2.



あれから随分いろいろな物件を検討してみたけれど、結局これといって良い物件は見つからなかった。
時間的にもちょうどお腹が空いてきた頃だったので、学内カフェでランチを食べることにした。

高都大学内にあるこのカフェは、結構オシャレな空間を形作っている。
学生達の憩いの場としても人気がある場所だ。
味にも定評があり、学外からも多くの人が足を運んでいるらしい。

今日は本当に良い天気で。
テラスに並んでいる真っ白なイスとテーブルが、太陽の光でやわらかく輝いていた。

僕と母さんはテラス左端の席に着いた。

僕は店員さんを呼び、サラダとパスタとドリンクがセットになっているBランチを注文した。
今日のパスタはプッタネスカらしい。


ランチが来るまでの間、僕は物件の事について少し考え込んでいた。

選ぶ基準が厳しすぎるのかもしれないなぁ、と思いつつ。
あまり妥協すべきでもない、とも思う。

大事な大事な、学生生活。
自分のしたいことが出来る、最後の時間。

その為の環境は、出来るだけ良いものにしたい。
でも、選ぶのに手間取って、母さんを連れまわしたくない。

ううむ、どうしたものかな……。


「みーちゃん、また何か考え事してるの?」


頬杖を突きながら、母さんはまた心配そうに僕を見つめていた。


「え、あぁ……。別に大したことじゃないよ」
「当てようか? 物件の事でしょ?」
「いや……まぁ、そうなんだけどね」


母さんはしてやったりと、満面の笑みを浮かべた。


「でしょう? 私はあなたの親だもの、それくらい分かっちゃうんだから!」


そう言って、ウインクしながら親指をグッと立ててみせる。

母さんはいつも底抜けに明るい。
きっと、僕を気遣っての事なんだろうけど。

と、急にその笑顔が少し曇って、


「でもね、母さんにも分からない事があるの」


母さんは少し肩をすくめて、呟くように言った。


「それはね、みーちゃんが何でいきなり大学へ行きたいって言い出したのか、ってこと」
「それは……前にも話したけど、勉強を――」
「勉強、ね。勉強の為に大学に通って、一人暮らしをしたい。そう言っていたわよね」
「……うん」


両親に大学への進学を申し出た際、僕は確かにそう言った。
そう、言い繕った。


「でもね――」


母さんは、わざとらしく一呼吸おいてから、


「それって、本当に勉強の為なのかしら?」


口元は笑ったままだけど、目は真剣そのものだった。
じーっと、僕の瞳を見つめている。
まるで、心を見透かしているかの様に。


「それがどういう事なのか、みーちゃんならきっと分かってる、よね。今から大学に通う事が、しかも一人で暮らすことがどういう事に繋がるのか、ってことを」
「……」


僕は、ちゃんと答えることが出来なかった。

うん。
分かってる。
分かってるよ、全部。

でもね、僕はしなくちゃいけないんだ。
自分の為に。


母さんは僕が何か答えるのを少しの間待っていたけれど、僕が答えられずに困っているのを悟ったのか、


「ううん。いいのよ、無理に答えなくったって。あ、やっとね! ありがとう」


店員さんが持ってきたランチを、母さんは微笑みながら受け取った。
僕も会釈をして、お皿を目の前に置いて貰った。

母さんはパスタをフォークに絡めながら、話を続けた。


「私があなたの事を何でも分かっている必要は、ないのよね。だって、それじゃあまりにも窮屈だもの。私は親子の間にも、ある程度“秘密”があることって大事だと思うの」

母さんは人差し指を唇の前に立てて、そう言った。


「それに――」


母さんは、満面の笑みを浮かべて、


「私はみーちゃんを信じてるもの」


あー、もう。

本当に。
本当にこの人には敵わない。


「それは……有難いね、うん。ありがとう」
「どういたしまして」


母さんはにっこり、と微笑んだ。
僕は目を合わせていられなくて、隣のテーブルに目を移した。
そして、食べるのをすっかり忘れていた、目の前に置いてあるパスタを口に運ぶことにした。

結構美味しい。
少しの間、二人とも黙々とランチを堪能していた。


次に母さんが話を切り出したのは、パスタを食べ終わる、ちょっと前の事だった。


「そうそう、物件の話だけど」
「あ、うん」
「そんなに悩む必要はないんじゃない? 確かにこれからどんどん埋まっていっちゃうかもしれないけれど、この辺りには大学が結構多いから下宿先も相当多いと思うの。生協で紹介していない物件もあるみたいだし、急がず焦らず、まったり探していきましょ」
「そうだね、あんまり悩まなくても大丈夫なのかも」
「そうよ! きっとその内ちゃんと見つかるわ! あ、そうそう、まーちゃんにも聞いてみたらどうかしら? 一応、先輩になるんだし、この辺りには詳しいんじゃない?」


“まーちゃん”っていうのは、僕の幼馴染、『春川 真』のこと。
ちなみに僕は“まーちゃん”じゃなくて、”ハル“って呼んでる。
僕と同い年だけど、ハルは僕とは違って高校卒業後、すぐに大学へ入学したから確か次で3回生になる筈だ。
確かにハルなら、どこか良い物件を知っているかもしれない。


「今度、ハルに聞いてみるよ」


母さんはうんうんと頷いている。
僕はそう言って、プッタネスカの最後の一口を頬張った。

と、母さんがいきなり、


「あ! さっき聞くの忘れてたんだけどね」
「んむ?」


母さんがニヤニヤしながら顔を近付けてきて。

そして、言い放った。


「好きな子でも出来た?」
「ぶっ」


僕の口からオリーブが吹き出た。
そのオリーブは母さんの耳元を掠めながら。
綺麗な放物線を描いて、母さんの後方50センチメートル辺りで着地した。


「!!!!??!?!?!??!?!」


言葉に、出来なかった。
僕はとりあえず、口の中にあったものを胃に追いやった。


「あっぶなーい! 避けなきゃ当たってたわよ?」


避けたのかよ!?
いやいや、そこが問題じゃなくて!!


「な、何でいきなりそんな事聞くの!?」
「いやー、だってほら、好きな人が出来たから一人暮らししたいのかなーって。大学へ行くって名目でね。まぁさっきも言ったけど、私はみーちゃんを信じてるから、まさかみーちゃんが好きな人を部屋に連れ込むなんて無いって思ってるわ! でも、みーちゃんもお年頃だし、私だって昔は――」


母さんは自分の頬に両手を当ててもじもじしながら、自分の事を語り始めた。


あー……ビックリした。

いきなり何を言うかと思えば。


そんな事、ある訳がないじゃないか。


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