「あぁ、どうやら私は死ぬ時が来たようだよ親友よ。妻よ、私と過ごした日々は楽しかったかい?娘よ、君は私の宝物だよ。」
最後の言葉を聞くために、病室は静まり返っています。
「私は君たちと暮らせて幸せだったよ。病弱だった私を大切にしてくれてありがとう。君達と出会えて私は変われた…」
ベッドに横たわった彼には、焦点を合わせる力もありません。それでも彼は、自分の大切な人たちを見つめます。
「今、私の前にお迎えが見えるよ。でも、私は今とても落ち着いている…」
生気の失われていく彼を、男と家族は息を呑んで見守ります。
「最期が孤独でないことが、こんなにも嬉しいなんて…あぁ、そうか、私の世界は愛で溢れていたんだな………」
突然、彼の口から言葉が途切れました。弾かれたように皆が声をあげます。
「おまえ!」「あなた!」「パパ!」。悲痛な叫びを受けて、彼は何とか意識を保ちます。
「愛っていうものは………」
そして、彼の口は最後まで言葉を紡ぐ前に、閉じられてしまいました。―――
『愛をさがした男の話』
男には気の優しい心配性の母と、十代中頃の妹がいました。妹とは少し歳が離れています。男の家族は、ごく平凡な生活を送っていました。ですがここ最近、親友の死を迎えてからというもの、男はどこか上の空でした。家族はそれが心配でした。
彼の葬式が行われてから一週間が経ちました。その間、ずっと男は彼の最後の言葉を考えていました。
「彼が最後に言おうとしていた言葉は何だったんだ?人生の最後に言い残すほどの愛とは何なんだ?」
恋愛ごとについて分からない男には、親友の言葉は謎を深めるばかりでした。
次の日の朝、男は思い立ったように家族に告げました。
「僕は旅に出ようと思う。愛をさがす旅だ。」
男の家族は唖然としたまま、返す言葉がわからないでいました。少しの間が空いた後、男の母が口を開きます。
「何を言ってるんだいお前。そんな見えないものさがしても見つかりっこないよ。やめときな。」
妹も母に続きます。
「大体探してどうするのよ。それに、あなたには愛とかいう言葉を使って欲しくないわ。」
家族の皆は男が旅に出ることに反対です。でも、男も一度決めたら引き下がれません。
「私は親友の言葉を確かめたいんだ。」
「………」、「………」。母も妹も、これを言われると反対できません。男は支度が整えば、翌朝にも家を出ることにしました。
妹は、「どうせ何も見つけられずに帰ってくるでしょうよ」と思っていましたが、少し体の弱い兄のことが心配でした。母も、男の体のことは心配になりましたが、旅に出ることを心の中では許していました。
翌朝になり、旅の支度を終えた男は言いました。
「僕は、きっと愛を見つけてきて見せるよ」
そう言い残して、男は旅立っていきました。男は一度も振り返らずに行ってしまいましたが、妹は男の影が見えなくなるまで見送りました。
男は離れた町に行くことにしました。自分の町ではもう十分に過ごしてきたけれど分からなかったのだから、もしかしたら違う町なら何か発見があるかも知れないと思ったからです。
数日歩いて、男は町にたどり着きました。離れの町といっても、男の住んでいた町とは大して変わりはありません。取り立ててみるものの無い町をさまよっていると、噴水のある公園に一組の男女が立っていました。
「あなた達にとって愛とは何ですか?」
男はその男女に話しかけました。特に誰ということもなく話しかけたつもりでしたが、その男女は付き合っていましたので、自分達を祝福してくれているものだと勘違いして満足げに答えました。
「もちろんそれはお互いに愛し合うことだよ!なぁお前!」
「その通りね。私達ほど愛し合っている人なんていないわよね、あなた。」
二人はすっかり盛り上がってしまいました。しかし、男が聞きたいのは「愛とは何か」なので、いまいち要領を得ません。
「愛し合うのが愛なのですか?私にはとてもそれが本当の愛とは思えませんがね。」
男は素直に思ったことを言いましたが、
「何だって!?私達の愛が本当の愛じゃないだって!?」
と、女といる男は納得できないという風で言いました。
「君はどうしてそう思うのだね?」
怒り気味に聞いてきた男に男は答えます。
「君からは私の思う愛が感じられない。」
これを聞いた男は激怒して、何か分けのわからないことを口にしながら女と共に公園から去っていきました。
男は歩き疲れていたので、町にある宿に泊まることにしました。自分の部屋に入って男が寝ようとすると、隣の部屋が騒がしいことに気づきました。ですが、男はとても疲れていたので、気にすることなく眠りにつきました。
朝になりました。寝なれないところで寝たせいか、男は疲れが取れませんでした。男は宿を出ましたが、行くところを決めていませんでしたので、昨日の噴水のある公園にまた行くことにしました。
男が公園に着くと、噴水の近くにあるベンチに昨日の男がいました。昨日の男は今日は一人でした。顔を伏せて、手は両手を組んで額に当てていました。男は不思議に思って、昨日の男に声をかけました。
「今日はお一人なんですか?」
昨日の男は顔を上げましたが、その顔には昨日のような輝きはありませんでした。
「あぁ、私は気づくべきではなかった…」
深刻な顔をして男は顔を伏せ、一人で話し始めました。
「私は世界で一番彼女を愛していたつもりだった。しかし、私は世界で一番彼女から愛されていたと思っていただけにすぎなかったのだ。つまり、彼女を世界で一番愛しているのは私ではないかもしれないし、私を世界で一番愛しているのは彼女ではないかもしれないということだ。きっと世界には、もっと私を愛してくれる人がいるに違いないし、私が本当に愛せる人がいるに違いない。」
ここまで言って、昨日の男は一息つきました。
「あぁ、こうしていられない。私は旅に出なければならない。私の愛を求めるために。」
そして、昨日の男は公園から去っていきました。
しばらくすると、今度は昨日の男の隣にいた女が公園に来ました。女は困ったような顔をしていて、昨日の男が座っていたベンチの同じところに座りました。
「今日はお一人なんですか?」
昨日の男に聞いたように、男は昨日の女にも同じことを聞きました。
「彼は世界で一番わたしを愛していると言ってくれたわ。でも、私を愛してくれる人は他にもいるし、その中で必ず彼が一番だとは思わなかったの。だからわたしは言ったわ。愛に一番なんて無いと。」
男は、女の言っていることに自分の想像している愛に近いものを感じたので、真剣に話を聞いていました。
「そう言うと彼は怒り出して、『私は君を世界で一番愛している。君も私を世界で一番愛してるんだろう?』って言ってきたから、大切な人は一人ではないものよって言ったら喧嘩になってしまったわ…昨日泊まった宿には迷惑をかけてしまったようね。」
女はここまで言うとため息を吐きました。
「あなたはどうして彼と一緒だったのですか?」
男は聞きました。
「それは、わたしが彼に恋してしまったからよ。」
女は昔のことを思い出しているようでした。ですが、恋というものを知らない男は言いました。
「私には理解しかねますね。愛かと思えば今度は恋。私のさがす愛はどこにあるのか…」
女はベンチから腰を上げました。
「あなたもいずれ恋をするでしょう。その時にじっくりと考えてみればいいんですよ。」
そう言うと、女は公園を去っていきました。
男も公園を出ようとしましたが、気分が悪くなって動けなくなってしまいました。男がベンチでうずくまっていると、近くに人の気配がしました。
「どうなされたんですか?大丈夫ですか?」
男が顔を上げると、そこには美しい女性が立っていました。
「気分が優れないようですね。よろしかったら私の家で休みますか?」
男は一瞬悩みましたが、今の自分の体調を考えてこの女の家に行くことにしました。
男は、相手側から家に来るように声をかけてきたので、この女は宿か何か休憩できる施設を生業にしているのかと思っていました。しかし、男の予想とは違って、この女の家は少し裕福そうな普通の家でした。男が見た限りでは、この家には女一人しか住んでいないように見えました。
「気分は落ち着きましたか?」
女はカップにコーヒーを入れて持ってきました。男はカップに口をつけながら答えます。
「ありがとう。私は昔から体が弱くてね。助かったよ。」
と男が言うと、少し間を置いて女が言いました。
「今日は泊まっていくといいわ。」
男は宿を取りに戻るのも面倒だったので、言葉に甘えることにしました。
男はふと、「この女はとても優しい。どうして私にこんなにしてくれるんだろう。」と、無償で自分に良くしてくれるこの女のことが気になりました。大きなベッドの中で考えていると、男はすぐに眠たくなって寝てしまいました。女は同じベッドで寝ようとしていましたが、あっという間に男は寝てしまったので、しぶしぶ別のベッドで寝ることにしました。
朝になりました。男が起きると、女は朝食を用意していました。男は朝食を食べながら、「もう少しこの女と過ごせないだろうか?」と考えていました。
朝食を食べ終わってから、男が女に言いました。
「私は離れた町からこの町に来たんだ。だからこの町のことは良くわからない。君がよければ町を案内してくれないか。」
男の誘いに、女は笑顔で答えました。
「ええ、よろこんで。」
町中を女と並んで歩いていると、男は自分の心臓がうるさいのに気がつきました。慣れない感覚に男は疑問を持ちました。しばらく考えていると、昨日公園で話した女が去り際に言った言葉を思い出しました。
「もしかして、これが恋なのか。」
男は考えていたことを、いつの間にか口に出していました。男がそれに気づかないでいると、女が手を握ってきました。男は驚きましたが、そのままにしておきました。
しばらく歩いていると、男は周りから視線を感じました。それは一つや二つではなく、もっと多いように思いました。
男は、「こんなに美しい女を連れている私を羨んでいるんだろう。」と思いました。
男と女はだいぶ町を歩いたので、ほとんど見るものがなくなってきました。静かな通りを歩いていると、女は真剣な顔をして男に話しかけました。
「最後に案内したいところがあるわ。」
女と共に長い並木道を歩いていくと、行き着いたところは教会でした。
「わたし、あなたに一目惚れしたの。付き合ってくれないかしら。」
突然の告白に男は驚きましたが、男はしっかりと答えました。
「もちろんだ。私も君と一緒にいたいと思っていたんだ。」
こうして男は女と付き合うことにしました。そして、明日の昼に一緒に公園に行くことにしました。
翌日になり、男と女は家を出て公園に着きました。広場で甘いものを売る屋台がでていたので、
「わたしが買ってくるから、あなたはベンチで休んでいて。」
と言って、女は甘いものを買いに行きました。男がベンチに行ってみると、そこには先客がいました。それは、この前の男でした。彼は今日も一人でしたが、今日は機嫌がよさそうでした。男を見て取ると話しかけてきました。
「私は答えの出ないものにこだわり過ぎていた。結局この町を出ても何も変わらなかった。一人でいるのは寂しいものだ。君は私に彼女の大切さを気づかせてくれた。今となっては感謝しているよ。」
と言いました。
この前の男と話している間に、女は甘いものを買い終わったらしく、男のほうに手を振っていました。
「あの女の人は君の知り合いなのかい?」
と、この前の男は焦ったように男に聞きました。
「彼女は私と付き合っているのさ。」
と言うと、この前の男は言います。
「すぐに別れた方がいい。」
あまりに即答だったので男は面食らいましたが、自分には不釣合いだと馬鹿にされたと思って、「何だって!」と言葉を荒らげました。
そこに心配そうな顔をして女が戻ってきました。女は、この前の男を見ました。すると、目が合った男は化け物でも見たように竦みあがりましたが、間髪を容れずに逃げ去ってしまいました。
「すまない。あの男が失礼なことを言ってきたからつい興奮してしまった。」
男は女に謝りました。
「そんなことはいいのよ。それより大事な話があるの。」
真剣な顔をして女が言ってきたので、男は「なんだろう」と思いましたが、黙って次の言葉を待ちました。
女は言いました。
「結婚しましょう。あなた。」
男は一瞬、女が言ったことの意味が分かりませんでしたが、時間が経つにつれて男は女の言葉の意味を理解してきました。
「いくらなんでも早すぎはしないか?私達が付き合いだしたのはつい先日じゃないか。」
男は急なことだったので反対しましたが、
「そんなことは、わたしたちの愛の前では関係ないわ。」
と、女は言いました。しかし男は、旅に出た身で家族にも話ができないので、考えさせてもらえるように女に頼みました。女の家に戻ってからも、女は返事を催促しましたので、男は一人で考えるために出ていきました。
男は公園に着きました。ベンチに腰かけて考えていると、この前の男が男のほうに近づいてきて言いました。
「さっきは怒らせてしまって悪かった。でも、どうしても君に伝えておきたいことがあってね。」
不満げな顔をしている男に、この前の男は続けて言います。
「あの女は、この町では有名な詐欺師だよ。裁判にかけられてはいないが、あの女のせいで被害を被っている男は多い。」
「まさか!?彼女はそんなことはしない!」
男が女と付き合ったのは最近だったとはいえ、彼女を詐欺師と言ったこの男にとても腹を立てました。
男をなだめるようにして、この前の男は言います。
「あの女は急に君に優しくしなかったかい?あんな器量好しが一人でいるのは君もおかしいと思うだろう?彼女の家を見たかい?」
男はここまで言われて、今までのことを振り返りました。そして、おかしい点が幾つもあることに気が付きました。
「あの女とは、まだ何もしてないんだろう?そうなら早く逃げたほうがいい。」
男は恐怖を顔にだして呟きました。
「私は取り返しのつかない過ちを犯すところだった。」
と言うと、男はすぐに公園を出て逃げようとしましたが、荷物は女の家にあったので、女の家に戻ることにしました。
家に戻ると女が待ち受けていましたが、男は女の話を適当に流しながら、そそくさと荷物の準備をしました。男の様子を見て、男が家を出て行くことを察した女は言いました。
「そんなに慌てて何かあったの?答えは決めてくれたのかしら?」
その質問に、男は怒ったように答えます。
「答えも何もないよ!君は僕を騙してたんだ!そんな人とは付き合っていられないよ!」
女が言い返します。
「誰に何を言われたか知らないけど、そんなものは嫉妬よ。わたしたちが羨ましいだけよ。」
男は落ち着いた口調になって言います。
「気づいたんだ。私は恋なんていう一時的な感情に流されていたんだよ。君といると、おかしなことが山ほどあった。」
男は立て続けに言います。
「女一人なのに裕福そうな家に住んでいて、働いている様子は無い。見ず知らずの男を家に泊める。付き合ってすぐに結婚を誘う。そんな女を私は信用することはできない。」
完全な否定を口にされて、女は諦めたように本性を出しました。
「頭の悪そうな人だったから声をかけたのに失敗だったわ!ああ!あんたが初日に一人でさっさと寝てさえいなければ、全て旨くいっていたのに!」
この悪女の行いと言ったら酷いもので、貞操を男に奪われたことにして金を巻き上げたり、結婚してからすぐに離婚して慰謝料を取ったりを繰り返していたのでした。そして、この女は器量好しでしたので、女の言うことを信じる人は多くいました。危ないと思えば、噂を流しては自分を守っていたのでした。
「あなたに興味は無いわ!出て行って!」
女が怒鳴りました。
「言われなくてもそうするとも!」
こうして男は女の手から逃れることができました。
女の家を出た男は行く当てがなくなりました。男は少し考えて、どこに行くべきか決めました。男は、これ以上この町には居たくありませんでしたし、体も心配だったので、自分の家に帰ることにしたのでした。
男は帰路に就き、短かった旅を振り返りました。
「結局のところ、親友の言っていた愛を見つけられなかった。代わりに恋なんていう馬鹿馬鹿しいものは分かった気がするがな。もう私は二度と恋をすることなんて無いだろう。そう言えば、私の家族は心配しているだろうか?しばらく会っていないだけで、家族の顔が見たくなるものなんだな…」
男が帰っている頃、家では妹が落ち着かない様子で部屋を歩き回っていました。
「二、三日で帰ってくると思っていたのに。何かあったのかしら?」
男が家を出てから、十日も経っていました。妹は、予想より帰りの遅い兄のことが心配でした。その様子と言ったら、玄関の前を人が通る度に顔を確認するほどでした。
「帰るときには帰るんだから、そんなに心配することはないよ。」
母は言いましたが、妹は落ち着きません。そうこうしていると、玄関の方に人の気配がありました。妹が慌てて玄関を開けます。すると、そこには男が立っていました。妹は、男の姿を確認すると、男が何か言うより先に首にかじりついて言いました。
「おかえりなさい。」
―――町にある病院に、一つの家族と一人の男がいました。男の友人は今にも死にそうでした。
「あぁ、どうやら私は死ぬ時が来たようだよ親友よ。妻よ、私と過ごした日々は楽しかったかい?娘よ、君は私の宝物だよ。」
最後の言葉を聞くために、病室は静まり返っています。
「私は君たちと暮らせて幸せだったよ。病弱だった私を大切にしてくれてありがとう。君達と出会えて私は変われた…」
ベッドに横たわった彼には、焦点を合わせる力もありません。それでも彼は、自分の大切な人たちを見つめます。
「今、私の前にお迎えが見えるよ。でも、私は今とても落ち着いている…」
生気の失われていく彼を、男と家族は息を呑んで見守ります。
「最期が孤独でないことが、こんなにも嬉しいなんて…あぁ、そうか、私の世界は愛で溢れていたんだな………」
突然、彼の口から言葉が途切れました。弾かれたように皆が声をあげます。
「おまえ!」「あなた!」「パパ!」。悲痛な叫びを受けて、彼は何とか意識を保ちます。
「愛っていうものは………」
そして、彼の口は最後まで言葉を紡ぐ前に、閉じられてしまいました。―――
男は首にかじりついている妹を見て、心の底から優しさが満ちてくるのを感じました。そして、あの時の親友の言葉が分かった気がしました。
男は、妹の頭を撫でながら呟きます。
―――「愛って言うものは、言葉にしないものなんだな。」―――
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