「実はさ、私と健人はさ、幼馴染なんだ」
「えっ……」
そんな話聞いたこともない。弘美からも、石原君からも、誰からも。
「私たちさ、ここじゃなくて、別の町に住んでたのよ。同じマンションだったから、幼稚園終わった後とかもよく一緒に遊んでさ、ホント仲良かったよ。二人でおままごとして、夫婦役やったりしてさ、将来絶対結婚しようね、なんてことも言ってたわね。でも、大きくなってくるとお互い人の目とか意識しちゃうでしょ? 段々話すことも減っていって、中学入る頃には全然話すこともなくなった。でも、私はまだあいつのことが忘れられなかった。そんなときにね、あいつ、転校することになったんだ。中二になる前の春休みに転校することに決まって、それを聞いたときは私、ショックで家で泣いてた」
時折力なく笑いながら話す弘美の語調には、いつものはきはきとした強さは微塵も感じられなかった。それはもう、弱い一人の女の子のものでしかなかった。
「それで、このまま別れるのは嫌だって思ったんだ。ちゃんと自分の気持ちを伝えようって決めた。そして引越しする前日に、あいつを呼び出して告白したの。でも、結果はダメだった。私のことはただの幼馴染としてしか見れないって言われたんだ。悲しかった。もう、ホントに大切な人を失っちゃったって思った。その後の中学での生活は、どこかぽっかり胸に穴が空いたような感じで、やっぱりあいつがいないっていうことが少なからず影響があったんだろうね、付き合いが悪くなって、友達も減っていって、全然楽しくなかった」
一度大きく呼吸を取り、息を落ち着けて話を続ける。
「ちょうど中学卒業を機に、私も引越しすることになった。今住んでる家ね。そして今の高校に受かって、通うことになった。そしたらさ、同じクラスにあいつがいたの。信じられなかったけど、嬉しかった。また会えた。それだけで高校生活が楽しくなるって思ってた。入学式が終わった後、あいつに話しかけたの。向こうも私に気付いてたみたいで、しばらく話をしてさ、空白の時間を埋めようとした。気持ちの共有がしたかったのよ。でも、あいつの語った新しい中学での話は楽しいことばかりだった。希望にあふれていた。たくさん友達が出来て、楽しい思い出もたくさん出来たって。一方で、私は辛いことばかりだった。私はそれが話せなかった。誤魔化して、私もたくさん思い出できた、なんて嘘ついてさ。馬鹿だよね、ホントに。私だけが寂しさを感じていたことに気付いたんだ。あいつにとって、やっぱりわたしは幼馴染であって、それ以上でもそれ以下でもないって思い知らされた。そしたら馬鹿馬鹿しくなってきてさ。あいつへの気持ちも封印することにしたんだ」
弘美が恋愛に関することに一切興味を持たない理由は、一途に石原君のことを想っていて、その気持ちを封印してしまったからなのだろう。その一途さゆえにこんなに悲しいことが起こるなんて、なんて皮肉なことだろうと思った。
「それ以来、私はあいつを避けるようになった。あいつの一挙手一投足にも、だんだん興味を持たなくなっていった。あいつも、その私の雰囲気を読みとったのか、私に話しかけることはなかった。そして、私はアンタと仲良くなった。自分と同じように、孤独な雰囲気を漂わせてるアンタに興味を持って話しかけた」
あの時の私は、弟を亡くして、心が癒えないままで、私も同じように友達が減っていった。ずっと孤独で、ソラだけが唯一の心の拠り所だったんだ。
「アンタと仲良くなってさ、一緒に過ごすようになって毎日が楽しかったよ。いつも二人で、どこにも一緒に行くような関係で、私は満足だった。でも、この前、ずっと話してなかった健人から、相談に乗ってくれって頼まれたんだ。どうして今になって私に相談なんだろうって思ったんだ。そしたらさ、気になってる女の子の好みを知りたいって言われて。誕生日が近いからってプレゼントを考えてたみたい。で、その女の子が誰なのか聞いてみたんだ。そしたらさ、その女の子ってのが、由香里、アンタだったの」
「あっ……」
突然のことに、嬉しさよりも何よりも、驚きと戸惑いの方が勝っていた。
「私は動揺したと同時に、私に相談してきた理由もすぐに理解した。アンタと一番仲が良いのが私だったから。そして、私は迷ってしまったの。一度封印したはずの自分の気持ちがまた呼び覚まされてきて、アンタに嫉妬した。だから、私は譲歩として、一緒に買い物に行くことを条件に出した。あいつは戸惑ったけどね、無理矢理約束した。でも、仮に由香里が健人のことを好きじゃなければ、この気持ちも落ち着くはずだって思ったの。だから、聞いてみようと思った。アンタに好きな人がいるのか、もしいるなら、だれが好きなのか」
それが、突然あんなことを聞いてきた理由だったのか。胸が苦しくて、落ち着けようと深く呼吸をする。
「そしたらさ、まさかビンゴだったなんてさ、ホントびっくりしたよ。一応その日は何とかアンタの前では普通に過ごした。でも、やっぱり嫉妬してさ、日曜日、慣れない化粧とか、可愛い服とか準備してさ、楽しもうと思ってた。けど、店に入っていくアンタの後姿を見つけたの。もしかしたら見られたのかもしれない。そう考えただけで、抜け駆けしたって、由香里に嫌われるって思った。私は罪悪感で押しつぶされそうになった。その後はもう気が気じゃなかった。結局、その後、私はすぐ家に帰った。なんて馬鹿なことしてるんだろうって、途端に自分が惨めに思えてきてさ。今度は由香里を失うかもしれないって思ったら苦しくなって、泣いて泣いて、泣きじゃくった。そして気付いたの。私にとって今、一番大切な存在は、アンタだったんだって。だから、アンタに嫌われるのが怖かった。嫌いだなんて言われたくなかった。それなら、いっそ自然に関係が消えてしまった方がいいって思った。だから、私はアンタと距離を置こうと思った」
普段なら話しかけてきた休憩時間や昼休み。弘美はどんな思いで過ごしていたのだろうかと思うと、胸には辛さと悲しみしかなかった。
「だからね、最初はメールが来た時、嘘をついてるんだと思った。私といたくないんだと思った。ソラちゃんがいなくなったって聞いても、それさえも嘘だって思ってた。ホントにおかしかったのよ、あの時の私。そして、日曜日のこと、アンタは見てたんだって確信したの。だから、そうしてまで私と距離を置きたいんだって思った。苦しかったけど、もしアンタがそう望むのなら、私もそう振舞おうと決心したの。いつも待ち合わせしてるとこにも行かなかったのよ、私。でもね、私たちの様子の変化に気付いた人がいたんだ。級長。あの人さ、気付いてた。私たちの間に何かあったって。すっごい心配されて、怒られた。そんなことして何になるの、あの子のこと大切じゃないの、お互いに意地張るのはやめなさいって。ホント、世話焼きだよね、あの人」
だから、あの時彼女はあんなことを言ったのだろう。あんな言い方だったけど、私たちのことを心配してくれていたんだ。
「そしたら調子狂っちゃってさ。どう接したらいいか迷っちゃって、色々考えてたんだ。そしたら、さっきの公園で猫を見つけたの。それがソラちゃんに似た猫だなって思ったからさ、一応追いかけてみたの。それが、さっきのこと。それで気付いた。嘘ついてなかったんだって」
その後のことはさっき聞いた通りだ。
「ホント、私はバカだったんだ……。救いようもないバカだったんだよ、私。私ね、アンタのこと失いたくない……。全部謝るから……お願いだから……許して」
嗚咽の混じった声で、大粒の涙を流す弘美に、愛おしさにも似た感情を覚えた。つられて私まで涙が込み上げてきた。
「あのね、私、弘美のこと、全然嫌いじゃないよ。私も勘違いしてたことたくさんあった……。弘美にいっぱい辛い思いさせた。本当のことを知るのが怖かったの。私、怖くて、現実から目を逸らして、逃げて、弘美とちゃんと向き合おうとしなかった。だから、私こそ、ごめんなさい……。本当にごめんなさい……。話してくれてありがとう……。大好きだよ、弘美……」
二人して声をあげて泣きじゃくった。悲しみと罪の感情で溢れたこの涙の粒が、外で降っている大雨に流されて消えゆくように。強くそう願ったのだった。
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