「……グオオオオオオオオオオオォォォ……」
地の底から聞こえるような、重低音の断末魔。
ついに、魔王は倒れました。
レベルも十分にあり、間違いなく世界屈指のパーティであったわたし達にとっても、それは死闘と言える闘いでした。始めは長身の男性ぐらいだった魔王は、最終的に三度の変身を経て、体積が十倍ぐらいになっていました。それが今、暗黒の煙となって霧散していきます。
その光景を前に死力を出し尽くして膝をついていたみんなは、痛みも忘れて立ち上がり勝鬨をあげました。
アレクスさんが吠えています。普段礼儀正しい彼が、最後の闘いの間は自分を奮い立たせる為にか、叫び続けていました。今も喜びで息継ぎをしては吠え続け、まるで魔物か獣のようです。新たな敵を呼ぶことがないように願います。
マーリンさんが両手を天に掲げて何か感謝の言葉を叫んでいます。僧侶であるわたしと違って、神に祈るような姿を見ることはこれまでなかったのですが、今は平然と「神よ」とか言っています。調子がいいですね、このおじいさまは。
あー様は……あー様は、ただ魔王の骸の前に立っていました。崩れゆく魔王だった塊を見下ろし、力なく手から延びた剣は今にもその指から零れ落ちそうです。勝利したことを喜んでいるようには見えませんでした。感慨にひたっているような、哀愁の漂うお姿。
「あー様」
その背中が淋しそうで、思わずわたしは近づき、声をかけました。
振り向いたあー様は、しかしいつもの凛々しいお顔に薄い笑顔のままです。そして、わたしを抱きしめてくださいました。
「あー様」
あー様。魔王は倒されました。
あー様。この世界は平和になるんです。
あー様。わたし達の世界のために、ありがとうございます。
休憩の後、僅かに回復した法力で皆さんの体力を回復すると、興奮するアレクスさんは、すぐに魔法で王様の元へ飛んで帰ろうと言い出しました。
わたしはそれをなだめて、伝達は魔法で済ませてあるから急ぐ必要はないと言いました。
マーリンさんも、凱旋パーティの準備のため、数日空けて戻るのが良いと言ってくれました。
結局アレクスさんは、マーリンさんの説得を受けて、足で帰ることに納得してくれました。
マーリンさんがわたしにシワの多い目でウィンクをしてきます。マーリンさんはあー様の抱える事情について、何か知っているのかもしれません。
わたし達は、すっかり大人しくなり影を潜めた魔物達を知り目に、数日間の帰り旅を楽しむ事にしました。
魔王城近くの最後の街は、魔王が倒された事が魔物の様子やどんよりとしていた空気の変化からいち早く気づき、ある種パニック状態でした。おそらくは良い事だと思ってはいるが、突然の変化でどうしてよいかよくわからないといった感じでした。
わたし達が町長のところへ出向いて説明すると、街は夜までの間にお祭りの準備を整え、滞在中は見られなかった盛大な騒ぎとなりました。
これを行く先々でやっていたらいつ帰れるか分かったものではありません。わたし達は一ヶ月以上続くのではと思われた狂乱から、逃げるように翌日出立しました。
秘境の一つ。妖精たちの住むジャングル。
お借りしていた法力無しで体力を小回復できる秘宝を妖精女王に返却しました。こういう旅でなかったらお目にかかることもなかった妖精さん達が、クルクルと回ってわたし達の事を称えてくれます。
その姿がもう可愛くて可愛くて、つれて帰りたくなります。……ああ、一匹、ぐらいなら。
ビシィッ!
あー様のチョップは、きっといつだって正義のチョップなのでした。
広大な砂漠を、低空飛行する魔法の乗り物で素早く横断します。
霧の深い世界最大の湖を、封印の解かれた祠からひとっ飛びに転移します。
浮遊大陸と地上を結ぶ塔を、人間達との確執の歴史を解決した雷の精霊の力でもって、カラクリ仕掛けの箱により移動します。
帰りの旅は、わたし達が成した功績や奇跡を確認するものでもありました。苦労した長い道を一瞬で行き来できてしまう事に、どこか悔しい気持ちを持ってしまったりもしますが、出会う人々みんながみんな感謝を伝えてきて、もうたまりません。
あー様は照れ隠しなのか開き直っているのか、その度にわたしを横から、後ろから抱きすくめるのです。
あー様。わたしはせっかく平和になった世界から、恥ずかしさで消えてしまいたくなります。
わたしが捉えられた国。魔王であった宰相のいた国。
戦争でボロボロでした。宰相に糸を引かれて始まった争いは、正義も悪も信念も目的も曖昧で、ゆえに見るべき決着を見つける事ができないまま、不満の膨れ上がった国民による内部からの崩壊で幕を閉じました。
魔王を倒して手に入れた平和は、この国にはほとんど関係がありません。
わたし達の旅は、まだ本当の意味で終わってはいないのではないか。そう思いましたが、あー様は宰相の両親の墓跡に空チョップをしただけでした。
異世界から来た勇者様。
その目的は、わたし達には計り知れないものです。
そして旅の出発点。始まりの国へと戻って来ました。わたし達の到着が隣の街から港からと、人づてで詳細に伝わり続けていたのでしょう。街の入口から城まで、人垣によるうるさくて艶やかな凱旋の為の道が作られていました。
そこを歩くわたし達三人。
ええ、三人です。
わたしはあー様に抱きかかえられて進みました。アレクスさんは民衆に手を振り、マーリンさんはなるべく腰を曲げずに歩きます。わたしがすることは、両手で顔を隠す事でした。
ごめんなさい、あー様。嬉しさよりも、圧倒的に恥ずかしさが勝ります。でも、なぜだか自分で歩くとは言い出せません。嬉し恥ずかし乙女心。ああ、頭の中が混乱する。あー様との冒険では、よく混乱させていただきました。
そして凱旋パーティ。
それは三日三晩続きました。
それが終わった時、あー様は新たな冒険へと一人で旅立たれました。
別れの言葉もなく、出立するお姿を見たものもいないそうです。
王様は言いました。まこと、伝説の勇者であった、と。
アレクスさんは言いました。彼こそが真の勇者です、と。
マーリンさんは言いました。あの方はいつまでも勇者であるのじゃろうな、と。
でも、わたしは願うのです。
あー様が、勇者様という殻で自分を偽ることなく、ただのあー様として、今は幸せな日々を歩んでくださっていたら嬉しいな、と。
…………なんてね。
また、いつでも気軽に勇者あー様となって、散々意地悪されてもめげずにあー様を信頼し、いつだって出迎える準備を欠かさない日々を過ごしている、このマリアの元へ戻ってきてください。
ずっとお待ちしていますよ。
あー様。
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