「でも、やっぱりごめんね。その、僕が――」
「ね? 何で見てたの?」
とても熱いものが喉にまで上がってきていた。しかしこんな事言ったことがない僕は、それを素直に出して良いものかどうかわからない。だからはぐらかせることしか出来なかった。
「え、いや、だからその……」
「へえ、遥人って可愛いところもあるんだね。ストーカーさんだから、てっきり怖い人なのかと思ってた。けど、違うんだよね。ただ人とちょっと違うだけなんだよね」
完全に僕は彼女に遊ばれている。年下であるはずの彼女にだ。こうやってからかわれているのに、いつものように怒りは起きない。逆に落ち着いていって、どんどんと未理ちゃんの瞳に吸い込まれていくようだった。
「僕は、わからないんだ。何で君を見ていたのか。それは可愛いと思ってはいたし、絵を見ているような。けどね、これが僕の中で何を意味するかなんて、僕にはわからなかったんだ。だから僕は君を見続けて、確かめようとしたのかもしれない。だから――」
「恋人、これまでに居た?」
「ううん」そんなの居た事なんてない。
「これが、恋ってことなの」
今、背骨を矯正された。これまで自分が散々くだらないとこき下ろしてきた「愛だの恋だの」を、僕が抱いていることに気づかされた。いや、気づいていたのだ。しかしそれを認めたくなくて、そして僕は言いたくなかったのだ。
「好きなんだ、僕は、君のこと、好きなんだ」
「君なんて、言わないで」ピンと指が僕の鼻に当てられる。
「未理ちゃん。僕は君が好きだ、ずっとこうしたいって思ってたんだ」
「あたしも、そうなの。遥人、こうしたいって考えてた」
それは紛れもなく、本物の彼女の質感だった。あの布団なんてやはり何にもならないもので、こうして僕の心だってやわらかく包んでくれる。女の子を抱いたことなんてなかったが、こうも気持ちを任せれば簡単に出来るのだ。ほどほどに主張している胸が当たっていて、鼓動が伝わってくる。お互いに故障寸前にまで達している。
その自然な流れで、僕は彼女の潤っている唇に自分の乾燥したものを重ねた。恥ずかしすぎて目を開けることは出来なかったのだが、それのおかげでさらに彼女を感じられた。荒い息遣いは部屋に広がっていって、さっきのコーヒーの味も口の中でわかる。彼女も飲んでいたのだから、そうだろう。
離れたくはなかったが、それでもずっとしていくわけにもいかない。僕と彼女の唇は名残惜しそうに距離を取っていった。余韻を確かめるようにゆっくりと。
「ストーカー同士のカップルってどうなのかな?」
「良いんじゃないかな。これからもお互いを見続ければ」
「もう、筋金入りのストーカーさんだね」
「ポストは流石に見なかったけどね」
「もうっ!」
それからどうなったのかは、僕にはとても表せなかった。ただめまぐるしく場面が変わっていくことだけを覚えていて、一体どこがどうなったのかとはわからない。けれど、僕は間違いなく彼女を深く知ることが出来て、さらに自分というものを少しだけ解れた。
まだまだ春休みは続く。一人暮らしであまり趣味もない僕には退屈な毎日だった。テレビを点けてみても同じような内容ばかりで、面白くない。バイトをして帰ってきて寝る生活は変わらない。
だから僕は見るのだ、あの娘を。窓から見える僕の恋人を。登校中で、長い黒髪を揺らしている彼女を。今日もまた一人で歩いてきている。下に言って挨拶をしても良いのだが、今日はあえてこの窓から覗かせてもらうことにした。その方がストーカーらしくて、変態らしくて良い。
けれど彼女はそれをわかってくれてはいないようだった。こちらに気づくと、手を振ってにこっと笑ったのだ。最初はどうも調子が出なくて、戸惑ってしまったが、それから僕も遅れて手を挙げた。笑えているだろうか、自分の笑顔に自信はまったくない。
彼女は学校の方へと消えていった。あの後姿はどんどん小さくなっていくが、僕はあれの感覚を知っている。この腕が覚えている。
僕が彼女の家の前を通るとき、気を尖らせてみるとなるほど、視線を感じた。ここはいつも通る道だが、何気なく歩いていると気づかないものだった。こうも彼女は僕に送ってくれていたのだ。
ここで僕はやはり手なんて振るつもりも、そちらに振り向いてやる気なんてなかった。それはそうだ、そうなのだから。だからそのまま通り過ぎてやれば、きっとやきもきしてくれるはずだ。そうなれば次に会うときはとても愛おしくなる。簡単だ。やっぱり僕の方が一枚上手なのだ。年上で、大学生だからこれは致し方ない結果だ。
それがどうしたことか、僕は気づけば向き直って顔を上げて手を振っていた。それは自分でも信じられないが、ごく自然にそうしてしまっていた。そうしていると彼女も顔を出して、こちらに手を振ってくれた。そしてその後、はっきりと見え、感じたのだ。
「可愛いよね、遥人って」
僕はやはりどうして、こういうポジションに居る男だった。しっぽを振り続ける犬なのかと、そう痛感させられてしまった。不敵な彼女の笑みが、僕を大人にさせた。
まあ、良いだろう。僕は君を見続けることが最大の楽しみなのだから。
感想
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