弘美とのことをすべて話した。私たちの関係、好きな人のこと、日曜日に起こった出来事、その後の二人のぎくしゃくした関係。それらを洗いざらい話した。
「だから、どうしようかなって……」
「なるほど。僕の考えですけど」
一つ呼吸を置いて、話を始めた。
「弘美さんは、意地を張ってるんじゃないかなって思います」
「意地?」
「はい。おそらくですけどね。弘美さんは、その彼のことが好きなんじゃないかっていうのは、僕もそう思うんです」
あれはおそらく二人のデートの場面だと思う。だったら、それは必然的にどちらかの好意があるはずだ。なら、普段女の子らしい格好をしない弘美があんな格好をしていたのだから、少なくとも弘美の方は好意を寄せているのだと考えるのが普通だ。
「弘美さんは、親友である由香里さんがその彼のことを好きだということを知っているにもかかわらず、デートをしていたわけです。弘美さんは月曜日、そして今日と、由香里さんに対しての接し方が冷たかったのでしょう? それはソラちゃんのことはあまり関係ないはずです。話を聞く限り、そんなことで冷たく接するような仲には到底思えませんしね」
「うん。それは間違いないはず」
「ですよね。続けます。弘美さんは何か理由があって、あなたに冷たく接している。その理由として考えられるのは、もちろんその彼のことですよね。じゃあ、なぜ冷たく接する必要があるんでしょうか?」
「うーん……なんでなんだろう」
考えを巡らせてみたが、はっきりとこれだ、と思う考えが思いつかなかった。なので、その答えを促した。
「一つ言えるのは、弘美さんとその彼は、上手くいっていないだろうということです」
「えっ」
どういうことだろう。だって、あの二人はデートをしていたのに。
「あくまで推測ですけど、もし上手くいってたら、そんな態度はしないんじゃないかな。もちろん、避けようとする気持ちは確かにあるかもしれません。でも、友達だったら冷たい態度は取らないんじゃないかなって思うんです。多少なりとも、あなたを気遣う素振りを見せるはずです」
「でも、弘美は石原君とデートした事実を私に隠してたんだよ? 本当にそう言えるのかな。私には見せなかった一面を石原君には見せた。だったら、弘美の中で天秤に掛けたら、私よりも石原君の方が大切で、私は不要になったんじゃないかなとも思うんだ」
普通ならそう考えるのが普通だろう。だが、その考えはあっさり否定された。
「それはないと思います。逆の立場だとして、由香里さんは弘美さんに対して冷たく当たりますか?」
「……しないと思う」
「弘美さんも、そんなに悪い人だとは思えないです。学校で弘美さんは友達といないということですから、そんなに友達が多いタイプではないのでしょう。だとしたら、数少ない友達である由香里さんに、冷たくするなんて、普通は考えられないです。だから、弘美さんは、何か理由があって、そういう態度を取らざる得ない状況のはずなんです。それが、意地を張ってるんじゃないかと考えた理由です」
意地を張っている……。それの差す意味はよく分からないが、とにかく、意地を張っているから弘美は私に冷たく接しているということだろうか。
「これ以上はわかりません。まぁ、今まで話したのはあくまで僕の推測ですけどね」
そう話し終え、肩の力を抜く。そして大きく息を吐いた。
「なんにしろ、本人に聞いてみないと分かりません。本人としっかり話すべきです」
「うん……。ありがとう」
どういうことなんだろう。見当もつかない。でも、よく考えれば、自分も意地を張っていると言えるかもしれない。弘美も私と同じ気持ちなのだと考えれば、解決の糸口が見つかりそうな気もした。
「人の心って複雑なものですよね」
「まぁ、それは確かにそうだね……」
「だから、本人に聞くのが一番だと思います」
「でも、どうやって聞けばいいのかな……」
「素直に話せばいいと思いますよ。真実を教えてほしいって」
「そっか……」
 気が付くと完全に望君に主導権を握られていた。これではどちらが年上なのか分からない。自分の情けなさに呆れてしまった。
「でも、ちょっと心配かも。ちゃんと教えてくれるかな」
「大丈夫ですよ。気持ちが伝われば教えてくれると思います。あまり遅くなったら、また気まずくなってしまうと思いますよ。彼女もこの件については解決したいと思っているはずです」
「そうだよね……。頑張ってみる」
出来るのなら、弘美と仲直りしたい。またあの毎日を取り戻したい。
「応援してますよ」
そしてニッコリと笑った。
そういえば、望君には悩みはないのだろうか。このままでは年上の私の面子も立たない。
「望君は悩みないの?」
「うーん……そうですね」
顎に手を当てて考え込む。そしてこう言い放った。
「お二人のことについてですかね」
そう言っていたずらな笑顔を浮かべた。やはりこの子にはかなわない。
「まぁ、真面目な話をすると、本当に大切なものは失ってから気付くものです。話を聞いてると、お二人にとっては絶対にお互いが必要な存在だと思うんですよね。きっと心の奥底では、弘美さんも、由香里さんと仲直りしたいと思っているはずですから」
「そうだといいね。私も仲直り出来るならしたい」
「お二人ならできますよ」
「それにしても、ホント望君ってすごいね、頭切れるし、なんか勇気づけてくれるし。望君がいなかったら、弘美と向き合う勇気湧いてこなかったと思う」
「由香里さんに仲直りしたいって気持ちがあったから、その勇気が湧いてきたんですよ。僕はただ自分の思うことを言っただけです」
「そういう謙遜するところ、素敵だと思うよ。自信持っていいと思う」
「ありがとうございます」
恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。
「さて、そろそろ僕は帰らないといけません」
「そっか。今日はありがとう」
「いえいえ。ソラちゃんのこと、弘美さんとのこと、解決すること願ってます」
「うん、ありがとう。解決したら、またお礼言いに来るね」
彼は俯いて、少し悲しそうな顔をした。
「どうしたの?」
「……いえ。なにもありません」
「そう? 何かあったら言って?」
「いえ、大丈夫です」
少し気がかりだったが、強制することもないだろう。
「じゃあ、またね」
「はい。あ、あのっ」
一つ深呼吸して、こちらをしっかりと強いまなざしで見つめた。
「僕は、いつでもあなたの味方ですから」
そう言って、昨日と同じように手を振り続けていた。本当にいい子だ。なぜ見ず知らずの私にここまでしてくれるのかは疑問だったが、どこか弟に似た優しさを感じる子だと思う。私もそこに親近感を感じて心を許したのかもしれない。

 望君とも話したことだし、弘美とはきちんと話をしないといけない。一度家へ帰って私服に着替えて、弘美の家へ向かった。
 望君と出会わなかったら、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。ここまで落ち着いているのも不思議な感じがする。激しい雨音が傘を打ち付ける音も、今の私にとっては心地よく感じた。
 道中にあるペットショップを通りがかりに覗いてみると、見慣れた後ろ姿を発見した。
「弘美……」
弘美はペットを飼っていただろうか。記憶を辿ってみるが、思い当たる節がない。しばらく覗いて様子を窺っていると、キャットフードを買っているようだった。
「猫飼ってるのかな……あっ」
弘美が買い物を済ませて出てくる。こっそり隠れて後ろから付いて行くことにした。
 弘美は急いでいるようで、走りながら去っていく。急いで追いかけ、付いていくと、どうやら家に向かっているようだ。ということは、猫を飼っているのか。
「あ、あれ?」
弘美が家の前を素通りした。てっきり家に帰るものだと思ったが、どうやら違ったようだ。どういうことなんだろう。そのまま後ろを付いていく。
 すると、弘美は近くの公園に入っていった。そのまま遠くから眺めていると、弘美は草陰の方へ入っていき、その場で屈みこんだ。ここからはよく見えないが、袋の中からキャットフードを取り出しているようだ。さっき買ったキャットフードは、ここにいる猫のためなのだろうか。勇気を出して弘美に話しかけてみることにした。
「弘美」
「えっ?」
私の声に驚いて飛び上がった。ぐちゃっ、という音と共に水溜りのしぶきが辺りに跳ねる。
「さっき、ペットショップから出てくるところを見たから。焦ってるみたいだったし、どうしたのかなって」
弘美は私の登場を予想だにしていなかったのだろう、動揺を隠せないでいる様子で、さっきから目が泳いでいる。
「あ、あぁ、えっと……」
「猫いるの?」
「あ……」
弘美の後ろを覗きこんでみる。ちょうど木の下で、雨があまり降ってこない空間に、一匹の猫がいた。そして、首に付けた鈴を発見すると、その特徴で、その猫のことがとっさに理解できた。
「ソラ!」
そこには弱った様子のソラがいた。あわてて駆け寄る。
「大丈夫?」
弱ってはいたが、とりあえず息はあるようで、目もしっかり開いている。命には別条はなさそうだ。
「さっき歩いてたら、公園の中を歩いてるのを見かけたのよ。ここに歩いて行ったから覗いてみたら、もしかしたらソラちゃんかなぁって。どうすればいいのか分からなかったから、とりあえずご飯だけでも食べさせてあげようと思ってさ」
「そっか……。ホントにありがとう、弘美」
「ううん。良いのよ。とりあえず家に連れて行って帰ってあげて」
「うん。分かった」
泥だらけのソラを抱え上げる。雨で濡れてはいたが、やはりその身はとても軽く感じた。
「私も付いて行くから」
「えっ、良いの?」
「傘どうやって差すのよ」
そういって少し笑う。弘美が頼もしく感じた。
「ありがとう」
そして、二人で公園を出る。
「ねぇ、弘美」
「ん。何?」
「後で、話したいことがあるんだ」
「……うん」
「この後時間大丈夫?」
「うん。大丈夫。私も話したいことあるから」
「分かった」
耳に入ってくるのは雨音だけで、人の声はなかった。ソラが見つかった時こそいつも通りに接することが出来たが、弘美のことを意識すると急に気まずくなった。おそらく弘美も私と同じ気持ちなのだろう。二人黙りこんだまま、家へ向かったのだった。

 どうやら親はまだ帰っていないようだった。だから、まず泥だらけになったソラを風呂場で洗ってやった。ソラは嫌がることもなく、大人しくしていた。
「シャワー嫌がらないわね」
「うん。暴れる元気もないのかも」
「そっか。それもそうね」
「うん。ホント、世話が焼けるんだから……」
私の非難を汲みとったのか、弱々しく一声鳴いた。まるで、ごめんなさいと謝っているかのようだ。そう思うと、このか弱い存在がとても愛おしく感じられた。撫でた背中の感触も久しぶりだったが、体はその感触を覚えていて、安心感が湧いてくる。それと共に、胸から込み上げるものがあった。
「この子、アンタには頭上がらないのね。反省してるように見える」
そう言って笑った弘美の横顔は、無邪気な少女のそれだった。ほんの少し前までずっと見てきたはずなのに、こんなに近くで弘美の笑顔を見ると、それがとても遠い過去のことのように思えた。どこか、感動にも似た気持ちが湧き起こった。
「もういいかな」
「うん」
タオルで抱え上げてリビングへ向かおうとしたところ、弘美に止められた。
「先に服着替えてきなよ。ドロドロになってるし。私が代わりに乾かすから」
「あっ……うん。ありがとう」
服を取りに自室へ戻って、風呂場で着替える。汚れた服を洗濯機に突っ込み、リビングへ戻ると、まるで幼い妹をあやす姉のように、弘美がソラを乾かしていた。その様子を見ていると、ここ数日の弘美の様子がまるで嘘だったのではないかと思ってしまうほどだった。
「弘美、ドライヤーで乾かすからソラ持ってて」
そのままドライヤーでソラに温風を当てる。少し嫌がる素振りをしたが、しばらくすると大人しくしていた。
 そうしてほとんど乾ききると、ソラを連れて二階に上がった。部屋で弘美の持ってきたキャットフードをソラに食べさせる。
「とりあえず食べる元気はあるみたいだし、大丈夫そうね」
「うん。一応、明日動物病院に連れて行く」
「それが良いよ」
ソラがエサを食べる光景を二人で見ながら、その姿に癒されている自分がいた。とにかく、ソラの件はひとまず解決した。とすると、残された問題は一つだけだ。それを解決しなければならない。私はきちんと自分の気持ちを伝えるため、深く息を吸って心を落ち着けた。
「弘美。話したいことがあるの」
「……うん」
弘美はこちらに向き直り、姿勢を正した。弘美も覚悟は出来ているようだ。
「私ね、日曜日、弘美が石原君と二人でいるところを見ちゃった」
弘美は黙ったまま、少し視線をずらした。でも、すぐに視線を戻し、またしっかりと目を見てくる。
「弘美、すごくオシャレな格好して、おめかししてた。普段そういうことには全然興味見せなかったよね。もしかして、弘美は――」
「待って。全部私の口から話すから」
そう言って、ゆっくりと深呼吸をする。外で降っているであろう雨の音も、今は全く気にならなかった。


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