一度家に帰ってみた。もしかすると帰ってきているかと思ったが、やはりまだソラは帰ってきていなかった。
 朝辿ったところをもう一度探してみる。だが、ソラの手がかりになるようなものは何一つ見つからなかった。
「はぁ……どこにいるんだろう」
やはり、待つ以外にどうしようもないのだろうか。朝通らなかったところも調べてみたが、ソラは見つからなかった。
 気付くと川沿いに足を運んでいた。無邪気な子供たちの遊ぶ声がこだましている。サッカーをして遊んでいるようだ。堤防の斜面に腰を下ろして、その子供たちの姿をじっと眺めていた。
「何してるんですか?」
 突然聞こえた声のする方を見てみると、中学生か高校生くらいの男の子が私の後ろに立っていた。童顔で、どう見ても年下にしか見えないが、周りを見渡してみると、近くには私しかいない。彼は私に話しかけているようだ。
「え、えっと……」
「あ、もしかして、失恋してたそがれる女の子の真似……とか?」
「ち、違います!」
「あっ、そうですか」
いきなり何なのだろう、この人は。
「で、何か用ですか」
「いえ、何でもないです。ただ、背中が寂しそうだったので。隣、良いですか?」
一体何が目的なんだろう。
「別に良いですけど」
「ありがとうございます」
男が私の隣に腰を下ろす。私は目もくれず、ただまっすぐ子供たちが遊ぶ姿を眺めていた。
「子供たち、楽しそうですね」
「そうですね。私は楽しくないですけど」
少し嫌味を言ってやる。
「見てるだけじゃつまらないですか?」
「そういう意味で言ったんじゃないです」
「じゃあ、どういう意味で?」
しつこいから、とは言えず。
「……なんでもないです」
「……そうですか」
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。すると、沈黙に耐えきれなくなったのだろうか、男の方から話を振ってきた。
「ペットって飼ってます?」
「うん。猫飼ってます」
「へぇ、どんな猫ですか?」
「オスの三毛猫」
「そうなんですか。あれ、三毛猫のオスって珍しいですね」
「うん。三毛猫はほとんどメスなんだけどね。オスは珍しいから福を呼ぶって言われてるみたい」
「なるほど。すごいなぁ」
「私もすごい偶然だと思う」
飼い始めた当初はその事実を知らなかった。それを知ったのは、飼ってしばらく経ってからのことだった。だからと言って、私自身はあまり気にしていなかったのだが。
「猫、可愛いですよね」
「うん、可愛い。でも……失踪しちゃった。今ここにいる理由も、ソラを……その子を探しているから」
「ソラちゃん……か。見つかるといいですね。いや、きっと見つかりますよ」
満面の笑みでそう答えてきた。どこか心を落ち着かせるような魅力を持った人物だ。もしかしたら、悪い人ではないのかもしれない。
「ありがとう」
「いえいえ」
湿った生暖かい風が吹き抜けた。空を見ると曇っている。もしかしたら雨が降ってくるかもしれない。それでも、もう少し話をしてみたい衝動にかられた。
「名前なんて言うんですか?」
「私? 私は加藤由香里。あなたは?」
「望です」
「名字は?」
「秘密です」
「どうして?」
「どうしても、です。まぁ気が向いたら教えますよ」
ニコニコしながらそう答えた。なんか胡散臭いなぁ。そう思ったが、口には出さずにいた。
「望君は、何歳なの?」
「僕は十五歳です。由香里さんは?」
「私は十七歳」
「そうなんですか。僕の姉も十七歳なんですよ」
「へぇ、そうなんだ。どこの高校?」
彼は私の格好をじろじろと見ていた。
「制服同じだし、由香里さんと同じ高校だと思いますよ」
「えっ、そうなの?」
意外なところで接点があったようだ。
「偶然だね」
「そうですね」
「名前は……あ、やっぱり教えてくれないの?」
「……うん、ごめんなさい」
申し訳なさそうな顔で笑う。その顔には、穢れを知らない純粋さが滲み出ていた。
 少し前まで、弘美とは気兼ねなく会話もできていたのになぁ。ふと、弘美との関係を思い出すと、悲しみが込み上げてきた。涙がこぼれ落ちそうになった。
「どうかしました?」
私の様子を案じて、不安そうな顔をしている。彼の声を聞いて、ぐっと涙をこらえた。
「ううん、大丈夫。平気」
「なら良いんですけど」
空模様が怪しくなってきた。そろそろ雨が降るかもしれない。
「雨降りそうだね。そろそろ帰るね」
「はい。あっ、あの」
「ん? 何?」
「明日もここに来ます。気が向いたらまた来てくださいね」
「うん。またね」
そう言って家へ向かって歩き始める。何度か後ろに振り向いたが、彼はずっと手を振り続けていた。沈む夕日の中で手を振り続ける彼の姿は、黒く塗りつぶされた人影のようにも見え、哀愁を漂わせていた。

 家に帰ると、母は既に帰宅していた。
「おかえり。ソラ見つかった?」
「ううん。ダメだった」
「そう……。とりあえずご近所さんには事情を説明しておいたわよ」
「そっか。ありがとう」
自室に戻り、服を着替える。外からは雨音が聞こえてきた。どうやら本降りのようだ。
「ソラ大丈夫かなぁ……」
この暑さだから凍えるということはないだろうが、さすがに雨を浴び続けると体力を奪われるだろう。衛生面でも心配だ。それに、もう一日以上きちんと食べていないだろう。ただソラの無事だけを願っていた。
 
 目を覚ますと、まだ目覚まし時計は鳴っていなかった。雨が窓に打ち付ける音が静寂を切り裂く。昨晩から雨は止んでいないようだった。ソラもあの雨の中で耐えていると思うと、居ても立っても居られなくなった。
 せっかく今日は早起きをしたのだ。早めに家を出て、またソラを探そう。
 今日もまた家の周りを探しながら学校へ向かう。家の隙間を覗いたり、上を見てみたり、あらゆるところを探し回ったが、やはり見つからなかった。
「本当にどこ行ったんだろう……」
皆目見当もつかなかった。
 もともと、ソラは弟が亡くなって一年後、すなわち今から二年前、家の前で弱っていたところを私が見つけて拾った猫だ。あの日も雨が降っていた。生まれてそれほど日も立っていなかったので、相当衰弱していたが、何とか一命を取り留め、それからすくすくと育ってきた。無事に育ったことで、両親も喜んだことを覚えている。
 しかし、それからはずっと私の部屋に籠もりきり、お腹を空かしたとき以外はほとんど私の部屋から出ることはなかった。私にとっては弟を亡くして心の拠り所を失っていたところだったので、毎日毎日ソラの世話をしながら、心の傷を癒していたのだった。何か嫌なことがあるとソラと一緒に寝て、ソラとお喋りをして。もちろん実際に喋るわけではなかったが、私の問いかけにはいつも返事をしてくれていたような気がした。
 そんな毎日を過ごしていた中で、ソラがいなくなったのは今回が初めてだった。弘美のこともあり、私の心にはぽっかり穴があいてしまっていた。
「あっ……」
気付くと涙が出ていた。運よく周りに人はいなかったが、もしいたとしても、傘を差しているし、雨音も手伝って誰にも気付かれることはなかっただろう。泣き声は雨音にかき消されていた。
 今日もまた時間ギリギリに教室へ入る。涙は学校へ向かっている間に止まったが、もしかしたら目は赤くなっていたかもしれないと思うと、少し後悔の思いに駆られた。
 そういえば、今日は弘美にメールを送っていなかった。弘美からメールが来ることもなかった。弘美の方へ視線をちらりとやると、特に変わった様子はなかったし、事情を汲んでくれていたのだろうか。それとも私と学校へ行こうという気にならず、もとから一人で学校へ来ようと思っていたのだろうか。避けられているのかもしれないと思うと、寂しさもあったが、自分にも同じような気持ちがあることに気付き、後ろめたさを感じた。
 今日は、1限目の授業後も、弘美から話しかけてくることはなかった。誰と話すこともなく、ずっと一人で座ったままだった。よくよく考えると、いつも二人でいることもあって、弘美のこんな姿を見るのは滅多にないことだったと気が付く。それくらい、私たちはいつも二人でいたのだ。
 昼休みになると、また弘美は教室を出て行った。今日もまた食べに行くのだろうか。
「ねぇ、野田さんと喧嘩でもしたの?」
「えっ」
突然、級長から話しかけられた。
「……ううん。してないよ」
喧嘩なんかしていない。ただ気まずいだけだ。
「じゃあなんで一緒に食べないの? いつも一緒に食べてるじゃない」
「それは……」
どう答えればいいのか分からなかった。喧嘩をしているわけでもないし、ただお互いが気まずいだけなのだから。
「ふうん。まぁ別に良いけど。あっ、そうそう」
席に戻ろうとして、もう一度こちらへ向き直る。
「早く、仲直りしなさいよね。クラスに波風立つのは嫌なの。それだけ、じゃあね」
それだけ言ってまた席へ戻って行った。
 大きなお世話だ。私たちの間に起こっていることなんて、他の人には関係ない。何も言われる筋合いはないんだ。
 放課後になり、弘美は一人で教室を出て行った。私も話しかけることはなかった。
 そして今日もまたソラを探す。昨日と同じような経路で探してみても、やはり見つからなかった。
 昨日約束したことだし、今日もまた河原へ赴く。すると、雨の中で傘を差して一人たたずむ男の子の姿を発見した。
「望君」
後ろから声をかけると、微笑みながらこちらを振り返った。
「こんにちは」
「うん。こんにちは」
「雨ですね」
「そうだね」
他愛もない会話をする。
「あの、あそこ行きませんか? あのトンネルのところ。雨降ってる中で話すのもなんですし」
指差す方向を見てみると、鉄橋の下に短いトンネルのような場所があった。
「うん。行こっか」
階段を下りて、トンネルの中へ入る。そこは濡れる心配もなく、人通りもほとんどなさそうで、雨宿りには適した場所だった。
「ふぅ……」
二人並んで壁を背にしながらしゃがみ込む。ふと彼の方を見てみると、そういえば制服じゃないんだと気付く。
「学校は?」
「行ってないです」
「どうして?」
「うーん……諸事情で。別に不登校とかじゃないですよ。ただ、行きたくても行けないだけです」
そう言って笑いながら答えを返してくる。ただ、その瞳の奥には悲しさが見え隠れしているような気がしてならなかった。
「……そっか」
「はい」
触れてはいけないような気がしたから、これ以上尋ねることはしなかった。
それにしても、少し望君の体調がよくなさそうに見えた。少し息も荒い。
「体調悪いの? なんか顔も赤いし」
「いえ、大丈夫です。待たせたらいけないと思って、さっき走って来たんで」
「そっか。無理しなくてよかったのに。雨降ってるし、私が来る保障だってなかったのに」
「もし来なかったとしても、来る可能性があるんなら、言い出しっぺの僕が来ないわけにはいかないじゃないですか」
「言われてみれば、それは確かにそうだけど……ホントに大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ」
そう言って、胸を張って元気なことをアピールしてきた。
「でも、しんどくなったら言ってね」
「はい。分かりました。でも大丈夫です」
外では激しく雨が降っている。その音に支配されていた耳に、彼の呼び掛ける声が混じって聞こえる。
「由香里さん」
「ん? 何?」
「悩みとか、あります?」
彼には人の心を読む能力でもあるのだろうか。ついそう思ってしまいそうになった。
「悩み……か。うん。あるよ」
「どんな悩みですか?」
「ソラのこととか……かな」
「あっ、まだ見つからないんですか?」
「そうだね」
「そうなんですか」
二人の間に少しの沈黙が流れる。
「でも、数日したらひょっこり戻ってくるってこともあるみたいですよ。もしかしたら、今は外が楽しいのかもしれません」
「そうだね。でも心配だよ。今まで外に出たことなかったし」
「もうすぐ帰ってきますよ、きっと」
そういってニッコリ笑った。なぜだか分からないが、本当にそうなりそうな気がする。彼にはそれくらい、人を安心させる力があるのだと思った。
「望君が言うと、本当に帰ってきそうな気がしてきた。ありがとう。なんか安心できそう」
そういうと、彼は軽く頷いて自分の手元を見ていた。照れくさいのだろうか。
「他には何か、悩みありますか?」
「う~ん……」
弘美のことを言っても大丈夫だろうか。こんな知り合って間もない中学生の少年に、こんな話をしていいものだろうか。とても年下にするような相談内容ではない気がした。しかし、そんな懸念も、一瞬のうちに取り払われていた。
「どんな悩みでも良いですよ」
屈託なく笑うその笑顔に吸い込まれるように、私は気付かないうちに頷いていたのだった。
「うん。分かった。じゃあ……あのね」


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