日曜日。本当だったら弘美と過ごしていた休日だが、今日はせっかく晴れているので、近所に新たにできた大型商業施設に母親と二人で行くことにした。今までこんなに大きな施設に買い物に行くことなんてほとんどなかったから、内心わくわくしていた。
そういえば母親と買い物するのも久しぶりだなぁと感慨深げに思う。弟を事故で亡くしてから、家の中がどこか暗い雰囲気のまま立ち直れないでいたからだ。どこかに一緒に出かけるということも、目に見えて減った。でも、今日は久しぶりに親との買い物だ。せっかくの機会だし、精一杯楽しめるようにしなければ。
 電車で二十分程揺られて、目的の場所に着いた。休日ということもあり、たくさんの人であふれかえっていた。真新しいショッピングモールは、嫌というほど私の好奇心をかきたてた。
 私たちは早速、すぐ近くのお店に入って服を買うことにした。
「アンタこれ似合うんじゃない?」
「良いかも。これ欲しいな」
「これはどう?」
「あぁ……迷うなぁ。どっちもいいかも」
「じゃあ両方買ってあげるわよ。こんなの久しぶりだし」
「ホント? ありがとう」
こんな会話もトンとしてなかったなぁと思うと、今日来てよかったと、少し胸が晴れた。
 一方で、買い物をしながらも、弘美だったらどんなものを買うのだろうと想像していた。きっとこんな服が似合うんだろうなぁとか、そんなことを考えながら、いつか一緒に買い物をする日へ想いを馳せていた。
 オシャレなレストランで少し遅めの昼食を済ませた後は、映画を観に行くことにした。どうやら恋愛ものの邦画で、母が観たい映画があるらしい。私はその要求を快諾した。
「CMでよくやってるよね、この映画」
「そうなのよねぇ。前からずっと気になってたのよ」
なんでも有名監督の最新作で、キャストもすごく豪華だという。私はそういった流行に流されることはないが、母の世代ともなると、周りはそういう話ばかりなのだろうか。家でよくこの映画を観たいと言っていたことを覚えている。
 結果から言えば、よくある内容の映画だなぁという感じだった。あるカップルの恋愛をテーマにした作品で、結果的にヒロインが亡くなってしまうというありきたりな内容で、感動はしたものの、取り立てて心の琴線に触れるような映画ではなかった。だが、母は違ったらしい。
「すっごく良かったわね、もう涙が止まらないわ」
ぼろぼろと人目もはばからず泣いていた。
「お母さん泣き過ぎ。恥ずかしいからやめてよ」
「だって感動しちゃったんだもの。あぁ涙が止まんない」
確かに泣く気持ちは分からないでもないが、いくら感動したからと言っても、隣を歩く私の気持ちも考えてほしい。正直こんなに泣かれたら恥ずかしい。
「もうっ……」
少し呆れてしまったが、涙でぐしゃぐしゃになった化粧を直してもらいに母親にトイレに行かせた。
 最後に晩御飯の食材を買って帰ることにした。
「今日は何が食べたい?」
「何でもいいよ、お母さんの好きなもので良い」
「そういうのが困るのよねぇ。何でもいいから言って」
「じゃあ、ハンバーグ」
「オッケー」
そして店に入ろうとした時、ふと視界の端に見覚えのある顔が見えた。
「石原君……?」
その横にいる女の子は……。
「もしかして、弘美……?」
可愛くて女の子らしいファッションに身を包み、化粧をした弘美の姿がそこにはあった。
「なんで、あの二人が……」
「どうしたの、由香里」
「あっ、ううん。なんでもない」
「……? そう。じゃあ入るわよ」
後ろ髪を引かれる思いだったが、楽しそうな弘美と石原君の姿を目に焼き付け、母と共に店に入った。
 それにしてもおかしい。弘美が男の子と一緒にいることも、あの二人が一緒にいることも、弘美が女の子らしい格好をしていることも、何もかもが。なんで? どうして?
「予定って、まさか」
石原君とのデート。あの場面を見てしまった以上、それ以外に考えられなかった。
「ねぇ、由香里、ホントに大丈夫? 具合でも悪いの?」
「ううん、なんでもないよ。大丈夫」
「そうは思えないけど……」
「大丈夫だって」
「そう……なら良いけど」
本当は大丈夫じゃなかった。けど、我慢するしかなかった。母もそれ以上は何も言わなかったが、おそらく大丈夫じゃないということには気が付いていたのだろう。私は泣きそうになったが、必死にこらえていた。

 買い物も、結局ずっと上の空で、母の後ろを付いて回るだけの状態だった。頭の中はずっとあの二人のことだけ。今までにあの二人に接点があるようなことを感じさせる出来事はあっただろうか。思い出してみても思いつかない。どうしても繋がらなかった。
 そんなことを続けているうちに、気が付けば電車に乗っていた。母は私の異変に気付きながらも、どうすればいいのか戸惑っている様子だった。ずっと二人の間には沈黙が流れていた。
 そのまま静かに家路に就く。すぐに自室に向かって布団にもぐりこむと、涙がとめどなく溢れてきた。どうしてだろう。弘美に対する嫉妬? 石原君が他の女の子と一緒にいることの悔しさ? 弘美に嘘を吐かれていたことが悲しいから? それとも、その全てなのかもしれない。
 ひとしきり涙を流して、少し落ち着いてきた。とにかく、弘美が石原君と二人でいたことは確かなのだ。でも、ただその事実が信じられなかった。今まで弘美は恋愛に興味を示したことはなかった。だとしたら、なぜあんなところで二人でいたのだろうか。
 とりあえず、落ち着いて金曜日のことを思い出す。石原君のことが好きだと言った時、弘美はどんな反応をしていただろう。
「あー、覚えてるわよ。へぇ、あいつかぁ……」
今まで忘れていたが、言われてようやく思い出したかのような反応をしていた。それはつまり、弘美がとっさに嘘を吐いてその事実を隠したということになる。ということは、弘美は石原君と仲が良かったことを、私に知られては都合が悪い事情があるはずなのだ。その上、弘美が私の誘いを断ったのは金曜日のこと。つまり、私が弘美に打ち明けた日と同じ日。だから、私が石原君のことを好きだと知る前に、二人は遊ぶ約束をしていた可能性が極めて高い。二人は私のこととは関係なしに遊ぶ予定があったんだ。
 もう一つ気になることがある。弘美は普段オシャレには興味を見せず、浮いた話にも興味を持たなかった。だが、あの場にいた弘美は、化粧をして、可愛らしいファッションで、実に女の子らしい姿だった。きっとそれは、私にすら見せない、石原君にだけ見せた姿なのだろう。ということは。
「弘美も、石原君のことが好きなんだ……」
それ以外に、考えられなかった。
「どうしよう……ソラ。……あれ、ソラ?」
ソラの姿が見当たらない。さっきまでいたはずのソラの姿がなかった。ソラは私の部屋に籠もることが多く、あまり家の中を歩き回ることがない。あるとしたらご飯のときだけだ。リビングにでもいるのだろうか。階段を下りてリビングへ向かう。
「お母さん。ソラ見なかった?」
「見てないけど」
「ソラ? どこにいるの?」
声をかけながらソファの下やテーブルの下など、部屋の中をくまなく探してみたが、ついにその姿は発見できなかった。
「どうしたの? ソラ見つからないの?」
「うん。どこ行ったんだろう」
今朝は確かにいたはずだ。外には出ない猫だから、もし外に出ていたらと考えると少し不安が募る。仮にそうだとすれば、どこか窓が開いていたのかもしれない。私は走って自室に戻り、窓を確認した。
「開いてる……」
きっとここから出たんだ。外に出たことがないソラにとって、外の世界は危険だらけだ。事故に遭う危険性もないとは言えないのだ。ソラの身が危ない。
「お母さん! ソラ探してくる!」
それだけ言って、玄関を走り抜けた。

 とりあえず近所をぐるっと一周してみる。家と家の隙間や、石垣の上にいないか注意しながら見て回ったが、野良猫の姿すら見当たらなかった。外出している間に逃げたのなら、もっと遠くに行ったのかもしれない。捜索範囲を広げる必要があるようだ。
 少し離れたところにある近所の公園や、駐車場を覗いてみた。何匹かの野良猫の集団を見つけはしたが、その中にソラの姿は発見できなかった。
「もうっ……。どこにいるの」
日が暮れるまで近くを探し回ったが、どこにも見つからなかった。とりあえず、いったん家に引き上げることにした。
「お母さん、ソラ帰ってこなかった?」
「いないわね。私も少し探し回ったんだけど」
「どうしよう、お母さん。ソラにもしものことがあったら……」
「きっと大丈夫よ。またひょっこり戻ってくるわよ。私も明日また探してみるから、今日はもう家にいなさい」
「でも……」
「大丈夫。きっと無事だから」
母に諭され、今夜は捜索を打ち切りにすることにした。

 晩御飯のハンバーグは、あまり味わうことが出来ずに食べ終わってしまった。母との会話もほとんどなく終えてしまった。風呂に入り、自室に戻ってベッドに潜り込んで考え込む。今日はいろいろなことがあり過ぎた。弘美と石原君のこと、ソラの失踪。大切な存在が、一度にたくさん遠くへ行ってしまった。その負担は、私にとって大きすぎた。涙が止まらなくなってしまった。
「うっ……ああっ……うぐっ」
どうして、こんなことになったんだろう。浮かれてしまっていたんだ。窓をきちんと確認しておけば、ソラは脱走なんてしなかったはずだし、あんなところに行こうだなんて言い出さなければ、二人の姿を見ずに済んだんだ。そこには、もう後悔の思いしかなかった。

 耳をつんざく目覚まし時計の音で目が覚める。どうやら泣き疲れて気付かないうちに眠ってしまったようだ。布団から出ようとして、ソラがいないことに気が付く。
「あ……そっか。いないんだ」
いつもいるはずの存在がいないというのは、こんなにも心細く感じるものなのだろうか。今日は少し早く出て、ソラを探しながら登校しよう。
そう決めたところで、弘美のことを思い出す。
「メールだけ送っておこう」
今日は先に学校に行っておいてほしいという内容のメールを送信する。もちろん、ソラを探すことだけが理由ではなかった。弘美と顔を合わせるのが怖かったことの方が、理由としては大きいだろう。とにかく、いつにもまして憂鬱な朝だった。
 学校へ行く支度をして、いつもより早く家を出る。
 家と家の隙間などの狭い所や、見えづらい所に注意を払いながら探し回る。本来は登校ルートに入っていないところも通りながら探し回ってみたが、結局徒労に終わってしまった。
 そうしていくうちに、いつもの交差点に来ていた。当然だが、そこに弘美の姿はなかった。学校で弘美と会ったら、昨日のことを聞くべきだろうか。でも、それ以前にどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。普段通りに接することが出来るだろうか。
「……考えてても仕方ないよね」
弘美の取る態度で決めよう。それ以外の選択肢を選ぶ勇気は、今の私にはなかった。
 結局、ソラは見つからなかった。また帰るとき探して回るしかない。時間も時間なので、急いで学校へ向かう。
 チャイムぎりぎりに教室に入り、着席する。弘美の方をチラッと窺ってみると、先週学校で見た姿と変わらない様子だった。日曜日に見た姿はまるで夢だったのではないかと錯覚するほどに、普段通りだった。このままあの態度を突き通すつもりなのだろうか。
 一限目の授業が終わり、休み時間になると、弘美がおもむろに立ち上がり、こちらに向かってきた。
「今日どうしたの?」
「ソラが脱走しちゃったみたいで、探してたの」
「ソラって……あの猫ちゃん?」
「うん」
弘美は少し驚いた顔をしたが、また元の表情で続けた。
「見つかった?」
「ううん。見つからなかった」
「そうなんだ。見つかるといいわね」
「うん」
それだけ言うと、弘美は自分の席に戻って行った。やはり、昨日のことは何も口に出さなかった。それなら、私も見なかったふりを続けるべきなのだろうか。それにしても、何か弘美の言葉の端々が尖っているように感じた。
 昼食の時間になった。いつもなら弘美の方から私のところまで寄ってきて一緒にお弁当を食べるのだが、今日は、弘美は無言で教室を出て行った。学食か売店で何か買って食べるのだろうか。それとも、石原君のところにでも行くのだろうか。もしそうだったら、と思うと、胸が痛くなったが、結局のところ、私には真実を知る勇気がなかったのだ。仕方なく、お弁当を机の上で開けて、一人で食べることにした。
 しばらく具を口にしながらドアの方を窺っていたが、弘美は一向に帰ってくる気配がなかった。私と同じように、弘美もまた私と顔をあまり会わせたくないと思っているのだろうか。私が好きだと言ったその相手と一緒に過ごしていたのだから、後ろめたい気持ちがあるのだと思う。もし、本当にそうなら、私にとっても好都合のような気がしてきた。今、弘美と顔を合わせても普段通りに接することは難しいだろうし、これ以上事態をこじらせることもない。ソラのこともあるし、他のことにあまり気を削がれたくない。
 結局、弘美は五限目ぎりぎりになるまで帰ってこなかった。その後の休み時間も何のやり取りもせず、一日の授業がすべて終わった。
 いつもならこのまま二人で帰るところだ。しかし、この日は違った。終礼が終わった後、突然弘美から話しかけられた。
「今日は用事あるから先に帰る」
話しかけられることは予想だにしてなかったので驚いたが、思った通り、弘美の方も私とは顔を合わせづらいのだろう。
「うん。分かった。じゃあね」
弘美は一足先に一人で帰って行った。話すだけ話して、一度も目を見ずに去って行った。
「ふぅ……」
さて、帰ろう。ソラを探さないといけないし。


home  prev  next