これはおかしい。民親の心の中で予感が確信に変わりつつあった。手燭に照らされた武士の横顔を盗み見る。違和感の元はこの男だ。急の報を孕石家にもたらし、民親を登城用の裃に着替えさせると、そのまま民親を連れ立って、城へ向かった。案内されたのは民親のような下級武士では入れないような城の深部であった。身なりや無精ひげを生やした面を見る限り、城勤めのものではない。ましてや上級武士とは到底思えなかった。
慎之助から事情を聞いた限り、責められるところは何も無いと思える。斬りかかられて、自衛のため、やむなく二人を斬った。罪を問われるどころか賞賛すべきものだろう。しかし、それを証明するのは慎之助の証言だけである。もしも全てが虚言であったなら、ただの酔っ払いの喧嘩であったなら……。
平静と忍耐を重んじる太平の世において、喧嘩で刃傷沙汰を起こして、人を殺めたとなれば、どんな理由があるにせよ、喧嘩両成敗。ただではすまない。蟄居、減禄。現在の藩の経済状況を鑑みるに、例が少ないながらも御取り潰しもありえるだろう。そんなことを考えると胃がしくしくと痛んだ。
民親には今現在自分がどこにいるのか、全くわからなかった。足を踏み入れたことのない場所である。先導する男に従って、先の見えぬ廊下をただただ歩いた。
やがて、ある部屋の前で止まった。灯りが漏れており、障子越しにも誰かがいるのがわかった。
「国木田様、孕石民親殿をお連れいたしました」
 国木田とは誰のことなのか、民親には一瞬誰のことなのか、わからなかった。そして、わかった時に自分を恥じた。
(国木田家老……!)
 家老のことなど仕事上関わらないし、同僚の間においても話の俎上に載せることもない。それほど遠い存在である。民親は急いで正座をし、頭を下げた。無精ひげの武士が障子を開けた。
「堅苦しいことはよい。中に入れ」
「はっ。失礼いたします」
「文十郎もそこに」
 民親は国木田家老の正面に座った。無精ひげの武士―――文十郎は民親の後ろ、部屋の隅に座した。
「孕石民親、此度は夜分にご苦労であったな」
「はっ。此度は孕石家の者が騒ぎを起こしまして、誠に申し訳ございませんでした」
 そう言って地に頭を伏した。粗相があってはいけない、ここは徹底的に卑屈に出てやろう。民親はそう心に決めた。
「これはひとえにそれがしの不行き届きでございます。つきましては愚弟、慎之助を奉行所にお取立ての上、存分にお取調べくださいませ」
「いかん」
 いささか怒気の籠もった声に、思わず顔をあげた。
「此度の儀は孕石、国木田、両家において決着をつけねばならぬこと。そのこと肝に銘じておくよう」
「はっ。心得ましてございます」
「わかったのなら、もう少しこちらへ寄れ」
「はい」
 近づくと国木田家老の下膨れの顔に、思った以上の皺があることに気づいた。長年国家老を勤め、既に老人と言って差し支えない年齢である。
「よし。まず、申すべきことがある。孕石慎之助が斬った相手のこと。一人は高尾という国木田家の家臣。もう一人は―――国木田継乃進。儂の倅」
「ご家老のご子息……」
「まったく愚息とは奴のこと」
 国木田家の長子・継乃進。近頃、頻繁に夜な夜な出歩き朝に帰ってくるということがあったそうだ。国木田家老自身は「年頃とあれば女遊びくらいしよう」と捨ておいた。これが女遊びなどではなかった。家臣・高尾を連れ立って、人目のないところで辻斬りをしていたのだ。調べさせた所、朝帰りした日と辻斬り事件のあった日がピタリと符合した。
「さて、この処理をいかがいたすか。このこと表沙汰となれば、軽い処分では済まされぬ。最悪の場合も考えねばならぬだろう」
 口ではそう言っているが、どこか人事のようである。まるで表沙汰にはならぬと知っているかのようだった。
「ここからが肝要だ。よく聞け」
 国木田家老は淡々と、諭すように話した。民親は話を聞いているうちに、自分が謀略という黒い渦の中にいることを自覚し始めた。同時に僥倖であるとも理解した。
もし、この国木田家老の謀(はかりごと)が成功すれば、自分の出世は約束される。あとは言うとおりのことを、粛々と進めれば良い。一生このような機に出会えると思ってはいなかった。不思議な高揚感が胸の内に生じた。
「良いな?」
「万事心得ましてございます」
「良し。事は明朝までにカタをつけねばならぬ。文十郎をつけるゆえ、ただちに自宅に帰り、言うたとおりにせよ」
「はっ」
(棚からぼた餅とはこのことか)
 民親は帰りの廊下で、文十郎に気取られぬよう一人密かに笑った。



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