彼のことが好きだと思った。
 それは早朝に蓮華が音を立てて咲くように突然のことだった。本当は彼と初めて会った時に、もう種を抱えていたのかもしれない。そして芽吹いて、茎を伸ばし、葉を広げ、つぼみをつけていた。それが、今、開いた。ゆっくりと数年かけて育った花は私の心にしっかりと根付いていた。
 今まで色恋に興味がないわけではなかったが、そんな余裕はないとか、まだそんな年齢じゃないとか、あれこれ理由をつけては、自分とは無縁のものだと考えていた。それなのにどうだ。ずっと笑顔でいてほしいとか、名前を読んでほしいとか、悲しい時はそばにいてあげたいとか、触れたいとか、らしくもない欲求がふつふつとこみ上げてくる。お陰でなんだか落ち着かない。いつものように振る舞いたいのに、心も体も自分のものではないようにうまく動いてくれなかった。

ロマンチシズムは似合わない


「おい、忍田」
 毛利に声をかけられてハッとする。視線を上げると呆れたような表情を浮かべる四人の顔があった。思いの外長く思考にハマりこんでしまったようだ。
「ごめん。何?」
「もう! ちゃんと聞いててよ。両片思いは害悪だって話」
 怒ったような口調とは裏腹にうきうきした様子の寺井が言うが、まったく要領を得ない。
「どういうこと?」
「……塩見と、橘田だ」
 有家の口からこの場にいない友人の名前が挙がる。塩見と橘田が両片思い? 両片思いってあれか。お互いにお互いが好きなのにどちらからもアプローチしなくて、でも傍目から想い合っているのが分かっちゃうやつか。「二人って付き合ってるの?」とか下手に聞いちゃうと、どちらからも「付き合ってないよ」と赤面で否定されるあのよく分からない状況か。それを、あの二人が?
「全然気付かなかった……」
「見ているこっちがもどかしいからな! そこで私たち五人で協力してあいつらをくっつけてしまおうと思う!」
 小松はいつもながら突拍子もない提案をする。「おーっ」と手を上げて乗り気なのは寺井だけで、有家は我関せずといった様子で本を読んでいるし、毛利は「どうしてあいつの恋路を手伝わなきゃならない」と憤慨している。
「忍田はどうする?」
「どっちでも構わないさ」
 塩見も橘田も大切な友人だ。二人が幸せになれるなら応援しよう。
 そう言った意味のことを伝えると、小松がまずは確認を提案してきた。本当に二人は両片思いなのか。私たちだけが勝手に盛り上がって、実は違う人が好きでしたなんて言われたら堪らない。だから、お互いがちゃんと想い合っているのか聞いてみようということだ。
 とりあえず言いだしっぺの小松が塩見に、話を聞いていなかったペナルティとして私が橘田に、後日話を聞くことになってその場は解散となった。


 橘田、塩見、有家、小松、寺井、毛利、そして私は近所では仲良しの元気っ子と評判の七人組だ。保育園の頃から男女まじって裏山を駆け回ったり川で遊んだり、はたまた誰かの家でゲームをしたり、晴れていても雨が降っていても遊ばない日はなかった。馬鹿みたいに笑って時々けんかもした。小学生、中学生と年齢を重ねるにつれて、やんちゃをすることが少なくなっても、それぞれに友達が出来ても、男女の差が出来ても、私たちは一緒だった。あまりにもそれが普通であったから、それなりの年齢になっても私たちの誰かが、私たちの誰かに恋情を持つなんて考えたことがなかった。幼馴染と言うよりはまるで兄弟のような関係と思っていた。
 それが覆されたのはあの日だ。
 あれはたまたま町に出たときだっただろうか。それとも誰かの家で勉強したときか。何をしていたのかは胡乱気であるけれど、この地方にしては珍しく涼しい夏の夕方の帰り道だったことは覚えている。私は彼と二人きりであぜ道を歩いていて、突然いつになく真剣な顔の彼に「好きだ」と言われた。私は「ごめん」と答えた。彼はすぐに「変なこと言って悪かった」と困ったように笑って、それは終わった。そして私たちは何事もなかったかのように友達に戻った。他の五人は彼が私に告白したなんて知らない。少しくらい気まずくなってしまうのではないかという私の心配が杞憂に終わるほど、彼はいつもと変わらなかった。
 そう、私が好きになったのは、数年前に自ら振った人物だった。
 誰が一度振った相手の告白を受けると言うのだろうか。周りにそういう人もいるかもしれないが、きっと彼は違う。今更好きだなんて言えるわけがない。だからと言ってすぐにこの気持ちを捨てられるほど弱い気持ちでもなかった。
 慣れない想いを抱えながら、私は橘田にメールを送った。


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