3.「日常」
 翌日縁は、出勤した足で閻羅を訪ねた、ドアをノックをする「はい、どうぞ」と、すぐに返事があった。
 ドアを開けると閻羅が難しい顔をしてキーボードを叩いている、チラと顔を見てすぐに「ちょっと待っててね」と。
 勢いで来てしまったが、今になって縁は少し緊張していた、クマは入室する寸前にするりと肩から降りて行ってしまった。
 少々の後に、閻羅がPCから顔を上げて、「どうしたの?あ、なんか飲む?」
「あ、いえいえとんでもない、あのですね...」慌てたように縁が言う、仕事量と人員について、デジタルデータ化についで簡単に説明する。
「...という訳なんですが。」
「んー、わかりました、というか分かってました、みこっちゃんは嫌がってるでしょ?」
「…えぇ、はい。」一拍置いてからの返答。
「あの子PC苦手なんだよねー」些事であるかの様に言う。
「まぁ薄々は、見てればアレでしたが。」素直な感想を口にする。
「ふむ、その件に関しては、早めに結論を出します。今晩空いてますか?」
「あ、はい、仕事終われば帰るだけですが」
「よし、じゃあ飲み行きましょう。終わったら此処にいらして下さい。」
 というような軽い感じで局長とサシ飲みに行く事に、話もそこそこに現場へと向かった。

 現場へ着くとクマが机の上で丸まっていた、その横で命が新聞を読みながら椅子にもたれていた。
 閻羅と飲みに行く事を伝えるか、少し迷ったが黙っていることにした。
 新聞を閉じながら「よし、今日もやるか、さっさと片付けて週末を謳歌しよう」と、命。
 起動したPCを覗きこむ、フォルダ分けされた未読メールは既に300を超えているようだった。
「ほら、クマおいで」クマが欠伸をしながら如何にも面倒そうに起き上がりついて来る。

 かくして今日もバタバタとした資料探しと入力が始まった。
 昼食、3時のおやつ、と、時は瞬く間に過ぎていった。
「みこっちゃん、残りどのくらい?」司は疲弊した声で問う
「150。目標18時。」事務的な返事。
「へいへーい」「気の抜けた返事をするな!」命は体育会系だったのかなぁ、とぼんやりと思う。

 なんとか18時に終わった、しかし2人と2匹は大分お疲れの様子である。
「そいじゃみこっちゃんまた来週ね」「はい、お疲れ様。」「じゃ」「じゃ」「ニャ」「シャ」
 命とわかれ、閻羅の部屋に向かう。

 ノックをし、返事を待ってから入室し「お待たせしました。」と声をかける。
「お疲れ様、ちょっと待ってね」と、朝と同じくモニタを睨みつけてキーボードを叩いている。
 まるで今朝のデジャヴのようである。
 ソファの隅に腰掛けて部屋を見回す、面接の時と今朝とこの部屋に入ったのは三度目だが、質の良い調度品でまとめられている。
 革張りの3人掛けのソファが向い合って2脚、ガラスのセンターテーブルとサイドテーブル、閻羅の方を見ると木製の大きな机にゴツい椅子、その背面は壁一面の本棚。
 少しぼぅっとしていると、クマが肩から膝に降りた少し警戒した様子で耳が寝ている、閻羅が苦手なのかなと思っていると視界の端に動く影がある。
 驚いてそちらを見ると白銀短毛の細身な犬がいた、手を差し出してみたがそっぽを向いて反対側のソファへ行ってしまった、膝の上でクマは相変わらず警戒を解かない。
 閻羅の使い魔なのだろうか、しかし只の犬にしては少し違和感が有るような気がする。
「局長、この子は局長の使い魔ですか?」「あぁそうですよ、リル君です。リル、おいで」そう言われ閻羅の隣へとしなやかに動く。 
「残念ながら現世では絶滅してしまったようですね」閻羅はそう言いながらリルの背を撫でる。
「え?何犬なんですか?」「あはははっ、違う違う縁くん、この子は狼だよニホンオオカミ。」
 
 使い魔は、こちらの世界に来てから魂が消滅するまで主人に付き従う、永き時を共に過ごす。
 何を基準に選定されるのかは未だによく解らないらしいが人柄には合っているよなと思う。

「さて、お待たせしました、行きましょうか」そう言いながら、鞄を取りジャケットを羽織る閻羅。
「はい、どこへ行きますか」と応じつつ立ち上がる、クマも肩へ。
「どうしよっか、初江ちゃんのバー行くか、ってもバーにはまだ少し早いかな、まずは屋台で一杯引っ掛けましょうか」
 そんなこんなで2人と2匹は、ごくごく当たり前の屋台へ

 地獄の入口である此処には、飲食店や量販店やコンビニなどがごく普通に存在している。
 道路も建物も現世と何ら変わらない、死んだという実感があまりない、慣れ親しんだ雰囲気のまま。
 ただ空は、空だけは常に厚い雲に覆われている、日が差すことはない。
 だが、しかし、夜も朝もある。四季は暦の上でのみ存在するようである。
 命が停滞しているに、変化を嫌うように。

 4人程度で満席になる屋台、客は我々だけ屋台のオヤジは口数が少なく愛想も良くないようである。
 適当に注文した焼き鳥を肴に日本酒をちびちびとやっている。
 味は確かだ、ここにくる道すがら閻羅がオススメだと言っていたのも納得である。
 クマとリルは、椅子の脇で素焼きを食べている。

 なんでもないような話を幾つかした後、唐突に「そういえば朝の話、デジタルデータ化の予算組みましょう。」
 少し面食らって「早いですね」と。「まぁ、そんなに大所帯の部署ではないのでねぇ、そうすると何が必要ですか?」
「えーっと、PCを人数分+1台、スキャナを3台、デジカメを3脚付きで3台、後は外付けHDDかNASってとこですかね。」
「茄子?」「あぁ、違いますアルファベットでN、A、SでNASです、LANネットワーク機能付きの外付けHDDです。見積りとか稟議書は要りますか?」
「あー要らないかな、えっとMacでもWindowsでも良いの?」「えぇどちらでも、今時分出来る事にあんまり変わりはないですから」
「そっかぁ、どうしようかなぁ、じゃあ取り敢えず来週渋谷辺り行こっか?」「え?こっちにも渋谷あるんですか?」
「いや?現世の。」「あ、え、…良いんですか?」
「うん、縁故や知り合い筋と会話かわしたりは出来ないけど、買い物行くぐらいは別に大丈夫だよ。」 
「変装とかするんですか?」「いや?別に何もしないけど?」
「偶然出会ってしまったら?」「スルーで」「え?」「スルーで。」「はい。」

 気圧された、しかし想像以上にゆるい世界だった、まぁよくよく考えるとドッペルゲンガーとか似てる人が3人は居るとか、そういうことか。
「バレたら、地獄の最下部で修行の後に消滅だから気をつけてね」「…は、い。」
 そんなに緩くないようである。

「じゃあ明日じゃキツいからその次の休みにでも、行こっか」「はい、あの、えっと、申し訳ないんですけど、此処に来た時の記憶が無いんですけど、どのように行き来するんですか?」
「車かオートバイか自転車か徒歩か」「徒歩っ?!」「うん、別に異世界とか別次元とかじゃないからね、でも今回は買う物の量を考えると車かな。」
「縁君は免許とかある?」「あ、はい、普通免許持ってましたけど、それこっちでも有効なんですか?」
「あぁ、うん、こっちでは免許無くても運転できればそれで良いし、現世行くときは事前に言っておけば大丈夫だよ」
「ほぉほぉ、保険とか燃料とかってのは、どうなってるんですか?」「こっちでは保険は無いね物理的な手段では怪我とかしないから、ガソリンスタンドは街の外れに有るよ」

「局長は何に乗っているんですか?」「色々ですね。」「あ、複数台お持ちで?」「うん、というかウチの部署は皆それぞれ最低一台は持ってるよ。」
 自動車、オートバイ、自転車をそれぞれ一台か、それは中々に凄いのか、いや、こちらではそれが普通なのかもしれない、ふむ。
「縁くんは、車とか好き?」「えぇ好きですよ、最近はあまり人気無いですが、スポーツ系の車両が好みですね」
「こっちには結構スピード狂が多いよ、命ちゃんはオートバイだけど、元々ヤンキーで峠族だから面白いよ」
 命ちゃんやっぱりソッチ系だったのか、やっぱりって感じだな。

 その後、こちらでの車両購入や維持や修理、カスタムなどの話で大いに盛り上がった。
 2人で一升瓶が空いた頃、縁は結構ふわふわしているが、閻羅は涼しい顔である、酒にはかなり強いようだ。
「さて、じゃあ次行こっか、親父さん御馳走様」と、言いながら会計。
 財布を出そうとすると、「良いから良いから」と制止される、ここは素直に御馳走になる。
「毎度あり、またどうぞ」ぼそっとした声で、屋台のオヤジ。愛想はないが邪魔はしないし、ゆっくり飲めたし美味かった、こういうのも結構良いな。
 と、風が吹く、暑くも寒くも無い、花や草のない不思議な景観、先を歩く閻羅とリル、少し遅れてクマ、その後ろに縁。

 この後、初江ママのいるバーで丑三つ時まで、飲んで喫んで話して、すっかり出来上がってからの帰宅、閻羅は最後まで酔っ払った感じはなかった。
「あぁー、局長強すぎだろぉ、、あー、もう風呂も無理、クマぁー飯いらんだろぉー?」ふにゃふにゃとした喋り、クマは縁の言を聴かずさっさと自分の寝床に入って丸まっていた。 
 ベッドに倒れ込み、着替えも風呂も済ませずに寝入ってしまった。
 
 翌日酷い二日酔いで昼に起きた縁は、家事をこなすだけで土曜を消化し、夜は雑誌をパラパラめくってる内に寝てしまっていた。

 日曜も、ゆったりとした時間を過ごす、夜に翌朝のミーティングでデジタル化する旨の説明などをすると言っていたので、少しだけその事を考えた。
 しかし休みに考えなくて良いかとすぐに思い直し今宵も本を読む、階下のテナントには本屋が入っている。
 生きてる頃から好きだった作家の新刊である、死してもなおこのように本を読めるなら、死ぬのも悪くない。
 だが毎日の処理をしていると、こういうケースは稀の稀という事がよくわかる。

 死を見つめる仕事は現世にも沢山ある、別れの悲しみも突き詰めればデジタルデータの喪失で、個を失うのは思考のプロセスを失うことに他ならない。
 だからと言って独自の考えを持つことの出来る人間がどれだけいようか、偉業の達成は何十億と居る人間の中の只一人の物である。
 今こうしていることも、現世で偉業を達成することも、1%に満たない可能性でしかない。
 ほぼすべての生命は消費されてゆく、幼くして亡くなる命も老いてまで生命にしがみ付く行為も、運命なのか?
 否。それは運命などと言う言葉で片付けられるモノではない、天才は天才で居る間だけが天才で、凡夫は生涯凡夫である。
 ならば自分は天才であろうか?いや、決してそんなことはない。

 只生きて死んだだけ、嘘を吐いたことがない、本当にそうなのだろう、自分が何者であったのか、何を考えているのか。
 何も覚えていない、気がつくと、煙草の火が消えていた、ため息を一つ、珈琲を入れに立つ
 閻羅の部屋で飲んだ角のない澄んだ黒い液体ではない、痛いほどの熱さと毒のような苦味をもつ悪魔的な液体をすする。
 煙草に火を付け直し、深く吸い込む、細胞の隅々までまわって酩酊する感覚、これは細胞が生きている?
 髪は伸び、汗もかき、呼吸をし、食事も摂る、これはどういう事だろう、死んでいるのに生きている。

 良く解らなくなり思考を停止し煙草と珈琲に集中する。 
 因みにクマは猫で寝子なだけに一日中寝ているので問題ない、煙草を吸っていると怪訝な顔をする以外は。
 結局この連休はコンビニと本屋に行っただけで終わってしまった。
 そうしてまた今日もごろごろとしてる内に寝てしまった。

 目覚まし時計で起きて、非常に眠い頭を熱いシャワーと熱い珈琲で叩き起こし職場へ。
 


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