7月14日、土曜日。僕は祐介の家にギターを取りに行く。
祐介は僕と同じギター部のくせに、ギターを持っていない。
期末テストが終わったら買いに行くと言っていて、
それまでにどうしても練習したい曲があるというから、
夏休みが始まる前までという条件で僕はギターを貸した。
今日はそのギターを取り返しに行って、そのあと祐介と楽器屋へギターを見に行くつもり。
祐介の家は学校のすぐ近くにあるアパートで、大学生の兄と2人で住んでいるらしいのだけど、
僕はまだ彼を見た事がない。

僕は祐介の家のチャイムを押す。返事が無い。
もう一度チャイムを押す。遠くで電車の音が聞こえる。
日差しは穏やかで風も涼しくて、過ごしやすい日だと思った。祐介はまだ出てこない。
確かに今日、ギターを取りに行くと言ったはずなのだけど。
僕は確認の電話をするために携帯電話を取り出そうとする。その瞬間
ガシャン、とアパートの中から物音がした。
なんだ、祐介のやつ、こんな時間まで寝ていて焦っているのかと僕は思って、
そのまま玄関前で待ってみたものの、いっこうに誰も出てくる気配が無い。

僕は冗談半分で玄関のドアノブを回してみた。
するとドアは、あたりまえのようにすんなりと開いてしまう。

僕は焦った。玄関の扉が開いてしまったことにも焦ったけれど、その向こうに女の人が居たから。

「あ…」

くるんとした長い髪の毛を明るく染めて、少しつり目の、緑色のワンピースを着ている、僕より少し年上に見える女性だった。
目を丸くして口をぽかんと開けている。お互いにそんな顔をしていたと思う。

「す、すみません!」

その女の人が誰だか僕にはわからなかったけれど、どうみても僕は不法侵入者だ。
僕はすぐにドアを閉めて引き下がろうとした、その時
「待って!」
引き止めるように彼女の声が響く。僕は混乱していたから、びくんと動きを止めるしかなかった。

「ここの住人がどこにいるか、知らない?」

彼女は僕にそう言った。

住人、というと、祐介とその兄の啓介さんの二人になるけれど・・・
ということはこの女性は、啓介さんの恋人なのだろうか。

「いえ…僕はその…祐介くんの友達で…」

僕は自分の立場を説明するだけで精一杯になっていた。

「そっか…何だ…」

彼女はがっかりとした様子でその場にぺたりと座り込んだ。
それにしても、何故この部屋に彼女は居るのだろうか。合鍵でもつくってあるのか。
なんて考えが一巡りしているうちに、僕がこの部屋に来た理由を思い返した。祐介はどこだ。

「あの」

次は僕の番だ。下を向いていた彼女がふいと顔を見上げた

「祐介くん、知りませんか?」


「ユウスケ君ね・・・、知らないなあ」

ぶっきらぼうに彼女が答えた。
「そうですか」と、今度は僕が下を向く。

僕らはひとまず部屋の中で、兄弟を待つことにした。
ロフト付きの10畳の部屋は、レコード屋から貰ってきたであろうポスターが随所に貼られており、
CDがそこらじゅうに散らばっている。そして学生の部屋には似つかわしくないほどのオーディオ機材。

「…どこいったんだろ」
僕がつぶやく

「…ほんとにね。」
彼女が応える。そして続けた。

「ところで、君はどうしていきなりドアを開けたの?」

「え」

たじろぐ僕。

「いや、その、僕は今日祐介にギターを返してもらう約束で、それでギターを…」
「あぁ、それでチャイムを鳴らしても出てこなくて、イライラしてたってわけね」
「別に、イライラしてたわけじゃぁ…」

なんだか腑に落ちない。だいたいこの女性は誰なんだ。

「あなたこそ、どうして誰もいない部屋に居たんですか。」

彼女は少しの間押し黙って

「私は、今日が誕生日だからよ」

そう言った。答えになっていない。

「誕生日だから、お祝いしてくれるっていうから、遊びにきたの」

「お祝い‥?」
「そう。歌を。私のために歌をね、プレゼントしてくれるんだって」

そう言って彼女は目を伏せた。

「歌、って、ケイスケさんも音楽、やられてるんですか?」
「うん、よく、ライブでギターやってる。私もそのファンだったの。」

ファンに手を出すとは、啓介さんもよくやるものだ、と思いつつ、
じゃあどうして祐介は兄のギターを借りなかったのだろうと疑問を持った。

しばしの沈黙。祐介は来ない。啓介さんも現れない。
とりあえず自分のギターを探そうとも思ったが、部屋を見渡す限りそれらしき物も無い。

間が持たない。

「あの、じゃあ、あなたも音楽聞くのが好きなんですよね。」

その場凌ぎの言葉を投げかけてみる。

「そりゃ好きだけど…その"アナタ"っていうの、面倒くさいから、名前で呼んでよ。
 私はヒトミ。一つの海って書いて、一海。」
「一海さんですか、わかりました。僕は透っていいます。あの、それで、どんな音楽を?」
「そうねえ…んー…」

彼女はまた少しだけ考え込んで答えた。

「スミス、とかかな?」
「スミスですか!」

スミスとはイギリスのロックバンドである。驚いた。僕もスミスが好きだ。

「スミスだったらあと、エレクトロニックとかも好きですか?」

興奮する僕。いかんせん音楽の趣味の合う人間が、祐介くらいしか居なかったからだ。

「いいですよね。僕、スミスをすごく尊敬してるんですよ。それでギター部に入って、
 いま、バンドやってて・・・」

そこまで話してはっと我に返る。少し喋りすぎたのに気づいて、僕は恥ずかしくなった。

「そっか、バンドやってるんだ。いいね、キミ。」

恥ずかしくなっている僕のことなんか気にしないような笑みをうかべて、一海さんはそう言った。

「今度、ライブやるなら呼んでよ。」

年上の女性に、こんなふうに親しく接されたことがなかったので、僕はどうしたらいいか分からなかった。
とりあえず、顔は真っ赤になっていただろう。

「でも、僕、昨日の二者面談で、そろそろ進学先を決めなきゃいけないって言われてて、
 このままバンドやってていいのか、少し悩んでるんです」

これは僕の直感だけど、一海さんになら相談してもいいような気がした。

「おーそうなのか、キミは青春を謳歌してるねえ。うん、とてもいいと思うよ。
 モラトリアムは早いうちから感じていたほうがいいと思うし、やりたいことはとことんやったほうが
 きっと後悔しないと思う。私もまだ、人のことを言えるようなトシじゃないけどね。」

「モラトリアム、か…ありがとうございます。」

きっと僕の抱えている感情は世界中の誰しもが通過することなのだろうな、と、その時思った。

「ただ、やるんなら、逃げちゃだめだからね。」

僕を少しだけ睨むようにして、一海さんは続けた。そして

「私は、応援してるよ。」

体育座りをしたまま空を仰ぐ一海さん。午後3時の西日が彼女の横顔を照らす。
肌の色がとても白いのがわかって、いつの間にか僕は彼女にみとれていた。

一海さんのように、音楽の話ができる恋人がいたらいいな、なんてことが、ふと頭をよぎる。

その瞬間だった。

ガチャリとドアの開く音がした。

「あれ?おかしいな、アニキいるの・・・?」

そう言いながら祐介が、僕のギターを背負って帰ってきた。そして僕達を見るなりとびあがって
「ちょ!お、おまえら・・・なんで・・!透と・・・あと・・・だ、誰だよ!?」
祐介は戸惑いを隠せない様子だった。
その瞬間

「ねえ、キミがユウスケ君だよね?あいつはどこにいるか知ってる?」

一海さんがずいと前へ出る。

「え、アニキなら…今は実家に…」

「実家!?・・・あいつ、ここで待ってるって言ってたのに・・・!」

そう言うやいなや、一海さんは出ていってしまった。
それはそれは、あっという間の出来事だった。







「---で、あの女の人がアニキの彼女だっていうの?」
事態がいちばん飲み込めていないのは祐介だ。僕は祐介の家を訪ねてから起きた事をひと通り説明した。

「そんなことあるかよ、あんな綺麗な人が、アニキの彼女なわけないだろ」
祐介が笑いながら言う。
「大体、アニキに彼女がいたとして、合鍵作った話なんて、聞いたことないしな」
「でも、一海さん、スミス好きって言ってたぜ。たしか啓介さんも聴いてただろ?スミス。」
「そりゃ、オレはアニキの影響でスミス聴き始めたけど・・・」
「それに、啓介さんのバンドのファンだって…」
「はあ?アニキがバンドなんてやるわけないよ。楽器も弾けないし、まず持ってないし。」
 
「え」

じゃあ一体、あの女性は何者なんだ。
僕たちは急に背筋が冷たくなった。



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