約17時間前、今日の朝、小鳥の囀りが耳に響く。初春の気だるいこの朝、俺は布団にうずくまりつつ、白い天井を見つめ、この身体が従順に動いてくれるのを待つ。「動け、動けよ、動け、動け、動け、動いてよーーーっ!」と、とある15年ぐらい前に流行ったアニメのネタセリフが脳裏をよぎるが、どうやら俺の脳内から発信されている電気信号は根元まで届いてくれていないようだ。そもそもその意欲すらスタンドバイモードに入ったままのようだ。時計を見る、時間は8:10、最終防衛ラインはもうすぐだ。三度目のスヌーズが鳴った瞬間、ようやく己の理性が囁きかけた。「相棒、そろそろ起きろ、時間だぜ、そろそろ国境を閉めねぇとメキシコの奴らが、我らが愛する合衆国に雪崩れこんでアリゾナの職を奪っちまうぜ。死守しろ!ウォルマートは俺達のモノだ!」と体を急き立ててくれたようだ、こいつはありがたい。そして戦争は終焉に収斂した、言うならば睡魔との停戦交渉により俺はようやくベッドから起きることができた。今日は俺の勝ちだ。

そもそもの原因は、長時間配信による夜更かし、朝日が出ると共に寝て、午後に起きるという習慣が繰り返され日常化されたことにあって、そうなれば当然、今日のように朝の登校時間前に起きるのが辛い。毎日強要されているなら当たり前なんだが、休みのときにはよくこんなことを続けられるなとつくづく思ってしまう。

トイレで用を足す。ちなみに俺の朝立ちはビンビンだ。俺は荒れ狂う大蛇を手なずけ、熟練のテクニックで的を射る。お見事である。

っというわけで、今日で冬休みもついに終わった。俺はいったいなにをしていたのだろう、記憶が忘却の彼方へと葬られ、何事も憶えていない。時間の流れとは恐ろしいものだ。印象としては空虚とその場その場の快楽の拾い集めに満ちた日々だった、成果など何もない。

またもや今日から強制送還され、一日の大半を牢獄のような場所で過ごすという事実を受け止め、覚悟を決め、俺はいつものように部屋を出て、階段を降り、シャワーを浴び、母親が用意した朝食をいつものように食べ、日頃のルーチンを迅速にこなして家を出る。その間、わずか16分32秒。ベストより5秒遅れだ。この研ぎ澄まされた一連の動作、これぞ洗練されたオートマティスム、

マックの店長もきっと微笑むだろう。

俺は学校に着いた。今日はクラス替えの日だ。人脈を広めること、保つことに一切力を入れていない俺は、普段は自然と出来上がった寄せ集めグループと一緒に昼休みを過ごしている。不適合者の抱き合わせグループのような感じだ。こいつらは陰気でつまらないが、グループ構成がほぼ不変であるという意味では信頼できる。そこに俺の小ぢんまりとした居場所は確保されている。

しかしこいつらと俺とは合わない、なぜならこの有耶無耶な不安、憤りに対する闘争心がないからだ。お前たちは見えない敵と戦っていない時点で、不戦敗を受容しているんじゃないか。その時点で、お前らは、世の不条理、格差などという、己の力を超えた場所で形成される力学に屈しているんじゃないか?

だからクラス替えで誰と一緒になろうとさほど関係ないんだな。イエス、大丈夫デース、ぼっちではないデース、ぼっちでもいいデース。それは無論、幸福な生活ではない、それは確かだ。

だが、俺は戦っている、毎日な。

新しいクラスの担任が、業務連絡やら今年の意気込みなどを語り終え、今度はクラスメイト同士の紹介タイムが設けられた。自分が座っている席から立って、自己紹介するアレだ。俺は趣味をパソコンと言ってはぐらかし、それも難なく終わり、いつものルーチンとやらに戻ると思いきや、一つ残されたものがあった。

今年のクラス委員の取り決め。

この公立高校では、クラス委員がクラス毎に男女一人ずつで二人いる。

「え~というわけでクラス委員を決めます。立候補する方は手を挙げて下さいクチャクチャ」

この小イベントにより、雑談が教室を覆うように小声で伝染する。

そして一つの手が垂直に挙げられる。

「私がやります」

彼女の名前は今泉京子。去年は違うクラスだったから面識はないが、巷の噂では聞いている。彼女は理事長の娘であり、生徒会執行部で、学年ではトップ5を争う成績、あと他にボランティアで色々やってるそうだ。その経歴と滲み出るオーラ、学生の鏡のような存在だ。

だが所詮、俺とは縁のない存在だ。

「お~よし、今泉が一人、男子の中でもう一人立候補したいやつはいないかー?クチャクチャ」

不精ヒゲを生やした30代半ばあたりの先生が、ガムを噛みつつ長い定規を自分の手でピシピシやっている。

俺は外界をシャットアウトし、頭の中で設定の思索に耽る。

「マジキチ狂和国あらでゅ~では、役職のための投票や任期というものが存在しない。なぜなら集合によって形成される理というものが存在しないからだ。誰もが誰も支配できない状態にあって、そしてそこでは唯一マジキチの度合いだけが普遍的に評価される。そのマジキチの評価基準はアプリオリなものであって、全ての人間に備わっているものである。この狂和国ではマジキチのみが共有され、人は人同士、己のマジキチを競い合い、高めあう。競争はあるが優劣と排除は無い。」


無論、俺はこのような集団行事に興味はない。顔を俯いて、己の存在を掻き消す。こういうのは得意だ。こういう日本ならではの状況では、最初に言葉を発した者が負ける、黙っていた者勝ちだ。

「誰もいないか?よし、なら先生の独断と偏見で決めさせてもらおう。え~っと、じゃあ帰宅部の人達、手を挙げて~クチャクチャ」

え?なんだこの流れ

俺にはわからないがおそらく、クラスの名簿か何かに生徒が入っている部活の情報が書いてあるだろう。勝手に選ばれそうなこの状況、逃げ出したい。しかし今ここで下手に逃れようとしたら、それが理由でこちらが選ばれてしまうかもしれない。

クラスの中で7人程、挙手する。

「よし、この中から抽選で選ぶぞ~、恨めっこ無しだ。きっと将来君たちのためになる仕事だクチャクチャ。やったことなくても本気を出せば誰だって出来るはずだ!頑張ろう、期待しているぞ!何事も努力だ!精進しなさい!自分の名前を紙に書いてこちらに渡してくれ。それをこの袋の中に入れて混ぜて一つ引き出すぞ~。」

この案でクラスのテンションは妙に鰻上りだ。冷え切った空気はたちまち消えさり、どんちゃん騒ぎのようになる。

いや、しかしこういうのはこの上なく面倒くさい。大勢の人の目を引くこと自体嫌であるのに、それが強制されてしまうこの状況。しかしどういうことだ、この担任。授業外のことでやりたくないことをやらせるなんて横暴にも程があるだろ。しかも見たところ、その微笑みからして、突発的に自分が作ったゲームを楽しんでやがる。責任をランダムに押し付ける権利を勝手にでっちあげて、自分の権力に酔いしれてやがる。

しかもなんだ周りのこの空気は、儀式に興じて生贄の動物を沸騰する鍋の中に放り込もうとする、狂信者の集団のようなこの空気は?

俺が求めているマジキチはこんなものじゃない。集団暴力はマジキチではない。個人の逸脱の昇華を求めるのをマジキチというのだ。そしてその狂気は、心のうちに潜め、包み隠すように秘めておくものだ。

俺はできるだけ小さく紙を千切り、名前を書いて渡す。この際、他人の名前を書いてでも回避したいところだが、生憎、同級生の名前をまだ知らない、ここで俺のぼっち力が発動する。

「よ~し、じゃあ引くぞ~クチャクチャ」

俺は指を組みながら、この役職が他の奴に当たることを祈った、祈った。

だが、それと同時にここで、偶然という名の必然によって、クジから引き当てられる名前は沢田京之介であって、そこから立場上、品行方正、清廉潔白、頭脳明晰な、知性と優しさを持ち合わせる学級委員と接点を持つこととなり、それで魔界からの使者とかがやってきて、そこで絶体絶命のピンチに直面した俺は開眼した能力でボロボロになりながらも命からがら彼女を守ることになり、それからそれをきっかけになにか大きな敵に立ち向かうべく、心を一つにし、彼女の誰にも明かしていない秘密を知ることとなり、最終的に二人は愛の糸で結ばれる。俺はそんな物語を連想してしまった。

だが、そんなことはまず起こらない。俺は妄想による一瞬の非日常の可能性にときめくが、クジから引き当てられた名前はまったく知らない人の名前だった。まだまだ未熟だ、俺は。思考的に処理したつもりが、動悸が収まるのに時間がかかる。

やはりこの鬱屈な日常を耐え忍ぶために残された非日常は、配信と、マジキチ狂和国あらでゅ~だけだ。

この世界にはヒロインもラブコメも存在しない。ただひたすら、好戦的に耐え忍ぶ世界だ。


配信だ、俺は配信がしたい。俺に語れる場を、俺の声を伝えられる場をくれよ。

ああ・・・マジキチ狂和国あらでゅ~・・・

という具合に学校の平凡な一日が終わったんだ。



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