#4『ジョナサン・ジョースターみたいでかっこいいじゃないか』 私の名前は雨宮天女という、一応本名だ。
天女と書いてアメと読む。羽衣伝説の天女のような美しい女性になるようにと、ママがつけてくれた名だ。
果たしてママの願いは叶った。正味な話、私はずいぶん美人だと思う。自画自賛かよと思われそうだが、世の美人の98%は己の美しさを明確に自覚しているものだ。まず歳の割に目鼻立ちがくっきりしていて、整っている。胸はまだあんまりだけど身長は高いしスタイルもいい、手足がスラリと長くて、足首がきゅっとしている。ママはたびたび私のさらりとした黒髪ロングを撫でて「将来はモデルさんかな?」と本気とも冗談ともつかない褒め言葉をくれる。目立つのが死ぬほど嫌いな私にモデルという選択肢はありえないけれど、それでもママに褒めてもらえるのは嬉しい。
“陰気な雨女”と、私のことを陰で呼んでいる奴がクラスにいることは知っている。陰気なのは事実だし、名前が名前だけにそこをイジられるのも仕方がない。でも私はこの名前を結構気に入っている。アマミヤ・アメ。うん悪くない。ジョナサン・ジョースターみたいでかっこいいじゃないか。まあ娘に天女なんて名付けるくらいだから、ママが多少はふわふわした性格なことは認める。でも私はそんなママのことが大好きだ。
女手ひとつでここまで私を育ててくれたママ。
ちょっと頼りない所もあるけど、誰よりも優しいママ。
いつもは明るいママが一人でひっそり泣いている所を私は何度も見てきた。
ママは私が守ってやる。一刻も早く大人になって、私がママを支えるんだ。だから誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも大人びた女の子になろう。物心ついた頃から、私はそう思って生きてきた。そのための努力を惜しんだことも無かった。それがどれだけ同世代の女の子と乖離した価値観だとしても、それでどれだけ彼女たちと話が噛み合わなくなっても、知ったことじゃない。クラスの誰ソレが反抗期真っ最中で、なんて会話を聴くたびにカチンと来る。マジで意味が分からない。もはや私は学校で一切誰とも口を利いていないし、利きたいとも思わない。私には同世代の友達なんかいらない。ママさえいてくれたらそれでいい。
いつも私のために無理をしようとするママ。中学だってお金のかかる私立を強く薦めてくれた。その優しさに報いるため、私は猛勉強して学費免除の特待生枠で入学した。もちろん成績を落とせば特待生で居られなくなる。ますます友達なんかとつるむ暇はない。それでいい。私が学校に求めるのは平穏、ただそれだけだ。影のように目立たずひっそり学校生活を送りたい。
とは言え黙っていても私は目立つ。成績優秀な特待生、人目を引く優れた容姿、おまけに高い身長。これだけの条件が揃えば、いつぞやのあいさつ少女のように嫉妬を買いまくっても不思議ではないだろう。だが私はいじめられたことなどかつて一度もない。いじめられないし、いじめさせない。私は誰にもつけこまれないし、絶対に隙も見せない。威嚇の仕方も心得ているし、噛まれたら必ず噛み返す。そういう気概はけっこうオーラとなって伝わるものだ。だから私はいつまでも“物言わぬ孤高の人”でいられる。あるいは“何を考えているか得体のしれない変人”か……まあどちらでもいい。いずれにせよ、皆しっかり私を畏れてくれる。
それでいい、もっと畏れろ。そしてそのまま決して私に寄り付くな。
どれだけ浮こうと、疎まれようと、よっぽどヘタを打たない限り、私の平穏は盤石なはずだ。
ヘタを打つ。例えばそう、いじめられっ子の肩を持っていじめっ子の逆恨みを買うようなことなど、絶対にあってはならない。
良い事も悪い事も何も起こらない、文字通り無事な一日を過ごせますように。
今日もまたぞろそんな祈りを込めつつ、私は朝の校門をくぐった。このくらい遅い時間帯にもなると校門付近の人影もまばらだ。私が毎回わざと遅刻ぎりぎりで登校するのは他でもない、授業時間以外で極力教室に居たくないからだ。
始業五分前の予令とほぼ同時に教室に入り、廊下際最後尾の自分の席に着く。鞄を下ろすやいなや、私はとある最終確認を済ませるため教室中央の席にじっと目を注いだ。
視線の先の女の子は黙々と鞄の中を漁っている。何やら探し物らしい。それなりに切羽詰まった表情を見るに、一限目に提出しなければならない宿題のプリントだろうか。鞄と机の中身を洗いざらい外に出してしまった彼女は、はたと思い立ったように席を立ち、私の方へやって来た。ギョッとして体が固まり、私は慌てて目線をそらす。足音は私の席の少し手前でぴたりと止まり、すぐ隣で何やらゴソゴソやり始めた。
恐る恐る目をやると、その子はゴミ箱を漁っていた。そして彼女はそこからチョークの粉まみれになった英語の教科書を拾い上げた。ひとまずホッとした様子の彼女は丁寧に粉をはたき、大事そうにそれを胸に抱え、いそいそと自分の席へと戻っていった。
この時点で私のセンサーに引っかかる挙動は無い。実にいつも通りの多田睦実である。送りっぱなしの視線も一切感知していないようだ。
トイレで初めて言葉を交わした日の翌朝は内心結構ビクついたものだが、今回で私は確信を深めた。
あの無知女は“トイレの先輩”が“クラスメイトの雨宮”だという事実にこれっぽっちも気づいて無い。
あいつが人一倍鈍いというのもあるだろうが、やはり普段からずっと無口で通していたことが大きいだろう。つまるところ鳴かない雉はどうやったって撃たれないのだ。
観察中ひとつ意外だったのは、途中取り乱した私よりもむしろ当事者の睦実の方が一貫して淡々としていたことだ。隠し場所もすぐに見当が付いたみたいだし、きっと過去にも似たような嫌がらせを受けたことがあるのだろう。一瞬でも教室を離れたら狙われる、でも四六時中見張る事は不可能、だったら物が消えたくらいでいちいち騒がないことにしよう。そんな思考が出来上がっているのかもしれない。いじめられっ子も極まると、ある種の落ち着きを身に付けるようだ。
念には念を入れて、もうしばらく観察を続けることにする。
ふと制服の裾ポケットの部分に目が留まる。モスグリーン一色に染まった犬のような猫のような熊のような珍妙な姿形のぬいぐるみが、ひょっこり顔だけのぞかせている。
そっか、あれが昨日言ってた例の……。
(ムツゴローはくまのぬいぐるみなんです お母さんの手作りです 何よりも大切なわたしの宝物です)
ママお手製のぬいぐるみとか…………はんっ、べっつに全然まったくこれっぽっちも、うらやましくなんかねーんだっ。
home
prev
next