1.「閻魔と縁」
この日は地獄史上、最高に珍しい者がきた。ここに来るまでに面接が三回、その全てが白。
閻魔帳に生前の嘘が一切記載されていないのである。これは生きている内にどんな些細な嘘も吐いていないという事だ。
例えば子供や幼児の疑問・質問にも、親や先生にも一切の嘘を口にせずに生きて、そして死んだのである。
これは珍事、普段は舌抜き工場が如くベルトコンベヤーと機械式閻魔矢床でブチブチと抜きまくっている。
それ故にこのようなケースに遭遇したことはない、取り敢えず別室に通して話をしてみる事にした。
ビジネススーツに身を包み、金属製のアタッシュケースを片手に持ち、閻羅がその部屋に入ってきた。
「あー、どうもすいませんね、お待たせしました。」
下座の席に座っていた男が立ち上がり振り向きながら
「あの、えっと、はい、どうもよろしくお願いします。」
その男は大層緊張した面持ちである。
「あぁ良いですよ、そのままそのまま、楽にしてて下さい。珈琲と紅茶どっちがいいですか?」
対して閻羅は気楽な様子である、男の対面の椅子に鞄を置きながら閻羅が訊く
「え、あの、じゃあ、その珈琲を…」
「はいはい、少々お待ちを、いやぁ最近水出し珈琲に凝ってましてね。」
そう言いながら隣接したキッチンスペースへと入っていく。
数分の後。
「はいこれ、どうぞ。」
黒くて透明なグラスに入った黒い液体を差しだす、ストローまでが黒である。
「まぁまぁどうぞ飲んでみて下さいよ」そう言いながら閻羅も同じものを口にする。
「はぁ、頂きます……これは…美味しいっ」不安のある顔つきだった男の顔が少しだけ晴れる。
「そうでしょうそうでしょう、浅煎りの珈琲豆を一晩かけてじっくり水出し抽出したんですよ。」
にっこりと笑いながら閻羅が言う。
「水出しは初めていただきましたが、これは美味しい。ミルクや砂糖を入れなくても角がないのは凄いですね。」
「熱を入れないと雑味もエグ味も出ないですからね、元々コーヒー豆は生食も出来ますから。」
半分程度飲んだ所で閻羅がわざとらしく気付いたように言う
「あ、申し遅れました私こういうものです。」懐から二つ折りの名刺入れを出し、そこから1枚を差し出す。
男は礼儀正しく両手で受け取る、名刺に眼を落としながら「あ、はじめまして頂戴致しま…す…閻魔…さん…?閻魔大王?!」
そこには、
【十王局 局長 閻魔 羅闍】
と、書かれている。
閻羅の本日の服装は、濃灰色の2つ釦シングルスーツに薄灰色のシャツに濃紺のネクタイ・・・まるで嫌味のないビジネスマンのようである。
閻羅は極々当たり前の事を言うように
「えぇ、その通りですよ、あまり驚かないで下さいよ。」
「いやいや驚きますよ?!だって大王ですよね?!怖いですよ!」
「はっはっはっ」あくまで笑みを絶やさない閻羅「いやいやいや笑い事じゃなくてっ!」
「皆様そのように仰っしゃいます。」「え?」男は間の抜けた声を発した。
ふと目が合い、数瞬の後
「時に、えーっと縁さんでしたかな?因みに貴方は私についてどの程度、御存知ですかな?」
「あ、はい、縁です、えっと、その、生前の行いが悪い人の舌を抜く?」
「うん、まぁ大体あってますね、生前に嘘をついた者の舌を抜くんですよ。」
「…怖いじゃないですか!」「あ、やっぱり?」悪びれず閻羅がいう
「え、えっと、あの…」言い澱みながら閻羅を見ていると「あぁコレですか」スーツの襟に触れながら閻羅が言う
「何といいますかね、違和感の排除というか、時代の移り変わりというか、趣味というか…」
「…今!趣味って言った?!」
ノリツッコミに段々と磨きがかかる縁、閻羅は大らかに構えている。
「似合いませんかね?」「いや、似あってますけども!」
確かにそこそこの高身長に、仕立ての良さが伺えるスーツ、威圧的ではないが端々に高級感というか威厳が漂っている。
そこでふと閻羅が真剣な顔をして告げる
「ところでですね、生涯で嘘をつかない人なんて居ないんですよ。いや正確には今までは居なかったんですよ、貴方がくるまでは。」
「…はい?」突然の真剣さに気圧されてポカンとした様子で又も間抜けな声。
「此処に至るまでに三回面接を受けましたよね?」「えっと…3回?」
「あぁ、貴方には、そうと知らせていなかったかも知れませんが、えっとBARのママとペットショップの店長は私の部下です。」
「えぇ!?そうなんですか!?死んでから今までお世話になっていましたけど、あとその、こちらの世界の事なども少々伺いました…」
「うんうん、どうですか?こっちの世界には慣れました?」
「いや、慣れるも何も…」「あー、そうでしょうね、最近はこちら側も現世と歩み寄ってますからね、建築とか道具とか生活様式とか諸々」
「あぁ、そうなんですね、道理で。」
確かに、ここ狭間の世界と現世は非常に似ている、それもここ150年程度で現世が急速な進化をしたためだと説明を受けた。
「うん、それでね閻魔帳って資料があるんですけどね。」
アタッシュケースからMacBook取り出しながら言う。
「縁さん貴方、真っ白なんですよ。」「はぁ…?」
「これ縁さんのファイルなんですけど」
閻羅が画面を指さしながら続けて言う、縁の名が入っているが各項目は真っ白である。
「因みに私が始祖の人間ですので有史以前より数千年が経過して居るのですが、こんな事は初めてで、どうしようかな、と。
取り敢えず御自ら話してみようと言う事で今ここで、こうしてるんですよ。」
「は、はぁ、、、あの、そもそも何で舌を抜くんです?」
「あー、難しい質問ですね、原初の人間は他に何も持っていなかった、からではないでしょうか?」
「と、言うと?」
「んー、何といえば良いかな、他に償わせる手段が無かったんですよ。だから舌という部位を奪ってしまおうと。しかしその後人類は知恵を急速にのばした。」
「なら、もう舌を抜く必要はないのでは?」
「それもまた地獄の難しい部分でして…そちらの感覚で言うと大昔に亡くなった人も、
ここ数年で亡くなった人も居る訳で、そこに差異というか不平等が生じてしまうのですよ。
だから、太古からのシキタリというか掟というか、そんなのでやってきている訳で。」
「ふむふむ」「今は効率化というか適材適所というか、生前に得た知識などを鑑みて行き先の部署を決定してるんですけどね。」
縁が死んでから教えられた事、それは人間が死ぬと六界の何処かに転生するために人間界での行いや得たものを審議され、修行が課せられる。
六界とは、現世こと人間界、天上界、修羅界、餓鬼界、畜生界、そして地獄界である。
唐突に閻羅が訊く
「因みに縁さん、PCはお得意ですか?」
「いえ、そんな得意という程ではありません、一通りの操作は出来ますが。」
「うんうん、…どうでしょう、閻羅付きの書記官になりませんか?」
突然に申し出に驚く縁、閻羅は続けてこう告げる。
「これはあくまでも私の一存です、というのもですね、此処は狭間の世界。
それ故に輪廻転生の輪から外れた存在となってしまいます。もし、それでも宜しければ、どうです?」
数瞬の戸惑い、珈琲を飲み干す、縁は静かに頭を下げて言う。
「あの、ちょっと、まだ良くわからないんですが…宜しくお願いします。」
閻羅は、にっこりとしながら右手を差し出す。縁はおずおずとその手を握る。
「ようこそ新人書記官、さて、では条件面でも話を…」
嘘をついたことのない縁は、十王局長付きの書記官として採用された。
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