方の分を脱ぎつつ、はっきりとそう言った。
「なんで海に入るのにタイツ穿いてきてんだよ……」
「しょうがないじゃない。ついさっき思いついたんだから」
 脱いだタイツを蓮太郎に手渡して、ナナは海に足を浸ける。
「うわっ、まだ冷たい……」
 そう言う割には、楽しそうに海水の中でステップを踏んで、ナナ。
「それ、すんごい贅沢なんだからな」
 と、蓮太郎。
「うん、そうだね」
 珍しく神妙な表情で、そう答えられた。ただそれも一瞬のことで、渚を歩くことに再度没頭するようになる。
 海水を含む防水機能。ナナ――アリスMk.7から付いた機能である。
 これにより、今まで禁忌とまで言われていた潜水が、アリス達にも可能となったのであった。
「いままでは潜水服みたいなハウジングが必要だったんでしょ?」
 と、海水を軽く蹴りながらナナが訊く。
「いつの話だよ……確かに昔はそうだったけど、最終的にはドライスーツを改造したものでいけるようになったんだ。もっとも、頭だけはお前の言う通り潜水服みたいなの使わないといけないけどな。――それも、自慢対象なのか?」
「そうよ。これくらい自慢したっていいじゃない。私の代から水着が着られるようになったんだから」
「――そりゃまぁ、そうかもしれないけどな」
 それまでは水着を着ても泳げなかった彼女らのことを考えれば、ナナの言うことにも一理ある。
 今までのアリス達は、どういった想いで海を、あるいはプールを見ていたのであろうか。
「おまたせ、もういいよ」
 海から上がったナナが、自分の靴を両手に持ちつつそう声をかけ、蓮太郎はその思考を中断した。
「ほんじゃ、そこにあるシャワー使って塩分をよく落としとけよ」
 海水浴用に設置してあるそれを親指で指さしつつ、蓮太郎。
「はーい」
「あと、タオルでよく拭いて、早く乾かしてくれ」
「なんで?」
「何でってお前な――いつまで俺にこれを持たせておく気なんだよ……」
 蓮太郎の手には、未だにナナのタイツが風に靡いていたのである。



 再び、江ノ島駅。
「ラッキー、復刻車両か」
 ホームに進入してきた車両を見て、蓮太郎はそう呟いていた。
 この時代、初代江ノ電を模した車両と、グラスビュー(車両の上半分がほぼ窓である)の車両の二種類がある。
 ただし復刻と言っても蓮太郎の時代全ての車両が燃料電池によるモーター駆動であるため、架線そのものが存在しない。従って、一応復刻車両はパンタグラフまで再現していたものの、それは本来の役目を果たせず多目的アンテナとなっていた。
「私は、最初に乗ったグラスビューの方が良かったな」
 憮然とした顔で、ナナ。言い添えておくと、ちゃんと脚を乾かし、元通りタイツを穿いている。
「何でさ。こっちの方が渋くて良いだろ?」
 深い緑色の車体を眺めつつ、蓮太郎。
「理解できないのよ。その渋いってのが。便利な方やすごい方を使えばいいじゃない」
「そんなもんかね」
「そんなもんよ」
 ナナの性格的に、何かに手間暇をかけたり、敢えて不便な方を選ぶことが理解し難いのであろう。
 そんなことを話し合いながら、電車に揺られること十数分。
「うわー」
「相変わらずすごいな……」
 ふたりが鎌倉に到着したのは、昼前のことだった。



 鎌倉は、千二百年程前から続く古い都市である。
 横浜などの大都市より先駆けて、緑化――植物のコントロールと、都市機能への共存――を推し進めてきただけあって、緑が濃い。
「なにこれ、街路樹と街灯が融合してる……」
 それを見上げて、ナナがそう呟いた。
「この街の最新技術らしい。にしてもすごいな、これ」
 と、それの隣にあった案内板を読みながら、蓮太郎。
 ある程度の高さまでは枝が全くなく、まっすぐに伸びている樹が街灯部分の少し上で枝を張り、ランプシェードの役割を果たしているらしい。
 少しの間、ふたりして感嘆したままその街路樹を見上げる。
 このような形で、緑化から一歩進んだ自然融合都市鎌倉は、その景観と都市機能を保っていたのであった。ただ、蓮太郎の時代ではそれ以前よりも緑が多くなっているように見えるから、一見すると自然に還ったと誤解を受けるかもしれない。実際には、管理・調整された自然であるのだが、これは蓮太郎の時代でも、自然を自然のままにすることがなかなか出来ないことへの証明でもあった。
「ナナ、そろそろ行くぞ」
「あ、うん」
 千年以上前から変わらないと言われている段葛を抜けて、鎌倉八幡宮へと向かう。
 かつての鎌倉幕府を再現された区画は、人気の観光スポットとなっていたが、ふたりはそこをさらに先に進み、段葛の終わりにある八幡宮の大鳥居を潜ったのであった。
「広いわね……」
 辺りを見回しながら、ナナ。
「ナナは此処に来るの初めてだっけか」
 ダウンロードしたガイドブックを携帯端末に表示させながら、蓮太郎がそう訊く。
「うん。データで知っていただけ」
 あちこちを見回しつつ、ナナがそう答える。
「なるほどなぁ」
 面積だけだと、ぴんと来ないのであろう。これは、蓮太郎も同様である。
「あれ? レンタローは来たことあるの?」
「昔、仲間内と初詣で八幡宮に行ったことあるんだよ。すんごい人出だった……」
「へぇ……今度は、私も参加させてね」
「あぁ、機会があればな」
 別にナナの希望をはぐらかしたわけではない。蓮太郎自身、もうしばらくの間、彼の仲間達と行動していなかったからである。
「それより、電人宮を探さないとな」
「あ、そうだった――って、どこだろ」
「案内図だと、本殿の近くらしいけどな」
 かつて大風で倒れながらも、見事に再生を果たした大銀杏を過ぎ、長い階段を上がる。
 普通の神社であれば階段を上った先は本殿があるだけだが、流石は千年以上続く鎌倉八幡宮、本殿の周りも、ちょっとした広さがあった。
「本殿の中?」
 と、門を潜らず中の様子背伸びして見ながら、ナナ。
「いや、一応独立しているらしい」
 携帯端末内のデータを確認しつつ、蓮太郎がそう答える。
「うーん、GPSのタグが無いから場所が特定できないなぁ……アリスを奉っているっていうのに」
「だからこそなのかもしれないだろ。それにGPSタグのトレースによる場所の特定って、普及機では搭載していないアリスもいるんだからな。それを忘れるなよ」
 それでも地図は流石にあるので、蓮太郎の携帯端末を頼りにそろそろと歩を進める。
「ここらへんの……はずなんだが」
 一度立ち止まって、蓮太郎。そこで、先行してさっさと歩いていたナナが、ふと足を止めた。
「ねぇレンタロー、これじゃない?」
「どれどれ」
 ナナが指さす先に視線を向けて、蓮太郎が覗き込む。そこには、かろうじて人が通れる小さな鳥居の奥に、細い道が小山の頂上へと続いている。
「お稲荷さんのような気もするけどなぁ……」
「行ってみましょ。違かったら引き返せばいいのよ」
 蓮太郎が答える前に、ナナはどんどん先へ進んでしまう。
「いやまぁ、いいけどな」
 やむなく、後を追う蓮太郎。
 細道は、途中で緩い階段となった。
 その緩くはあったが、段数の多い階段をゆっくりと上っていくうちに、急に開けた場所に出た。
 広さはそれほどでもなく、またそこに鎮座する建物――御社もそれほどの大きさはない。
 そして、正面には『電人宮』とあった。
 結果として、ナナの推量は当たりであったのだ。
「どう? 私の勘もたいしたものでしょ?」
 両手を腰に当てて、ナナ。
「ああ、すごいな」
 何がすごいと言って、『勘』と言い切ってしまうナナの言動がすごいと思う蓮太郎である。
 まずは、ふたりで御賽銭を入れ、参拝する。
「この子……なのかな?」
 参拝後、そっと格子越しに御神体を眺めながら、ナナ。
「多分なぁ」
 と、蓮太郎。
 本殿の中に鎮座している御神体は、まるで眠っているかのようであった。
 『最古』であるから、おおよそ四十年ほど前のアリスであろう。
 その服の下はナナのような継ぎ目ひとつ無い人の身体を模したものではなく、合成樹脂剥き出しのボディであったという。
 だが、御身体は身体全体を覆うようにデザインされたドレスに身を包んでおり、外からはどのようになっているのかわからなかった。
「一応言っておくけど、透視して見ようとか思うなよ?」
「しないわよっ」
 ナナ位のアリスとなると、目に見える光の波長を変えて、透視のようなことも出来る。出来るのだが――。
「私のずっと、ずうっと上のお姉さんじゃない。そんなことできるわけないでしょ」
 と、ナナ。彼女に限らず、アリス達はメーカーが違っても自分より先に稼働している機体を姉と認識する傾向にあるのだ。
「でも、綺麗な人……」
「そうだな」
 その髪の色は、奇しくもナナと同じ髪の色であった。
 それが当時の色であるのか、或いは色褪せたものであるのかは蓮太郎達にはよくわからない。
「どれくらいの運動性能だったのかな?」
「運動って言うか、歩くので精一杯だったそうだ」
 お前みたいに激しい運動は無理だったようだな、と蓮太郎。
「歩くって――それじゃ何も出来ないじゃない」
「家事だけなら結構いけるもんなんだよ」
 だからこそ、ここまで人の生活に浸透できたのだと蓮太郎は説明する。
「そうなのかしら……?」
 首を傾げるナナに対し、蓮太郎は大きくため息を付き――そこで何かに思い当たったらしく、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、
「折角だから、良いことを教えてやろうか」
「なに?」
 屈託無く訊くナナに、蓮太郎はにやりと笑って、
「この子の方が、お前より――単価が高い」
「嘘っ!?」
 案の定、ナナは思い切り驚いた。
 今の時代、普及機がおおよそ70~80万、中級機が100~150万、高級機がおおよそ200~300万円程である。
 そしてナナは高級機の一番上、所謂フラッグシップモデルである。お値段は、上限いっぱいの300万を僅かに越えていたのだが――、
「当時は軽く500万越えていたらしいからなぁ……上手くすりゃお前ふたり分いけたんじゃないか?」
「ぶ、物価の差が――」
「当時と今じゃそれほど違いはないぞ?」
 いつの時代の話をしているんだ、と蓮太郎。
「うぐ……なんか悔しいかも。私がもっと高級機だったら――」
「コストダウンの成果を喜べよな……」
 女性型ロボットの総称となった普及機の傑作『アリス』は、それまでにない性能の高さと価格の安さにより、それまで高嶺の花であったものを一般生活へ浸透させたのである。
 それは、ちょっとしたエポックメイキングであったのだ。
「でもやっぱり、悔しいものは悔しいのっ」
 軽く地団太を踏んで、ナナはそんなことを言う。
「んなこと言ったってお前、価格に負けたって騒ぐ量販店の社長じゃないんだからさ……」
 いつもより子供っぽい彼女に、蓮太郎がそう溜息をついたときである。
「おや――?」
 聞き慣れぬ声がして、蓮太郎とナナの視線が音源に向いた。
 特にナナは足を肩幅に揃え直し、声の主の正対している。いつでも、応戦が出来る準備に入ったのだ。
 そんなふたりの前に進み出た――いや、『電人宮』に参拝しにきた――声の主は、髭を蓄えた老紳士であった。
 大分老齢であるようだったが、背筋も伸びているし、足腰が弱った様子もない。長く伸びた髪は大昔の預言者のようであったが、その髪にはしっかりと櫛が通っていた。
「……っ」
 ナナは依然警戒心を解いていない。
 そんなナナを見て、老紳士はぽつりと、
「ほぅ、最新型ですかな」
「そうよ、珍しいでしょ?」
 途端に、ナナが相好を崩す。
「こらこら……」
 ひとり呆れる連太郎であった。
「すいません、こいつ自慢するの大好きでして」
「いやいやお構いなく。見たところフラッグシップのようですしな。彼女らは自らの機能を説明する傾向にありますから、当然といえば当然でしょう」
 もちろん矯正することは可能である。が、蓮太郎はそれを放っておいた。
 そう言う意味では、彼も同罪である。
「ボルテックス社ですな?」
「……詳しいですね」
 僅かに口元を引き締めて、蓮太郎がそう言う。
 なるほど、ナナほど快活に動けるアリスはまだ少ない。そこから最新機種であることはある程度アリス達を見ていればわかることである。
 だが、製造会社がわかるほどというのは、かなり詳しいか、或いはアリスのオーナーでないと区別が付かないはずであった。
「性格が少しエキセントリックですからな。これは大人しい子の多い麻生インターナショナル製ではありますまい。オービタル社のように事務的でもありませんしな」
「その通りです」
 アリスのオーナーだな。と、蓮太郎は断定する。他社のアリスとの比較が、アリスのオーナーとなる第一歩だからだ。
 最先端の技術を惜しみなく投入し、高機能で快活なボルテックス、
 全体的に性能が抑え目ながら低価格であり、お淑やかな麻生インターナショナル、
 そして企業用としてはほぼ一択と言われる、堅実な造りと性格のオービタル、
 アリスのオーナーになろうと望む者は、まずこの三社から自分にあったアリスの傾向を選ぶのである。
「お若いのに最新の――フラッグシップですか。研究員の方ですかな?」
「いえ、俺は只の大学生ですよ」
「ほぅ……」
 老紳士の目が静かに細まった。それを蓮太郎は胸中で警戒したが、老紳士はそれよりも早く、
「お嬢さん、先ほど御自分を披露したように、この方を紹介されるとどうなりますかな?」
 途端、ナナの表情が明るく輝き、
「レンタローはすごいのよ、なんたって天空にある大学の授業が受けられる位なんだから。それに士道の免許もあるのよ?」
「こらこらこらこら……」
 慌ててナナの口を塞ごうとする蓮太郎であるが、ナナは素早く――それこそ常人では捉えきれない早さで――数歩離れる。
「なんと! 若いのに御立派であらせられる」
「いやいやいやいや……」
 士道とは、この時代における護身術のひとつである。柔道や剣道、合気道を統合した武術といえばわかりやすいであろうか。
 蓮太郎達の時代では大分市民権を得ていて、オリンピックの正式種目に入るか入らないかといったところにまで来ていたのであった。
「天空の大学というのは、サテライトのことですな。国外の授業を受けておられる大学生が極少数おられると聞いてはおりましたが」
「たまたまですよ。たまたま……」
「そんなことないのに」
 レンタローは謙遜しすぎよ、とナナがぼやく。
「あのなお前、なんでもかんでも見せびらかすもんじゃないだろ?」
「いいじゃない。誇れるものは誇るべきよ」
 ナナは譲らない。
「ははは……お嬢さんの言う通りですな」
 楽しそうに笑う老紳士。だが先程のやり取りを見る限り、若い頃はそれなりにやんちゃな性格であったのだろうと、蓮太郎は思う。
「微笑ましいですな。久々に、そのようなやりとりを見ることが出来ました」
 自らの髭を撫でながら、老紳士はそう言う。
「は、はぁ……」
「私の娘も、そうでありました」
「――娘さん、ですか」
「ええ……」
 御神体を見つめる老紳士。
 彼には、娘に見えていたのだろう。
「思えば、随分と無理をさせたのかもしれませんな。当時は」
 歴史に登場した当時の女性型ロボット――まだ、アリスと呼ばれる前の時代である――には、様々な制約があった。
 その中のひとつが、耐久年数の短さである。
 おおよそ十年、一番長く持った例が十五年であった。
 現在のようにボディやソフトウェアにある程度の互換性があった訳ではないので、アップデートや交換では対応できなかったのである。
 従って、耐用年数切れによる稼働停止は、そのままアリスとそのオーナーとの別離であったのだ。
「随分と色々な話をしたものです。それほど、長い間ではありませんでしたが……それでも未だに思い出しきれぬほどに」
「もしかして、此処の御神体って――」
 ナナが、今になって思い当たったかのようにそう呟く。
「ええ、私の娘ですな。綺麗なものでしょう? 時折、顔を見たくなるのでこうして逢いに来ておるのです」
 何処か寂しげな表情で、老紳士はそう答えた。
「若いおふたりに言うことではないかもしれませんがな、今という時間を大事にして下さい。過去を懐かしむのではなく、未来を憂うのではなく、今現在を。老婆心ながら申し上げますが、それは貴重なことですからな。それでは、私はこれにて――」
 そう言って、老紳士は電人宮を去っていった。長い階段を、危なげもなく下っていく。
 蓮太郎もナナも、しばらくは動けなかった。
「……ねぇ、レンタロー」
「ん?」
「私が動かなくなったら、同じようにしてくれる?」
 静かにナナはそう続ける。視線の先は、御神体――静かに眠り続ける、古い古いアリス――の方を向いて、離さない。
「レンタローは、こうやって奉って……お参りに来てくれる?」
「あのな。寿命は多分俺の方が先だし、お前ならアップデートすればいくらでも――」
「真面目な話。どう?」
 静かに蓮太郎に歩み寄り、触れるか触れないかの距離まで近づいて、ナナは真顔でそう訊いてくる。
「そうだなぁ……」
 考え込む蓮太郎。だがそれは対して長くもなく、
「……うん、そうだな」
 ナナの頭を撫でて、言う。
「な、なによいきなり」
 驚くナナに対し、蓮太郎は頭を撫で続けながら、
「俺にとっては、そうやって反抗してくれないと面白くないかもな。だから……一分一秒でも、俺の側に居てくれれば、それでいい」
 ぴくりと、ナナの身体が震えた。蓮太郎はそれを意図的に無視し、ナナの頭を撫で続ける。
「……うん。わかった」
 連太郎の肩に頭を預けるナナ。
 そんなナナの肩を、蓮太郎が抱く。
 そのまま寄り添うふたりの頭上を、陽光が優しく降り注ぎ、初夏の風が蓮太郎の黒髪を、ナナの銀髪を梳って行った。
 それは、暑くもなく寒くもないふたりを見守るような優しい風であった。




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