アメフラシとして人の街を歩く気分というのは如何(いかん)とも説明し難(がた)い。
まるで他人の家で暮らしているような感覚だ。
通行人の視線が突き刺さろうとも何とも思わない。
責任という言葉は人だった頃の身体に置いてきたらしい。
他人、だなんて。
人はなんと面倒な事柄に縛られているのだ。




しかしアメフラシの自由を手に入れたところで、ヤドカリを穴から出さなければ問題は解決しない。
問題。
それは人々の呟きの数のごとく、どこにでも転がっている。
この物語も、どうやらここにきて転がす必要がありそうだ。
私の敬愛する吉田君によれば、「さて」と言えば物語というものは転がるらしい。
つまり私はまず「さて」を探さなければならないというわけだ。
さてさて、いったいどこにあるというのか。




吉田君はこうも言った。

「夕食の献立に迷ったときにスーパーに行っても無駄だよ。まずは冷蔵庫を開けなさい」と。

なるほど、一理どころか二理はある。
というわけで、私はデパートの家電売り場へと行くことにした。
多分(たぶん)に希望的観測ではあるが、
「さて」が冷やされているかもしれないではないか。




「お客様、困ります」

冷蔵庫をばったんばったんと開けている私に店員が声をかけてきた。

「なぜだ」

「こちらの冷蔵庫は人間用に作られたものでございます。アメフラシ用ではございません」

なんだと、それは差別だ。
アメフラシが冷蔵庫を使ってはいけないという法はなかったはずだ。




「ならアメフラシ用の冷蔵庫をもってきてくれ」

「すみません、当店ではお取り扱いしておりません」

なんて品揃えの悪い店なんだ。

――ええい構わん。

たとえ世界が今終わろうとも冷蔵庫を開け続けるぞ、と息を巻いている私に、2mほどの身の丈をもつ警備服の大男が向かってきた。
これは困った。
世界の前に私が終わってしまうのではないか。




やむなく「さて」の捜索を一時中断し、私は今しがた開けていた冷蔵庫の中に逃げ込んだ。
やれやれ、人というものは相も変わらず騒がしいうえに小心者なようだ。
冷蔵庫を開けるくらいのこと、いいではないか。
私は一息つくと暗い室内を見渡してみた。
幸いなことに電源が入っていないので、凍え死ぬことはなさそうだ。




「む」

奥を覗くと下へと続く階段があった。
表ではまだ人の気配がする。
個性は好奇心がつくるものだと誰かが言っていたが、人間もアメフラシもその点は同じやもしれぬ。
私は私という名の好奇心に負けて階段を降りた。
ああなんてことだ。
そこは私と同じ種が、つまりアメフラシが働く鍵工場であった。





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