AI ―アイ―
「7時30分になりました。起床の時間です」
「……おはよう」
「おはようございます」
いまだに眠い目をこすりながら、体を起こして窓の外を眺める。
そこには冬の寒空が広がっていたが、強い日の光が差し込んでいて実にすがすがしい朝だった。
「今日はいい天気そうだね」
「今日の降水確率は午前中、午後からともに0パーセントです」
「ありがとう」
そして、いつもと同じ言葉を口に出す。
僕の気持ちを伝えるために。
「好きだよ、アイ」
「ありがとうございます」
そんないつも通りの会話を交わして、アイは部屋を出ていく。
まだきちんと覚醒してなかった僕は、ぼけーっとアイが出て行った扉を見ていた。二度寝したい誘惑にかられながらも、頭を振って眠気を飛ばす。
季節は冬、12月。いつも通りの日常が始まる。
リビングに行くと、すでにきちんとした朝食が並んでいた。そのまったく代わり映えしない光景に、落ち着きを感じる。
僕は席に着き、いただきますと手を合わせ、湯気が立っているみそ汁から口に含む。
「うん、今日もおいしいよ」
「ありがとうございます。朝食は和食で良かったですか?」
「やっぱり、朝は和食がいいな。なんだか落ち着くしね」
そんな会話をしつつ、ついているテレビのニュースを見る。
最近、東北の方で大きな地震があったのでそのニュースの報道ばかりされている。ここでは、そんな被害もまるっきり画面の中の世界の話で全く現実味がないのだけれど。
それでも、原子力発電所の放射能漏れの話題とかいろいろ気になるところではある。
そうしているうちに、僕は朝食を食べ終わり、キッチンに食器を並べる。軽く食器類を洗おうとしたら、くいっと服を引っ張られた。
「家事は私がやります。今日は学校がある日だと記録されていますが、イオリ、準備はできていますか?」
「そうだね、準備してくるよ。ここはお願いしようかな」
「承りました」
その場はアイに任せて、学校の準備をすることにしよう。アイは自分の仕事に誇りを持っているようだし。
アイは我が藤崎家のメイドロボットだ。メイドロボットとはいってもただ家事を任せている家庭用ロボットというだけなのだけど。
親は研究で忙しく、家に戻ってくることが全くと言っていいほどない。そんな親も僕一人で生活させることを少しは良くないと思っていたのか、いろいろ頑張って作ってくれたのだという。その頃はまだロボットがあまり一般化されてなかったし、いろいろな反対運動があったりもしたから、公にしてはいなかったけど、ずっとアイには世話をしてもらっている。
現代のロボット技術は日々進歩していて、今のロボットAIは人間と変わらないほどの思考能力を持つようになったと言われている。
その分、ロボットの存在を危険視する意見が大きくなったり、買ったロボットをゴミ捨て場などに勝手に放棄するといった悪質な事件も起きたりしている。便利になる裏ではそういった、後ろめたいことも起きたりしているそうだ。
それでもその便利さから昔よりは反対意見も少なくなってきて、購入する家庭も増えてきていた。どういった用途で利用するのかはそれぞれらしいけど……
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
アイにそう挨拶してから僕は家を出た。仰々しくし過ぎないようにといつも言ってはいるのだけど、これは直らないようだ。ロボットの仕様上、仕方ないことなのかもしれない。
特別変わったこともなく僕が通う学校に到着する。近々、学校行事としてクリスマスパーティが開かれるので、少し生徒たちの表情が明るい気がする。
このクリスマスパーティを誰と過ごすかあるいは過ごさないかで、そういうキャラとかランクみたいなものが決定されるらしい。それで、彼氏彼女がいない人たちは今の時期がいい告白のチャンスだと張り切っているのだ。僕にはあまり関係のない話だけど。
教室に入り、そこら辺にいる人に挨拶を済ませて自分の席に座る。僕に特別仲のいい友だちはいない。誰ともそこそこの付き合いをして、どこか人数が足りないのなら数合わせ的なポジションに呼ばれるような人間関係で人に接している。
僕はなかなか人付き合いが苦手だ。他人と話す内容とかをいちいち考えるのが大変だと思っている。けど、悪目立ちして孤立したりすることはないようにと心掛けてはいるのだ。
とりあえず、一時間目の用意をしながらどうやってアイをクリスマスパーティに誘うかを考えよう。とは言っても、あのアイの事だから誘えば普通に来てくれるとは思うけど……
「おっす、おはよう伊織。宿題見せてくれ!」
「おはよう、ヒロ。第一声がそれかい」
「いつものことじゃん。早く見せろよー」
「何やってんのよ、弘! 伊織君も素直に見せない!」
「へえへえ、いっつもうるせえなぁ、日向は。これくらいいいじゃんかよぉ」
「そんなだから毎回赤点すれすれなのよ。ちゃんと自分で勉強することを覚えなさい」
そんな深く関わりのないクラスメイトの中でもよく話しかけてくれるのがこの二人のクラス委員長だ。二人とも人が良く誰からも好かれていて、それに誰にでも気兼ねなく話しかけてくる。一緒のクラスになったばかりの頃は、まだ少しはうざがっていた人もいたけど、もう今ではすっかりこのクラスの中心人物である。
男の方は、保志弘明という。みんなにヒロと呼ばせている性格もあって、誰にでも明るく積極的に接してくる。
そして、過度に接しようとするヒロを止めるストッパー役が、牧野日向というヒロの幼馴染だ。ヒロとヒナタは、小さい頃からずっと同じ学校に通ってきたらしく、だいたい毎日こんなやり取りを繰り返している。クラスのみんなも、もうこんなやり取りも慣れてきて「また夫婦漫才が始まった」だのとぼやいている。
それでも、二人とも付き合ってないと公言しているみたいなので、最近ヒロもヒナタも告白されている姿をよく見る。中には僕に手紙を渡してほしいと頼む人もいるほどだ。そんな告白も全く実っていないらしく、ヒロとヒナタはそれぞれフリーだと言っている。
最近は、毎朝僕に構ってくるのだけど、それは僕の態度がクリスマスパーティが近づいているのに変わらないからだと言われたことがあった。僕は特別意識していなかったわけだけど、他の人はみんな、結構意識しているようだ。
二人ともクラスの人気者なりにいろいろ悩みがあるという当たり前のことに驚いたものだ。二人の事を意識してないと素直に認めた自分も、変わったやつだと言われてしまったけど。
ちなみにその後は、先生が来るまでヒナタがヒロに勉強を教えるといういつものやり取りが行われていた。僕に限らず、この二人もたいして変わってないものだと、ふと思った。
その日の授業もつつがなく終わり放課後。クラブにも属していないのでさっさと帰ろうかと思っていると、ヒナタに呼びかけられる。
「ちょっといいかな?」
「どうしたの? もしかして告白?」
「なっ……えっ……」
「ごめん。冗談だったんだけど」
「え、あ、あぁそうよね。伊織君がそんなこと言うとは思わなかったから」
「ごめん。あまり面白くなかったかな」
「いやいや、そういうことじゃなくて、伊織君って冗談とか言いそうにないなと思って。もしかして私があまり話してないだけかな」
「きっと、ヒロの影響だね」
「あのバカの? もう何を教えてるんだか……」
「で、用っていうのは何かな?」
「あ、そうそう――」
クラス委員としての仕事としてクリスマスパーティの運営委員も兼ねているけど、人手が足りなくて困っている。部活をやってない暇そうな人に手伝ってほしい、と簡単に言えばそんなところだった。
こういう華やかなイベントごとは、裏方の仕事も相当大変なんだろうと他人事に思ってはいたのだけど、まさかそんな仕事が自分に回ってくるとは思っていなかった。何事も経験と言うし、やってみようかな。
「いいよ」
「うん、伊織君もいろいろ忙しいとは思うんだけどね……って、え」
「ヒナタの告白受け取ったよ」
「なっ!」
「ごめん。冗談」
「もう! 明日集まってから予定決めるんだからちゃんと来てよ!」
そう言って怒った様子を見せる彼女は、それでも笑顔で嬉しそうな表情をしていた。
「というわけだから、明日からは帰るのが遅くなるかもしれないから」
「了解しました」
「まぁたいして変わることはないと思うけど、よっぽど遅くなるときは連絡するよ」
「分かりました」
夕食ではそんな確認の会話を交わすだけだった。僕たちは二人とも、自分からしゃべりかけるような性格ではないので、いつもこんな風に静かに過ごすことが多い。
それに、僕にもアイにもこれといった趣味はないので、空いた時間にすることがあまりないのだ。ただ二人でボーっとしていることもあるほどである。
しかし最近では学校で人と話す機会が増えているので、流行りの話題というものをよく聞くようになった。その一つが、最近流行っているテレビドラマの話だ。
「それでも、俺はこいつの事が――」
「何言ってるの! 何で……何でこんなロボットなんかを!」
「私は……」
「ロボットは黙っててよ! 決められた言葉しかしゃべれないくせに!」
「おい、何てことを言うんだ! こいつにだって……ちゃんと感情が……心があるんだ!」
内容を簡単に言ってしまうと、主人公がロボットに恋をするという話だった。
なんというか、主人公の心境を自分に当てはめて見ることができる新鮮な作品という印象を受けた。この作品は、ここ最近の高校生の間で話題なのだとよく話に挙がっていた。
聞いた話では、ロボットがある程度一般化されてから、ロボットを主題に置いた作品が増えてきたそうだ。
このドラマもそのうちの一つで、原作小説はドラマ化が決まる前から結構売れていたらしい。委員長なんかは原作を持っているほどのファンで、話すようになってから毎日のようにこの作品を推してきていたのだ。
アイも僕と一緒になってテレビを眺めている。
アイはこの作品を見て、どんな気持ちを感じているのだろうか。テレビから目を離さないところを見ると、それなりにこの作品を気に入ってきているのだとは思うけど。
「そんなに面白い?」
「はい、興味深いですね」
「へえ、どういうところが?」
「このロボットには感情があるのでしょうか? とても人間っぽいと私は思います」
アイはテレビに映っているロボット役をしている女優を指差しながら、いたって真面目な顔で聞いてくる。原作好きな委員長が認めるだけあって、どの俳優の演技も役にあっていて見ていても違和感がない。
「あはは、このロボットは女優さんが演じてるんだよ。確かに人間っぽいロボットと言われても、納得できるけどね」
「そうなんですか。とても驚きました」
そう言って、うなずきながら視線をまたテレビに戻す。アイもなかなかこのドラマを気に入ってくれているようだ。教えてくれた委員長に感謝しておこう。
でも、アイはこの主人公の事をどう思っているんだろう。
ロボットに恋するこの人間の少年の事を、アイは一体どう感じているのだろうか。
「僕も……」
「はい?」
「僕もアイのことが好きだよ」
「ありがとうございます」
そしてアイは、僕の事を一体どう思っているんだろう。
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