『この物語には嘘は一切含まれておりません』
 そう記載された小説に目が留まった。
 小説といっても紙媒体のものではなくネット小説。
 いつも見ているホームページで新たに追加されたコンテンツのようだった。
 なにやらプロ、アマ問わずテーマに沿った小説を募集して競い合う、という趣旨の企画らしい。
 そしてテーマは『嘘』
 別段興味があったわけではない。敢えていうなら暇だったからだ。
「ふぅん……」
 ひとつひとつ目を通していく。なるほどなかなか面白い。これはいい暇つぶしになりそうだ。
 そうしているうちに先ほどのあらすじが書かれている作品に出会った。
 その作品のタイトルは「ウソガナイ」
 嘘が無い、か。
 テーマが「嘘」でどういう解釈でも構わない以上、「嘘が一つもない」というのも有りだろう。
 しかし何を持って「嘘」とするのか。そして何を持たずして「真実」とするのか。
「嘘ではない」とは「真実」
「真実」とは「嘘ではない」
 つまり「真実」を表すには「嘘」の存在を否定しなければならず、つまり「嘘」がそこに存在していないとならない。
 けれど「嘘」が存在してしまうと「嘘が無い」という言葉に反してしまう。
 ――やめた。あれこれ小難しく考えるのは悪い癖だ。
 所詮は素人が書いた(であろう)ネット小説だ。そこまで深い意味があるとも思えない。
 何はともあれ読んでみることにしよう。
 そう思い、タイトルをクリックする。

◇◇◇

ウソガナイ



 彼女はいつも支離滅裂だ。
 突飛な事をするやいなやすぐに別の発言をして僕を惑わせる。
 彼女の性格は嫌いではなかったが、かと言って好きになるのは難しかった。
 本音を言えば呆れていたのかもしれない。嫌いとは別の次元の話。
 彼女は今。
「ねーねー! 見てー! 花摘んだよー!」
「……それ彼岸花だろ。確かに綺麗だけどさ。むやみやたらに花を摘むなよな」
「むやみやたらじゃないもん。この花だから摘んだんだよ。……あ。アイスクリーム食べたくなったな。買いに行こ!」
 僕の返事も待たず彼女は駆け出す。
 先程の彼岸花はすでに地面に横たわっている。
 さすがのハリケーンリリィも彼女という嵐には適わなかったか。
 僕はせめてもと花を地面に突き刺し、彼女を追った。



 彼女との出会いはいつだっただろうか。
 学生時代からの付き合いだから六年になるのか。
 記憶もかすれて当たり前のような時間だ。
 彼女は昔からちっとも変わっていない。相変わらず滅茶苦茶だし、僕はいつも振り回されてばかり。

「……っと。いきなり立ち止まるなよ。 何か面白いもんでも飛んでたか?」
 考え事をしていたせいか、はたまた彼女が立ち止まり上を眺めていたからか、僕は彼女にぶつかりかけて歩みを止める。
「んー。いやー、いい天気だなぁ、って」
「まぁ、な。雲一つない正に日本晴れだ」
「こんな日が毎日続けばいいのにねぇ」
「たまに雨が降るから太陽のありがたみが分かるんだろ」
「アイスは何にしようか? 私はチョコミントな気分かな、いや、ビターチョコかも……」
 ……天気はどこに行った。
 一瞬彼女の頭の中が天気なのかと思ったが、さすがに言わないでおいた。



 彼女との出会いは今と同じでコンビニだった。
 彼女はアイスを手に持っていた。
 お金を持ってきていないらしくレジで困っていたのだったか。
 足りないのではなく持ってきていない。
 僕はただ眺めていた。

「どれにしよっかなー。ねぇ、どれがいい?」
「……自分で好きなのを選べばいいだろ」
「好きなのが多いから困ってるの。じゃあこっちとこっちだったらどっちがいいかな?」
 言って彼女が手にしたのは抹茶味とキャラメル味。
 いや、いいけどさ。
 気にしたら負けだ。
「抹茶、かな。あくまで僕の気分としてだけど」
「じゃあ両方買おっと」
「…………」
 彼女はレジに並び、僕は煙草をふかすために店の外へ出た。
 外は暑いが仕方がない。今からアイスがやってくるんだし、少し頂くとするか。
 煙草をふかしているとドアが開き、彼女が出て来た。
「いやー、やっぱりアイスはおいしいねー」
「ねー」
 すでに食ってるよ。店の中で袋を開けるなんてまったく……。
 ……っておい。
「この子は誰だ」
 彼女と一緒に店から出て来た女の子を指差して僕は言った。
 まるで初めから隣に居たみたいにナチュラルに立っており、しかも先程彼女が買ったアイス(キャラメル)を貪っていた。
 彼女と女の子が目を合わす。
 間。
「さぁ?」
 首を傾げて彼女は言い放った。



 あの時もだった。
 お金を持ってきていないのにも関わらず焦る気配もなく、ただ首を傾げてアイスを見つめていた。
 あまりに可笑しくて。
 僕は彼女に近寄り、何も言わずにお金をレジの上に置いたのだった。

「お母さんは?」
「どこかいっちゃった」
「大変だねぇ」
「ん」
「何なごんでんだよ」
 冷静になって考える。
 いや、冷静になるまでもない。
 僕らは迷子と出会った。ならば行き先は一つだ。
「警察に――」
「お姉ちゃん達がお母さん捜してあげよっか?」
「ほんと!?」
「待て!」
 僕は彼女に耳打ちする。
「僕らが捜すより警察に任せるのがいいに決まってるだろ」
「えー。でもこの子に捜してあげるって言っちゃったし」
「いやいや……」
 彼女は僕の話を聞かず、女の子に歩み寄り、手をつないで歩き始めてしまった。
 あぁ……。
 仕方無く僕も彼女達に着いて歩き出した。



 彼女は驚いた振りも見せず僕にお礼を言った。
 まるで僕がお金を出すのを分かっていたみたいに。
 彼女はアイスを手に外へと歩き、思わず僕も後を追いかけた。
 すると彼女はアイスを一口食べ、すぐに僕に差し出した。
 いらないからあげる、と。彼女は言った。
 お金を払ったのが僕だからとか、ではなく。
 心からアイスはいらないと。
 僕にアイスを渡したのだった。

 ――僕が一番心配しているのはこの子の親が早く見つかるか、ではない。
 彼女が女の子に対して関心を無くすのが何よりも心配なのだ。
 一緒に捜しておいていきなり飽きたから警察へ連れて行く。
 女の子はどんな気持ちになるか。
 大人に対しての嫌悪感を抱かせるのではないか、とか偽善ぶった事は考えていない。
 ただ単純に悲しまれるのが嫌なだけだ。
 ならば初めから相手をしなければいいのだが……。
「お母さんはどんな人?」
「んーとねー。あめみたいなおかあさん!」
「へー。雨かー。……ん? 雨? 飴?」
「あー、めー!」
「あーめー」
 何だこの成立しているのかしていないのかわからない会話は。
「ねぇ。まず何処から捜したらいいかな?」
「僕に聞くなよ。分かるわけないだろ」
 思わず強く言っていた。
 あからさまに僕は苛ついていた。
 何にと聞かれても困るが、多分彼女に対して。
「けち」
「なんでだよ」
 まただ。
 自分じゃ解決できないくせに何にでも首を突っ込む。
 彼女が飽きてしまった場合も含めて尻拭いするのは全部僕なのだ。
 昔からちっとも変わっちゃいない。
「ふーんだ。いいもん。私だけでちゃんと見つけてやるんだから。ねー」
「ねー」
「勝手にしろ。僕は帰る」
 僕は踵を返し、彼女達とは反対に歩き出した。



 僕にアイスを手渡した彼女はすぐに立ち去ってしまった。
 僕は彼女に唖然とし。
 少し経ってから何とか意識を取り戻した僕は。
 気付くと彼女を追いかけていた。

 ――追いかけていた。
 何をしてるんだ、僕は。
 彼女を置いて家に帰るんじゃなかったのか。
 なのに今。
 僕は彼女の後を追いかけ、走っている。
 まだ遠くには行っていない筈だ。
 離れたとはいえ三十分も経っていないし、あっちは子供をつれているのだ。
 まだ追いつける。
 不思議な気持ちだった。
 彼女に対する確執が無くなった訳ではない。
 苛つきが消えた訳でもない。
 でも。
 僕は彼女を追いかけている。
 不思議と懐かしい感覚が自分の中にあった。
 説明できない気持ちを抱き、駆ける。
 ただ、彼女の姿を目指して。



 すっかり溶けてしまったアイスを手に、僕は佇んでいた。
 目の前には背を向けてしゃがんでいる彼女の姿。
 何をしているのかと、覗き込む。
 彼女は一輪の花を眺めていた。
 摘むわけでも愛でるわけでもなく、ただただ眺めていた。

「あの子供は?」
 さんざん探し回った挙げ句、彼女は先程の場所で再び彼岸花と戯れていた。
 少女の姿はない。
 胸がざわついた。手遅れだったのか、と。
「んー? あれ? 家に帰るんじゃなかったの?」
「質問に答えろよ」
 彼女は立ち上がって僕に向き直り、笑顔で言った。
「ちゃんとお母さんを見つけてあげたよ。へへ。えらいでしょ?」
 とびっきりの笑顔だった。
 なぜ、喧嘩していた相手に笑顔を向けられるのか。
 否。
 喧嘩などしていないのか。
 僕がただ苛ついていただけ。
「……」
 とりあえず、 胸を撫で下ろす。
「よくよく考えたら簡単だよね。子供がコンビニにいます。親はコンビニにはいません。子供が遠くのコンビニに一人で行けるわけないじゃない? だから家は近くなはず。よく親と通っているはず。で、コンビニの店員さんにあの子を見たことあるか聞いてみたの。で、やっぱりよく見かけるらしくて家まで知ってたの。万事解決めでたしめでたし」
 ……突っ込み所が満載な推理と解決だが敢えて僕は何も言わない。
 結果良ければ総て良し。
「ねーねー。この花覚えてる?」
 彼女が手に取ったのは先程僕が地面に差し直した彼岸花だった。
「さっきの花だろ。どうしたんだよ?」
 いくらなんでもついさっきのことを忘れる程僕は馬鹿ではない。
 しかし、何故か彼女は僕の答えに不満を見せた。
「じゃなーくーてー。もっと前の話だよ」
「もっと、前……?」
 僕は必死に記憶を探った。




 彼岸花だった。
 彼女は彼岸花をただ眺めていた。
 僕は彼女に問いかける。
 何故ただじっと眺めているのか、と。
 好きなのならば摘んで帰ればいい。家に持って帰れば――命は短くなるが――いつでも眺められるじゃないか。
 本音かはわからない。ただ、話がしたかっただけかもしれない。
 彼女は僕の言葉に笑顔で返した。
 次からやってみるよ。
 彼女は続ける。
 じゃあ、君が持って帰ってね。私が摘んで、君が持って帰ればお互い幸せでしょ?
 咄嗟には意味が理解できなかった。
 だから僕はただ笑って。
 彼女も笑った。

「思い出した?」
「……あぁ。思い出したよ」
 何だか、情けない。
 彼女は昔から支離滅裂で、滅茶苦茶で、何も変わっていないと思っていた。
 だけど。
 変わっていないのは僕だったのか。
「ん?」
 彼女があどけない顔で僕の顔を覗きこむ。
 僕は彼女が持っていた花を手に取り、顔を上げる。
「――いや、何でもないさ」
 僕は花を持っていない右手で彼女の手を握る。
 彼女は自然に握り返してきた。
 とても、心地良かった。



 今からでもいい。
 今まで変わっていなくても、今から変わればいい。
 あの彼女が変われたんだ。僕にできない訳がない。
 僕が彼女のために変われたら。
 彼女の手をもっと力強く握れるから。
 きっと彼女も応えてくれる。
 幸せに違いない。
 だから。
 幸せに向かって歩くと、決めた。

◇◇◇

「……は?」
 意味が、わからない。
 それが読み終えての感想だった。
 確かに「嘘」と読み取れるものは何一つなかった。「ウソガナイ」というタイトル通りだ。
 しかし、そんなのは屁理屈ですらない。ただのルール違反だ。
 それならばある程度どんな話でもいいことになる。
 読み始める前に考えていたこと。
「真実」と「嘘」の関係が破綻している。
 ……時間を無駄にした。
 この話には「真実」どころか「嘘」の一文字も――
「……ひと、もじ……も?」
 ふと、ある考えが思い浮かび思考が冴えてくる。
いやしかし、そうなのか? 
 自分の考えを確かめるべく、もう一度今の作品を読みなおす。
「…………」
 一度目よりも真剣に読み解く。一文字一文字、ゆっくりと。
「はは……。ははは……」
 読み終わる頃には笑いがこぼれていた。
「ははははは!くっだらねぇ!」
 なんなんだこれは。
 説明も無しでこんな作品を出すか。
 いや、一応説明はあるのか。タイトルと、あらすじ。
 この時ばかりは小難しく考える癖があって良かったと思う。
 深く考えない性格ならば、この作品は切り捨てていただろう。
 しかし、気付かれなければどうしていたのだろうか。
 いい意味でも悪い意味でも自己満足か。
 うん。なかなかだ。面白かったが、ルール違反には違いない。まぁそれが面白かったのだが。
 さて、添削する気持ちでもう一度読み直してみるか。

 この物語に「ウ」「ソ」が本当に含まれていないかを。
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