7月15日、日曜日。僕と祐介はあのあと結局、解散することになり、
翌日に改めて楽器屋を見に行くことにしていた。今日は最高気温が28℃になるらしい。
僕たちは楽器屋に向かいながら、昨日のことについて話をしている。
「そういえば、昨日なんでお前、家に居なかったんだよ」
「ごめんごめん、練習のためにスタジオ入ってたら、熱中しちゃってて・・・」
「だいたいお前、何の曲練習してたの?」
「えー…」
祐介は恥ずかしそうに下を向いて、つぶやく。
「コレクターズ。」
「なんだ、コレクターズいいじゃん!なんで言ってくれなかったんだよ。曲は?」
「世界を止めて。」
コレクターズの名曲である。
「うわあ、名曲じゃん、ギター買ったらいっしょにやろうぜ」
そう言うと祐介はまた下を向いて。
「あー、いいけど、オレ・・・」
「なんだよ」
「これでライブとかは、やらないぜ?」
「別に、人前じゃなくたっていいじゃんか。それとも、誰かに捧げるとか・・・?」
面白半分で僕はカマをかけた。
「ぎくっ」
なんともわかりやすいりアクション。実に結構。
「そっか…お前も青春してるんだな。」
その時ふと、昨日の一海さんの言葉が脳裏をよぎった。
「そう。歌を。私のために歌をね、プレゼントしてくれるんだって」「そういえば、昨日一海さんも『誕生日に歌のプレゼントをしてもらう』って言ってたけど‥」
「おい、それがオレだって言いたいのかよ」
「いや、疑ってるわけじゃないんだけど、妙だなと思って。」
「それは断じて違うからな!大体、なんでアニキの彼女かなんだかよくわからない女の人に…」
「わかったよ。お前はどうせミサキちゃんなんだろ。わかってるって」
「ぎくぎくっ!」
・・・・これで祐介のシロは確定、と。
「それにしても、一海さんは一体、何者なんだろうな。」
「さあな…昨日アニキに電話で聞いてみたけど、ヒトミって人は知らない、ってさ。
とりあえず、空き巣かもしれないし、カギを変えてもらったよ」
祐介はそう言ってチラチラと顔の前でカギを揺らした。
「そっか・・・」
僕はどうにも、一海さんのことが気になって仕方がなくなっていた。
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その後、祐介は念願のギターを手に入れ、祐介の家でチューニングを行うことにした。
祐介は自分のギターを持つことがそれはそれは嬉しかったらしく、足取りも軽やかに家へと向かっていく。
そしてちょうど祐介の家の前に着いたとき、僕たちは硬直した。
そこには一海さんが立っていたからだ。
「ひと・・み・・さん?」
「ま、まままままままままままたあいつ・・・・!」
ぼくたちの声がハモる。
「あ・・・」
一海さんも僕達に気づいて、少し驚いた顔をしていた。
ユウスケの顔色がみるみる変わってゆく。
「お前、昨日から何なんだよ!人の家に勝手に入ろうとして・・・警察を・・・」
「ごめんなさい!!」
祐介が堪らず激昂しかけたと思いきや、一海さんが発したのはその一言だった。
「本当に、ごめんなさい…その、なんとなく気づいては、いたのだけど・・・」
下を向く一海さん
「合っちゃったから…」
「え・・?」
「カギが、合っちゃったから…やっぱりまだ、居るのかと思って…」
一海さんの声が震えている。
「それで、信じてみたくなって…昨日は、つい…」
何の話をしているのか、よくわからない。
祐介も動揺して、どうしたら良いのかわからない様子だ。
「一海さん、その、よくわからないから、きちんと話してもらえませんか?」
僕が精一杯取り仕切る。
すると、一海さんは顔を上げて、困り顔のまま少しはにかんだ。
「…ごめんなさいね、いきなり。」
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落ち着きを取り戻した祐介の、立ち話も何だし、という計らいで、
僕たちは祐介の部屋で一海さんの話を聞くことにした。
「何から話したら良いか、私もよくわからないけれど、まず最初に言えることは、
この部屋の住人が、私の恋人だったの。」
ぽかんとする僕と祐介。
「それで、これがこの部屋の鍵。」
一海さんがポケットから鍵を取り出した。
「これ…昨日まで使ってたオレんちの鍵と同じだ…」
「彼はギターをやっていて、私はよくこの部屋に通って、それを聴かせてもらってたの。」
一海さんは続ける。
「それである日、彼が、『私の誕生日になったら、曲をプレゼントしてあげる』って言ってくれて、
私はそのとき、すごく嬉しかった。」
祐介が少しだけ顔を赤らめている。
「でも、それからしばらくして、彼と連絡が急にとれなくなった。
私、捨てられちゃったんだな、って思って、自分から何かをしようともしなかったの。
この部屋に来ることも。」
僕と祐介は息をのんだ。
「でも、誕生日になって、思い出しちゃったの。歌のこと。
急に思い出して、もしかしたら、って思って、きのう、思い切ってここへ来たの。
そうしたら、鍵、開いちゃったんだもん。だから、まだ、いるのかと思って…」
「前の住人の鍵を変えないまま、俺達が引っ越してきちゃったってワケか…」
祐介が腕組みをしながら言う。一海さんは泣くのを必死で堪えているようだった。
「透くんと会って『僕は祐介の友達で‥』って言われたときに、全部わかっちゃったの。
あの人は、もうここには居ない、って。
だから、その後の会話、ぜんぶ透くんに合わせてただけなんだ。
なんだか、騙してしまって、ごめんなさい。」
一海さんが複雑な表情をしてそう告げた。
「スミスが好き、って言ったのも、ほら、そこにCDがあるでしょ。それを見て思いついただけ。」
僕は、なんて言ったらいいか分からなくなってしまって、うつむいてしまう。
だけど、不思議と怒りは湧いてこなかった。
暫しの沈黙。
それを一海さんが破った。
「でもね、応援してる、っていうのと、逃げちゃダメだっていうのは、ホント。」
僕は顔を見上げた。
「彼は、逃げてしまったのだと思う。
だから、あなたは逃げずにいてほしい。
あなたが進路で迷っているって話を聞いた時、そう思ったの。」
「僕は・・・」
"逃げたりなんかしません"なんて、言える勇気はなかった。
だけど、誰かを悲しませることは絶対にしたくないと、決めた。
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日もとっぷり暮れてしまって、僕たちは解散することになった。
一海さんは祐介に、本当に申し訳ないと詫びた後、もうここへ来ることはないと言って、祐介の家を後にした。
僕と一海さんは、帰る途中までは同じ道だったおかげで、まだ少しだけ一緒に居ることができた。
「透くんも、いろいろ迷惑かけちゃって、ごめんね」
「迷惑だなんて、そんな。」
「これ、お詫びにもならないかもしれないけど、あげる。」
そう言って差し出してくれたのは、件の鍵だった。
「え…」
「もう私には必要のないものになっちゃったから…だから、あげる。」
困った。
「これでもう逃げられないね。」
いたずらっぽく一海さんは笑って言った。そして
「じゃあね」
自分はこっちだから、と立ち止まって、踵を返そうとする一海さん。
これでお別れなのか、そう思った刹那
「あの、ライブ、きてください!」
僕は叫んでいた。
「絶対、逃げませんから。覚えておいてください!!」
一海さんは驚いた顔をして振り向いて、直ぐににっこりと微笑んだ。
「うん。」
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