1.
2010年3月21日。
あ。
今日は私の誕生日だ。
濃いめのコーヒーを啜りながら、ふとそんな事を思い出した。
まるで歯磨きし忘れた、ぐらいの軽さで。
丁度、深夜3時の出来事である。
多くの人にとっては眠りの時間だろうと思われる。
まぁ、若い人はまだ起きているかもしれない。
私もかつてはそうだった。
老いを感じる。

というのも、私にとってこの時間は“朝”になる。
夜9時に起きて、深夜3時少し前に起きる。
そしてコーヒーを飲みながら、本を読んだり勉強をしたりして過ごしている。
これが既に、私の日課である。
その事を授業で話したら、いつの間にか生徒達の中で私のあだ名は“髭紳士”から“2:50”に変わっていた。
2時50分が何を意味しているのか?
単に時間を指しているだけなのか?
私には分からない。
これが所謂、ジェネレーションギャップというものか!
老いを感じる。

まぁ、生徒達からどう呼ばれようと私は全く気にしない。
全然気にしたりしていない。
全然。
…はい。

閑話休題。
そんな日々を過ごしている私なのだが、今、1人である。
この無駄に広い、本だらけの家の中で。
私はたった、1人である。
別に私が除け者にされているという訳ではない。
1人息子はもうずっと昔に自立して、今は外国にいる。
国境なき医師団、だったか。
努力が得意な子だったから、今や多くの人の役に立っている事だろう。
自慢の息子だ。
ただ1つ小言を言うならば。
出来れば先に、父の腰を直して欲しい。
家の境さえ超えるのが大変なのだ。
まぁ、それでも無事でいてくれさえすれば、それで良い。

私の妻は、20年以上も前に病気で死んでしまった。
彼女は、妻の瞳は私にとって太陽だった。
大好きだった、心から。
心の底から。
だから、瞳が死んでしまったその年、1989年は私にとって最悪の年だった。
私はしばらくの間、茫然自失であった。
太陽が無くなったのだから、当然の事である。
生きる事に希望を見出せなかったのだ。
また、私は―未だに恥ずかしい限りだが―ずっと瞳の部屋にも入れなかった。
瞳の部屋の掃除をしてくれたのは、息子の刻だった。
私も、そして刻も何も言わなかった。
しかし、刻は私の意を汲んで、何一つ文句を言わずに瞳の身辺整理をしてくれたのだった。
そう、あの頃からだった。
刻が医者を目指し始めたのは。
目指したところで、なかなか簡単に医者になれるような世界ではない。
世間はそこまで甘くない。
でも、刻はそれをやってのけた。
出来る限りの時間を勉強に費やして。
出来る限りの努力を人生に費やして。
本当によく出来た息子である。
刻が志望大学に合格した時に、私はこんな事を聞いた。
「どうして医学の道に進んだんだ?」
私には理由が分かっていた。
それでも聞きたかった。
私の心の中の利己的な部分がそうさせた。
つくづく、恥ずかしい父親である。
刻は答えるのに少し間を空け。
そして、私を気遣いながら、
「母さん、最後までずっと笑ってた。僕、家に居たのに、何も気付けなくて、それで…」
私は最初の言葉でもう泣いていた。
耐えられなかった。
刻も泣いていた。

そんな事もあったなぁと、今しみじみと思い出す。
そんな刻も今年で37歳である。
おっさんである。
私に言われたくはないだろうが。

まぁ、つまりは、それだけ時が過ぎたという事なのだろう。
時の流れというものは残酷なものである。
瞳がいなくなった時の悲しみはもう殆ど薄れているのだ。
それが良い事なのか悪い事なのか、私には分からない。
しかし、生きている以上、私は前に進まなくてはならない。

そう、進まなくてはならない。
コーヒーを飲み終え、本も読み終わり、丁度朝日が顔を出し始めた。
朝御飯を食べた後、スーツに着替えた私は古ぼけた愛用のカバンを持って、腰を押さえながら家の境を越え、徒歩10分の最寄駅に向かった。そこから電車で50分かけて大学近くの駅まで行き、そこからまた15分ほど歩く。
正直、しんどい。
そうして、ようやく大学南館西廊下奥の自室の椅子に腰かけるのである。

さて最近、私の研究室に新たな学生がやってきた。
所謂、卒研生というやつである。
今年は私の進退の関係から―当然身体も関係しているが―私の下で研究する生徒は1人だけであった。
性格が悪いと評判の関准教授が意図的に1人にしたという噂も聞く。
別の噂では、彼が教授になりたがっている、と。
その為には私が邪魔らしい。
結構な話だ。そして、どうでもいい話でもある。
私はなりたくてなった訳ではなかったし。

ともかく。
その1人の生徒はやってきた。

美女である。

もう1度言おう、美女である。
いやむしろ、美少女に近いのか?
いやいやいや、そこは問題ではない。
とりあえず、綺麗だ!美しい!
名前は忘れたが、女優の誰かに似ているような気がする。
ショートカットで清楚な感じの可愛い女の子である。


3度目であるが、もう1度言おう。
私は進まなければならない。

もう、1人は嫌だから。

そして今、大声で叫びたい。


我が世の春が来たああああ!

と。


おっと、自己紹介が遅れてしまった。
最近、何かと物忘れが激しくなってきている。
老いを…いや、もういい。

私の名前は、中津川時彦。
今日で、69歳になる現役バリバリの教授である。
どうぞよろしく。


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