私は娘を愛しています。この卵子から発生し、この子宮で栄養を得て、この膣を通って産まれ出で、この母乳を飲んで育った娘である千花を心から愛しています。
千花の黒髪は柔く、白い肌は滑らかで、ふっくらとした頬がたいそう美しい娘です。私の乳首に吸いつく唇はてらてらと輝いていて、どこか妖婦じみたいやらしさを帯びています。私の指を握る小さな手の、なんと愛おしいことでしょう。
ですから私は、告白しなければなりません。それが勝手気ままに生きてきた私の、せめてもの贖罪と誠意でございます。
冨口佐恵子の告白
私は北陸、石川県で生まれました。元々お世辞にも都会とはいえない場所でありますが、さらにその片田舎、田んぼが広がる辺鄙な土地の出身でございます。それなりに大きな家で、私は両親と母方の祖父とともに暮らしていました。
物心がついた折から、私は家族の中でも母が格別に大好きでした。お嬢様育ちの母は生え抜きの美しさで、その若さもあり、読んでもらった昔話に登場するお姫様のような品がありました。母の布団に潜り込み、その腕の中で眠る夜は、心地よい香りに包まれて幸福そのものでありました。
しかし、いつからだったでしょう。母の髪からは艶が失くなり、肌はかさついて弛み、口元には皺が現れはじめました。老いでございます。私の家には祖母というものがおりませんでしたが、老いの果てが干物のような化け物であることは知っております。それは私にとって、呪いのような事実でした。
一方で私は、自分がかつての美しい母の姿へと成長していることに気付きました。しかし、老いの醜さを目の当たりにした私は、素直に喜ぶことができませんでした。いずれは母と同じく朽ち木のようになるのであれば、大好きなお姫様の姿をいつまでも鏡の中に求めることはできません。そして考え抜いた末の手段が、自分に似た娘を産むことだったのです。
中学生になる頃には、私は我が子を欲していました。しかし、結婚に憧れていたわけではありません。男など、精子を吐き出す道具でしかありませんでした。我が子の持つ遺伝子の半分が汚染されるかと思うと、本当に恐ろしかったのです。私に似た遺伝性、あるいはせめて母に似た遺伝子を与えることができなければ、獣とのあいのこを孕むようなものなのですから。そこで私は18歳の誕生日に、父に精子を提供するよう頼んだのですが、話を聞いた途端に父は私を殴り、淫売め勘当だと喚き立てました。仕方なく次は祖父にお願いしたところ、どうやら彼はすでに生殖能力を失っているようでした。そして彼らは徹底して血族と絶縁することで、私の思惑を阻もうと企てたのです。女だけでは子を為し得ない、その無力感に私は泣き暮れました。しかし、この程度の失敗で諦めるわけにはいきません。路地裏に転がる薄汚い雄で妥協することなく、私は近親者を徹底して探し、ついに母方の従兄が進学のため名古屋に住んでいることを知ったのです。
大学の名前や所属している学部といった必要最低限の情報さえ手に入れば、石川県から名古屋を訪ねるには高校生の財布の中身で充分です。卒業式を終えた日の夜行バスに乗り、寝ずのまま大学で手あたり次第に顔も知らぬ従兄の名を告げて回りました。獲物を水際に追い詰めるように情報を得ながら、なんとかその日のうちに従兄との対面が叶いました。今になってみれば、恐ろしく無謀で、かつ運の良かったことのように思います。
待ち合わせた学内のカフェに現れた従兄の蓮は、小太りで眼鏡をかけた、とても大人しそうな男でした。蓮のほうは私の名前を家族から聞き知っているようでした。あるいは、私の記憶がないほど幼いときに対面したことがあるのかもしれません。突然の訪問を訝しがりながらも、少なくとも親類としては認めてくれました。
「おかんの実家やったら、石川から来たんやろ。大変じゃなかった?」
「夜行バスん乗ったが初めてやってん。でもちゃんと来られたよ」
私は努めて、幼く無邪気な話し方を心がけました。田舎らしい地味な濃紺のセーラー服を着て、自然のままの黒髪を伸ばしている自分がなるたけ純朴に映るように振る舞います。年上の男、特に女とあまり良い経験をしてこなかった男性はそのような少女を好む可能性が低くないことを、短い人生の中で学んでいたからです。
「佐恵子ちゃんって、今いくつやっけ」
「18んなったとこやよ」
「若いなぁ、僕もう22やもん」
「蓮あんちゃんも若いやん。22歳って何年生になるげんけ」
「ほんとは4年生なんやけど、浪人しとるから僕は3年生」
「受験って大変なんやねぇ」
「佐恵子ちゃんも今年が受験やったんやないん? っていうか、なんでいきなり名古屋まで来たん。こっちに進学するんか」
バスの中で、ずっと答えを考えてきた質問です。なんとかして彼に取り入らなければ、私は蓮から精子を貰うことができません。肉親であっても気に沿わなければ簡単に切り捨てられることを、私は両方の立場から知っています。
「あんな、私、名古屋で働きたいげん。進学やなくて就職希望やってんけど、石川の田舎で高卒で、しかも女やとなんも仕事なんかない。どうせフリーターになるがやったら、今やと都会で仕事探すほうがマシやねんて」
まったくの出まかせです。地元の人間であるほうが、バイトなどは身元が明らかであるぶん採用されやすいでしょう。けれどそういうことなど思い付きもしない、都会に憧れるだけの世間知らずな女を演じました。
「そしたら、蓮あんちゃんって人が名古屋におるって聞いたから、行くがやったら名古屋がええなぁって思ってん。石川からも近いし」
「近いって言うても、高速道路でも3時間くらいはかかるやろうに。お金とか大丈夫なん」
「そんでな、蓮あんちゃんに1個だけお願い。しばらくの間、あんちゃんの部屋におったらあかん?」
どうにかしてこの非常識な依頼を受け入れさせようと、大して出来の良くない頭を働かせて、私は必死で訴え続けました。無理は承知の上で、それでも通さなければ、血縁の精子が手に入りません。
「僕の部屋って、そんな、女の子を泊めるなんてできんよ!」
「あんちゃん以外にお願いできる人がおらんのやもん。ちょっとの間でええし、自分で部屋借りられるくらいお金貯まったら出てくし。あ、家事もちゃんとするよ、得意や」
「そういう問題やなくて、そういう予定とか、親御さんにしっかり話してあるんか」
「ごめん、名古屋に進学する友達んちに泊めてもらうって言うて来てん。でもそう言わんとひとり娘を県外に出してくれんし、こっちで知っとる人は蓮あんちゃんしかおらんのやって」
馬鹿な女に見えたことでしょう。実際に、稚拙な言い訳であったと今でも思います。しかし私にとっては、近しい精子を与えてくれそうな最後の男だったのです。断られたら、強姦してでも孕むつもりでした。愛情など欠片も伴っていない精液であっても、女は妊娠できるのですから。
けれど幸いなことに、蓮は非常に寛容で、悪く言えば浅慮な人でした。
「……わかった、ええよ。慣れんとこ来たら、そりゃいろいろ困るわな」
その言葉を聞いたとき、私は喜びのあまり泣いてしまいました。すでに胎の中に子を得たような思いです。とはいえ公衆の面前で涙を流し続けては、蓮の迷惑になってしまいます。私とて、穏便な方法が選べるならそのほうが良いのです。なので私は安堵の涙と映るように、笑顔で蓮の手を取りました。
「ありがと、蓮あんちゃん!」
少し顔を赤らめながらも、周囲を気にしてそっと手を外す蓮の様子は、とても好ましいものでありました。
「じゃあ、今日はもう授業ないし案内するな。地下鉄乗るんも初めてなんやない?」
「うん、楽しみやわぁ」
蓮の住むアパートの部屋は、意外にも2DKでした。同居人でもいたのかと勘繰りましたが、開けてみればなんのことはない、一室は完全な物置と化していました。明らかにその機能を重複しているような、しかしデザインにはまったく統一性のない家具が文字通り押し込められていたのです。
「卒業した先輩たちが、勝手に本棚とか椅子とか置いて行ったんやけどね。ゴミを捨てるにも金がかかる時代やもんなぁ。でも、かえって良かったやんな」
確かに身ひとつで転がり込んだ私にとってはありがたいものですが、それまでの蓮の生活を思えば、粗大ゴミを押し付けられてひと部屋を潰していたのですから、いっそ哀れになるほどの人の良さです。それに付け入って世話になろうとしている私は、紛れもない悪女なのでしょうけれど。
さて、少ない荷物を部屋に放り込み、それらしく整えてからは、まずは最低限の日々の糧を得ることが急務でした。労働内容と報酬の多寡を選ばなければ、不況の昨今とはいえとりあえずのアルバイトに就くことくらいはできました。一見すれば品行方正な淑女のようである私の容姿と、卒業したばかりの高校がそれなりに名の売れた進学校であったことが、いくらか幸いしたのかもしれません。いくつかの飲食店やコンビニエンスストアの面接を受け、すんなりと時給を手にすることができました。あまりの順調ぶりに、蓮のほうが驚いていたくらいです。信念のあるところに幸運は寄るものかと、このときばかりは得意になりました。
しかし私は、名古屋へ働きに来たわけではありません。子を授かるために必要なものは、漫然と過ごしていては手に入らないのです。蓮が性欲を抑えかねて私を犯しでもすれば事は簡単だったのですが、理性の働きが強いのか淡泊なのか意気地がないのか、惰性のまま続く同棲がどれほど経ってもそのような不埒は起こりませんでした。その頃には私も蓮に愛着のようなものが生まれておりましたので、蓮の意に添わない性交を無理に遂げようとは考えませんでした。それでも、例えば蓮が私に恋愛感情を抱き、健全な交際の過程を経て性交に至るまでを待つことはできません。人の心ばかりは望むままに操ることのできるものではなく、不確かな可能性のために時間を費やすよりは、私さえ努力すれば達成できる手段を採るべきだと思いました。
男の自慰行為は女と違って、しないままで過ごすことのできるものではないと聞き及んでいます。それは蓮とて例外ではなく、私が眠っている間や出掛けている間に処理を行っているようでした。とはいえ、息遣いや臭い、何より物的証拠は隠しきれるものではありません。私はゴミ箱の中で丸まったティッシュを探し、開いたその中に白い液体を認めると、急いで股間に擦り付けました。調べたところ、精子は排出された後も数時間は生き続け、可能性は低いながらも受精に至ることができるようです。初経から記録してきた手帳で排卵日を計算し、私は人知れぬ努力を続けました。やがて我が子に成るものだと思えば愛おしいものですが、生温い精液それ自体はひどく不快で、私の苦労をご想像いただければ幸いです。
そしてついに生理の来ない月が来たとき、私は妊娠検査薬を買いに走りました。蓮との同居が半年になろうかという頃です。単なる生理不順の可能性など、ちらりとも思い浮かびませんでした。予感めいたものがあったのかもしれません。あるいは、期待のあまり何も考えられなかったのでしょう。
果たして、私の期待は現実となりました。そうなれば妊娠の事実を蓮に告げないわけにはいきません。膨らむ腹は隠せるものではありませんし、一方的に同居を解消するには、私たちは長く時間を共有しすぎていました。
子どもを産むことに、蓮はさして反対しませんでした。元々、先立つものさえ用意できれば出ていくと言っていた身です。そのうえ新たな同居人、しかも赤ん坊を増やそうというのですから、蓮には怒り、私を追い出す当然の権利がありました。それを行使しなかった理由を、私は憶測でしか語ることができません。厄介な女の神経を逆撫でして事をややこしくすることを避けたのか、我が身にはさほど関係ないことと思ったのか、あるいは、こんな私のことでも哀れに思ったのか。どうであろうと興味はありませんでしたし、子を産む了承を得たこと、出産まではおろかその後も連とともに生活する許しを得たことのほうがはるかに重要でした。望外の待遇に、私のほうが不安になってしまったほどです。
あとはもう、期待と幸福とともに胎内で子を育み、対面が叶うことを待つだけです。十月十日の、なんと長く感じられたことでしょう。けれど腹が膨らむたび、重みが増すたびに、我が子の顔が思い浮かびました。待ち遠しい未来があるのは幸せなことなのです。
生れ出た娘は、赤ら顔でしわしわと柔く、猿の子のような愛らしさでした。この子どもが人間としての美しさを纏うようになるのだと、感慨深い思いを抱いたことを覚えています。私は、誰よりも娘を愛しているのです。娘が美しく成長し、その姿を愛でながら暮らすために、残りの人生のすべてを捧げたいと思います。
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「以上が私の告白です。そして、あなたと離婚させていただきたい理由です」
畳に両手をついて、佐恵子は僕に頭を下げた。長く真っ直ぐな髪が落ちて、ぱさりと音がする。よく見てみると、白いものが僅かに混じっていた。
その丸い背中を見て、顔を上げろという言葉が喉まで出かかる。しかし、僕はそれを飲み込んだ。僕は佐恵子に頭を垂れさせる権利がある気がしたし、また、そうあるべきだと思ったからだ。混乱する思考を必死に落ち着けて、語られた情報だけを整理しようと努めても、どうしても感情ばかりが先走ってしまう。父親を教えられないまま突然に妊娠を告げられ、混乱しつつも佐恵子が望むならと産ませた子ども。生まれてみれば、その不憫な経緯から同情じみた愛情が芽生え、我が子のように想ってきた。その千花が、一度とてセックスをしたことのない佐恵子と僕の子どもだと言う。正直に言って、訳が分からなかった。
僕が黙っているから、佐恵子はずっと額を畳に付けている。胸が痛くなって、やはり折れるのは僕のほうだった。
「佐恵子、とりあえず顔上げて」
声をかけても、佐恵子はすぐに姿勢を戻すことはしない。石のように固まった姿勢のままで、佐恵子、ともう一度呼びかけたところでようやく背筋が戻る。芝居がかったほどに完璧な所作だ。悲しそうに眉を下げた表情のまま、朱唇が艶めかしく動く。
「離婚いうたかて、私と蓮は内縁の夫婦いうらしいから、これは別居のお願いになるがけ」
彼女の口からは耳にしたことがない標準語を聞き続けたせいで、名古屋に来てから20年が経とうという今でも抜けない訛りが懐かしい。令嬢然とした容貌とのギャップが可愛らしく、僕は佐恵子の話す方言が大好きだった。
「そんで、最後に我が侭を言わせてもらえるんやったら、千花は私と暮させてほしい。千花には苦労かけることになるやろけど、おかげさまで蓄えもちょっとはあるし、蓮にはこれ以上迷惑かけんと出ていくて約束するさけ」
「そうだ佐恵子、千花にはちゃんと話したんか」
「……しとるわけないやろ。こういうことは、夫婦でようけ話し合ってからやないんけ」
そう言ってちらりとこちらを向く佐恵子の視線は、少し媚びを含んでいるように見えた。疑問に思った後、なるほど、自分たちはもう仮初めの夫婦ですらなくなろうとしているのだと気付く。
「千花は、戸籍上は父親不明の非嫡出児や。親権は佐恵子にあるから、千佳が君と暮らすんは当然のことなんやと思う。けど僕が認知すれば親子関係は成立するから、君たちの助けになることもできると思う。佐恵子の話が本当やったら、僕だって千花のために何かしてやりたいよ」
学生時代は法学部に所属していた僕は、こういうことばかりはすらすらと口を突いて出てくる。もっとも、浪人してまで法学部に入った挙句、法律とはろくに縁もない部署で働いているのだが。しかし、少しでも佐恵子を説得する材料になればと発した言葉は、思いの外に彼女を激昂させてしまった。
「それは駄目や!」
恐ろしい形相で僕を睨み、固く握った拳を正座した膝に押し付けている。強い反発を、どうにか理性で抑えているようだ。
「千花は、私だけの子どもやないと駄目や」
強固とした反応は、一度だけ、僕が妊娠した佐恵子との結婚を望んだときとまったく同じだった。そのときも彼女は頑なに拒み、どうしてもと言うなら同棲を解消すると言った。佐恵子の告白を聞いた後では、同棲など彼女にとってはいつ止めてもいいものだったのだと知る。そんな下らないものを盾にされ、まんまと引き下がった自分が愚かしかった。
「私の手で育てんと、意味がない」
「千花は君じゃない、あの子の将来のことだって考えんといかんだろう。僕のことはとにかく、千花を君の勝手で振り回すなよ」
ぐっと歯を噛み締め、涙を堪える佐恵子の顔には悲愴美ともいうべきものがある。それは同時に、決して譲りはしないという覚悟だ。
「君は君自身の、あるいは母親のクローンが欲しいだけじゃないんか。それじゃあ、千花の人生はどうなる。いつまでもあの子を君に縛り付けるわけにはいかんだろうが」
2人きりの和室で、向かい合って座る佐恵子がどこまでも理解のできない存在に見えた。元々、幼げながらもどこか神秘的な雰囲気をもつ美しい女だ。本心を吐露したあとは、世間知らずを装う白痴美を捨てたせいで、余計に陰のある美貌が際立っている。震える佐恵子を痛ましく思いながら、邪な感情がもたげることも自覚せざるをえなかった。後ろめたさに目を逸らすと、廊下がきしきしと鳴る音が耳に入ってきた。
「お母さん、もうお話し終わったー?」
襖越しに聞こえるのは、澄んでよく通る千花の声だ。無邪気な足音が近付いてくる。
「千花、駄目や。自分の部屋におらんなんよ」
「君、千花にはまだ話してないって言っとったやないか。もう千花には別居するって言うてあるんか」
あまりに自分を無視した振る舞いに、今度こそ怒りが湧いてくる。がたがたと軋んだ音を立てて、襖が開いた。
「違うよ、お父さん。私がお母さんに『離婚して』ってお願いしたんだよ。お母さんと2人っきりで生活したいんだもん」
佐恵子に寄り添い腕を絡める、セーラー服に身を包んだ千花。佐恵子はその胸に、甘えるように頬を寄せる。場違いなことに、絵画のように美しい光景だと思ってしまった。
千花は今年で18歳になる。輝かんばかりの若さに溢れた姿は、僕と出会った頃の佐恵子に瓜二つだ。2人の黒髪が混ざり合い、川のような流れをつくった。呆然と見つめる僕を、千花はちらと上目づかいに見遣り、佐恵子を抱く腕により一層の強さを込める。
「私ね、頑張って調べたの。夫婦って法律婚でも事実婚でも、民法で貞操義務っていうのがあるんでしょ? お互い以外とエッチしちゃいけないっていう。それを相手が破ったら、離婚しろって言う権利があるんだって。別に裁判しろっていうわけじゃないけど、権利があるって思ったら、少しは楽にならない?」
お父さんの部屋の本は難しいけど便利だね、と千花が笑う。千花は、法律上は親子関係にない僕を『お父さん』と呼んでくれている。僕自身も、我が子のように慈しみながら一緒に生活してきたつもりだ。佐恵子も、僕を信頼しているからこそ、不自由でありながらも僕とともに暮らしているのだと思っていた。そのすべてが、根底から奪い去られていく。
「お母さんはね、歳をとったお母さんは嫌いなんでしょ。でも私は、今のお母さんも大好き。すごく綺麗だし、優しいし、お母さんは私のお姫様だよ」
頬に口づけを受けながら、佐恵子は陶然とした表情を浮かべている。手放しの賛辞よりも、それを唇に乗せる千花の美しい微笑に見惚れているようだ。
「私はね、お母さんよりもお母さんを愛してるんだよ」
「ああ、千花、千花。私の可愛い千花、ありがとうな」
娘に妻を奪われようとしている。いや、奪うという言葉も当てはまらない。娘は、生まれる前から妻を支配していたのだ。
「ごめん、頭が混乱してるんや。ひとつだけ確認させてくれんか?」
「なんねん?」
佐恵子は僕を見ようともしない。千花の熱心な口づけは、とうに唇に及んでいた。
「君たちは、互いを性欲の対象として見ているのか?」
一切の遠慮を取り払った僕の言葉に、佐恵子は身を固め、千花は僕に微笑みかけることで答える。充分だった。
「佐恵子」
僕は彼女の手を取り、考えられる限りもっとも優しい触れ方で握った。
「それでも僕は君を愛しているよ」
そう告げたときに泣いた佐恵子の顔を、僕は忘れることができないだろう。
同性愛に近親相姦。佐恵子はどうやら極端なナルシズムの傾向があるようだし、このまま老いてもなお千花が彼女を愛するというならジェロントフィリアだ。倒錯的で異常な性愛の取り巻くなか、僕の抱く愛情だけがひどく真っ当なものに思えた。
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