魔王の城は森の中にあり、わたし達はまず森を抜ける必要がありました。
かつて別の大陸で森を抜けるとき、あー様は好奇心旺盛に周辺一帯を練り歩き、真っ直ぐ抜ければ二日かからないところを一週間かけて踏破しました。
そして今、あの時の森とは違うオドロオドロしいこの森を前にして、あー様はどうしているかというと……またも同じようにウロウロしながら道無き道を進んでおられるのです。
巨大アリクイの落とし穴寄りを歩いて下を覗きこんでみたり、毒の沼地を道にしてグッチャグッチャと毒しぶきをあげながら歩いたり、大蜘蛛の糸が網の目のように張り巡らされた木々の上を獲物よろしく渡り歩いたり。
あー様の後を影のようにきっちり付いてこさせられるわたし達は、とても大変です。
すっかりいつもの調子を取り戻したかのごとく、冒険を楽しんでおられるあー様。わたしもならって、魔王を倒す旅という事を一時忘れて、楽しもうと試みました。
でも、ごめんなさい、あー様。魔物の住処を笑顔で歩き続けることは、まだわたしには難しいようです。特に大蜘蛛。見るだけで全身から力が抜けます。本当に申し訳ありません、あー様。一刻も早く、ここを抜けたい。
それでも歩みの早くなったわたし達の前では、一日とかからず森は踏破されました。
目の前には魔王の住まう城。塔のように背が高く、天辺は雲にまでかかっています。
最後の戦いが待っています。
城の中は空気こそ淀んではいましたが、空間が広く取られ、おぞましくも気品はあるようです。調度品などは少なく、よく見れば閑散としてはいるのですが、これまでのダンジョンとは違い、迷路のような構造はしておらず、王の住まう城としての体を成していました。
なので、その攻略自体は意外なほど苦労はなく、わたし達は一歩一歩を最後の戦いへの心の準備にだけ割くようにして歩き進めました。
何時間経ったでしょうか。
まったく同じフロア構成の連続に、永遠に続くのではないかと思われたところに変化が現れました。他の扉の四倍は大きく、色も赤くて、ゴツゴツとした意匠も施されている大扉。
あからさまに、この先何かがあると告げています。
わたしやアレクスさん達が頷き合う中、あー様はさっさと手荷物の確認を始めていました。毎度の事ながら緊張感などなく、どこか事務的です。それでこそあー様なんですけれど。
わたしに、みなさんの体力をしっかり満タンとするよう、指示がありました。
アレクスさんには予備の属性付きの武器と、みなさんの体力を法力無しで小回復できる秘宝が手渡されます。
マーリンさんは最後尾にいたアレクスさんと隊列を入れ替わります。
そして、あー様が先頭に立ち、扉を両手で押し開きました。
入り口からまっすぐ敷かれた赤い絨毯の上を歩きます。その先には玉座。そこに座る一人の人間の姿がだんだんと見えてきました。
あれは……まさか!
「……よくぞここまで来たな。勇者たちよ」
なんというドラマなのでしょう。彼はかつて訪れた、わたしが投獄された国の宰相です。
「あ、あなたが何故?」
わたしはその場の空気で、ちょっとだけ出しゃばってそう言いました。
「……私は魔王。かつては人間だったけれどな……」
魔王がいきなり気になる発言をします。
「かつては人間だった、だと? それはどういう事なのですか」
アレクスさんが片足を一歩前に出し、そう問いかけます。
「……昔の話。もはやどうでもよい事だ」
自分から気になる事を言っておいて、それはヒドイ。
「おぬしが宰相として糸を引いていた国で、親を目の前で殺された子どもの話を聞いた事があるのう」
マーリンさんがあごひげを手で弄びながら、突然名推理を始めます。
「……どうでもよい事だと言っている!」
魔王が怒り始めているようです。
「確か、騎士隊長の男が娶った姫にずっと好意を抱いていた二人の幼馴染でもある魔法師団長の召喚した魔物によって騎士隊長と姫が殺された、という話ですね。まさか、その二人の子どもが魔王、あなたか!」
アレクスさんがいつになく饒舌になっています。
「……ククク、そうだ。その召喚された魔物に育てられて私は魔王となった。初めて殺した人間はその魔法師団長だ!」
悲しい。なんて悲しい話なのでしょう。そして最後にあー様の勇ましい声が、
「だからといって、人間全てが悪ではない!」
あー様かっこいい。あー様はここぞという時に、時折誰かに用意されたようなかっこいいセリフを言うのです。普段無口気味で、変わった行動の多いあー様だけに、ギャップでわたしは痺れてしまいます。
見るとあー様は、何故か真横を向いていて、魔王というよりいくつもある松明の一つに言っているような形になっていました。
どうして違う方向を向いていたのかは分かりません。小さなミスですが、他のところをいくつか目を瞑ってでも、こういう大事なシーンだけは何とかして欲しかったものです。
しかし、魔王の方は瑣末なこととしてそれに反応することはなく、
「……ならば止めてみせよ! 勇者の力とやらで!」
そう言って、ついに戦いの火蓋は切って落とされました。
魔王の攻撃。手に持った杖による物理打撃、最上級の爆発系呪文、補助系の魔法を解呪する得体のしれない専用の技。
早い。こちらの誰よりも早く攻撃を繰り出してきました。しかも、一時に三つもの行動を取れるなんて、さすが魔王です。最後の行動は先制したうえでは意味の無いものだと思うのですが、そういうところも脅威です。
わたしは定番の戦略として、みなさんの力や防御を補助する魔法を唱え始めました。続いてあー様やアレクスさんが武器を振りかざして突撃していきます。
魔王はそれらを片手で払いのけるようにして防ぎます。杖なんかをもって魔法使いっぽく見えますが、案外肉体派なのかもしれません。呪文も唱えていましたし、さすがに魔王ともなれば、偏りなくなんでもできるのでしょう。
マーリンさんが、あー様達が払いのけられて退くその隙間を縫うように、火の玉を光線のように一直線で魔王へと放ちました。人の動きで避けられる速度ではありません。見事魔王に直撃。一瞬にして魔王が青白い炎に包まれます。
マーリンさんが使える魔法の中でも最上位にある炎の呪文。魔王戦なのです。始めから最大火力を惜しみなく使っていくのは、当然ですね。
あー様の命令が下りました。
え? と一瞬思いますが、あー様の命令に逆らう事などありえません。わたしとマーリンさんはそれきりで、呪文を唱える事をやめます。
魔王を包む青白い炎が全てを焼き尽くし、やがて収まりました。まさかこれで魔王は倒せたのでしょうか。周辺には焼けた絨毯と玉座があるばかり。魔王の亡骸はありません。
しかしどこからか、
『……クックック』
と、辺りに響き渡る不気味な魔王の笑い声が聞こえました。
『……おもしろい。我の本当の力を見せてやろう』
そして湧き上がった黒い煙が収束していき、再び姿を現した魔王。魔法使い寄りの外見だった先程よりも、ガッチリとした肉体を見せる格好をし、角も生やしています。一転肉体派の外見となりました。
「変身……じゃと」
「これは、手強そうですね」
マーリンさんとアレクスさんが歯噛みして感想を漏らします。
変身だなんて、これはなんという熱い展開。武者震いをしながらあー様を見ると、よそ見しながら薬草をガジガジとかじって、僅かな体力消費分を回復していました。
さすがにここに至っては、緊張感が欲しいです。あー様。
しかし、すぐに思い直します。よくよく考えれば、まだ戦い始めて一度剣を交えたぐらいでしかありません。わたしもあー様に習って、冷静に魔法の草をガジガジかじらせてもらいました。
きっと、これが勇者あー様流の戦い方なのです。あー様と一緒なら誰が相手でも負けないのだから、リラックスしていいのです。いつの間にかわたしの緊張もほぐれ、武者震いさえしなくなっていました。
勇者様を見ます。目が合って、グッと親指を立てられました。
魔王が後二回ぐらい変身しても、倒せそうな気がしてきました。
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