ストーキング・シンキング

ストーキング・シンキング

 僕は今、春休みを迎えていた。大学生のそれはとても長く長く、一人暮らしであまり趣味もない僕にはとても退屈な毎日だった。暇だからぽちとテレビを点けてみても、同じような内容のものしか映っていない。ほとんどがバイトに行って、帰ってきて寝るような生活だ。
 今日もまたそんな日だったのだが、最近僕はちょっとした楽しみを見つけた。アパートの窓からある娘を覗いているのだ。覗いていると言っても、別に変態的な意味ではない。この時期、高校生などはまだ学校がある。だからその登下校を覗いているのだ。
 その中にあの娘が居るのだ。彼女は僕の好みにばっちり当てはまるぐらいの可愛い娘で、見ているだけでもこの退屈な毎日が和らいでいく感覚があった。そんな周りが思うような性的な楽しさではない。これはくだらない女が気持ち悪い声をあげて、腰を振っている映像を見ているようなものではない。
 絵、だった。そう言ってみれば絵画。動く絵画。彼女はその長い黒髪を揺らせて僕のアパートの、僕の部屋の、僕の窓の、僕の目の前を通っていく。ベルトコンベアに乗ってきているわけではない。彼女自身が歩いてきているのだ。どうやらまだここでは友達と会わないらしく、いつも一人だった。きっと家も近くだ。そんな爽やかさを感じることが出来る。
「愛だの恋だの、くだらない」
 僕はそう思って、ここまで生きてきた。周りがまるで馬鹿なスピーカーのように「愛は素晴らしい」だの「恋は素敵」だの流していればこうもなってしまう。そんな僕をスピーカーどもはひねくれたやつだとか、気持ち悪いやつ、はたまた曲解されて男好きなのではないかと思っている。だから嫌いなのだ、あんなやつら。
 けれど君は違うはずだ。だってこんなに可愛いのだもの。二重の大きな瞳に、潤っている唇、そして適度に主張している身体。ここまで僕をとりこにするのだから、君があんなやつらとは違うとわかる。
 だから僕は毎日毎日見続けているが、やはりちょっと不満が溜まってくる。そう、もっと近くで見てみたくなったのだ。
「遠くであんなんなんだよな。じゃあ近づいたらどうなる?」
 遠くではわからないことと言えば、匂いだろうか。いや嗅ぐまでもない。良い匂いだということは、ほぼ確定事項だ。そこらの学者が考えた、説を基にする意味不明な法則などよりも圧倒的に正しい。圧倒的にだ。
「遠くで全体を把握することも大切。だけど、近くで確かめてみることも大切。じゃないと、太陽はただの明るさを持ってきてくれるだけの存在だって思うし、月だってあんなただの石ころの塊だってわからない。え、いや、違うさ。彼女は遠くでも近くでも同じ。むしろ近くの方が凄いはず。月なんか、足元にも及ばない。月がすっぽんになるんだって」
 バイトから帰ってきて、僕はずっとそんなことを考えていた。とても楽しかった。彼女を見てもいないのに、こう頭に出てくるだけで凄く嬉しくて、高まりを感じる。これが何なのかわからないが、「楽しければそれで良い」どこかの馬鹿が言っていて、当時は嫌いだったけど、このセリフだけは素晴らしい。
「はあ、はあ、来る……」
 次の日の朝、僕はあまり寝ることも出来ず、そのまま日の出を拝んでしまった。だから彼女が来るのを、ここでずっと待っている。玄関のすぐそこ。開ける準備はばっちり出来ていて、これならすぐ出て行ける。タイミングはそんな難しいことではない。彼女はかなり規則正しい。
「大体このぐらいだ。行け、行け、行けよ」
 僕はぎいとドアを恐る恐る開けて、外の状況を確認した。いつもの変わらない退屈な朝の風景が広がっているが、僕は小走りであの見えるポジションへと移動していく。この感じなら間違いなく目にすることが出来る。そう、僕は昔からやれば出来る子だった。
「いた、いたんだ、本当に、歩いてる」
 あの娘だった。今朝もまた一人で、歩いている。さらに僕の方へ向かって来ている。どんどん近づいていくことに、僕は不思議な興奮を覚えていて、あの遠くで見ていた彼女が、大きくなっていくことに驚きを隠せない。けれど隠さなければならない。
 僕の目に狂いはなかった。彼女の姿をここまで詳しく見えたのは初めてだったが、これまでの印象をさらに強くしていった。瞳は吸い込まれるような深さがあって、唇もとても柔らかそうで、引力を発しているかのようだった。長い黒髪はまた揺れて、それから女の子らしい甘い匂いが漂ってくる。
 頭がぼうっとしそうになって、気を抜けばそこに倒れてしまうだろう。ああ、それも良いかもしれない。彼女がきっと助けてくれる。だって見ず知らずの僕でも助けてくれるような、優しい娘なのだから。
 ちょっと待てよ。助けてくれるということは、彼女が僕に触れるということでないのか。それに彼女と関わりを持てるようになって、これから挨拶をしてくれるかもしれない。さらに言えば家にまで来てくれるかもしれないし、家に呼んでくれるかもしれない。
 エクセレント、本当にこれは素晴らしい展開だった。もっともっと間近で見ることが出来て、なおかつ触れることだって出来る。あの服の向こう側だって、僕の目に入ってきてくれるかもしれない。夢を秘めた身体。
「は、はは。だから言っただろ。僕は病弱なんだ、朝は低血圧なんだ」
 思うがままに力を抜くと、僕はきっときれいに倒れていった。
「だ、大丈夫ですか!?」
 ほら、来てくれた。風景はぼやけるけども、彼女の顔だけははっきりくっきりとオートフォーカスが掛かっている。初めまして、専用機なんだ、僕は、君の。


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