3.
「おーぅわぁったーっ」
 中間テストの最後を飾ったのは英語。終了のチャイムを聴いて、優は思わず伸びをした。6月に入って半袖になった制服から両手を伸ばし、息を吐く。
 今日は午前中で高校から退散できる。HRが終わるや、パパパと教科書をカバンに入れ、るりと連れ立って教室を出た。
「ゆうちゃんどうだった? テスト」
「んー、英文法とか、考えた人はどっかに飛んでっちゃえばいいと思うよね」
 自分よりも少しだけ目線の高いるりに横目ではにかむ。
「え、ゆうちゃん英語得意だと思ってた、発音とか良いしさ」
「英語自体は嫌いじゃないんだけどね、文法はダメだ。だめだめ」
 下駄箱に内履きを入れ、玄関から外に出る。
「そういえば、今週末だよ、スターウォーズ」
「あぁ、うんうん。覚えてるよぅ。ありがと」
 今日は6月9日。その日の3日前である。
「でさ、ゆうちゃん」
 校門を通り抜けたところで、るりの声が少しトーンダウンして囁き声になったので、優はるりの顔を見て耳を傾けた。少しだけ顔が緊張している。
「その日、左近寺君に、その――言おうと思うんだ」
「ぅぇっ!!?」
 なんとか声は押さえたが、どうしても驚きは隠せなかった。
 親友の性格から見て、実際に告白という行動に移すのはもう少し先の事だと思っていた。確かに、優の猛烈な行動によってるり、左近寺くん、優、俊平というグループが出来上がりつつあって、るりと左近寺くんも気さくに話しているようだが。
「えっと、6月12日に? だよね」
「うん」
 6月12日に、か。
「そっかぁ、じゃあその日はそういうシチュを作っちゃえばいいのかな?」
 突然の事には驚いたが、るりの決めた事ならそれとして応援したい。
「ありがと。なんかゆうちゃんに頼りきりだね」
「まさかぁ、実際に言うのはるりだよ、分かってるー?」
 そう言うとるりは意外なことに、にっこりと笑った。






 築10年も経っていないかもしれない、谷川の家は外観で見て分かるほど綺麗だった。
「何回も言うけど、なんで俺んちなんだよ」
 るりと一緒に谷川の家に上げてもらうと、俊平が何度目かの文句を言った。
「しゃーないでしょー。左近寺くんはもう来てる?」
「あぁ、来てるよ。コッチ」
 俊平の自室にはテレビはないらしく、二人は谷川家のリビングに通された。隅に置かれたテレビに向かって二つのソファが「く」の字に並べられている。その内の一つに左近寺くんが座っていて、優達が入っていくとこっちを向いて「おす」と手を挙げた。
「俺は瑠璃の家が良かったなぁ。長い付き合いなのに、まだ上げてもらったことないんだぜ」
「あんたはるりの彼氏でもなんでもなかろー。るりがDVDを提供、谷川が場所を提供。等価交換だよぅ」
 優は瑠璃を「く」の字の内側にして同じソファに腰を下ろした。4人の前に麦茶を入れた綺麗なコップを出した俊平は、優と一番遠い位置に座る。
「それじゃ吾朗と仲川は何もしてないじゃん」
「DVD見れない部屋に集まってどうするのさ」
 県外から進学した優と同じように、吾朗も一人暮らしをしているらしい。家にテレビはあるが、DVDプレーヤまではないのも優と同じ。
 そういえば、吾朗がどこの高校から転入してきたのかを聞いたことがなかった。一人暮らしということは、やはり優と同じように県外の高校なのだろうか。なぜあんな時期に転入してきたのかと言う理由も、結局訊くことなく、なぁなぁと丸一カ月が経ってしまっている。今となっては逆に話題にしにくい。プレイベートなことでもあるし。
 リビングにあった卓上デジタル時計を見ると、6月12日、午前10時12分だった。
「一応全部持って来たんだけどさ」
 るりはカバンからDVDケースを6つ取り出した。彼女はスターウォーズをかなり気に入ってるらしく、これは全て私物なのだそうだ。
「でもね、一つ2時間としても6つで12時間だよ。どうする?」
「今からぶっ続けて見ても夜10時になるわけか……」
 左近寺くんが時計を見ながらとんでもない事を呟いた。
 結局、一番最初に公開され、谷川の一推しでもあったエピソード4から手をつけることになった。
「エピソード4、5、6まで見て、1、2、3、はまたの機会にって感じになりそうだね」
 るりがケースから4のディスクを取り出して、谷川がロボットアームみたいに受け取った。
 もう一度時計を見ると、10時13分になっていた。






 エピソード4が終わり、少し遅めだが昼食をどこかに食べに行こうかという段になった時、唐突にそれは起こる。
 優はその時、部屋のデジタル時計を見ていた。12時43分。
 突然、そのデジタル時計がズルリと動いた。
 部屋がグラリグラリと揺れる。優はソファに深く寄りかかって身体の揺れを落ち着かせようとした。
 しかし、立ち上がりかけていた他の3人はソファに座り直すこともできず、かといって動く事もできず、所在無さげにソファの背に手をかけている。
 地震は優が経験したことのない大きさで、長さだった。ついさっきまでライトセーバーを映していたテレビが音を立てて目の前に倒れた。
 一体何がこんな音を出しているのかというほど、周囲に音が溢れた。ガチャガチャザリザリギシギシと耳に突き刺さる。優は耐えられなくなって、目をつぶって顔を膝に伏せた。早く……、終わって――。
「仲川、そこ離れろ!」
 左近寺くんの声に呼び捨てにされたのは初めてで、優はハッと顔を上げて左近寺くんの顔を見た。左近寺くんは必死の顔で優の頭の上を指さしている。天井に付けられているお椀型の照明カバーがズリズリと震え、今にも落ちてきそうだった。
 どこか外で金属製の何かが倒れた音が響く。
 揺れの中、優は必死の思いで立ち上がり、照明の下から離れた。見ると、近くにいたるりは既に少し位置を変えている。左近寺くんと谷川でリビングにあった本棚を押さえていた。納められていた本は少しずつ、産卵のように本棚から溢れ、二人の足元に積もっている。
 キッチンからだろうか、陶器の割れる音が聞こえた。
 ズタンズタンと、絶え間なく何かが音を立てている。
 ダチダチダチという細かいノイズは常に耳にまとわりついていた。
 数分と思える時間が流れた後、揺れは急激に小さくなっておさまった。
「大丈夫か」
 左近寺くんの声が聞こえて、優はまたぎゅっとつぶっていた目を開けた。
 
 二人が押さえていた本棚の本は半分くらいが抜け落ちていた。るりはソファと二人の間に不安そうに立っている。リビングの中の色々なものがスライドしてさっきまでと景色が違っている。テレビは天井に背中を向けたままカーペットにうつ伏せていた。結局照明のカバーは落ちなかったらしい。
「俊平、テレビ、つくかな」
「あ、あぁ……」
 落ち着いた左近寺くんの声に促された谷川は、左近寺くんと協力してテレビを起こし、テレビ台の上に戻した。
 ソファの前に転がっていたリモコンを拾い上げ、スイッチを入れる。
 NHKをつけると、深刻な顔をしたキャスターが早口で情報を伝えていた。画面上部には次々とテロップが流れ、右下には津波警報を伝える日本地図が置かれている。
 映像が海岸の中継に切り替わるが、水位はまだ上がっていないらしい。ただ画面に映った日本地図は、全域を縁取りするように赤と黄色で警戒を促していた。
「ここはさすがに津波の心配はないだろうけど、余震はやっぱり心配だな」
「おじいちゃん、大丈夫かな……」
 るりがポツリと呟く。
「今、池田さんの家に一人なのか?」
 左近寺くんがるりを見て訊いた。
「うん……」
「じゃあ、家に戻った方がいいな。送ってく。さすがにもうDVDは見てられないだろ」
「そうだな」
 左近寺くんの提案に、谷川が頷く。
「わたしも、部屋が気になるから帰るよぅ」
 るりと左近寺くんがそれぞれの荷物を持つのを見て、優は言った。左近寺くんが驚いた顔をする。
「え、いや……。仲川さんも一人暮らしだろ? 知り合いと一緒にいた方がいいと思うけど」
 こんなやつじゃ頼りないかも知れんが、と谷川をチラッと見て笑う。ただ、優はどうしても部屋に戻りたかった。
「んーん、帰る」
 左近寺くんは困ったように少し黙ったが、小さく頷いた。
「じゃ俊平、なんか急だけど、お前も気をつけろよ」
 すこし抜けたような表情をしていた谷川に声をかけ、左近寺くんは最初に部屋から出た。
 テレビが次々と映し出す被害状況は、地震の甚大さを物語っていた。

 道を歩いている間、左近寺くんはほとんど喋らなかった。最初に、「ブロック塀は崩れるかもしれないから気をつけて」と注意してくれたけれど、それ以降、3人は黙々と道を歩いた。狭い道にも何人かの人が様子を見に外へ出て来ていて、土曜日の正午過ぎにふさわしくない騒然さがあった。
「じゃあ、わたし、ここで。気をつけてね」
 るりの家と優の家への分かれ道に差し掛かったところで、優は努めて明るく言った。二人の表情もその言葉で明るくなる。
「ああ、家の瓦とかブロック塀、気を付けて歩け」
「またね、ゆうちゃん」
「うん」
 優はるりにぱちりと目で合図をして、自分のアパートへの道を速足で歩き始める。
 家に着いたら、まずテレビをつけよう。
 それから実家に電話して、大丈夫だって言わなきゃ。お父さんとか会社休んででもこっちまで飛んできそうだし。




home  prev  next