オカルト研究部活動報告書


 野口政隆は廊下にひとりの女生徒を発見した。
 夜10時過ぎの校舎に自分以外の人間がいることに驚いたが、当の野口は明日提出の課題をロッカーに置き忘れたため、こうして忍び込んで来ているのだ。同じように忘れ物を取りに来る生徒がいても不思議ではないと、気にせず自身のロッカーに近づいていく。女生徒もこちらに向かって来る。顔ははっきりと見えないが、月明かりが照らすその背格好や髪型に、野口は見覚えがなかった。どこのクラスだろうか、もしくは学年は違うのか。上履きを履かずに来たため、靴下が汚れていくことに少し後悔しつつ思案する。5月も後半とはいえ、夜になると肌寒い。野口はワイシャツの上から腕をさすった。
 ロッカーにたどり着くと、しゃがみこみ課題を取り出す。振り向くと、女生徒が右の拳を振りかぶっていた。
 身の危険を感じた野口は後ろに跳び退ろうとしたが、靴下ですべり尻餅をつく形となった。女生徒の拳が開け放たれた野口のロッカーへ吸い込まれる。静寂が破られた。薄い金属と握りこんだ拳の骨がぶつかり合うその音は、一切の手加減がなく、またとても女子高生が響かせていいような大きさではなかった。
 野口の顔が恐怖で染まる。へたり込んだ姿勢のまま後ずさるが、やはり靴下のせいでたいした距離は離せなかった。
 ロッカーから右拳を引き抜いた女生徒がゆっくりと野口の方へ向く。痛がるそぶりも見せない。彼我の距離を確認し、少し腰を落としたかと思うと、一気に駆け寄ってくる。立ち上がることも恐怖で目をつむることも出来ず、野口は胸に課題の問題集をかき抱いた。
 女生徒を見上げ硬直する野口の上に、帯状の影が落ちる。少し遅れて洗濯洗剤の柔らかい香りを感じた。
 女生徒の顔にバスタオルが被せられていた。女生徒の動きが一瞬止まる。野口の後ろから走りこみ、瞬時にバスタオルをまとわりつかせた人物は、走る勢いそのまま、タオルの両端をつかみ女生徒を後ろに引き倒す。床と女生徒の背中がぶつかる音が廊下に響く。
「いやぁ危ないところでしたね」
 またもや野口の後ろから、今度はゆっくりとした足取りで白衣の人物が現れた。手には何か黒い長方体のものを持っている。タオルにより顔を床に押さえ込まれた女生徒に近づき、屈みこむと長方体を女生徒の首筋にあてがった。バチッという音と同時、女生徒の体がはねる。そして驚くべきことに、女生徒の体は霧散した。
「え?」
「いつまでもへたり込んでないで立ち上がったらどうですか」
 白衣の人物とタオルの人物が野口に近づいてくる。白衣の下、首にかけたバスタオルの下、どちらも野口の通う高校の女子生徒の制服を着ていた。
 やはり靴下のせいでうまく立ち上がれないので、両足とも脱ぎ、ズボンのポケットにしまいこんだ。靴下についた埃と髪の毛と砂粒の嫌な手触りが、混乱する野口の頭をわずかばかり現実に引き戻してくれた。
 ようやく立ち上がると、青いふちの眼鏡、青いリボンでツインテールにしている白衣の少女が、何か企んだ笑顔を野口に見せた。
「私は1年5組の井上まどか。オカルト研究会の部長です、よろしく!」
 そう言って右手を差し出して来るが、まだ黒い長方体、スタンガンを持ったままであったため、野口は握手を拒んだ。
「私は日野瑠乃。まどかと同じ1年5組で、オカ研の副部長。よろしく。ところで」
 そう言うと瑠乃はずいと野口に近づく。短く切りそろえられた髪が揺れ、切れ長の瞳が野口を覗き込む。
「君は自分のタオルを持っているの?」
 肩にかけたタオルの右端を持ち、見せ付けてくる。
「いや、持ってないけど?」
 瑠乃は表情をしかめ、数歩後ろへ野口から離れる。
「それよりも、さっきの女は何だったんだ?いきなり襲ってくるし、かと思えば目の前で消え去ったぞ?」
 それを聞いたまどかが先程の笑顔をもっといやらしくした、確信に満ちた表情を浮かべた。
「気になりますか?気になりますよね!えっと」
「まだ名乗ってなかったな。野口政隆、1年1組だ」
「ええ、野口さん!いやあわざわざこんな時間に学校に来たかいがありました!」
「でもまどか、タオルも持たずに夜の学校に来てるんだよ?正気?」
「そんなもん私だって持ってませんよ。大丈夫、ちょっとヘタレてますけど野口さんには素質がありそうです」
「さっきから何の話だ?というかだからさっきの女は何者なんだよ?」
「それを今から調べるんだよ」
 瑠乃の呟きから、野口は底の見えない、深い闇に足を突っ込んだように感じた。まどかはスタンガンを白衣のポケットにしまう。
「オカルト研究会へようこそ、野口さん!」
 差し出された右手に黒い長方体は握られていなかったが、今度も野口は握手を返さなかった。


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