#5『ブレィクタイムにフレンズとキャッフェッテェリアでやりなさい』

「ハァイ、それじゃまずこの英文をォ、だ・れ・に、訳してもらおうかなァ~……んっんんんー……アメ・アマミヤッ! スタンダップリーズ!」
「わかりません」私は着席した状態のまま、普段より数段トーンを落とした声でそう告げた。
「grrr……アーハァン……」
 私は決して自ら発表などしない。指されてもいつも答えは“わかりません”。
 授業とは参加するものでは無く、傍観するものである。これは小学生時代より変わらない、授業に臨む際の心構えだ。
 最近このポリシーを貫くのがしんどくなってきた。全てはこの古田という頭の禿げ上がった英語教師のせいである。特待生のくせにまともに指名に応じない私のことがよほど気に喰わないらしい。他の教員が早々に諦めてくれる中、こいつだけは未だにしつこく私を真っ先に当ててくる。影のようにひっそり生きたいだけなのに、これじゃむしろ悪目立だよこの粘着ハゲめ。そうじゃなくても今はうかつに声なんて出せないってのに。
 一応微妙に声色は変えたものの声優志望の誰かさんじゃあるまいし、どれほどの効果があることか。私は睦実をちらりと見やる。オーケー、目に見える異常は無し。
 つーか少しビビり過ぎだろうか。あいつの壊滅的な鈍さを忘れたわけではないのだが。
「トゥデェイは二十日でしたね、じゃあナンバー・トゥエンティ……ムツミ・タダ、スタンダップリーズ」
「っ……! い、いえすっ……にゃ……にゃん」
「にゃにゃ……umm……ホワット、何ですかァ?」
「わっ、わたしもこの問題わかりません、にゃん」
「oh……ミス多田ァ、アニメごっこならブレィクタイムにフレンズとキャッフェッテェリアでやりなさい……今は授業中だ」
「わ、わかりました……にゃん」
「おま、お前……俺のことバカにしてますかァ?」
「違いますにゃん!」
「多田ァァ!!」
「ヒッ……すみません……すみません…………にゃん」
「ニャンだコノヤロオ!!!」古田は青筋立った拳を教卓に打ち付けた。「ファッ……ふざけんじゃないぞ! なんだこのクラスはどいつもこいつも、態度最低なバッボーイばかりか、ああ!?」
 うわすごいこっち見てる。とんだとばっちりだよまったく。
「特に多田! お前のことは担任のミスタ田辺に報告して厳重に注意してもらうから覚悟しろ!」

 その後の教室の空気は最悪だった。
 そしてその空気を作った張本人は終始うつむいたまま耳を真っ赤にさせて、ガタガタと仔犬のように震えている。ギスギスした雰囲気が消えぬまま一限目が終わると、睦実の元に二人の女子生徒が駆け寄ってきた。
「ナイスファイトだったぜムッチー、やればできんじゃーん!」
「予想以上に面白かったよん、ムッチー」
「あっひゃっひゃ、しっかし見たかよあのハゲの茹でダコみたいなツラ!」
「傑作だったね。『にゃんだこのやろー』って、ばかみたい」
「てかあいつ絶対途中ファッ○って言いかけたよな、○ァックはだめだろ教師として」
「久々にあのBFC(ブレイクタイムにフレンズとカフェテリアでやりなさい)も聞けて大満足だよん」
 櫻井清美と遠藤孝子、先の一件の裏で糸を引いていた黒幕だ。
 常日頃様々なやり方で睦実をいじめ抜いている主犯格の二人で、睦実は完全に奴らのおもちゃだった。
 バカな方が櫻井で、悪知恵が働く方が遠藤。ふたりとも相当にタチが悪いが、白痴ゴリラヤンキー櫻井より性悪ドS参謀遠藤のほうが輪をかけて始末におえない。趣味の悪い“遊び”を思いつくのはいつも遠藤で、今回の企画も奴が考案した。

ムッチーで遊ぼう企画第十二弾『らぶりーにゃんにゃんデー』
 ルールは単純。
 今日一日いついかなる時でも睦実は必ず語尾に“にゃん”を付けなければならない。たとえ授業中であっても。
 沈黙は絶対にNG。
 ルールを破ると手痛いペナルティが待っている。
「だいぶ前から温めてた企画なんだよん。明日は二十日だから、出席番号二十番のムッチーは毎回高確率で当てられるってわけ」
「ナルホドさっすが孝子、あったまいーな!」
 昨日の夕方、遠藤が櫻井に得意げに説明していた。

「……遠藤さん、櫻井さん、もうこれ、やめていいにゃん?」
「おいおい冗談じゃねーよ、いいわけないだろ、こんな面白いのに」
「せっかく天が与えたファニーボイスなんだから、活用しなきゃもったいないよん?」
「ひゃっひゃ、こいつ放送部もすーぐ辞めちまったからな」
「私ムッチーの挙動に終始萌えっぱなしだったよん。二限目もさっき以上のクオリティを期待してるね、ムッチー」
「もうやだ、こんなの……」
「あっれぇ~、それを言うなら、もういやだにゃん、だよー?」
「おいおいルール破っちゃだめじゃねーか、ムッチー」
「罰ゲームけって~ぃ」
「ひゃっひゃっ、どうする孝子?」
「そーだね、何がいいかなぁ……」遠藤孝子のデフォルト装備のニヤケヅラが悪魔的な不吉さを帯びていく。「眉毛とか燃やしてみる?」
「うっは、それいい! あたしのライター使おうぜ」櫻井は上着の胸ポケットからジッポを取り出した。
 事態のヤバさを理解した睦実の顔から急激に血の気が引いていく。
「ひっ……い、いや……」
「だ~いじょうぶ安心してムッチー、焦がすのは眉毛だけだよん」
「あくまでただの罰ゲームなんだからさ、アタシらだって越えちゃいけないラインくらい心得てるつもりだぜ」
 いやどう考えてもK点越えだ……。
 いつものことだが、教室を見渡してもやはり誰一人奴らを咎めようという気配はない。連中はひとり残らず見て見ぬふり、ニヤニヤしている顔もちらほら、まるで面白い見世物を期待しているかのように。
 こいつら……。
「清美、抑えてて」
「あいあいさー」
 ゴリラ櫻井が睦実の両手を後ろに回してがっちりロックした。
 遠藤はジッポを持ってない方の手で睦実の前髪をかき上げ、八の字に歪んだ眉毛をあらわにする。
「いやあぁぁぁぁ、やめてぇぇ!」
「こらこら暴れっと皮膚まで焦げちゃうぜー」
「んーと、そうだなあ、ムッチーが“やめてにゃん”ってカワイ~く言ってくれたら、やめてあげてもいーよん?」
「や、やめてにゃんっ……やめてにゃんっ!」
「ダメー♪」

「っ…………熱っ……ああついあついあついぃい!!!」

「っははははははあははははは!」
「あっひゃっひゃっひゃっひゃ! こげくさー」
 遠藤と櫻井は机をバシバシ叩いて大笑いした。
「コイツのリアクションまじちょーウケるよぉ」
「ほんとムッチーで遊ぶのは面白いなぁ~」
 睦実は左目を手のひらで抑えてうずくまり、がくがく肩を震わせている。

 ほどなく休み時間が終わる。
 教室の中はさっきの騒ぎが嘘のように整然と静まっていた。そして睦実の席からは、机に伏して震えていた彼女の姿は忽然と消えている。
 チャイムと同時に初老の数学教師が入って来る。彼は出席簿をチェックし、教室を見渡す。
「ンー、今日は欠席ゼロとあるが、ひとつ席が空いとるな。はて誰だ?」
 遠藤が手を挙げる。「はーいセンセー、私さっき多田さんがお腹をおさえて教室を飛び出していくのを見ましたー」
 すかさず櫻井が合いの手を入れる。「なにそれウンコじゃねー?」
 数人が反応してクスクス笑う。
 つくづく隠蔽工作に抜け目がない。
「あいわかった静粛に……そいじゃ早速、前回の終わりに出したヤツの回答から始めるぞー、誰か自信のある者は板書してくれー……いないかー?」白髪交じりの頭を撫でつつ、名簿に目をやる。「じゃあ出席番号二十番のぉー……は多田か。じゃあ二十一番──」
「先生!」
 ひどく馴染みのない声が教室に響いた。
 皆の視線が声の方へ集まる。そして手を挙げている声の主の姿を見取ると、教室中がにわかにざわつき始める。
 でも誰より戸惑っていたのは声を発した本人だ。
 おいおい、どういうつもりだよ……。
 正気か、私は。
「おぉ雨宮ぁ、おまえついに、ついにヤル気を出してくれたんだな……先生いつか、この日が来るって信じてたぞ!」
「いえ、私もお腹が痛いのでトイレに行かせてもらいます」
 私は痛くもない腹をさすりながら教室を出ると、すぐさま“あの場所”へ走った。
 さすがに告発までしてやる義理も勇気もなかったけどさ……。
 必ずあいつの口から告発させてやる。
「あ゛~もう、なにやってんだ、私は」
 遠藤も、櫻井も、無知女も、見てるだけの他の連中も、何の恨みでこうも私の平穏をかき乱すんだ。
 これ以上イライラさせんなド畜生!


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