そして6時ごろに俺は目覚め、ご飯を食べ、風呂に入り、台所のコーヒーメーカーでコーヒーを造る、そして俺は自室に戻り、鍵をかける、カチャリ。これで俺の固有結界たるものが完成した。神聖なるこの空域には誰をも通さぬと言わんばかりに厚いドアと壁が聳え立つ。

とりあえず俺は、今はこの部屋にいる、ここは安全だ。絶対聖域だ。

この小さな四畳半の部屋の中では俺は俺の自由を謳歌できる。

ちなみに俺はコーヒーは、少しずつ嗜むよりは、一気に飲み干すほうが好きだ。そして俺はコーヒーを飲み干し、部屋着を脱ぎ捨て、パンツ一丁になる。

衣服にも束縛されない、これで俺は真の意味で自由だ。

仮に明日死ぬとしても、俺は今の俺に許された最大限の自由を謳歌して死ぬ。

パソコンのスイッチをつける、毎度お馴染みのこの起動音、耳に心地よい。

時計は8:31分を指している。死ぬのが本当なら残り約6時間だ。

俺は今日も配信をつける。

パソコンがデスクトップを表示している。俺はライムチャットを開き、規制を解除する。ほぼ毎日この時間帯からやっているので常駐のチャ民が複数待機している。本名バレに繋がりそうな情報を消すために、ブラウザーの履歴を削除する。

人はなぜ配信をするのか。

充足された生活を送るためには楽しみが必要である。俺はそれをパソコンとネットで満たしている。配信、これが俺にとって耐え難い日常に耐えるための唯一の処方箋だ。家に帰り、夕食を食べ、風呂に入った後に、部屋に戻ると俺は違う世界の住人となる。外の世界とネットの世界。ネットの中に自分がもう一つある、そしてそれはもはやリアルとは切り離すことができない人格の一部となってしまった。毎日のようにこの二つの領域を行き来する放浪人の俺は、外界では決して吐露できない人格の一部をこの場所で発信することができる。

多少の緊張により出た唾液をゴクリと呑み、俺は緑の配信開始ボタンを押す、そしてその瞬間現実と非現実の狭間に、違う世界が出来上がる。

「え~どうも、アーカイブを含めて、視聴者の皆さん、ダンゴ~で~す。あなたたちに、今日も底辺思想を啓蒙していきまーす、よろしくおねがいしまーす。」

微妙に癪に障るこの態度、これはいつもの決まり文句で、それを抑揚なく言い述べる。

配信というものは、自由があっても注目がなければ意味がない。森の木から落ちた木の葉は、それを目撃するものがいなければ存在しないのと同じように、配信を見る視聴者がいなければ、その配信は、存在しないのと同様だ、それは悲劇だ。一人でも見ている人がいれば、悲劇は免れる。

俺は配信をすることによって人気を得たいわけじゃない。配信者の中では、人気を得るための最適なキャラというものを作り出し、巧みに印象を操作する半場芸人のような人もいるわけだが、俺は所詮、弱小底辺配信者だ。そんな芸なんて持っているはずもなく、そしてトップに伸し上がる気も毛頭なく、なぜなら人が増えれば増えるほど、その期待による制約というのは増えていく。だから俺はたとえ視聴者数が少なかろうとも、なにを言っても許される自由、他人の目を気にしなくていいという自由を守り、賛美し続ける。過疎配信には過疎配信のフリーダムさと思想がある。そして数は少ないが、俺の配信を日頃見てくれている人だっている。

確かに部屋には俺しかいない、だが世界とは繋がっている。

だが、俺は視聴者の要望は基本無視するような半場、縦横無尽な振る舞いでまかり通っている。そうであるからには気を緩めるわけにはいかない。俺は俺の自由を維持するためには、このキャラを保ち続けなければならない。キャラと言っても、制約が限りなくない状態で出てくる自我のようなものなんだがな。それは自然に出てくるものだ。

そう言うと聞こえはいいが、ただそれは努力をしない言い訳なのかもしれないな。
俺はただ言いたいことを、言いたいがために配信をしている、それだけだなのかもしれない。


そうやって最後の配信の夜、俺はこの第一視点シューターをプレイし始めたんだ。

話を戻そう。



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