◆◇◆◇◆◇◆◇



切なくなるほどに真っ白で、神秘的な月の夜だった。



御空は天国へと旅立ってしまった。

外国より身近だけれど、手が届かない程に遥か遠くの世界へ。


俺やおじさんとおばさんが見守る中、最後に御空が笑いながら言った言葉。


「いってきます」


それは、御空がwhisperで最後に囁いていた言葉と同じだった。



御空は、誰のことも愛していた。

家族も、友人も、配信者も、視聴者も。
みんなの事を大切に思っていた。

優し過ぎる、人間だったように思う。




だからこそ俺は、そんな御空が配信をして大丈夫なのか心配になった。

誰かの心ない言葉で簡単に傷付いてしまうのではないか、と。

でも実際、御空は強かったし、配信を十分に楽しめていたように思う。


本当に幸せな日々だったのだろう。




御空が逝ってしまった後、鐵さんの離れには何故か俺がお邪魔する事になった。


「いやね、やっぱり御空ちゃんがいなくなってしまってから寂しくて寂しくてね」
「儂も、同感だ」


そんな訳で、実際に今日から、この離れに住むことになっている。

今も部屋の中身は前と殆ど変わっていない。
家具に関しては、用意する必要が無かったから。



御空の最後の願い事。

それは、このPCを含め、家具を俺に引き取って欲しいというものだった。


これで俺に配信を始めて欲しいと言っていた。

実は、御空には言ってないけれど、俺は既に配信をしたことがある。
恥ずかしくて、それはとうとう最後まで言えなかったけれど。



家具を引き取ることについて。

僕の思い出だけが帰っても、きっとそれは辛い事だから。

御空はあの時、そう言っていた。


きっと、家族の事が本当に大好きだったのだろう。




PCのパスワードに関しては、紙が隠されているという話だった。

探してみてね、と御空は悪戯っぽく言っていたけれど、一番最初に本棚の最上段にある一番左端にあった本から開いてみたところ、早速その紙が入っているのを見つけてしまった。


単純すぎる……。


ノートの切れ端に書かれたパスワードは走り書きでこう書かれていた。




wasurenaide


忘れないで


その言葉が、少し俺の心に突き刺さった。



俺は早速、PCの電源を入れた。
そして紙に書かれていたパスワードを、入力した。



ようこそ



パスワードは合っていたようだ。





「…………」




デスクトップの画像は、今年の夏に撮られたものだった。
この家の庭で、鐵さん夫婦と御空のおじさんおばさん、そして俺と御空。

みんなで花火大会をした時の写真。


俺と御空の、二人っきりの写真。




ああもう、本当にあいつは……。



よく見てみると、デスクトップには1つだけファイルが表示されていた。


「音声ファイル……?」


俺はすぐにそのファイルを開いてみた。



『やぁ、ハル! 久しぶり……なのかな?』



御空の声が、聞こえてきた。
病院に入る前に録音したのだろうか?



『これを聞いてるって事は、もう僕は向こう側に逝っちゃったんだね。
その前に、何かとお世話になったハルに、メッセージを残しておこうと思ってさ。
本当は映像でも良かったんだけど、ちょっと照れくさくて。
そうそう、デスクトップの写真見た? って、見てない訳ないよね。結構良い写真でしょ!
今でも思い出すよ。ハルは覚えてるかな?』



「勿論、覚えてる」



『あとね、ハル、配信してたでしょ! ちゃんとね、僕は見てたんだよ!
人に知らせろって言っておきながら、自分は知らせないんだもんなー、寂しーなー。
でもまさか、“ハル”とは別の名前で配信してるだなんて思ってもみなかったけどね。
見てて結構楽しかったよ! これからも配信続けてね!』



「なんだ、バレてたのか……」


御空の話はそれから少し続いた。
途切れることのない、まるで音楽のようなその語りはとても心地良いものだった。
そういう意味で、御空は配信者に向いていたのかもしれない。




『それでね、最後になんだけど、最後にもう1つだけ本当のお願い事があってね。実はもうそれは既に示してあるんだ』




あぁ、パスワードの事か。

忘れないd――




『そう、パスワードだよ。つまり、 “忘れて” 』




え?
忘れ、て?



どういう事だ?

間違っている筈がない。
だって、現にこうして入る事が――




『きっとハルはね、優しいから僕の事を簡単には忘れてくれないと思うんだ。
だから、ずっと僕の思い出に苦しめられてしまう、そんな気がするんだ。
それはね、僕にとって、本当に辛い事なんだよ。だからね――』



『僕の事を、忘れてくれないかな』




俺はパスワードが書かれたメモに目を遣った。


あまりにも分かり易い場所に隠されていたパスワード。

咄嗟に破ったかのような、歪んだ形のノートの切れ端。

まるで走り書きされたかのような、震えた英語の文字。



嘘だ。





『僕はね、忘れられても辛くなんかないから』


嘘だ!






『これまで一緒に楽しい時間を過ごせたってだけで十分だから』


嘘だ!!






『悔いもなく、先に向こうに行くことが出来るから』

嘘だ、嘘だ!!!






そんなものは、全部。



『だからね、忘れて良いんだよ。僕は空からこっそり応援してるからね』



「……嘘ばっかじゃねぇか」



俺の事を気遣って。

俺の為に、自分の思いを押し殺して。

自分の気持ちに、嘘をついて。





『……そう、だからね。最後に。最後に一言だけ伝えたいんだ』


「…………」


『…………』


「…………」


『僕も……』


「…………」








『 “私”も……ハルの事が大好きです』




涙声で。




『ごめんね』



そして、音声ファイルはそこで停止した。






「あの馬鹿野郎……」




誰が。


誰が忘れられるっていうんだよ。




御空の残り香が、まだほんの少し感じられるこの部屋の中で。




俺はただひたすら、泣き続けた。


home  prev  next