彼女はいつも、カメラは私の目なの。と言っていた。
今年の桜も今日の空も今のあなたの笑顔も、二度と同じようにはできないからと。
写真という形で時間を切り取ることによって、彼女は、今、目の前にあるものが失われことに備えていたのだろう。おそらく、彼女の目に映っていたものはいつだって「いつかは無くなってしまうもの」だったのではないかと彼は思っていた。
今日は土曜。蒼井は朝から部屋を片付けていた。
この前、井川が部屋に来たときに見ていた多くの写真の他にも、数えきれないほどの写真がある。彼は妻の蛍のことを故人として見ていなかった。
この七年間ほとんど彼女のものには手を付けなかった。
久しぶりに彼女の写真を見たくなった。彼女を忘れないために。
ずっと、彼は昨日井川に言われたことが忘れられなかった。
妻を支えられなかったことの悔やみ、その悔しさが妻を忘れないようにさせているんだと。その通りかもしれない。
部屋に、不安を感じさせる写真を置いて彼女を忘れることのないようにした。
自分はこんな形で、ずっと妻に添い遂げていくつもりなのかと彼は自分に問いた。
彼は写真を片付け、午前中のうちに掃除機をかけて皿を洗った。
今日は天気が良く、夕方になると綺麗な夕焼けがベランダから見えた。
彼はその夕焼けがもっと見たくて買い物に出かけた。
帰り道、真っ赤だった夕焼けはもう沈んで暗くなっていた。
今、あの頃の彼女の年齢も超えてやっと彼女が考えていたことが少し分かるような気がする。七年も経てば頭も冷える。何も知らず無力で、自分も彼女も未塾だった。
あの結婚を全うする力がなかった、彼女はそう考えて、出来る限り自分の将来に存在を残さないようにしたのではないだろうか、と彼は思った。
傲慢かもしれないが、彼は、彼女に愛されていないと思ったことはなかった。
離婚しようと言われたときでさえ。
夕ご飯を済ませてテレビを見ていた。土曜日ということもあり、隣の部屋の彼女は家にいるだろうか。
いつもビールを手にベランダに出てくる彼女は今日、何をして過ごしていたのだろうか。


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