死体探求


 夏休みももう終わろうというころ、二人が学舎とする高校には登校日が定められていた。
 そんな時期にわざわざ学校へ行くなど無駄以外の何でもないが、長い休みで疎遠になったクラスメートの安否を確認して、ついでに家族旅行の自慢話を一足早く披露するにはうってつけだった。
 とはいえ、クラスメートと疎遠になる心配など、木成はまったくしていなかった。
 そこまで親しいクラスメートなどもともといないからだ。
 家族旅行にしても、お盆すら休むことのできない両親に期待するのは無理があった。
 終礼のホームルームを終え、途端に騒がしくなったクラスメート達を尻目に、木成は教室から離れた。
 部室へ向かうためだ。
 生徒が勉学に励む教室棟とは別に、職員室や保健室が詰められた職員棟に部室はあった。
 教室棟から出た途端、皮膚を焦がすような熱気が木成の体を包みこんだ。
 うだるような暑さだ。
 蝉の声を遠く聞きながら、木成は日陰を頼りに教室棟をぐるりと迂回した。
 すぐに職員棟が見えてきた。
 戦前から残っている木造の建物は、病んだ内臓を思わせるほど朽ちている。
 臭いも似たようなものだ。美術部が使う濃厚な油絵の具や、理科準備室のホルマリン、音楽室に積み重なった楽器に、腐った木の臭い。
 そういった職員棟の〝体臭〟が、玄関に入る前から鼻をかすめてくる。
 汚れを気にする者などまずいないが、校則により靴を脱ぐ必要があった。靴箱でスリッパに履き替えてから脇にある階段を上る。
 湿った木の臭いが一際濃厚になった。
 入部したてのころはこの臭いにうんざりしたものだが、人間は臭いに対する順応が恐ろしく早い生物らしい。すぐに慣れてしまった。
 三階まで上り、歩くたびに粘着質な音をたてる廊下を進む。
 ようやく部室が見えてきた。建物同様、腐食した木の戸に――
『オカルト探究部(たんきゅうぶ)』
 そう書かれている。戸に直接、だ。誰が書いたのかは木成も知らなかった。
 がたが来ている戸を軽く浮かせ、一息に引く。
 石臼をひくような音をたてて戸が開いた。
 オカルトを冠するに相応しい薄汚い部室だった。
 部室の中央には廃材と間違えそうな木製の机が、いくつも向かい合わせに並べられている。
 そして、机の一つに腰掛けている眼鏡の少女が声をかけてきた。いや、少女というより幼女と表現した方が正しいか。
 小学生が制服を間違えてしまったのかと思うほど、彼女は小さかった。
 オカルト探究部の部長――野根だ。
「おっ! 来たねえ、木成くんっ!」
 野根の声には答えず、木成は自分の机へと向かった。
 部活動の行われない登校日にわざわざ部室にきたのは、彼女とお喋りするためではない。
 忘れていた本を取りにきたのだ。
 目的の本は机の上に無造作に置かれていた。一ヶ月以上放置していたため、うっすらと埃が積もっている。
 そのまま触れる気にはならなかったので、ふぅと息を吹きかけた。
 もうもうと埃が舞い、本の表紙が鮮明になっていく。――流行りの実話怪談本だ。
 木成はその本を題材にして、夏休みの読書感想文を書くつもりでいた。
 果たして数ページごとに収録された短編の集まりで感想文が書けるのかどうかは疑問である。が、書いたところで再提出を迫られることはないだろう。
 感想文を提出した、という結果さえあれば十分だった。
 本を手に取り、開いたままの扉へと踵を返す。
「ちょっ、ちょっと! 無視しないでよ!」
 野根が悲痛な声をあげた。
 聞こえないふりをしてそのまま部室を後にしようとしたが、ベルトを後ろから掴まれてしまった。
 きゅっ、と下腹部がしぼられる。
「……ああ、いたんですね、野根部長」
「さっきからずぅーっとね」
「すいません、見えなかったんです。ちっちゃくて」
「んまっ! 私ったらまるで妖精さんみたいね!」
 野根がそう叫ぶと、腰回りを締め付ける不快感が消えた。
 ベルトを解放してくれたようだ。
 かといってこのまま立ち去るわけにもいかず、木成はあらためて彼女へと向き直った。
「どうしたんですか。今日は部活、休みだったはずじゃ」
「えっ。うん、まあね……」
 野根はそこで言葉を句切り、両手を後ろ手に組むと、板張りの床をスリッパの先端で突きだした。床がギシギシと悲鳴をあげる。
 何かに迷っているとき、野根はそうやって爪先をいじめる。
 一種の癖だった。
 年齢より遙かに幼く見える彼女にはお似合いの仕草であるが、そのせいで腐食した床が抜けてしまうのは御免だった。
「それ、やめてください。理科準備室とここが繋がっちゃったらどうするんですか」
「骨皮くんに毎日会えていいじゃないの」
 そう言って野根は頬を膨らませた。高校二年生がやっていい表情ではない。

 骨皮くんとは、部室の真下に位置する理科準備室にいる人体模型だ。

 内臓だけに留まらず、顔や手足の部品まで着脱がきく。まさに人体模型界の明日を担うホープである。
 だが、今年の五月ごろ、誰かに全身の部品をもぎ取られ、それっきりにされてしまった。
 ゆえに骨皮くん、部品を収める骨と皮膚だけが残ってしまい、もはや骨格標本と変わらない。
 今ではお役御免とばかりに、理科準備室の奥に押し込まれていた。
 けれど、そんな骨皮くんに野根はべた惚れだった。
 以前のグロテスクな風貌もいいけど、風説とどろく今の骨皮くんも素敵、だとかどうとか。
 ちなみに風説のあらましは『失った部品を求めて、骨皮くんが毎夜校舎をさまよう。競歩で』という、よくある怪談のようなものだ。
 彼女ほどではないにせよ、木成も骨皮くんのことは気に入っていた。剥き出しの五臓六腑には、どこか人を惹きつける魅力のようなものがある。
 もっとも、それは完全態の骨皮くんであって、今の骨皮くんは見ていて虚しくなるだけだった。
「……一年の理科を担当してる郷田先生、理科準備室の管理もしてるんですよ」
 唐突に言ったせいか、野根がきょとんとした表情を浮かべた。
「うん。その先生がどうかしたの?」
「なんで部長がそんなにちっちゃくて可愛らしいのか解明したい、って言ってましたよ」
「……ちっちゃいってのが癪だけど、素晴らしい先生ね」
「興味があるのは骨格らしいですけど」
「解剖されるのっ!?」
 自分の体にメスがはいる様を想像したのか、野根の動きがぴたりと止まる。ようやく床が静けさを取り戻した。
 狙い通りの反応を示してくれたことに木成は満足した。
 オカルト探究部に入部したのは、おまじない程度の魔術や心霊現象、それらオカルト全般に興味があったからだ。しかし、最近では野根をいじることも部活動を続けるうえでの目的となっていた。
 好きな子をいじめたいといった感情とは、また少し違う。
 単純に、からかった時の反応が面白いのだ。
 ――次はどう蔑んでみよう。部長、夏休みに入る前より背が縮んだみたいですけど、背骨がどこかに旅立っちゃったんですか。……いや、これは似た台詞を梅雨明けに言ったはずだ。それに、もう少し遠回しにいきたい。そうなると――
 顎に指をそえて熟考する。
 ところが、先に口を開いたのは木成ではなく、野根だった。
 彼女の言葉は、脳裏に浮かんだ数々のどぎつい語録を、瞬時に吹き飛ばしてしまった。

「ねえ木成くん、人の死体を拾いに行かない?」

 いつもの間延びした口調ではなく、トーンを落とした声色で野根は言った。
 ひしりと、空気が固まる。
「……えっ?」
 思わず漏れた呟きは、魂までも吐き出してしまいそうだった。

 ――ひとのしたいをひろいにいかない。

 言葉の意味がはっきりと理解できるまで、少しばかりの時間がかかった。
 言葉の意味がわかったところで、言葉の意図が理解できなかったが。
「人の……死体、ですか?」
「うん、死体」
 今日の朝食を聞かれて答えるように、さらりと野根は言う。
「そんな、ありえない――」
 見上げるようにして野根が睨んできた。ぶ厚い瓶底眼鏡の奥で、目が厭な光を帯びている。
「木成くんさあ、本物のおばけって見たことある?」
 聞かれ、首を横に振る。
「でしょ? 私もなのよ」
 オカルト探究部の部長なのにね、と付けくわえ、くすりと野根が笑う。
 今まで見てきた笑い方の中でも、とびきり厭らしい笑い方だった。
「なんでかなあ、って。一人かくれんぼも日課にしてる。百物語だって三千物語ぐらい語った。桜を見れば根本をほじくり返すし、拾った卒塔婆で芋を焼いたことだってあるのよ。味? 凄く美味しかった。事故現場を通れば真っ先に弔花を探して、事件物件があれば鍵を壊してでも中に入ってやるわよ。……それでも駄目だった。オバケの影も形も音も気配も、何一つ見られなかったし、聞くこともなかった。だから、きっとこれは準備した道具が悪かったのよ。もっとこう……恨みつらみ憎しみとか、そういったあれこれが詰まった道具が必要なの!」
「……それで……人の死体を?」
「そうっ! それもきっちり埋葬されてるようなやつじゃなくって、殺されたり、自殺した人の死体ね。そっちのほうが恨みの力が凄そうじゃない!」
 恐ろしい言い分である。しかも、考え方がなんとも大時代的だ。
「でも、そんな死体が都合よくあるわけ――」
「あるかもしんないのよねえ、それが」
 木成の言葉を遮り、野根が言う。
「木成くんさ、あの事件覚えてないかな。夏休みに入って、少し経ってから起こったバラバラ殺人事件」
「ああ……ニュースでやってましたね」 
 それなら覚えがあった。同じ年頃のカップルが八つ裂きにされた事件だ。
 事件現場はこの学校の最寄り駅から、一時間ほど電車で揺られたところにある山の中だった。
 日が昇るにはまだ早い午前四時すぎ。早朝登山に挑んだ老夫婦の鼻が、キャンプ場から流れてくるバーベキューの薫りを嗅ぎとった。不審に思い向かったところ、何かの塊が炎上しているのを発見した。
 キャンプファイアをした利用客が後始末を怠ったのだろう――最初はそう考えたらしい。
 だが、そのキャンプ場でキャンプファイアが行われることはあり得なかった。そこは炊事場以外での火気の使用が禁止されていたのだ。
 それを思い出し、塊に近づいてみると、燃えていたのは薪ではなかった。
 燃えていたのは、チーズのように溶けた人の頭だった。
 その後、連絡を受けたキャンプ場の管理人により警察へ通報。猟奇的な犯行ということもあり、事件は大々的にマスコミに取り上げられた。
 それにも関わらず、事件発生から一ヶ月以上過ぎた今でも、依然として犯人は捕まっていなかった。
「――で、その事件が何か?」
 事件のあらましを思い出したところで野根へと問いかける。現実的な話題になったおかげか、随分と喋りやすくなってきた。
 説明する前にまず座りましょうよ――そう言って野根が椅子を指差した。
「被害にあった二人の部品がね、足りないらしいのよ」
 ――足りない。
 被害者の遺体を〝部品〟と呼ぶ野根に若干のうすら寒さを覚えつつ、椅子に手をのばす。
 木成が腰掛けるのを待って、野根が説明を続ける。
「警察の話だと、炭になった骨を寄せ集めたらしいのよ。ちりとりを使ってササーッて。でもね、どれだけ骨を集めても一人分にしかならなかったんですって」
 その話は初耳だった。
 ニュースでは高校生のカップルが解体され、焼かれたことしか伝えられていない。
 そういえば――父親が新聞記者をしている、と以前野根から聞いたことがある。
 そのときは『お父さんもやっぱりちっこいんですか』と流したが、情報源としては適当だろう。
 しかし、そうなるとひとつの疑問が浮かんでくる。
 本当に死体はカップルの二人だったのか、ということだ。
 ニュースでは被害者二人の顔写真も映されていた。でも、そもそも焼却されたのなら顔の造形など判断できるはずもない。
 突拍子もない野根の話で、一時は馬鹿のように呆けてしまったが、今はまったく逆の状態にあった。
 世間の誰もが気付いていない事件の真理に、自分が真っ先に辿り着いたのでは――
 興奮と高揚感が入り交じり、木成はわくわくと胸を躍らせた。
「ちなみに集めた骨には頭骨が二つ含まれてて、現場に落ちてた学生証の持ち主……まあ、つまり被害者の二人ね。その二人と歯形が一致したの。『実は被害者は一人で、カップルの片割れが犯人だぁーっ』なんてお粗末なことはないわよ」
 わくわくが、音を立ててしぼんでいく。
 はあ、そうですかと気の抜けた返事を返したが、特に意に介すことなく、野根は言葉を続けた。
「だから、あの山には人の死体が残ってるかも、ってことっ!」
 そう言われてピンと来た。来てほしくもないのに来てしまった。
 できれば外れてほしい予想ではあるが、念のため確認しておく。
「つまり……それを探しにいく……と」
「ピンポーンッ、大当たりい!」
 当たってしまった。
「いい勘してるね、木成くん」
 褒められたところで嬉しくもなんともない。
 どうにか野根を引き留めようと、木成は思考の渦へと頭を突っ込んだ。
 けれど、いくら考えたところで――
「部長一人で……行ってください」
 こんな言葉しか出てこなかった。


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