【エピローグ】

今年もまた春が来た。
私にとって71度目の春になる。
長い長い冬を越え、新たな生命の息吹が爽やかに吹きわたる。

最近、いろいろと出来事があった。
私の最後の余談として、ここに残しておく事にしよう。

1つ目に、私の送別会があった。
私はしなくて良いよ、と前もって言っていたのであるが、生徒達はどうしてもと言って開いてくれた。
私の送別会と言うととても気恥ずかしい。
自分の研究を学会で喋る事よりも恥ずかしいかもしれない。
飲み会としては普段とほぼ変わらない形であったが、普段と1つ違う所があった。
あの関先生の参加である。
普段は絶対に参加しない、万年不参加の男が、である。
そして、私が皆の前で別れの言葉を話し始めると、

「うおおおおおおおおおおおお!」

関先生が大声で泣き始めた。
ビクッとした。
何を言っているのか分からないが、どうやら私との別れを惜しんでくれているらしい。
本当に他人には伝わり辛いのだが、彼は良い奴なのである。
不器用すぎるけれど、きっと彼なら良い教授になれる。
そんな気がする。


2つ目に、息子の刻である。

「いやぁ、写真を見たら会いたくてたまらなくなっちゃってさー」

孫を連れて日本に帰ってきた。
もちろんすぐに帰ってしまうのだが、久しぶり顔を見られて本当に嬉しい。
息子の嫁の由実さんも相変わらず元気そうで何よりだ。
孫の小唄は、まるで天使の様な男の子である。

「じーじ、ちゅきー!」

そう言いながら抱きついてくる。
めちゃくちゃ可愛い。
目に入れても痛くない思いである。

「痛ッ、痛いよ…やめてね、こーくん」

目に入れても痛くないが、髭を引っ張られると痛い。

でも引っ張られても怒れないのが、じーじである。

本当に会えてよかった。

また会う日まで健康でいないと。

ちなみに刻に腰を治して貰った。
え、そんなに簡単に治るのって思った。
それだけ経験を積んだという事なのだろう。

本当に自慢の息子である。


3つ目。
池澤 楓くんの事である。

「わ、私…好きな人が出来たんですっ!」
「おお、それは良かったね。って事は初めて好きな人が出来たんだね?」
「そうなんです、前にもお話しした通りで…」

楓くんからは前に恋愛相談を受けた事があった。
人を好きになるのが怖くて、誰も好きになった事がない。
そんな悩みだった。

「そうか、楓くんにもとうとう好きな人が出来たのかぁ」

その男性が少し羨ましいけれど。
今の私は1人じゃない。
もう大丈夫。

「で、その人はどんな人なのか聞いても良いのかな?

彼女は頬を赤らめながらこくんと頷いて、

「すごく優しくて、頼りになって、面白くて、憧れの人です…!」
「ほう!すごいね!とっても可愛らしい君に、相応しい男みたいだね」
「先生、1つ聞いても良いですか?」
「ん?何だい?」
「愛って何なんでしょう?」
「!? うぇっふぉ、げほんげっほん!」
「大丈夫ですか!?」
「ああ、うん、大丈夫大丈夫。ええとね」

愛っていうのはね―
一言で言えば与えるものなんだ。
一人だけじゃなくて、自分の周りのたくさんの人に。
自分に出来る精一杯の愛をね。
でも、相手に愛を強要はしてはいけない。
もし相手が愛を返してくれたなら、ありがたくそれを貰えばいい。
そんなシンプルなものなんだ。
本当はもっと難しいものなのかもしれない。
でも、勉強だって最初から難しい事をしたって分からない。
それと同じ。
だから最初は簡単でいい。
長い時間をかけて。
それこそおじいさんおばあさんになるまでに分かればいいんだよ。

「まぁ、ある人の受け売りなんだけどね。でも、私も同じ思いだよ」
「ありがとうございますっ!参考にしますね!」

そう言って楓くんは微笑む。

「あ、そうか…。ははっ、なるほどねぇ!」

久しぶりに私の癖が再発した。
楓くんはキョトンとしている。

「ああ、ごめんごめん!いやね、ずっと気になっていたんだ。楓くんって女優か誰かに似ている気がしてたんだけど、どうしてもその名前が思い出せなくってさ。それもその筈、君に似ていたのは女優じゃなくて私の奥さんだったんだよ」
「え、そうなんですか!?」

彼女はそう言ってにこっと笑う。
そう、その笑顔が。
瞳の笑顔とそっくりなんだ。

「通りで私が楓くんに惹かれる訳だ」

楓くんはもう照れ過ぎて顔が真っ赤である。
本当に可愛らしい。

「先生、またお家に遊びに行っても良いですか?」
「ああ、もちろんだよ!大好きな彼と一緒においで!美味しいお菓子とコーヒーを用意しておくよ」

その時彼女が何か言ったような気がしたが、私の耳では聞き取る事が出来なかった。
少し寂しそうな顔である。
まぁ、別れとはそういうものだ。

彼女はずっと手を振って見送ってくれた。




もう、この学校ともお別れである。
寂しくないと言えば、真っ赤なウソになる。
めちゃくちゃ寂しい。
それが本音である。
でも、2度と会えない訳じゃない。
この古ぼけたカバンを持って、たまにひょっこり顔を出すかもしれない。

両脇に桜が咲き誇る道を通って、私は帰る。
桜吹雪も私との別れを惜しんでくれているかのようだ。
でも、きっといつか戻ってくる。
私と一緒に生きた、皆と会う為に。

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