アッチェレランド・ファイアーフライ
〇、宙舞う嗄れ葉の言葉
『わたし、こんなふうに空を飛んでたんだ。
ホタルみたいに。
《ここにわたしはいるよ》って、
精一杯、あらん限りに、心を輝かせて』
一、木漏れ日の唄
夏休みも八月に入り、文化祭まで日があまりない、そんなある日だった。文化祭くらいしか輝く場のない我が部の為、二人だけの写真部は部長及び副部長で題材探しに奔走していた。
「何がいいかなぁ、夏っぽいのがいいかなぁ」
「いや、文化祭って初秋だと思うんだけど……」
俺はそう下からの声に苦笑いしながら、中庭から校舎を見上げた。築五十年以上の古びた校舎。崩れかけた漆喰の補修も黄ばみ、中庭の壁は哀愁が滲み出している。校庭は片田舎の高校だけにクソ広く、植木だけが豪勢。そんな学校に、俺たちは居る。
「展示に合わせたら、初秋のものなんて撮れないよ。どうせならさ、夏の思い出~ってものを展示しようよ!」
と、さっきから俺の胸にも届かない女の子が、俺の周りをくるくる回って張り切っている。今なんて全身を縦横に伸ばしきって、大声で俺に喋りかけている。いくら倍ほどの身長差があるといっても、声が遠く届かない訳じゃあるまいし。
そんな彼女の名前は、天宮このは。写真部の部長さんだ。今年でお互い二年生になったから、もう一年半弱の付き合いになる。
「夏の思い出、か。夏が終わらないうちにそんな話をするのもあれだけど、確かに何か残しておきたいな」
「そうそう。もう来年はこんなことしてられないしね。わたしたちの見れる夏の回数は決まってるんだから、何かしら残しておかないと!」
はは、と俺はその言葉に曖昧に笑い、いきなり彼女に向けてシャッターを切った。このはは一瞬きょとんとし、それからその矮躯を懸命に縦に伸ばし「こらー! フィルム無駄にしないでよ!」と怒鳴った。俺は風景より人物の方が取りたいんだけど、許可が必要だから顧問から止められているんだよねぇ。
「いいじゃんか、堅いこと言うなって」
「もうー、しっかりしてよね」
「分かってるって」
しかし、《見れる夏の回数は決まってる》、か。
正直、ピンと来なかった。なんとなく回数券を連想したが、その回数券は縦に七十枚以上連なってるんだろう。使用済みの半券一枚一枚に振り返る為の布石を置いておくというのも、俺には多すぎる気がした。
「ねぇ、みっちゃん聞いてるの?」
思考の中でボーっとしていたところ、このはの声で我に返る。
「ああ、全く聞いてなかった。わりぃわりぃ」
「もー、だからね、蝉とか撮るにしても、やっぱり神社の方にも行った方がいいと思うんだ。こことは種類が違うのもいるしね。だから、もう校内は一通り回ったし、神社の方へ行こうよ」
「そうだな、そうするか」
二つ返事に同意すると、俺は大きく伸びをした。
神社は、学校からも見える山の麓にある。
山といっても低く、こんもり盛り上がった森といった感じだ。それでも学校からは見えるので、大体の方向はわかる。その上この辺りは格子路状になっているので、適当に曲がっていけばたどり着ける、のだが。
普段あまり行かない場所に迷いまくってやっとのことで到着した頃には、陽は既に落ちかけていた。それでも陽射しは容赦なく、全く元気に陰りの見えないこのはを尻目に俺は燃えつきかけていた。猫背に口を半開きにした俺を見かねて、このはが、
「しょうがないなぁ、そこの売店でちょっと休もうか」
「おっしゃぁッ!」
通常の三倍の速度で日影に滑り込む俺。
「――めっちゃくちゃ元気じゃない」
「あれは省エネモードだ」
俺はどっかと休憩所のベンチに腰掛け、背もたれに両腕をかけ足を組み、その冷涼な空気を独占せんとくつろぎモードに入る。
「何言ってるんだか。それより、学校で何枚ぐらい撮った?」
「十何枚。このはは?」
「五枚くらい。んー、もうちょっと撮りたいな」
カメラを触りながら、このはは言う。俺は眼を閉じて、顎を上げて息を吸い込む。草いきれ土いきれ、咽るように濃い匂いだった。
かなかなかなかな。
日暮が同情を請うかのように噎び泣く。なんだかやけに声がでかい。
境内はよく手入れされていて、参道には葉っぱ一枚落ちていない。見上げれば、空はたくさんの桧や楠の葉に覆われていて、さながら天井のようだった。その天井の切れ間からは黄土のような陽が洩れて、木陰に穴を開けていた。そしてその穴は、風に震える。
ふと何か食べたいと思い、俺は立ち上がって休憩所の横の売店へ入った。流石に御神籤や御守りの類は社務所の方のようだが、色々なものが売られている。ていうか神社前でアイス売っていいんだろうか。そんなことを考えながら、さっぱりした口調のおばちゃんからアイスを二本買った。戻ってみると、このははカメラを手にベンチの隣の楠を眺めていた。
「ん? なんかいたか?」
「ほら」
と、このはは小さなもみじ手で樹の上方を指差す。そこには、今はもう泣き止んでいたが、蝉が一匹止まっていた。
「あ、もしかしてこいつ日暮か? さっきやたら大きな声で鳴いてるなって思ったら……」
「ちょっと待っててね、撮るから」
俺はベンチに座ってアイスの袋を開け、このはがシャッターを切るのを見ていた。二枚写真に収めると、このはは日暮に眼をやりながら俺の横に座った。俺は待ち構えてたように「ほれ」とアイスを渡してやる。
「わ、アイスだー!」
「俺の奢りだ、とっとけ」
「んー、それじゃありがたくー。さんくー!」
飛び跳ねるように喜んで、このはは大事そうにアイスを舐め出した。足をぷらぷらさせ、本当に嬉しそうにアイスを食べている。俺はアイスをかじりながら、その仕草を眺めていた。
――やっぱり小さすぎる、よなぁ。
このはの制服は確か、サイズはSSだったはず。まあ、身長が百三十ないんだから仕方ないよな。髪は肩までの綺麗な黒髪で、雨に濡れたように湿った光を含んでいる。その小さな手には、カメラは不釣合いに大きい。手足も華奢を通り越してほんとうに細いし、……胸もほぼない。夢がないな。こんなのを連れ歩いてるから、ロリコンなんて言われるんだ。俺はもっと夢がある方がいい。まな板は勘弁して欲しい。
思えば、初めて会った時もびっくりしたな。
ルポライターとかジャーナリストになりたくて、高校に入ったら写真部に入ろうと思ってた。しかし世の中はうまくいかないもので。入学後意気揚々と写真部を尋ねると、まさかの休部。仕方ない、休部なら休部で、俺が部長になって部員を集めるまでだ! そう開き直って顧問の先生に鍵を借り、二年間物置だった写真部室を訪れると、そこには先客がいた。小学生みたいなミニサイズの女の子。その子は俺に気付くと、「君、写真部?」と訊ねてきた。
今から俺が部長だ!
今から?
今まで休部だったんだってさ。
なんだ、それじゃ君も一年生?
そうだけど、え、君、小学生じゃないの?
何言ってるんだよ! ちゃんと制服着てるでしょ!
ははは。冗談だって、そんな怒るなよ。
怒るよー、ちょっとは気にしてるんだからー。
悪い悪い。それで、写真、撮りたいの?
うん、そだよー。部員、いきなり二人だね。
それじゃ俺が部長な。
えー、何でだよー!
なんだよ、鍵だって俺が取ってきたんだぞ。
もー、君は少しでも写真を撮ったことあるの?
あ……ないです。
え……?
え……って、お前もないのかよ!
だって、君、写真撮ってそうだったから。
手が出なかったんだよ、中学ん時は。
なんだー、部長やってもらおうかなって思ってたのに。それじゃあ私が部長するよ。君副部長ね。
なんだよ、それじゃどっちがやっても同じじゃんか。
同じだったら、私がするよ。
なんで!?
だって君、サボりそうじゃん。
――ごもっとも。
あはは、ちょっとは反論しようよー。
実際そうなんだから仕方ない。
ははは、面白いね、君。
お前も、口が減らないな。
うるさいなー。あ、私、天宮このは、っていうんだ。
ん、そっか。俺は三刀屋進吾。
みとや?
三つの刀の屋台。
ふぅん、聞いたことないね。みっちゃんでいい?
なんでみっちゃんなんだよ。
みとやだから。
……そのあだ名は生まれて初めてだなぁ。
そう?
おう。それじゃ、よろしくな、このは。
よろしくね、みっちゃん。
「さぁて、そろそろ行こっか。みっちゃん?」
今のこのはが、俺を見ていた。急に現実に引き戻され、俺は夢現に答えた。
「ああ、そうだな。あれ、お前……」
「うん? どしたの?」
俺がこのはの食べ終わったアイスの棒を指差すと、それに促されてこのはもアイスの棒を見る。けれどこのはは首を傾げ、なんでもないじゃん、とアイスの棒をひっくり返す。
「――うそ!? 当たりだー!!」
「よかったじゃないか。俺、生まれて初めて見た」
ぐぐぐ、と身体を折り曲げ、やったー! と一度に身体を伸ばし喜びを爆発させるこのは。六十円のアイスでこの喜びようである。見ているこっちが幸せになる。これだからロリコンと言われようが、このはの友達は辞められそうにない。
「この棒は大事にとっとくよ! みっちゃん!」
「やるけど、とっといたら意味なくねぇか?」
「記念だよー、大事な記念! えへへ、いいじゃん!」
「……ま、いいか。それじゃ、神社の中をうろつきますか」
普通、神社の中は撮影禁止なので、見つからないように森の参道を俺たちは回りだした。
その日、いくらか写真は取れたが、違う場所でもっと取るためと写真の選定の為に、明日も集まることにした。
home next