若干イメージと違うシチュエーションに戸惑う。
 昨晩ベッドの中で思案した吾朗の妄想だと、この時点で生徒たちはみんな席に着いていて、朝のホームルーム、担任の話をつまらなさそうに聞いていて。そこで先生の、「今日からみんなのクラスメイトになる――云々」っていう前置きで俄かに色めき立った教室に、促された自分が入っていく。
 そんな想定でイメージトレーニングに励んでいたのに。
 現実、席に着いている生徒は半分くらい。まだHR前の休み時間カオスを留めた教室に入ることになり、どんな顔をしてどこを見ればいいのか分からない。どうやら転入生が来ることはもう噂になっているようだ。そうでなければここまで静まりかえったりしないはず。こんなにガン見もされないに決まってる。特に教卓のすぐ前に立っている女子! 見すぎ見すぎ、刺さる刺さる! 隣で、席に座った女の子が面白そうにその様子を眺めている。あ、可愛い――。
 担任の到着に伴って、こちらを見ながらもクラスメイト達は自分の席にカタカタと座り始めた。ガン見女子も、席に座った可愛い女の子に促され自分の席に着く。
「どうせみんな知ってることだろうが、転入生だ」
 妄想時よりも担任の紹介が雑だ。
 だがこれでほとんど、思っていた通りのシチュエーションになった。男子も女子も静かにこっちを見つめている。先生も吾朗の方を見て自己紹介を促した。
 チョークで黒板に名前を書く。横書き。珍しい苗字かもしれないので、「さこんじ」と振り仮名をつけるところまでイメトレ通り。
 振り向いてちょっと間を置き、はっきりと発音する。
「左近寺吾朗です。どうかよろしく」頭を下げる。
 残念ながら、特に面白みもない普通の挨拶だ。






  2.
「おら吾朗、体育体育。更衣室まで案内してやるからついてこい」
 5月1日になって、まだ準初めましての状態なのに、俊平が慣れなれしく話しかけてきた。実は昨日の段階からこいつはタメ口だ。それでこちらが丁寧語なんて使っちゃ不釣り合いで気に障るので、こちらも俊平と呼び捨てている。吾朗と15センチ以上も差がありそうに小柄なジャニーズフェイスは、谷川俊平というらしい。
 いきなりここまでサバサバと絡めるヤツが出来るなんて思わなかった。つくづく、イメトレは役に立たない。でもこれはこれで、転入生活の順調な滑り出しとして受け入れていいだろうと思っている。
「そういえば初めての体育だけど、体操服ってどうなってんの? 前の学校のまま?」
「まっさか、恥ずかしいだろ。ちゃんとコッチのやつだよ」
 俊平含むクラスの流れについて廊下を歩きながら、俊平の質問に答える。
「それに、前の学校は制服も体操服もなかったな」
「え? じゃあ私服だったわけ?」
「んーまぁ、そんなとこ」
「へぇ……」
 そんな高校あるのかと呟く吾朗の声を聞いて、今のは下手な嘘だったかな、と反省した。

 俊平の言った通り、吾朗にとってこの高校で初めての体育だった。選択球技。サッカー、ソフトボール、テニスの内、吾朗はせっかく仲良くなれている俊平と同じ、サッカーを選んだ。
「そもそもソフトボールってルール知らねェし」
「は? ってことは野球のルールも知らないわけ?」
「ほとんど知らない。テレビで見ることもないし、ゲームにも馴染みなかったなぁ」
 パワプロもやってない男子がいるのか。と俊平は漏らした。
 5月に入った事を主張するかのように、今日は春とは思えない気温で、男子生徒の大半は半袖半ズボンの体操服で更衣室を出てグラウンドに向かう。そんな中、吾朗は長袖+半ズボンを着て、若干の注目を買った。
「ってか、背高いやつがその組み合わせ、なんかチグハグじゃね」
 サッカー組の集合場所で、今はテニスの方に行っている体育教師を待ちながら、先に指示された準備運動をなおざりにこなす。柔軟体操では体格が似ている生徒と組むのが普通だが、俊平がすすんで組んでくれたので吾朗は気疲れせずにすんだ。

「何それ左近寺くん! 長袖短パンって、――水泳選手みたい!」
 納得できそうでどこか惜しいコトを言うヤツ、というアイデンティティで吾朗は仲川優の名前を覚えた。昨日の朝、一目で可愛いと思った女子、あの時は座っていて気付かなかったが、クラスで一番背が低いらしい。
 そして現時点で、吾朗がフルネームをそらんじられるのは俊平と仲川の二人だけである。俊平に負けないくらいのアクティブさで、昨日の段階から仲川は吾朗に声をかけて来たのだ。
「ね、るり」
「う、うん。え? いや、うーん……」
 曖昧な笑顔を浮かべている、仲川と仲の良い女子、以上にガン見女子として覚えてしまった。るりという子もサッカー組らしい。仲川ほどではないが小柄で、何よりその長い黒髪が目を引く。腰の上ほどにまである髪は、体育にあたって簡単に結われている。仲川がるりとしか呼ばないので、苗字の方をまだ聞いていない。丁度いい機会だろうと思って吾朗は話しかけた。
「あの」
「え、なにっ?」
「ごめんだけど、フルネーム教えてくれない? やっぱまだ覚えられなくて」
「あ、うん。池田瑠璃。多分想像したのと同じ漢字で合ってる。簡単なイケダ」
 難しいイケダなんてあったっけ、と言う俊平に次いで、仲川が言う。
「そんなわけだから、るりの事もよろしくしてやってちょ。左近寺くん」
 そんな風に言われながら、顔を赤らめて俯ける池田さんは人見知りなのか、それとも――
 余計な結論を弾きだす前に、吾朗は妄想をシャットダウンして、池田さんに「ありがとう、よろしく」と返した。






 ただ、3週間も経つ頃には、池田さんがどうやら自分に好意があるらしいと分かった。
 何より仲川が分かりやすすぎる。

「左近寺くんってるりと同じおとめ座なんだね、運命じゃん!」
  「てか、吾朗におとめ座って似合わねー。その図体でおとめはねーよ」
「今度るりと一緒にスターウォーズのDVD制覇しようって言ってるんだけど、左近寺くんもどう?」
  「え、まじまじ? 俺も行きたい」
「左近寺くんとるりって並んでるとおもしろいよね。マトリョーシカみたい!」
  「仲川、それもうやめたらどう」

 隣からチャリチャリと口を挟む俊平はさておき、仲川はこういうことを平気で言う。吾朗は先入観で天然なのかと思っていたが、どうやら違うらしいということが最近分かってきた。仲川は多分、わざと池田さんの気持ちを教えようとしているんだろう。好きになってくれた人を、否が応にも気にしてしまう、男子のそういう心を彼女は知っているのかもしれない。
 その小柄な体躯のためか、無垢な仕草によるのか、彼女のそういうやり方にはイヤミがない。何気ない会話をしていてもなぜか話しやすい所がある。この高校には県外から進学していて、入学時点でクラスに知り合いはいなかったそうだが、今やクラスの女子の中心になっていること。それを聞いても吾朗は頷けた。
 事実、池田さんと吾朗も、もう気疲れせずに話せる間柄にまでなっている。

 その日は金曜日、かつ中間テスト前の部活動停止期間初日で、仲川は美術部、俊平と池田さんは吹奏楽部がそれぞれ活動休止。放課後、教室にまばらに残ったグループの内の一つが吾朗達だった。俊平の驚きの声が教室に響く。
「え! 『スターウォーズ』見てないの? 一部たりとも? そりゃ仲川、人生の半分損してるぜ、なぁ瑠璃」
「うん、あの名曲を聴いてないのはもったいないよね。私もびっくりしてさ」
「BGMありきかよ。――吾朗は? どれが一番好きよ。やっぱエピソード4?」
「いや」
 なんと言うべきか。
「オレも見た事はねェんだけど」
「んだとーぉ? よし、決まり、スターウォーズ制覇会ここに結成な。善は急げだ、明日見よう。全部」
「待ったまった」
 突っ走る俊平を池田さんが止めた。
「何のための部活停止なの、俊平君。せめてテスト明けにしよ?」
 池田さんの言葉に俊平は「うぇー」と口を尖らせる。
「6月12日、土曜日。どう?」
 携帯電話でカレンダーを見ながらの池田さんの提案に、俊平は不満そうだったが頷いた。
「えっと、左近寺君も、いい、かな?」
「あぁ、大丈――」
「6月12日?」
 仲川が吾朗の言葉を遮って訊く。
「あれ、ゆうちゃん、だめだった?」
「んーん、大丈夫。サランラップみたいに忘れちゃうかもしれないから、近くなったらまた言ってちょ。るり」
「もう……」
 親友の軽口に池田さんはちょっと頬を膨らませた。






 仲川の主導によることは言うまでもないが、テスト前期間中の放課後は、4人で教室に残って勉強会をすることになった。勉強会と言っても、机を4つ引っ付けてそれぞれ思い思いの教科書を開くだけだが。
「私、こういう勉強会って初めてだなぁ」
 机を寄せながら、池田さんがポツリと言った。
「うっそ、中学の時、いっつもやってたけどなー」
 まったくもって意外な事に、俊平は割と成績が良い方で、真面目にしようと思えばできるやつらしい。
「左近寺くんは?」
 仲川が机を置いてから顔を上げて訊く。仲川と吾朗は身長差が30センチ以上になるので、立って話す時はいつもこういうアングルになる。髪が少し後ろに流れて揺れている。明るい瞳が必然的に少し上目遣いになるので、吾朗はいつもトキリとしていた。
「うーん、そうだな」
 少し思案したが、特に嘘をつく必要のある場面でもないだろう。
「もともとオレ、あんまり勉強って好きじゃなくてさ、テスト前でも友達と遊びまくってた記憶しかないなぁ」
「へぇー、意外。結構真面目なタイプかと思ってた」
「でも、左近寺君って授業中いつも寝てるよね」
 池田さんが半笑いしながら言う。
「うふふ、るりはいっつも左近寺くんのこと見てるのかなっ」
「い……やっ、だって席が斜め前だからさ」
 両手の平を仲川に向けて首を振る。
「まー、わたし、席が一番前だからねー、左近寺くんの授業態度って見ようがないし」
 仲川は笑ったまま首をかしげて話をずらし、自ら池田さんに助け舟を出した。

「仲川さんって、数学得意なの?」
 机の上に数学のノートを広げている様子を見て、吾朗は訊いた。
「んー、んーん。得意ってわけでもないし苦手ってほどでもないなぁ。苦手って言ったらほら、国語。古文とか意味わかんないよねぇー」
 仲川はそう言ってこちらを見る。
「でも、漢字は得意だろ」
「わお! なんで分かったのー。うふふ、漢検は1級持ってるんだよぅ」
「いや、なんとなくだけど」
 まさか漢検1級レベルとは思わなかったし。
「なんとなくで分かるもんか? それ。じゃ吾朗、俺の得意科目は?」
 そう言った俊平の机を吾朗は見る。広げられているのは、理科、物理の教科書。左利きの俊平はその手でシャーぺンをくるくると回す。消しゴムは、透明なペンケースの中。
「俊平こそ、数学だな。」
「うげ」
 当たってる、という俊平の呟きに、仲川と池田さんは軽く拍手した。
 そして、池田さんも身を乗り出す。
「じゃあ、私は?」
 ふむ、彼女の机に広げられているのは英語の教科書だが、しかし。
 吾朗はチラッと池田さんの表情を見た。
「体育」
 あまりに文脈を無視した答えに、仲川と俊平は脱力したようだったが、池田さんはヒェッと息を飲んだ。




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