校外学習の日は雨が降っていた。
 集合時間にはポツポツとしか降っていなかった雨も、その1時間後くらいにはザーザーと凄まじい音をたてて僕らの足元を濡らしていた。
 水族館への校外学習は楽しいものだった。そんな楽しい校外学習も、残りは電車に乗って学校に帰るだけとなった頃、ある事件が起きた。
 美羽と手塚の班が電車を乗り遅れたのだ。
 ようするに集団から逸れてしまったのだ。教師達は慌てていた。僕も少し慌てていた。
 このまま完全に美羽たちが迷子になってしまったらどうしよう……とか思って本気で慌てた。僕たちが慌てていた頃、美羽たちはいったいどうしていたのだろう?
 僕は、そんななことを疑問に思ったりしていた。
 そのことを後日、僕は手塚から聞かされることになるのだが、僕はその話を最初は信じることができなかった。

 僕らは二人で学校からの帰り道を歩いていた。
 梅雨も明け、真夏の太陽の陽射しが痛いくらい体に突き刺さっている。
「この前のさぁ、校外学習のとき、俺ら電車乗り遅れたじゃん?」
 手塚は帰り道にそんな話を振ってきた。ずっと気になっていることだったので、僕も話の先を聞いてみることにする
「あ、うん。あのとき、大丈夫だったの?」
「全然。大丈夫どころか変なもん見ちゃって……正直かなり滅入った」
 手塚の顔には本当に気が滅入ったよ。という感じの表情が浮かんでいた。手塚がこんな表情をしていることは珍しいから、僕は少しびっくりした。
「あの日さぁ……美羽がかなり機嫌悪かったんだよ。いや、いつも悪いけどさぁ、なんか……いつも以上に機嫌悪いの。なんか俺とも全然口きいてくんねぇし」
 それは確かに意外だった。美羽は別に手塚のことを嫌っているわけじゃないだろうし、鬱陶しがってる振りをしていても、それは、あいつなりのコミュニケーションであって、とにかく意外だった
「うん、それで?」
 と、僕は先を促すように、とりあえず相槌ついておく。
「うん。それでさぁ、様子おかしいから訊いてみたんだよ。気分でも悪いのか? って、そしたら何て言ったと思う?」
 手塚は何か僕に答えて欲しそうだったが、僕には検討もつかないので「さぁ」と少し控えめに答えておいた。手塚は僕の答えに満足しなかったのか、少し僕を睨んだがすぐに目をそらして、話を進めた
「まぁ、お前は美羽が言うことなんて想像できないよな……」
 その言葉に今度は僕がムっとしたが、キツイ視線を送っただけで言葉では突っ込まなかった。
「別に、ちょっとしんどいだけだから。でも、今日はあんまり声かけないで。って言ったんだぜ」
 手塚はいつものオーバーな身振り手振りで、そのときの状況を僕に報告した。確かに信じられなかった。
 美羽は人にあまり弱みを見せない。僕にも、手塚にも。さらに、女子の友達にもあまり見せないらしい。
 その美羽が「しんどい」と口にするのだから、相当疲れていたのだろうと思う。なんとなく、美羽がその言葉を発したときの顔が想像できる。きっと、必死に笑みを作って周りに心配をかけないように努力していたのだろうと思う。
 案の定、手塚はこう続けた。
「そのときの、美羽の顔がさぁ……スゲェ無理してて、笑おうとしてるんだけど、すっげぇダルそうで……多分、熱でも出てたんだろうな、ちょっと顔赤かったし」
 思ったとおり手塚はそんなことを言った。
 僕はそんなに驚かなかった。熱が出ていたというのも、美羽なら納得できる。責任感の強い美羽ならば、自分が班長になっている校外学習を休むわけがない。そういう真面目な奴なんだ。
 それで美羽がフラフラで無理してたから、集団から逸れたわけか、ありえなくもない。
「で、帰りの電車に乗る前に、美羽ちょっとトイレ行って来るって言って、どっか行っちゃったんだよ。なんか、あのときは顔が青白かった」
 手塚の顔を見ると、少し苦しそうな顔をしていた。手塚は、きっとしんどそうな美羽の顔を見るのが辛かったのだろう。
 おそらく美羽がトイレに行っている間に、僕らと逸れたのだろう……。
「美羽がそんなに気分悪そうだったのに、なんで先生に何も言わなかったんだよ」
 僕は無意識にそんなことを言っていた。僕の口調は少し荒れていた。
 手塚は答えなかった。僕もその後は黙って歩いた。
 そこら中で鳴いているセミ達が、僕たちの沈黙を取り繕っている気がした。


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