王の周囲には三人の人物がいた。一人は政治を執り行う中心人物というべき宰相である。歴代の王と宰相は総じて不仲であったと言われることが多いが、最後の王と宰相に関しては、それは間違いである。彼らは幼友達の間柄であったし、しばしば二人が王の居室で語らっていたことは城の誰もが知っていた。その内容はほとんど明らかでないが、おそらくは他愛もない話題であったに違いない。





*****


 途中まで読んだ本を閉じ、窓の外を見やった。すっかり春めいた日が傾き始めている。少し早いが灯をともすことにして、私は席を立った。そのついでに、温かな紅茶を淹れることにした。暖かくなったとはいえ、日が沈んだ後はまだ冷えるし、その寒さに対抗できるほど、もう若くはない。
 テーブルの上に今朝届いたばかりの手紙が一通。私は紅茶のカップとその手紙を持って、再び席に戻った。先程まで読んでいた古びた本を追いやり、代わりに今度は手紙の封を切ることにする。名前を見なくてもわかる差出人からは、毎年この季節になると必ず手紙が届いた。一輪草の花の押し花とともに。私はその文面を、温かな紅茶を飲みながら読み、そして返事を書く。返事といっても、送られてきた手紙の内容に対するものではない。相手もそれを望んでいるわけではなかった。

 ゆっくりと首を回し、ペンを手に取る。書くことは決まっていた。





 橋の下に入るその日の朝、彼は私の部屋にやってきた。初めてのことだった。私はまだベッドから出たばかりで、寝間着姿のままだったから、彼はそれを見て笑った。いつもきちんとしている私が珍しいといって、いつものように無邪気な顔で。
 何をしに来たのかと、問うた。私は眠っていなかったし、頭は冴えていた。彼はまた笑った。何をしに来たのかって、君に会いに来たんだよ、と。
 思えば、彼はいつもそんな調子だった。なぜ王になるのかと問うたときにも、なぜ一輪草をそんなにも愛でるのかと問うたときにも、いつも同じ答えを返した。今でも一字一句違わず言える。それはもちろん、この国を愛しているからさ。

 私に会いに来たと言った彼は、私の部屋にある椅子に座った。白いシャツに、黒のズボン。髪はいつもどおりぼさぼさのままで、うっすらと笑みを浮かべて。その手には一輪草の花を持っていた。
 ほんの少しだけ、私は彼がわざわざ別れの言葉でも言いに来たのだろうかと考えた。けれど、彼がそのような人間ではないことを、あなたもよく知っているだろう。私はすぐにその考えを打ち消した。彼はいつもどおりの会話を望んでいた。つまり、他愛もないことを延々と話し続ける、そんなことを。
「最近、街ではおもしろい服装が流行っているみたいだね」
 会話の始まりは、彼のこの言葉だった。部屋の窓から眺めていて、ふと気がついたらしい。私もそのことは人から聞いていたから、すぐにその話に乗った。そう、街では奇抜な格好をすることが流行っていた。
 あなたは知っているだろうか。白いシャツに白いネクタイ、白いジャケットを身につけて出歩く人が本当に多かったのだ。今から思えば信じられないが、流行とはそういうものらしい。
 私と彼は、なぜその服装が流行ったのか、いつまでそれが続くのか、などについて語り合った。朝に話すことではないし、ましてあの日に話すことでもなかっただろう。けれども、私たちはしびれを切らした輩が呼びにやってくるまで、ずっとそんなことを話していたのだ。それが、私たちの日常だったから。

 彼が橋の下に入るとき、多くの人々が見に来ていたことを覚えているだろうか。あのとき、私は彼と最後に話したことを思い出していた。彼もそうだったかもしれない。
 正直に言おう。私はあのとき、彼のことを止めたくて止めたくて、仕方がなかった。たとえ他に誰も味方がいないとしても、私は彼のことを連れて、どこか遠くへ隠れたかった。そして、平穏な日々を暮らしたかった。今でもときどき夢に見るほど。
 彼があのとき笑っていなければ、あるいは私はそれを実行したかもしれない。けれど、彼は笑っていた。いつもどおり、この国の人々を見て、幸せそうな顔で。私たちが守ろうと決めた、その顔で。

 そういえば、彼が私の部屋にやってきたときに持っていた一輪草の花は、どこにいったのだろうか。それだけが、今もわからないのだが。


 手紙を書くのは、あなたも言ったとおり、これで最後にしよう。押し花をありがとう、さようなら。









home  prev  next