もう魔王の影くらいは見えそうなほど、冒険は佳境を迎えております。
 あー様は先日、伝説の剣を手に入れました。わたし達も伝承に残っているような名のある装備を手にし、否が応にも決戦の日が近いことを思い知らされています。
 しかし、アレクスさんなどが高まる気合を抑え切れない様子でいるのとは対照的に、あー様はかつての行動力も見る影なく、最近はどこかうわの空だったりします。
 今日辿り着いた街。おそらくはこの冒険最後の街となるはずです。秘境と言われるような地の果てまでも冒険したわたし達は、世界の全てを渡り歩き、魔王の住むこの大陸に乗り込むただひとつの転移魔方陣によって、ここに到着しました。
 正直街があって助かりました。野宿にも慣れたものですが、最後の休息はやはり宿で取りたい乙女心です。
 空はどことなくどんよりとしていて、街の人も活気がありませんが、わたし達が魔王を倒すまで後少しの辛抱です。
 あー様はうわの空なりに、習慣でいつものように街中を練り歩きつつ、街の人々との会話を行いました。
 そして宿に。あー様の様子は気になりますが、おそらく明日こそは最終決戦。わたしは緊張ですぐには眠れませんでした。

 あれから一ヶ月。
 宿のベッドが心地よく、また野宿をしたとして安眠できるか不安です。
 あー様は、いよいよ出発するかと思ったら、レベル上げをすることに終始したり。冒険初期に攻略したダンジョンに戻って、取りこぼした宝箱から今は不要となった武器を手に入れたり。急に必要としない弓矢の技能を磨き始めたり。
 あの自信過剰なぐらいのあー様が、どう見ても魔王退治を敬遠するようになりました。勇者様に反発するなど夢にも思わないアレクスさんやマーリンさんは、
「機をうかがっているのでしょう」
「焦る必要はないという判断じゃ」
 と、さほど気にしていない様子。
 もちろんわたしもあー様を信用していますから、たきつけるような事はしませんが、そうではなく、その、どうしてなのか、何を思っているのかが気になっております。
 勇者様自身に疑問を持つようで、とても失礼なのですが、でも、そうではなくて、あー様が持っているかもしれない不安を取り除いて差し上げたい、という気持ちなのです。

 あー様は、今日は袋を漁って道具や装備品を点検しているみたいです。取り出した道具を、取り出した逆順にしまって、それだと実際使う時に取り出しづらいため、また取り出して元のように詰め直しています。
 いつもいつも変わった行動を取ってきたあー様ですが、今はそういうのとは違う、ただ無意味な行動を取っているのがわたしには分かりました。あー様は、伝説の勇者様はなぜ世界をお救いにならないのか――
「……伝説の勇者……」
 ポツリと、そう声に出してしまった事に気付き、わたしは慌てて口元を抑えました。
 恐る恐るあー様を見ると、顔がこちらを向いていました。手に持った道具をそのままに、まるで時間が止まったようです。わたしは悪いことをしたわけでもないのに、とてつもない罪悪感のようなものを感じました。
「あの、違います。あー様」
 あー様は手に持った道具をそのまま落として、立ち上がり、部屋を出ていきました。
「待って、あー様!」
 急いで扉を出て追いかけましたが、すでにあー様の姿はそこにありませんでした。

 あー様は街で一番高い建物の最上階にいました。そこからは街の全貌が見下ろせます。地平線に目を向けると、魔王がいると言われる、いつも暗雲に包まれた背の高い城も見ることができます。
 わたしは一日中街を探し歩き、夕日が差す頃、あー様を見つけることができました。僧侶という職業にありながら、今のわたしは丸一日歩きまわれる程度には体力があります。

 あー様は、ここからわたしが探しまわっている姿を見ることができました。ですが、声をかけて自分の居場所を教えてはくれませんでした。
 それはやはり、あー様が意地悪な方だからでしょうか。
 それとも。
 あー様は、ここにわたしが登ってくる姿を見ることもできました。ですが、逃げることなく待っていてくれました。
 それはやはり、あー様がお優しい方だからでしょうか。
 ――わたしは、そのどちらでも構いません。
 ただ、どちらかであって欲しいとは思うのです。
 今のあー様はどちらでもなく、何も考えようとせず、魂が抜けたようにボーッとしているだけなのです。

「あー様」
 あー様はわたしを振り返り、隣を少し空けました。わたしは歩いて近寄り、そこに収まります。
 二人で街を、世界を見下ろしました。
「……あー様は、世界救うの嫌になりましたか?」
 あー様はいつものお決まりのポーズを取る事もなく、時折わたしを見るだけです。
 探している間、会ったらどうしようか考えていました。聞きたいことや言いたいことは色々あるような気がしましたが、恐れ多いとか伝説の勇者様の考えなんてわたしには分からないとか思ってしまい、それはまったくまとまりませんでした。
 だから用意した言葉ではなく、今世界を見下ろして、魔王の根城を一望して、思ったことをただ口にしました。あそこに辿り着いた時、わたし達の旅は終わります。
「冒険が終わるのが、嫌になりましたか?」
 あー様はわたしを向き、ゆっくりと親指を立てました。
「それでしたら、魔王を倒してからも、冒険しましょうよ」
 あー様は親指を立ててくれません。
「……わたしとの冒険は嫌ですか?」
 ちょっと意地悪な事を言ってみました。チョップされました。
「冒険楽しかったですね」
 親指を立ててもらえました。
「わたしもいっぱいレベル上がりました」
 親指を立ててくれました。なんだか嬉しい。
「海の洞窟。あそこ、わたし大活躍でしたよね」
 無反応。
「あれ? ほら、みなさんがやたらに痺れまくってたのを、片っ端から回復しました」
 無反応。僧侶だから当然だということでしょうか。
「あー様がクラーケンと戦っている時に痺れて、でもわたしは法力があとちょっとしか無くて、それで体力回復と痺れ回復どちらにするか悩んで結局痺れの方を回復したら、次のあー様の一撃でクラーケンが倒せたんです。痺れが自然回復するのを待ってたら全滅の危機でした。あの時のわたし、いい判断でしたよね! ねっ!」
 今度こそグッと親指が立てられました。覚えておられますか。あの時も同じように親指を立てていただきました。
「今、戦争している国で、わたし牢屋に入れられましたよね」
 お腹を抱えて笑われます。
「でもあれって、あー様が入れたんじゃないですか。……きっとバチが当たったから、その後あー様も投獄されたんです」
 チョップされます。わたしは、あははと笑いました。
「あー様、何であの時、その……わたしがおトイレ見ないでって言ったのに、見たんですか?」
 あー様はその場で足踏みするようにキョロキョロとして、結局無反応――かと思いきや親指を立てました。
「どういう意味ですか!」
 お腹を抱えて笑われます。
「あの時の脱出劇は、一番わたし冷や冷やしました。レベルも全然低くて、でもあー様がいたから頑張れたんです」
 キョロキョロ。
「わたしが諦めかけた時、わたしを抱きかかえて階下に飛び降りましたよね。あの時みたいに……もう一回、抱きしめてくれませんか?」
 キョロキョロ。
 キョロキョロ。
 ……チョップ。
「痛いです……もう。あー様はこんな時なのに、もう」
 わたしは怒ったようなふりをします。なんだか、今、あー様がとても近くに感じます。
「世界をずっと旅してきて、この街ほどじゃないけれど、どの国も魔王の脅威にさらされているのがよく分かりました」
 二人でまた街を見下ろします。
 日は既に落ちて、ところどころに弱い街の灯りが見えます。城下町とかとは比べるべくもなく、同じくらいの規模の街と比較しても、この街の夜は暗い。
「わたしは……魔王を倒して、世界を救いたい。この世界の住人なら誰もがそう思う事でしょう」
 あー様の方を向きます。
 あー様の張り付いたような薄い笑顔を見つめます。
「あー様。あー様は勇者様です。伝説の……勇者様です」
 無反応。
 わたしは言いました。
「……あー様。勇者様とは何者なのですか? 多分、きっと、それは聞いてはいけないことなのでしょうね。でも、でも、あー様。あー様はその…………この世界の人では……ないん、ですか?」
 あー様は無反応。
 ただ、動きのないあー様のその所作が、わたしには答えるのを迷っているように見えて、次の言葉を紡げませんでした。
 わたしはあー様の返答を待っている。でも、あー様を問い質しておきながら、あー様にできれば……その嘘を突き通して欲しいとも思っている。
 わたしは「別の話をしましょう」とでも言ってこの話を打ち切らないといけないのに、結局それができませんでした。
 そして、あー様は、ゆっくりと親指を立てました。
 そして、抱きしめてくれました。
 あそこに辿り着いた時、冒険は終わる。
 この世界を救う役割のあー様との冒険は、終わる。

 翌日。あー様の命令がみんなに伝わりました。

<出発>
<目的地:魔王城>




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