There once were two cats

There once were two cats


≪Dear.千歳さまへ≫

HR中にこんにちわ。
この間は用事に付き合ってくれてありがとう、楽しかった!
ちーちゃんと遊ぶの、久しぶりだったからかな。
最近顔を合わせることが少ないし、ちょっとさびしかったんだけど、
この間ので全部チャラ!
また遊ぼうね!

あ、そういえば結構前、ミレイの『オフィーリア』を見に行ったことがあったよね。
今度、同じ題材の違う人の作品が美術館で展示されるかもしれないから、また一緒に行かない?
前回は午後から用事があってゆっくり見られなかったし、どう?
ちーちゃんにも都合があるだろうから、無理そうなら言ってね。

それと、図書館に新しい本が入ったって、図書委員が言ってたよね。
私たちがあったらいいねーって言ってた画集も入ったのかな。
クリムトの『ダナエ』が今一番見てみたいんだけど…。
先月読んでみたい本のリクエスト用紙、みんなに渡されたじゃない?
一応それに大型本の書いておいたの。
あったら嬉しいんだけど、なかったら…。
画集は高いだろうし…と自分を納得させよう。

そうそう、ちーちゃんにあげようと思って描いていた絵が、私の部屋にあるの。
誕生日プレゼント! 今更だけど…。ごめんね。遅くなっちゃった。
焦ると雑になっちゃうの、ダメだね。
出来る限り丁寧に、でも急いで描いたんだけど…やっぱり計画って大事。
今度、時間のあるときにうちに取りに来てね。
あ、持って行った方が良いかな?
それもあとで教えてね。

≪From.志麻子より≫



ひっそりと下駄箱に入れられていたその手紙は、とても小さな文字で書かれていた。
A6サイズの小さな白いメモ用紙に、敷き詰められた藍色のインクが少し擦れて、紙面を汚している。
その几帳面に敷き詰められた繊細でかっちりとした楷書体の文字。
それを見ただけで、この手紙を書いた人物がどんな性格かが分かるだろう。
穏やかで、とても几帳面で、しっかり者だけど朝だけは弱かった志麻子。
絵を描くことが好きで、誰よりも美術室にいた時間が長かった。
けれど体調を崩しやすくて、よく風邪を引いては寝込んでいた。
いつも一緒にいた。たくさんの秘密を共有していた。
誰よりも何よりも近くにいて、お互いのことは大抵知っていた。
私の、たった一人の幼馴染。
佐村志麻子。

とても残念なことに、彼女はもう、3ヶ月ほど前に死んでしまったのだけれども。





【1】
There once were two cats of Kilkenny,
Each thought there was one cat too many,



佐村志麻子と私、神門千歳は親友であり、幼馴染であり、同志だった。
幼いころはずっと2人で遊んでいて、色々な物事や秘密を共有した。
当時はちょっと風変わりな2人組、と言われていたらしい。
遊ぶのはいつも私たち2人だけ。他の子が混ざることはまずなかった。
幼稚園にも保育園にも行かなかったせいかもしれない。

小学校に上がると、さすがにずっと一緒にいるわけにはいかなくなった。
それでも帰り道は一緒のときが多かった。
「いっしょにかえろ」と志麻子が私の袖を引っ張るときもあれば、私が「かえろ?」と誘う時もあった。
どちらかの家にいることも多かったけれど、外で遊ぶことも結構あった。
町の中をふらふら歩き回って廃屋を見つけては、そこに秘密基地を作ったりしていた。
そんな場所は大体立ち入り禁止の看板が掛かっているから、まず大人は入ってこなかった。
「ひみつきちね、ないしょだよ」と約束するものの、見つかるのはいつも早かった。
その度に、危ないからやめなさいと、とても叱られてしまって、泣き虫な志麻子はよく泣いていた。
私は「もうしません、ごめんなさい……」と言いながら、叱られたことをすぐに忘れて、また別の廃屋を探しにいこうと志麻子を誘うのだった。

中学生になると、叱られるようなことはあまりなくなった。
とはいっても、廃屋探しをやめたわけじゃなくて、単純に嘘を吐いていたから。
隠すことも誤魔化すことも、少しずつうまくなっていった。
大人の知らない所で、見ていない場所で、少しずつ私たちは悪いことを覚えていった。

高校には地元の同じ私立の高校に進学し、同じ部活に入った。美術部だった。
文化部の部室棟の、薄暗い廊下の一番奥、そこにある部室が美術部だった。
先輩は、一応いるにはいるが幽霊部員だと仏頂面の顧問の先生は言い、その先生自身も全くと言って良いほど顔を出さなかった。
文化系に力を入れていない学校だったからか、文化部の入っている部室棟はずいぶん寂しいもので、吹奏楽部の音は響いていたけれど、遅く始めて早く切り上げる部活だったのか、静かになるのも早かった。
そのひっそりとした、どこか秘密めいた雰囲気は、私たちにとって良い刺激だった。
何より放課後の、しん、と静かになった黄昏時の校舎内ほど、独特で心地良い空間はなかった。
図書館に行っては本を読み、美術館に行っては絵画を見、お互いの感想や考えを言い合う。
その頃になると私の両親は多忙で、滅多に家には帰ってこなかったから、私の家に泊まることもよくあった。
「明日は美術館に行くんだよね。どうする?」
「うちに泊まろ。そうすれば寝坊しないでしょ」
志麻子は朝に弱い。度々教室に滑り込んでは、担任の先生から呆れられているのを知っている。
「えっと、……多分大丈夫」
「そう言って、前回1時間寝坊したじゃない」
部活の片づけをしながら、よく明日の予定を確認する。
それが日課のような、暗黙の了解のような、日常だった。

翌日、予定通り午前中の時間帯に美術館に着いた。
館内は静まり返っていて、いつもと同じように適度な温度管理がされている。
「えーっと、2階だよね」
「うん、2階の東館」
「早く行ってゆっくり見よ」
「うん」
頷きながら他にとったパンフレットを眺める。
作品ではない、一つの小さな説明文の絵に自然と目が留まった。

七つ目の羊。『黙示録の羊』。

歪な造形のせいだろうか。口元がニタリと笑っているように見える。
まるで人食い羊のようだな、と思った。





【2】
So they fought and thy fit,
And they scratched and they bit,



穏やかで、とても几帳面で、しっかり者だけど朝だけは弱かった志麻子。
絵を描くことが好きで、誰よりも美術室にいた時間が長かった。
けれど体調を崩しやすくて、よく風邪を引いては寝込んでいた。
いつも一緒にいた。たくさんの秘密を共有していた。
誰よりも何よりも近くにいて、お互いのことは大抵知っていた。
でもだからこそ、志麻子は知らないはずだ。


――私は、そんな彼女が、とても嫌いだったということに。


中学の時、密かに危機感を抱いていた。
ずっと一緒にいることは出来ない。
だから、隙を見てはクラスメートの子達と話すようにしていた。
志麻子にとっては、〝親友をとられた〟ような気がしたんだろう。
それと同時に、自分の身を守る為の盾として私を必要とした。

志麻子の両親は小学校の頃に離婚している。

原因は暴力。矛先がよく泣く志麻子に向いていて、当時はいつも傷と痣だらけだった。
おばさんが必死で志麻子を庇うけれど、おばさんもひどい目にあっていた。
現代社会ではありふれた、よくある話だ。
私がお邪魔している時だけは、彼女たちが被害を受ける事がなかった。
もっとも、生傷の絶えない志麻子を見て、遊びに行こうとする子がいなかったせいかもしれない。
私を遊びに誘うのと、私の家に泊まりにくる回数が増えだしたのは、その頃からだった。
けれど気付いていた。
志麻子は私を盾として利用しながら、心底妬んでいることに。
時々、本当に時々、暗い目を私に向けていた。
佐村家の両親が離婚して落ち着くのは、それからもうしばらく経ってから。
それでもお互いの家を頻繁に行き来するのは、変わることがなかった。

それでも限度というものはある。
小学校ならまだしも中学生ともなれば、どう頑張っても2人きりで過ごせるはずがない。
だから、少し距離を置くようになった。
罪悪感なんて感じるわけがない。

「ちーちゃん、私のこと嫌いになった?」
志麻子は時折、そう聞いてくるようになった。
「嫌いになんかなってないよ。ほら、一緒に帰ろう」
聞かれる度、決まり文句のように私はそう繰り返した。
彼女は「良かった」とどこか安心したように笑う。
ある程度の距離を作ることは当たり前のことで、おかしいことでもなんでもない。
これは普通のことだ。

しかし状況は変わるもので、私はその友達グループと話す時間がだんだん長くなっていった。
そうしている内に、志麻子とは疎遠になっていき、気付いた時には彼女は孤立していた。
若干の罪悪感はあった。でも、これも志麻子のためだと、そう自分に言い聞かせた。

「あの子ってさ、千歳の友達?」
ある時友達グループの一人がそう聞いてきた。志麻子のことだと分かった。
「うん、幼馴染。家が近所だからよく遊んでた」
ふぅん、と頷き「腐れ縁ってやつ?」と重ねて聞かれる。
「そんなもんかな」
「……嫌じゃない?」
「なんで?」
「前から見てたけどさ、千歳が振り回されてる感じじゃん」
少し驚いて、言葉に詰まる。
「……そんなことないと思うけど」
「前なんて毎日毎日ちーちゃんちーちゃんってくっついて回ってたし」
「それは昔からだし、今はそんなことあんまりない、と思う」
「偉いなぁ、偉いっていうか凄いわ。あたしだったら無理、耐えらんない。迷惑だもん。腐れ縁でも親友でも、振り回されるのなんてさ」
軽い衝撃を受けた。振り回されていると周りから見られていることにも。何より、

――迷惑だもん。

迷惑。そんな事考えもしなかった。
一緒にいることが当たり前で、日常だった私にとっては。
その言葉は私が考えているよりも遥かに早く、信じられない勢いで胸の奥へと飲み込まれていった。





【3】
Till, excepting their nails
And the tips of their tails,



針のような細い雨が降っている。
生温く、濃密な湿り気を帯びた空気が、じっとりとした汗と共に皮膚に纏わりついてくる。
あの友達グループの一人との会話から、おおよそ一ヶ月経っていた。
考えに耽ることが多くなった。志麻子と一緒にいてもいつの間にかぼうっとしてしまう。

「ちーちゃんだけに、良い物を見せてあげる」
湿気のひどい、わずかに薄暗い美術室の中、志麻子はそう言って微笑んだ。
それは恐らく穏やかな笑みだったのだろう。
けれど、私はその表情を見たときどろりとした得体の知れない不気味さを感じた。
気のせいだったのかもしれない。けれど、その不気味さは澱のように私の中にどろりとわだかまった。
何事もなかったかのように、志麻子はイーゼルに立てかけられた画板に目を戻し、筆を進めようといている。
いつもの美術部。
その光景を眺め、先ほどの志麻子の様子を思い出す。
何故か、七つ目の羊の絵を思い出していた。

志麻子が言った「良いこと」というのは、その場では教えてはもらえないらしい。
その日は珍しいことに部活を早めに切り上げた。
志麻子は「私の家に来て」と言い、私はその言葉に従った。
特に反対する理由もなかったし、何より家にお邪魔するのは少し久しぶりだった。
「こっちこっち」
家に入るなり、彼女がパタパタと自室への階段をのぼっていく。
「あ、ちょ、待って、志麻子」
慌てて脱いだ靴を揃え、スリッパを履いて後を追いかける。
向かった先は、自室ではなかった。
自室の斜め向かい側、物置だと思っていた扉が開いている。
そこは異質な部屋だった。
様々な色合いの昆虫が、箱に敷き詰められている。
壁中を埋め尽くした標本。その中に敷き詰められ、ピンで留められた昆虫の数々。
その奥の壁に窮屈そうに押し込められたテーブルの上に雑多に物が置かれている。
雑多なテーブルの下、私が昔送った花瓶やマグカップが、割れた断面を覗かせていて。
目眩がした。
「ね、昆虫の標本。凄いでしょ? 頑張って集めてたの。綺麗だよね。こうするともう飛んで行ったりしない。ずっと近くで、綺麗なままの彼らを見ていられるし、ほら、こんなに近くに触っても逃げない」
志麻子は言いながら、私を見る。
その目は標本を見る目と同じで、その目で見ながら言ったのだ。
「私たち、ずっと一緒だよね?」
と。
頷けないまま理解した。志麻子は私を友達として見てはいない。
標本の昆虫や、剥製の動物を見るように、自分の身を守るためだけの盾として私を見ている。
そのことに思い至った瞬間、友達グループのこの声が頭に響いた。

――振り回されて……嫌じゃ……無理……偉いなぁ……。
――迷惑じゃん。


……それも、そうだね。

その日から私は志麻子とあまり遊ばなくなった。
ちょうど考査も重なっていたし、良い機会だった。
私の中の悪意は日を増す毎に、胸の内側で膨らんでいく。
それでも周囲からあまり疑われないよう、気まぐれに話しかけたりしていた。
鬱陶しくて、甘ったれで、一人じゃ何も出来ない、可哀想な志麻子。
一人ではいられない、私以外友達と呼べる存在のいない彼女が、私抜きで、どこまで耐えられるんだろう?

頭の中で七つ目の羊が歪な顔を覗かせる。
私は今、あの羊と同じ顔をしている。





【4】
Instead of two cats, there weren’t any.



あの手紙の後に、志麻子は死んだ。
驚くほど呆気ない死に際だった。
彼女がつけていた日記には「学校がつまらない」「憂鬱でたまらない」「死にたい」と書かれていたらしい。
それを聞いて少し安心した。
警察もしばらく調査を続けていたようだったけれど、目立った原因もない自殺と断定してからは、徐々に潮が引いていくようにいなくなった。
町も学校も、事件後は騒然としたものの、比較的落ち着いてきている。
黒いTシャツに白いレースのカーディガンを羽織って、カーキ色のカーゴパンツの左側ポケットに手紙を捻じ込む。
右側には財布を放り込んだ。
こげ茶のシンプルなサンダルを履いて、玄関のドアを開ける。
暑い。熱風に晒されて、一瞬息が詰まった。


例の手紙と途中で買ったゼリーの菓子折りを持って、私は今、佐村家の玄関前に立っている。

「……あ、千歳ちゃん」
チャイムを押すと、志麻子のお母さんが出迎えてくれた。
ずいぶんやつれたような気がする。
一人娘が死に、マスコミや警察が引っ切り無しに訪れ、町中の噂になっていたのだから、無理もないだろう。
一番交友が深かった私も、大体同じような感じだった。
「…お久しぶりです、おばさん。遅くなってすみません」
軽くお辞儀をする。
「あの、これ、どうぞ」
綺麗な包装紙で丁寧に包まれた菓子折りを差し出す。
おばさんの表情がわずかに和らぎ、一瞬泣き出しそうな顔になる。
「まあ、気を遣わなくて良いのに、ありがとうね……。どうぞ、入って?」
「お邪魔します」

家の中は、少し雑然といていた。
それどころではないんだろう。
暗く澱んだ空気が色濃く横たわっている。
「千歳ちゃんもここしばらく大変だったでしょう?」
「あ…はい、毎日のように、ええと……来てました」
「そうよね……学校は?」
「もう少し休んだ方が良いかな、と……」
おばさんは小さく頷いて、「ああ、志麻子に挨拶してあげてね、きっと喜ぶから」と言った。
「あ、おばさん。志麻子の部屋に行っても良いですか?」
「部屋? 良いけど、どうして?」
「遅い誕生日プレゼントに、絵を描いたからもらいに来てって……えっと、これです」
ポケットから、手紙を取り出して見せると、おばさんの目に涙が浮かんだ。
ひどく寂しく悲しそうな顔をして、今度は無言でゆっくりと頷いた。


白い壁紙の、シンプルな部屋。
淡いオレンジと黄色のストライプ模様のカーテン。
木目調の勉強机と、座る部分がカーテンと同じ、オレンジ色のデスクチェア。
他の家具も、似た色彩で統一されている。
教科書もノートも筆記用具も、綺麗に机の隣にある本棚に収まっている。

その部屋の光が当たらない北側の隅に、くすんだクリーム色の布が掛けられた何かが置いてあった。
それに近付き、布を取り外す。
志麻子がP8型のキャンバスに描いた油彩。
プレゼントと言っていたのは恐らくこれだろう。
それはどこか見覚えのある風景画だった。
少し朽ち果てた建物の中に椅子と、その奥に姿見が置いてある。
その椅子の上には、過去に貰った物やあげた物の一部が描き込まれている。
建物には見覚えがあった。
どこだろう、と記憶を探るけれど、中々うまく引っ掛からない。
見覚えているということは、行ったはずだ。
まあいい、その内思い出すだろうな、と判断し、キャンバスをイーゼルから持ち上げた。
裏張りされている部分を見てみる。
志麻子は普段から裏張りをしていなかった気がする。
いつも枠の側面に釘を打っていたはずだけれど、張り方を変えたのだろうか。
まじまじと見つめていると、裏張りされている陰にキャンバスとは違う白い物がわずかに覗いているのが見えた。

哀れな佐村志麻子。彼女は私の内心の悪意に気付きもしなかった。
それどころか自ら死んでくれた。
私は自由になった。振り回されることはもうなくなった。
不思議な高揚感に支配されながら、私は慎重にその白い何かをなんとか抜き出す。
白いメモ用紙だった。
手紙と同じ紙のメモに、藍色のインクではなく、シャープペンで何か書かれている。
そこには住所が書かれていた。

 *****

志麻子のお母さんに別れの挨拶をし、住所の場所に訪れることにした。
日は既に傾き始めている。少し悩んだけれど、久しぶりに外に出るのだし、と考えてのことだった。
訪れて分かった。通りであの絵に見覚えがあるはずだ。幼い頃に見つけた秘密基地の一つ。

ボロボロで消えかけの立入禁止を無視して、薄暗い中に入る。空気が埃っぽい。
油絵と似た風景が広がっている。がらんとした屋内。
ただ一つ違うのは、広い屋内の真ん中辺りに、木箱が置かれていることくらい。
不思議に思いながら近づき、箱の蓋を開ける。
中にはガラクタの数々。
人形やぬいぐるみといった当時のおもちゃ。
クレヨンや鉛筆や、そういった文房具は折れているものが多い。

こんなガラクタに、志麻子はこだわっていた。
なんて幼稚で、馬鹿な子なんだろう!
笑いそうになってしまう。あまりにも、馬鹿馬鹿しすぎて。

一つ一つ取り出していくと、底の方に綿が見えた。
無造作に手を突っ込み引っ張り出すと、これまたボロボロの羊のぬいぐるみが姿を現した。
綿が出ていたのは背中の部分。そこから綿とは違うものが飛び出している。

それは冊子だった。

よく見ると表面が不規則に荒れていて、指でなぞるとわずかではあるが凹凸が感じられる。
壊れそうな木箱の中から、折れた鉛筆を一本取り出す。
鉛筆を横に倒し、紙全体に薄く塗り広げていく。
炙り出しで浮き出るように、じわりとその文字が顔を覗かせる。
『裏切り』
『密やかな悪意』
『断罪者』
そのすぐ下には、
『誕生日おめでとう、ちーちゃん!』の文字。
なんの気もなく開き、読んでみる。
私の中で膨れ上がっていた静かな高揚感が凪いでいく。
無意識に笑い出しかけたような、中途半端な表情が引き攣って、消える。
徐々にどくどくと心臓が早鐘を打ち始める。
先ほどの絵を思い出し、過去に見た彼女の目を思い出す。
夕暮れの陽射しが屋内を赤黒く染めている。

七つ目の羊の顔がまた頭の奥でちらついて、ニタリと笑った。
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